第六話 「この想いは恋だろうか」
「なんか、思ってたのと違う」
街に入って宿を探している際にカレンがまたしてもよからぬことを口走った。
「そこら中に血みどろの死体が転がっているとでも思ったか? すぐそこの屋台で人間解体ショーでもやっているとでも思ったか?」
「…………うん」
「こーれだからお子様はさぁー!」
人族の街とそう変わらないレンガ造りの家並みに石畳。静かで緩やかな人の流れがあれば繁華街では騒々しくひしめき合っており。
菓子パンの甘ったるい香りで包まれたかと思えば鉄板で焼いた肉の塩辛さが鼻と胃袋を刺激し、どこからか薬品の青臭さなんかも漂ってきて……。
目を瞑ってしまえば人族の街にいるのか魔人の街にいるのか判別できなくなる。
大昔の偉人も、俺の師匠であった者も『世界は繋がっている』と言っていた。
至言に違いない。
だというのに、何も知らない知ろうともしない臆病者が責任感のない勝手な憶測で、薄汚れた金と虚しい名誉のためにあることないことを詩や本に描写するせいで、カレンのように純粋な子供がろくでもない先入観を持ってしまう。
ただちょっと人族とは違って魔界の住民にはツノや尻尾が生えてたり、背丈や横幅が倍近くあったり、手足が多かったり、身体から煙や炎やらを噴き出してたりするだけだ。
少しばかり闘争が趣味なだけの多様性に満ち溢れた素晴らしい種族である。
ざらざらして刺々しい者がいれば丸っこくてつるつるした者もいるので、カレンのような子供は慣れてしまえばむしろ好きになるはずだ。
「皆の衆、アレを見たまえ」
ちょうどいいものを見つけたので、全員の目を一点に向けさせた。
年の頃はカレンより二つ三つ下だろうか。
それこそ人族とほとんど変わらない見た目をした子供が、異形と形容するほかない貌の子供と何の隔たりもなく楽しく遊んでいる。
「へぇー…………すごい」
「ここではあれが当たり前なんだね」
「そうだ」
少なくとも五百年間はこの地に住んでいたので自信を持って言えるが、今も昔も魔人は素直で清らかな心をしている。
耳が長く長命であったり、背が低く筋肉質であったり、真っ二つにされようがバラバラに弾け散ろうが元通りに蘇るだけの、些細な身体的特徴の違いで恐れ蔑み迫害する人族とは比べるまでもない。……まぁ、最後のは魔人でも許容できないかもしれないが――
「――おーいっ!」
それは唐突に。
いつか直視しなくてはならない事実が今、向こうからやってきた。
「なーなー、ねーちゃんたち人族だよな?」
「海の向こうからきたの?」
「うん、そうだよー」
二人の子供がこちらに気付いて駆け足で寄ってきた。
特に敵意などはなく、何か聞きたいことがあるようだ。
「ならさ、こいつのとーちゃん知らない?」
「きみのお父さん?」
「うん。ぼくが言うのもおかしいけど、けっこう変な見た目してるんだ」
そう言って地面に爪を立てて、ガリガリと父親の輪郭を描いていった。
完成した絵はヒトというよりかは虫や獣を混ぜ合わせたものに近い異形であったが、少年が愛をこめて描いたおかげでとても優しく思えた。
「お前のとーちゃんが行ってもう三年経つっけ?」
「四年だって」
「きみはさっき『海の向こう』って言ってたけど、お父さんは中央大陸に行ったの?」
「そうだよ。戦争に行ったきり帰ってこないんだ――」
♦︎♦︎♦︎
「入るぞー」
カレン達のいる女部屋のドアに手をかけ、質量以上に重く感じるがそっと開く。
やはり室内には重苦しい空気が漂っていた。
「……あー、お嬢さんがた。少し遅めの昼食にでも行きませんか?」
女性陣と鳥一匹を見回したが誰もこちらを見返さず、すぐには答えなかった。
「ごめんねアレンくん、わたしはいいや」
「……じゃあ、あたしも」
「つーわけでオレも残るゼ」
「私が見張っておくから行っていい」
どこぞの街の大食い大会で優勝し、《山喰いエルフ》の異名を手にしたカレンまで遠慮するとは。
「そうか……。なら一人で行ってくるか」
「アタイは付きあうわよぉん」
背後からやってきたグリゴールに腕を引かれ、そのまま棺の蓋を閉めて宿を出た。
街並みは俺が知っている頃のとはすっかり変わっているので、また新しく詰め込みながら散策し。
グリゴールが休憩を提案してカップルが好んで座りそうな、広場の噴水の縁に腰を下ろした。
「はぁい、同じの買ってきたわよぉん」
「お前わざとやってるだろ?」
「何のことかしら?」
彼女は昼飯代わりに小腹を満たすものを求めに行き。
よりにもよって二本合わせたらハートの形になる、頭が足りない人用の串焼きを買ってきた。
もしかしてまーだ幻覚をご覧になっていて?
「旨いな」
グリゴールの口から「あーん」のあの字が出てくる前に掠め取って齧りついた。
動物性の濃厚な油がじゅわりと染み出てとても美味しい。
何の肉かは知らないが噛み応えもあって、千年の間に衰えてしまった咬合力の回復に良き。
「つれないわねぇん。それでこれ、何の肉なの? 牛かしら?」
年頃の女性らしく豪快に齧りついてから純粋な疑問を口にした。
「ん……さぁな。少なくとも牛でも豚でもないことだけは確かだ」
グリゴールは肉を咀嚼しながら目を細めて「どうして?」という顔をする。
「魔界にいわゆる『動物』なんてものは住んじゃいない。いや、住めないんだ。ヴィールタスが義姉を最も憎んでいるせいでな」
豊穣神ファテイルの眷属であるヒト以外の動物、それと植物なるものは魔界では生きられない。
環境が合わないだの魔獣が食い荒らすだの理由は様々だが、とにかくすぐに死滅する。そうなるようにヴィールタスは愛憎籠めて封魔大陸を形作ったのだ。
「つまりこの肉は三つ目で首が二つある牛似の魔獣とか、十本足で黒い翼を生やした蛇の顔を持つ豚似の魔獣とか、そんなところだろう」
「なるほどねぇん。……ま、美味しいなら何でもいいケド」
平均して人族より体格の勝る魔人製の串焼きを黙々と食べ、小腹が破裂しそうなくらい満たしたところで、グリゴールの方からあのことについて切り出した。
「今までなんだかんだ避けてきたけど、そりゃいつかは向き合わなきゃいけない問題だったわねぇん」
「君とミロシュはなんともないんだな」
「アタイとミロシュはそこまで澄み切ってはいないから。やるかやられるかが戦争だって割り切ってるわよ」
相手が理性のない狂った獣であれば無心で駆除すればいい。……だが、魔人は狂った獣とは違ってヒトである。
我々と同じ言葉を話し、理性と情とがあって、愛する子がいて妻がいて親がいる。もちろん志を同じくした朋友だっているだろう。
グリゴールとミロシュはそれを理解した上で刃を交え、何十何百もの息の根を止めてきた。そうしなければ自分の愛する者が被害を被ってしまうからだ。
そして千を超える数屠ってきたケイは、今になって彼らがヒトであることを知った。
「さっきのが子供じゃなくて、お嫁さんか親御さんだったらまだよかったんだけど……」
「それはやはり、ケイの過去に関係しているのか?」
導き出した答えを思い切ってぶつけると。
グリゴールは恋人が重い病に罹り余命宣告をされたような、いかにも乙女然とした憂いを帯びた目でここではないどこかを見つめた。
彼女はほんの数分慮りて、ほぅっと息を吐いてからこちらを向いた。
「アレンちゃんになら教えてもいいわねぇん。……ケイは孤児よ。そして今から八年前、まだ十四になったばかりの日に、育ての親である師匠と家族同然の仲間を皆殺しにされたのよ」
「誰にやられた?」
「ケイから家族を奪った男は、アナタから親友をも奪っているわ」
「ノヴァク……!」
その名を口にするだけで血潮が熱くなり腹の中が煮えたぎる。
この想いは恋だろうか。いいや、殺意だ。
必ず貴様の行動に責任を取らせてやる。
「大丈夫ぅ? 凄い顔してるわよぉん」
「悪い……続けてくれ」
兎にも角にも合点がいった。
勇者様は魔人の子供と自らを重ねてしまったのだ。
自分のような思いをする者を無くすがために戦っているのに、知らず知らずのうちに生み出していたとなっては飯も喉を通るまい。
「あとはそうねぇん。四年前の大戦で黒騎士アンディに呪われた……正確には暴虐神の聖呪を受けたってのは知っているわね?」
「あぁ、どんな最後っ屁を喰らったんだ?」
「心を脆くする呪いよ」
「あー……」
よくもまぁドンピシャな置き土産を残してくれたなと、不謹慎だが思わず拍手をしてしまった。
「アタイはさ、弱いじゃない? アナタと同じ持たざる側でしょ?」
「そうだな」
二爪三爪の魔獣なら単独で撃破し、四爪魔獣の攻撃さえ捌いてみせる筋肉モリモリマッチョマンに弱いという言葉は当てはまらないのだが……。
魔法学院を五百年に一人の成績で卒業した大賢者、四将との一騎打ちを制した勇者様と比べると数段劣るのは仕方のないことだ。
「ケイがいなかったらとっくに十回くらいは死んでいるはずなんだけど、姉として時々思うわ。あの子が何の力も因縁もない普通の女の子だったらいいのにって。いっそ勇者なんかやめて帰りたいって言ってくれないかしら?」
「あぁ、その気持ちはよく分かる。俺もカレンに常々思っているよ」
どうしたもんかねと、二人同時に溜息を吐いて肩を落とした。
しかし俺達がここでああだこうだと論じても最終的に決定するのはケイ自身だし、今は側にいる同性に任せるのが一番だと分かっている。
分かっているからこそ、己の無力さを感じて嫌になるのだ。
「これが励ましになるかは分からないが、俺はケイと同じく真実を知った勇者の末路を数多く看取ってきた。嫌気が差して引退し平穏な暮らしを営んだ者もいれば、目と耳を塞いで戦い続けた者もいる。中には不殺を誓ってどちらも救おうとした者までいたさ」
「どうなったの?」
「思想は立派だったが力及ばず……引退後に魔人ではなく同族に暗殺されたよ。しかも次なる勇者は彼の弟子であってな、師の無念を晴らさんがため修羅の道を選んだ。種族問わず大虐殺の道を」
「励ます気あるのぉ?」
「だから分からないと言っただろう」
道は無数にあると伝えたのだがどうも励まされなかったようで、大きな溜息を吐いて脱力し空を見上げた。
ならば明るい未来に向けた明るい勧誘をしてあげよう。
「お詫びに一つ、秘密の道を教えてやろう」
「聞くだけ聞いとくわ」
「勇者などやめて共に来い」
「どういう意味よぉん?」
「俺が真に望むのは『理不尽な死と悲しみのない世界』だ」
欲を言えば誰も死ぬことのない世界が一番だが、寿命や合意の上での仕合で命が尽きるのならいい。
だが、本人か周りの者が納得できない理不尽な死に方は駄目だ。多大な悲しみと後悔が生まれてしまう。
「それはなんというか、正しくない」
「ずいぶんと人間らしいことを言うわねぇん」
「らしいとはなんだ、らしいとは。俺は正真正銘のヒトなんだから当たり前だ。それも庶民代表だぞ」
いつの日か世界を統一して、誰も罪を犯さないように管理する。どうしても改心が見込めない悪には生まれ直してもらおう。
無益な争いをする者がいれば仲立ちを。
私益のために争いを起こす者がいれば鉄拳を。
悪神が天災を起こすのならば空の上まで会いに行き、宇宙の果てまで殴り飛ばす。
「人様を泣かせる糞野郎は全員ぶっ飛ばす。単純明快だろう?」
「アタイもそういうのは好きよぉん。それはそうとして、世界征服なんて出来ると思うわけ?」
「俺一人でやろうものならまた石の中に閉じ込められてしまうよ。だから君達のような善良で力ある人材を常に必要としている。もう一度言うぞ、俺と来い。わしと共に力を合わせて銀河系を支配するのだ!」
時を変え人を変え、何千何万と繰り返してきたいつもの勧誘をぶつけた。
どういうわけか成功率が極端に低いのだが、今回は行けそうな気がしなくもない。
「…………今はまだ保留ねぇん。頭の片隅には入れておくケド」
「こちら側に来るならいつでも歓迎するよ。向こう千年は変わらず募集しているからね」
「はいはい、そろそろ帰るわよぉん。ああそれと」
グリゴールは立ち上がり際にこちらを振り向き、苦笑しつつ付け足した。
「もっと言い方を考えた方がいいわねぇん。あれじゃ勧誘というより大悪党の誘惑か洗脳だもの。今までほとんどまともに取り合ってもらえなかったでしょ?」
「おっしゃるとおりで」
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