第8話 説得

 帰り道。

 あいつの諦めた顔が脳裏にちらつき、私はその度に地面を強く踏んだ。

 何もわかっていない。どんな気持ちであそこに行ったのか。と言ってきて。あいつにあんなことを言われて泣きたくなったのを必死に我慢していたことを。


 ──何もなかった。彼らはあなたのことなんかまったく気にしていない。


 そんな感じのことを言った。

 嘘だ。昨日の今日でその噂はクラスを埋め尽くしていた。活動が本格化する本日、その前日に部活の集まりや練習などで一時クラスを抜けていたクラスメイトにもそれは伝わっていた。


「じゃあもういいじゃん。あいつ抜きで」


 朝の、見計らったように全員が集まっている時間帯を狙ってか、とある女子生徒のその一言にみんなが同意した。半分くらいは本気で、半分くらいは流されて。

 ただ唯一、土倉とくらさんだけは難しい顔をしていたけれど。


「ていうか何様よそいつ? 家が近かったからって。星崋祭やりたさに受験した生徒も多いってのにさ。じゃあ二番目に近いとこ行けっての」


 口悪く、聞こえる声でそう言ったのは矢萩やはぎさんという女子生徒だ。


可南子かなこっ!」


 突然叫び声が轟いて、教室がその方を向く。

 土倉さんが、ものすごい剣幕で矢萩さんを睨み付けていた。


「何よ奈月、あんたそいつのこと庇うの?」


 じゃあ敵だね、みたいな眼差し。すると土倉さんは怯えたような様子で言う。


「庇うとかじゃないけど……。 いくらなんでも言い過ぎでしょ」


 それを、矢萩さんは嗤った。


「何よ奈月、そんな必死になっちゃって。……もしかしてそいつのこと好きなの? ……最近、赤場くんとも不仲だって聞くけど」

「──太陽は今関係ないでしょ!」


 土倉さんは顔を赤くして怒った。ざわついた教室の空気を感じ取ったのか、土倉さんは口調を改める。

 幸い、赤場くんは朝練でまだ来ていない。来るとしたら、そろそろだろう。


「せ……星野くんとは、家が近い幼馴染ってだけ。それ以上でも、それ以下でもないよ」


 ふーん、と矢萩さんは座った体勢で頭の後ろに手を組む。


 嫌な空気だ。私の周りに群がる彼女らも、その悪さに何も喋れなくなっている。

 助け船を出す気なんてさらさらない。ただ、


「星野くんと土倉さんのことに、私たちが口を出すのは筋違いよ。……そんなことより、星崋祭についての話し合いをするべきじゃないの?」


 休んでいる時に何かを言われるのは──嫌いだ。本人の知らないところで話が広がって、いつの間にか……動機も何も、事情も知らないくせにそれだと決めつけてくる。


 そんな──群がるマスコミのような彼らの歪んだ好奇心が。


「星野くんの問題は、彼自身が解決するべきよ。聞いている限り彼が半分以上悪いのは確かだと思うけど、それをとやかく言うのは、ただのいじめじゃないかしら」


 そうだね、と小さな声が上がる。流れがこちらにあると悟ったのか、賛同する声が増えた。

 ぐっ、と矢萩さんは歯を噛む。


「星野にあやまれー」


 何も知らない他人が、そんなことを言った。


「黙りなさい」


 私はその男子生徒を睨み付けた。名前は知らない。いつもふざけているような印象しか持たない、私の嫌いなタイプだ。


「それが余計だと言っているの」


 その歪んだ善意が、人を貶めるのだとなぜ気づかないの。標的が変わるだけで無くなるわけじゃない。むしろもっとひどい方向に加速するかもしれないのに。


 男子はびくっと震えて、上げていた拳を下ろした。

 また、嫌な空気だ。誰も何も喋らない、喋れない。誰かが話し始めるのを待っている、そんな人任せな空気。


 扉が開いた。入ってきたのは赤場くんだった。その後ろを岡村先生が続く。


「ほれ、早くしろ」


 何故か顔をしかめた赤場くんを後ろから急かした。


 教壇に立って「座れー」と注意する前に、そそくさと生徒たちは席に戻る。どこかほっとした空気すら一瞬流れた。

 けれどそれは、次の一言であっけなく壊れた。


「さっき連絡があって、星野は体調不良で今日は休むそうだ」


 ──あのヘタレ。


 ***


 朝のHR終わり、読書週間になれば本を無理やり読まされることになる。うるさいのは嫌いだけれど、無言の空間はもっと嫌いだ。

 そんな時間帯、文化祭の話を岡村先生が切り出し、文化祭実行委員の男子、竹倉たけくらくんが前に出る。緊張した面持ちで教壇に立った。


「星崋祭の出し物は、メイド喫茶に決定しました」


 その瞬間、喝采。空気が一変した。普段は本を読んだり一人でいることが多く、こういった行事には興味なさそうな、どちらかというと地味な印象の彼が文化祭実行委員をしているのにも驚いた。


 そんな彼が、この時だけはスタンディングオベーションを浴びていたことも、見ていてなかなかすごかった。

「よくやった」「これで優勝は確実だ」と口々に言う生徒たちのを間を縫って、数人の女子たちが私の席に駆け寄ってきた。


 朝の一見からか、メガネを掛けたショートボブの女子を先頭にして、おずおずと訊いてくる。以前も話しかけてきた三人組だ。


「あの、空本さん……」

「何?」


 威嚇したつもりはないけれど、後ろの二人が若干引いた。


「あ、あの私……南條なんじょうっていうんだけど」


 戻ってきてそこまで経っていないから、私はまだ全員の名前は覚えていなかった。よく名前を聞く生徒は何度も名前を呼ばれているのを知っているからわかるけど、彼女は普段おとなしいからわからなかった。なんじょうさん。今度下の名前を訊いてみよう。


「私に何か用?」

「うっ……うん。ちょっとね、空本さんにお願いしたいことがあるんだけど」


 お願い?


「それって?」

「うん、メイド喫茶の売り子をお願いしたくて……」


 売り子、か。

 それを私に頼んできたのは、たぶん顔が宣伝向きだからだろう。正直やりたくないけど、無下むげに断るのも空気を悪くしそうだ。


「いいわよ」

「本当!? ありがとー!」


 南條さんは一気に顔を綻ばせた。嬉しさのあまりか、手を握ってきた。

 南條さんは手を放すと、後ろの女子二人と顔を見合わせる。頷いて、私に向き直ると言った。


「詳しいことはまた今度話すから」

「ええ、わかったわ」


 そうして嬉しそうに去っていく。

 肘を机について頬杖をつきながら周りを見回す。


 あいつがいなくても、このクラスは十分機能している。けどそれは、あいつが今まで何もしてこなかったからだ。無関心を貫いて、自分には何もできないと勝手に諦めて。


 そういうのが、ムカつく。


 放課後になり、本格的に作業が始まろうとしている段階。わたしの周りには南條静なんじょうしずかさんとその友達の藤枝里見ふじえださとみさん、荻原おぎわらなおさんがいる。他にも女子数人と男子を交えた宣伝用のグループだ。教室の廊下側、二列分の机を全て寄せて、会議のようなものを開いている。


「まずは役割分担なんだけど、男子と女子がそれぞれペアになって行動していくのか一番良いんじゃないかって思う」


 このグループのリーダーでもある南條さんが話を切り出した。


「いいね」

「賛成」


 否定する意見はない。男子は元から、この会議での発言権はあってないようなものだ。


「じゃあさっそくペア決めしたいんだけど、人数が奇数なんだよね。最悪衣装班から誰か一人貸してもらえるか頼んでみるけど、あまり期待はしないでね」


 グループというか班は『宣伝班』『衣装班』『接客班』の三つに分かれている。一番重要なのは一番動く『接客班』。会場はこの教室だから割ける人数にも限りがあるけど、朝昼の交代制で回せるように人数を振り分けてほしいと竹倉くんが言っていた。


『衣装班』は裁縫が得意な人が集まっている。運動が苦手とか、人と会話するのがあまり得意じゃない、と当日の活動には参加しないことを希望した主に女子たちの班だ。だからこそ、希望は薄い。


「一人くらいなら別に単独でもよくないか?」


 男子から声が上がる。


「男子ならそうだけど、ペアにすると余るのは女子の方だから。当日はお客さんもかなり来るし、独りにするのは危険なんだよね」

「なるほどな」


 最低でも二人は必要だ。誰かが何かあった時に、もう一人がきちんと対応できるように。


「あの、ちょっといい?」


 わたしは手を上げた。視線が集まる。


「わたし、実は星野くんと同じ部活に入ってるんだよね」


 みんなの反応が一気に鋭くなる。


「だから?」

「うん、だからもし彼が戻ってきたら、その時はペアにさせてほしい」

「……戻ってくる保証なんてあるのか?」


 男子から強い質問が飛ばされた。やっぱり怒っているんだ。


「どうだろう。でも説得はしてみるから。もしちゃんと謝ってきたら、みんなには赦してあげてほしい」


 それから少し沈黙が流れた。背後からは話し声が聞こえてくるけど、それすら気にならないほど音がしない。


「いいよ」


 口を開いたのは南條さんだった。


「ちゃんと謝ってくれるならね。あの放課後の時は私もちょっとイラッてきたけど。まあ星野くんにも悩みとかあるかなって」

「俺もいいぜ」

「右に同じ」

「戻ってくるかはわかんないけどね」

「こら! そういうこと言うんじゃないの」


 快く、彼らは理解してくれた。


「ありがとう」

「いいよ、別に」


 和む空気を力に変えて、じゃあ、とわたしは立ち上がった。


「今から行ってくるね」


 帰り支度は事前に済ませていたから、鞄を背負ってブレザーを手に掛ける。


「えっ、どこに」


 決まってるじゃん、と内心呟いて、教室を走り出ながら言った。


「説得!」

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