第22話「笑顔で生きて」






   22話「笑顔で生きて」




 ハルトの正体がスパイだったと発覚してから1週間がたった。

 蛍はハルトの居場所を捜索しようと思っていた。

 

 けれど、檜山はそれさえも許してくれなかったのだ。

 檜山に腹部を蹴られ、意識を失った蛍は朝になると檜山の部下に叩き起こされた。

 そして、大量の仕事を持ってきたのだ。


 蛍は仕事が終わるまで事務所を出ることは許されず、少しでもハルトの事を調べようとするのがバレると容赦なく殴られた。

 寝る時間もほとんどなので与えられずに、働き続け、仕事が終わった1週間後には体はボロボロになっていた。


 それでも、檜山の部下が去った後は、蛍は必死にハルトがどこに連れ去られて、いまはどうなってしまったのかを調べた。

 けれど、捕まったと思われる日から1週間が経過しており、ハルトの形跡を調べるのはとても難しくなっていた。



 「くそっ………ハルトさん……無事なのか………?」



 蛍は眠気に襲われ、朦朧としながらもPCに向かい続けた。

 けれど、体力の限界は誰にでもある。

 ウトウトし、蛍はマウスを握りしめながら寝てしまっていた。


 


 ブーブーっと空気が震える音がした。

 それも夢の中いる時に聞いたため、蛍はウトウトし、また眠りに入ってしまった。



 「ホタル」

 「…………ん?」



 どこからか自分を呼ぶ声が聞こえたような気がした。蛍をほたると呼ぶのは、1人しかいない。



 「ん………、ハルトさん………え!?」



 蛍はハッと飛び起きた。

 事務所で寝ていたせいか、周りには誰もいない。名前を呼ばれたのも夢だったのだろうか?


 頭をかきながら周りをキョロキョロと見るが、誰もいるはずもなかった。

 ノロノロと起き上がり、PCでハルトを探そうと思ったが、スマホに通知を知らせるランプが点滅しているのに気づいた。

 蛍はスマホを持ち、スマホを見るとそこには「ハルト 着信1件 伝言1件」と通知されていた。


 ドキンッと胸が震えた。

 蛍がその通知をタップすると、それは数分前の事だった。

 夜中の電話。そして、檜山に捕らえられたという彼が電話をかけてきた。それはどういう事なのか………。


 蛍はすぐに彼に電話をかけ直したが、虚しくコール音がなるだけだった。



 「………なんで出てくれないんだ?」


 

 焦りながら通話を切り、留守番電話を再生する。

 すると、雑踏のザワザワとした音と共に、ハーッハーッという荒い呼吸が聞こえていた。



 『…………ホタル………悪いな、しばらく会いに行けなくて………俺さ、ちょっとやばくて………こうやって話せる時間も短くなってるんだ………』

 「………ハルト………さん」



 その声はとても弱々しく、そしてガラガラな声でハルトだと感じられないものだった。けれど、蛍にはわかった。それが、ハルトの今の声だと……きっと変わり果ててしまったのだと。



 『………悪いな。約束したのに、おまえをこの世界から連れ出してやろうって決めたのに………なんか無理っぽいんだ………ごめん………。初めておまえに会ったとき、すっごいやる気ないし、可愛げもない男だけど…………自分に弟がいたら、こんな感じなのかなって思ったんだ。………だから、おまえだけでも助けたいって思ったんだ………ホタル………』

 「………っっ…………」

 『…………あぁー………ダメだ。また、頭がいたい………薬が………薬ののまないとっ………』



 先程より呼吸が荒くなり、薬と呟くハルト。それは正しく麻薬の禁断症状だった。

 音だけでもハルトが薬漬けになっているのがわかった。ハルトが自分から麻薬をとるような男じゃないのはわかっている。

 無理矢理摂取させられたのだろう。


 蛍はハルトの言葉を唖然と聞くしか出来なかった。

 気づくと瞳からボロボロと涙がこぼれていた。

 泣いたのはいつぶりだろうか。

 家族から見放されても、殴られても涙なんか出てこなかったのに。

 

 どうして、今、涙が流れるのだろうか。



 『………ホタル、おまえは大切な友達なんだ…………この組織から出るんだ………俺の代わりに…………笑っててくれ…………じゃあな』



 そこで通話はブツリッと切れた。

 虚しく機械音声が流れる。


 蛍はすぐに立ち上がり、スマホをPCに繋げた。蛍のスマホがどこにあるのかを探すと、まだこの街の中にいるのがわかった。

 そのデータをスマホにうつし、蛍は事務所を飛び出した。


 

 「ハルトさん………勝手に俺の事決めんなよっ。おまえが自分で連れ出してくれよっ!!言ってたじゃないかよっ!!」



 蛍は、涙を手で拭き、そう叫びながら夜道を走った。夜中の静かな街を、蛍は足音を響かせて走った。

 スマホを見ながら、彼を追う。ハルトはとてもゆっくりと移動していた。歩き逃げているのだろう。これなら、少し走ればハルトに追い付く。

 そう思って必死に走った。


 人のために走ることなどなかった。

 助けたい人なんているはずもなかった。


 組織の裏切り者。警察からのスパイ。表世界で生きる男。


 そんな人を助けてどうなるのか。

 もし見つかったならば、組織には殺されてしまうだろうし、警察に見つかれば逮捕されるだろう。

 

 けれど、友達を助けたい。ハルトと一緒に居たい。

 そう願ってしまうのだ。



 しばらく走ると、繁華街に出た。夜中とあって人もまばらだがまだ歩く人々の姿があった。

 必死に走る蛍を怪訝そうに見ている。


 そして、少し先に人々が避けながらも、ジロジロと見ている場所があった。

 「あれ……大丈夫?」「病気?」「薬とかじゃないの?」と、口々に話しをしているのがわかった。


 少し先に細い体で、ふらふらと倒れそうになりながら歩く人の姿が見えた。


 

 「ハ、ハルトさん…………よかった………」



 檜山の元から逃げ出してきたのだろうか。

 ボロボロの服装のハルトを見つけることが出来た。これで、彼を助けられる。


 そう思った。


 けれど、蛍が走る道路を物凄いスピードを出して走る車が通りすぎた。黒く光る豪華な高級車だった。

 蛍の体にその車から風がふってきた。

 その車は見たことがあるものだった。

 組織の幹部が乗る車。檜山の物だった。


 蛍は、それを見た瞬間フラフラになっていた体に鞭売って必死に走った。

 手を伸ばして、少しでも早くハルトの体を掴みたかった。

 


 「ハルトさんっ!!」



 その言葉と同時に、ハルトが歩く道の隣に車が止まった。

 そして、窓が開くとそこからスーツを着た腕が伸びてきた。その手には拳銃があった。


 ヒュッと息を飲んだ。どんなに叫んでも、走っても無駄だとわかっているのに、蛍はそれを止める事など出来なかった。



 「ハルトさーーーんっっ!!」



 バンバンッと渇いた音が街に響いた。

 それと同時に、ハルトの体がビクビクッと揺れた。


 そして、フラフラッと踊るようによろけた後ハルトはバタッと倒れた。

 それを確認した後、黒い車はまた急発進して去っていく。

 ハルトの周りを歩いていた女が突然倒れたハルトを見て、甲高い悲鳴を上げて走り去っていく。


 蛍は「いやだ………やめてくれっ」と呟きながら、ハルトの元へと走った。

 蛍は彼の元へと駆け寄ると、そこには彼とは思えないほどのやつれボロボロになり、体から血を流す変わり果てたハルトの姿があった。


 怖いという気持ちは何一つなかった。

 ハルトが目の前にいる。ただそれだけだった。

 ハルトの体はピクリとも動かない。ただ、体から赤黒い血が次々と流れ出ていた。



 「ハルトさん………俺………俺が………ごめんなさい…………」



 蛍は、手を伸ばし彼の頬に触れた。

 痩せ細り青い肌はまだ少し温かい。



 「ハルトさん………ハルトさん………俺を置いていかないでよ………ハルトさんっ!!!」



 涙がボロボロと落ちる。自分の頬に、地面に、ハルトの体に。

 どんなに涙を流して叫んでも、目の前の男は返事をしてくれない。


 ハルトの体を持ち上げようと、手を伸ばした時だった。



 「遥斗ー!!」



 後ろから複数の声と足音が聞こえた。

 振り替えると、少し先にスーツ姿の男、そして警察官の服装の男たちがこちらに向かってくるのが見えた。



 「っっ!!くっそっっ!!!」



 蛍はハルトから離れ手を離そうとした時だった。彼の胸のポケットにあるものが入っているのを見つけた。

 蛍はそれを咄嗟に取り、その場から逃げ出した。


 必死に走った。警察が追ってくる事はなかったけれど、それでも涙をながし続けながら逃げ続けた。


 遠回りをして、事務所に帰り、ベットリと血がついた手はもうすでに乾いていた。

 急いでPCを開き近くの監視カメラのデータベースに入り込み自分がうつっている画像周辺のデータをすべて削除した。

 

 檜山の写ったものは残した。これであいつは警察に追われることになるだろう。


 フラフラになりながら、蛍はハルトのポケットから撮ったものを取り出した。


 そこには、警察の服を着たハルトが複数の仲間と笑顔で肩を組んでいる姿がうつっていた。

 

 キラキラと微笑む表情。それは組織に居た時と変わらないものだった。



 「ハルトさん…………ごめんなさい………俺が、調べなければ…………檜山に見られなければ…………ハルトさん…………」




 蛍はその日、涙が枯れるほどに泣いた。

 人が死んで泣くのは初めてだった。


 もうあの人には会えない。

 自分を友達だと言ってくれた唯一の存在。

 そんな蛍のとって太陽のような人を亡くしたのだ。



 その日から、蛍の世界はまた真っ暗に変わったのだった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る