第24話「後悔の涙」






   24話「後悔の涙」






   ★★★

 




 蛍が警察署に入ってすぐに、椋は滝川と連絡を取った。

 今日起こったことなどを話し、対応を頼んだのだ。

 

 『栗林にも連絡しておけよ。心配してたぞ』

 「はい………すみませんでした」

 『まぁいい………また、花霞さんには助けられたな。礼を言っておいてくれ』

 「そうですね…………」

 『花霞さんのお客さんだったんだろう。ショックを受けているんじゃないか?』



 滝川の言葉を聞いて、椋は隣の助手席に座る花霞を見つめた。

 先程から、呆然と外の景色を見つめていた。



 「…………」

 『昨日は非番なのに働いてくれたんだ。明日まで休んでてくれ。そして、花霞さんのケアをしてあげろ』

 「ですが、事件の報告を………」

 『今聞いただろ。それに報告なんていつでも出来るだろ。それよりも大切なものがある』

 「………ありがとうございます、滝川さん」

 『おまえのためじゃない。花霞さんのためだ』



 滝川は自分の娘のように花霞を可愛がっているようで、花霞に弱い。それが最近わかってきた。

 椋は苦笑しながらも、滝川の好意に感謝し、通話を終えた。



 「花霞ちゃん、お待たせ。」

 「あ………ううん。大丈夫だよ。滝川さん、何だって?」

 「花霞ちゃんに助けられたって。ありがとうって言ってたよ」

 「そう………よかった。余計な事しちゃったかなって思ってたから」

 「そんな事ないさ。さ、疲れてるだろ?家に帰ろう」

 「うん…………」




 ゆっくりと車を発車させる。

 花霞は蛍に連れ去られ、怖い思いをし、疲れているはずだ。それに一睡もしていないのだ。普通だったらウトウトしてしまうものだろう。しかし、花霞は全く眠そうにしておらず、ただひたすらに朝日で光輝く街を見つめていた。

 まるで、先程まで一緒に居た、蛍のようだと思った。



 





   ☆☆☆




 家に到着すると、椋はすぐにお風呂を沸かしてくれた。その間、ボロボロになってしまった服を脱いで部屋着に着替えた。

 椋はすぐにリゾットまで作ってくれたけれど、花霞は食欲もなく半分も食べられなかった。椋がせっかく作ってくれたのにと思い、口に運んだけれど、そんな花霞の姿を見て「無理して食べない方がいい」と、言ってくれた。


 そうしているうちに、お風呂が沸いた事を知らせる音楽が部屋に響いた。


 

 「花霞ちゃん、入っておいで。体を温めてゆっくりした方がいいよ」



 椋にそう言われたけれど、花霞は今1人になりたくなかった。

 誰かの傍にいないと、ダメになってしまいそうだった。椋は事件の事もあるから忙しいのに、甘えてはいけない。そう思いつつも、1人になるのが怖くて仕方がなかった。



 「花霞ちゃん?大丈夫…………?」

 「…………椋さん………あの……お願いが………」

 「うん。どうしたの?」

 「1人になりたくないの………だから、一緒にお風呂に入って欲しい………です」



 花霞がおずおずと尋ねてみると、椋はクスッと優しく微笑んでくれる。



 「そんな事か。いいよ、一緒に入ろうか」

 「うん……ありがとう」



 彼とお風呂に入るのは恥ずかしいなと思いながらも、ホッと安心してしまう。それは、椋だからだと実感しながら、花霞は彼に微笑み感謝の言葉を伝えた。



 椋が準備してくれていたのは、泡風呂だった。少しでも花霞がリラックス出来るようにと選んでくれたのだろう。広い湯船に2人で入る。花霞はあっという間に顔が赤くなってしまう。泡風呂でよかったなと感謝しながら、花霞はちらりと椋を見た。

 椋はスポンジを持って、こちらを向いていた所だった。

 


 「花霞ちゃん。おいで」

 「え………?」

 「身体、綺麗にしてあげる。いや、綺麗なんだけど………蛍の奴に触られてただろ?」

 「……そんな…………ほんの少しだよ」

 「それでもだめだ。」



 椋は悔しそうにしながら、別れ際に蛍にキスされた頬を泡をつけて手で拭い始めた。

 拗ねた顔の椋が少し可愛く思えて、花霞は思わず笑ってしまいそうになった。



 「どこ触られた?」

 「首とかお腹とかかな………」

 「…………本当に油断も隙もない奴だ」

 


 花霞に言われた通りの場所を椋は優しく拭いてくれる。

 そんな彼を見て、花霞はゆっくりと語りかけた。



 「………また、私が勝手にやった事。怒ってない?」

 「………君から電話がかかってきた時とか、花霞ちゃんと蛍が話しているところを聞いた時は、驚いたし、すぐにでも助けに行きたかったよ。…………けど、花霞ちゃんが決めた事だ。俺は怒ってない………と言いたいけど、怒ってるかな。少しは相談して欲しかった」

 「ごめんなさい…………少しでも、蛍くんが自分から話してくれるのを待ちたかったの。もし、この事を知ったら椋さんは止めたでしょ?」

 「止めた」

 「やっぱり」



 クスクスと笑って花霞は、少し怒った顔の椋を見つめた。心配をかけた事、蛍のために無茶な助けをしてくれた事。花霞は感謝していた。

 花霞のしている事を椋はきっとわかってくれると信じていた。あそこでもし、椋が電話に出てしまい通話がバレていたら。蛍の話しを聞く前に椋が花霞を助け出してしまったら。花霞の居場所がわからずに助けられなかったら。

 全て彼は花霞が何も言わなくてもわかってくれたのだ。

 やはり彼は警察というプロなのだと実感した。

 彼の影からの助けがあってこそ、蛍を助けられた事に感謝していた。

 

 そして、もう1つ彼の優しさに助けられた事があった。



 「………椋さん。蛍くんの自首を勧めてくれてありがとう」

 「俺は非番だったから、仕方がなくだよ」

 「………私にはそんな嘘言わなくていいんだよ。………蛍くんもわかってたと思うし」

 「…………」



 椋は非番だったのは本当かもしれない。けれど、だからと言って麻薬組織の1人で、しかも後輩を、怪我させた男を逮捕しないというのは、本来ならありえない事のはずだった。

 けれど、椋は蛍に自首を促した。

 それは、蛍の罪が少しでも軽くなるようにとの配慮だと花霞はすぐにわかった。

 そんな彼の優しさに花霞は感謝していた。





 水の音だけが響く。

 2人は向かい合ったまま、何もしゃべらなかった。花霞は俯き、じっと泡を見つめる。



 「………ねぇ、椋さん…………私、蛍くんにした事、間違ってたかな………もっと、彼を傷つけない方法があったかな………」

 「花霞ちゃん………」



 花霞は我慢していた気持ちが一気に押し寄せてきた。


 ずっと考えていた。

 蛍が何を思って自分に近づいてきたのか。

 彼が何に苦しんでいるのか。どうして、誰かを傷つけることをしていたのか。

 遥斗との関係は何なのか。

 


 いろんな事を考えていた。

 けれど、蛍がいた環境や暮らし、経験は花霞が想像していたものよりとても酷いものだった。もちろん、環境が悪いから何をしていいわけではないのはわかっている。

 けれど、蛍はもがき苦しんでいたのだ。


 そんな彼の気持ちをもっとわかってあげていれば………。あんな形で終わらせる事が正しかったのか。

 蛍の涙を見て、花霞は戸惑ってしまっていた。

 自分は間違っていたのではないか、と。



 「もっと蛍くんの話し聞いてあげればよかった。早くに異変に気づいたなら、その時に相談していれば、誠さんを傷つけなくても済んだよね。私を連れ去る事もしなかったかもしれない。………蛍くんが笑ってたかもしれないよね。………私、蛍くんのために何もしてあげられなかった」



 花霞は我慢していた涙が溢れ出てきた。

 蛍が泣いている時、花霞は必死に我慢していた。「ごめんね。助けてあげられなくて」、そんな気持ちが胸いっぱいになり、蛍の泣き顔を見ているだけで切なくなった。けれど、蛍の前で泣いたらダメだと思った。笑顔で待っていようと決めたのだから。遥斗さんがそれを望んだように。


 けれど、蛍が自首をしに行ってからずっと考えていた。

 自分のした事は正しかったのかと。



 花霞は涙を流し続けた。

 そんな花霞を、椋は優しく抱きしめてくれた。



 「花霞ちゃん。………何が1番最善だったかは俺もわからない。けど、蛍が最後に君に見せたのは笑顔だったはずだ。………それはとてもすごい事だと思うよ。………自分の罪を認めて裁きを受けに行く時、それを受け入れようとしたんだ。復讐をしようとしていた人間がそうやって心を変えられるなんて………花霞ちゃんはすごいよ。きっと、蛍は君に出会えて良かったと思ってるはずだよ」

 「………そう、なのかな?蛍くんは、そう思ってくれてるかな………」

 「あぁ。蛍にとって「ほたる」と呼んだのは大切な遥斗だけだ。その呼び方を君に教えたんだ。無意識だったかもしれないけど、君にそう呼んで欲しかったんだ。…………きっと遥斗と同じように、大切にしてくれる人に会いたかったんだよ」

 「…………っっ…………椋さんっっ」



 花霞は、椋の体に抱きついた。

 そして、声を出して沢山泣いた。


 一人で彼を助けようとした緊張感。

 誠や椋に降りかかってきた事件。

 蛍と対峙した時の恐怖。

 そして、蛍の話しを聞き、真実を知った時の切ない気持ちと、不安。


 それらが花霞にのし掛かっていたのだ。

 

 花霞は、先程の蛍のように泣き続けた。

 椋はその間、ずっと「大丈夫だよ」と優しく声を掛け、花霞を抱きしめてくれていた。



 

 お風呂から上がった後、花霞は椋の腕の中でぐっすりと眠った。



 緊張の糸がやっと切れたのだった。

 ベットの中で感じるのは、ラベンダーの香りと椋の温かさ。



 きっと、また笑顔の蛍に会える。

 遥斗が見守ってくれているのだ。

 きっと、大丈夫。


 そう信じて花霞は目を閉じるのだった。




 


 

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