第10話「誘い」






   10話「誘い」






 街から少し離れた場所にある大きな公園。

 その街を使う人たちの憩いの場になっている場所だった。

 お昼時間を少し過ぎた頃だったため、ベンチは空いていた。大きな木が日影を作ってくれている、自然の屋根のあるベンチに2人で座り遅めのランチを食べた。

 パンはまだほんのり温かくて、この味を求めていた花霞の体が喜んでいるのがわかった。



 「んー!おいしいー」

 「確かにおいしいです」

 「おいしいですよね。このパンが食べたくてわざわざ外に出たかいがありました」



 花霞がすすめたパンを噛りながら美味しそうに食べる蛍を見て、花霞も安心する。

 花霞は自然の中で食べるパンはおいしいな、と平和な事を考えながら過ごしていた。



 「あの、花霞さんはどうして敬語なんですか?僕の方が明らかに年下なのに………」

 「えっと、お客様だから、です。敬語になっちゃうんですよ。」

 「俺は普通に話して欲しいですよ。気にしてないですし」

 「んー…………でも………」

 


 お客さんに敬語を使わないのはあまり良くないと思っている。親しき仲にも礼儀ありは、大切だと花霞は感じているのだ。それに、一人のお客様だけをそんな対応にするわけにもいかない。

 花霞が迷っていると、蛍は「じゃあ………」と、言葉を続けた。



 「じゃあ、2人になった時だけでいいので。今みたいな時に!」

 「………それなら………」



 蛍の熱意に負けてしまい、渋々頷くと蛍はパァッと表情を明るくして喜んでいた。

 花霞はホッとしながら彼を見つめていた。



 そして、蛍が前に自分に話を掛けようとしたけれど、止めてしまった事を思い出した。

 花霞はそれが少し気になっていた。彼が何か花に関する事で質問があったのではないかと思っていたからだ。


 花霞は、さっそく蛍に普段使いの言葉で話を掛けた。



 「ねぇ、蛍くん。前にお店に来てくれて帰るとき、何か私に話したいこととかあったんじゃないかな?」

 「え…………」



 蛍は少し驚いたように花霞を見た。

 花霞が微笑み返すと、蛍はホッとした表情を見せていた。

 口元にパンを運んでいた腕を座っている脚に戻し、蛍は少し考えた後にゆっくりと口を開いた。それを言葉にするかは迷っていたようで、なかなか声は出なかったけれど、花霞が急かすことなく待っていたからから、蛍は重たい口を開き話を始めた。



 「実は…………俺、もっと花の事を知りたいなって思ったんです。」

 「蛍くん………」

 「前まで花なんて食べられないし見ても癒されないしって思ってました。だけど、花霞さんのブーケを見つけて、花を買って見るようになってから………不思議なんですけど、すごく惹かれたんです。生きているものを買うって少し怖い感じがしたけど、でも花が咲いているのを見るだけで家に帰るとホッとしていたんです。………男でこんな事思うのはおかしいかもしれないけど、花にもっと咲いていてほしいし、知りたいって思うようになってました」



 蛍は恥ずかしいのか、視線は花霞に向けられてはいなかった。けれど、彼がキラキラした瞳で空を仰ぎながら話す言葉は、どれも本物だとわかる、まっすぐな声だった。



 「だから、花霞さんにいろいろ教えて欲しいなって思ったんです。もちろん、自分でも勉強はしますけど………花霞さんが俺に教えてくれたから」

 


 蛍は花霞の方をまっすぐと見つめてそう言った。

 花霞は蛍の気持ちが嬉しかったし、自分の作ったブーケがきっかけで花を好きになってくれた人がいるのだとわかり、心の中がじんわりと温かくなった。

 自分のやって来た事が認められて、好きじゃなかった人の心を動かせた。それを知り、感動してしまった。



 「…………花霞さんが忙しくない時でいいです!もちろん、お金も払います。」

 「…………蛍くん。あのね、さっき言ってたけど、男だから花が好きなのは変っていうのは、ないと思うよ。花を好きなるのは男女関係ないと思う。………それとね、蛍くんが花を好きになってもらえたの、すごく嬉しい。私のブーケでそんな風に思ってもらえたなんて、驚いたけど………でも、蛍くんの気持ちが嬉しかったよ。ありがとう」

 「花霞さん………」

 「お勉強はぜひお手伝いはしたいなって思う………けど、時間もなかなか取れないかもしれないし、蛍くんのお仕事もあると思うし………予定が合えばいいよ」

 「本当ですか!?」

 


 花霞はせっかく花が好きになった彼のお手伝いが出来るならと、彼の願いを叶えたいと思った。けれど、お互いに仕事をしているし、花霞は結婚もしている。一人では決められないな、と思いつつも、やりたい気持ちはあると伝えると蛍はとても喜んでくれた。



 「花屋でやれたら1番いいんだけど、私のお店ではないし……………あっ!!」

 「どうしたんですか?」



 花霞は急にある事を思い出して、思わず声を上げてしまった。それに驚いた蛍は、花霞を見つめてる。



 「良いことを思い付いたの」

 「………良いこと?」

 「うん!私、今ブーケ教室を始めてるんだけど、そこに来て貰うのはどうかな?今まではブーケだけ教えてたけど、保存方法とかその花の話しとかもしながら教えていければ、きっと蛍くんも楽しめると思うの」

 「ブーケ教室………」



 花霞がそう提案すると、蛍は関心があるようで話を聞いてきた。日にちや時間を伝えると、蛍が通える時間だったようで、「ぜひ参加してみまたいです」という言葉が返ってきた。



 「花霞さん、そんな事までしていたんですね。最近ブログチェックしてなかったので、知らなかった…………」

 「まだ数回しかやったことがないけど、楽しいよ。きっと、蛍くんも楽しめると思う」

 「…………本当は2人がよかったですか?」

 「え?今なんて…………」



 蛍の小さい声が聞き取れず、花霞は彼に問うけれど、首を横に振るだけだった。

 


 「楽しみにしてますね」



 蛍は自分でブーケを作れることが嬉しいのか、満面の笑みを浮かべてくれたのだった。






 帰り道はブーケ教室の話をしていた。

 前回はどんな物を作ったりしていたのか、写真を見せると蛍は興味津々でスマホに写ったブーケを見ていた。


 すると、「あ、いい香りがします」と、蛍は突然言ったのだ。

 近くに花があるのかとキョロキョロすると、蛍はクスクスッと笑って、花霞を指差した。



 「花霞さんからいい香りがしました。嗅いだことがある香り………ラベンダーですか?」

 「うん。そうなの。最近ラベンダーのハマってて香りもラベンダーにしたの。仕事中はつけられないから、休みの日はつけてるの」

 「ラベンダーか………今度、花霞さんにブーケ作って貰うときは、ラベンダーを使って作ってもらおうかな」

 「ええ。ぜひ」



 そんな話をしていると、蛍が用事があるという駅に到着した。

 次に来店する時にブーケ教室の書類を書いてもらう約束をして、蛍と別れた。




 花霞はほっこりとした充実感を感じながら、家までの道を歩いていた。

 自分にも誰かの心を変えられる力があったのだ。それがとても嬉しかった。

 少しずつ仕事の評価が高くなる事に戸惑いもある。けれど、それ以上に今まで出来なかった花の仕事が出来る事が楽しくて仕方がなかった。



 「あ………栞にブーケ教室に追加の参加が決まった事、教えないと」

 


 花霞はそれを思い出して、急いでスマホから職場よ花屋に連絡をした。

 すると、ちょうどよく栞が出てくれた。



 『休みの日にどうしたの?椋さんとデートじゃなかったの?』

 「椋さん、仕事になったからひとりなんですー!」

 『それは残念だったね…………それで、どうしたの?』

 


 心配そうな声で言う栞に、花霞は慌てて用件を伝えた。


 「次のブーケ教室、1人追加をお願いしたくて。申し込みは今度来店した時書くって」

 『それは大丈夫だけど…………花霞のお友達?』

 「ううん、蛍くんだよ。今日たまたま一緒になったから、彼を誘ってみたの」

 『蛍くん…………か』



 花霞から蛍の名前が出てくると、栞のトーンが低くなったのを感じた。

 栞は『花霞………それ大丈夫?』と聞いてきた。



 『花霞は、蛍くんに近づきすぎよ。彼から近づいてきているのはわかってる?』

 「そんな事は…………」

 『あるわ。花霞、あまり彼には近づかない方がいいと思う』



 きっぱりとした口調でそういう栞の声を電話口で聞いていた花霞は、ゆっくりと一呼吸置いた後に栞と同じような真剣なトーンで話を続けた。



 「ごめんね、栞。………気になることがあるから」



 今の花霞には、まだそれしか彼女に言う事が出来なかった。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る