13 together with you [second part]


 ナターリエ・ヘルナー少佐は、全軍への最後の指示がイ軍の二人によって伝えられたのを見届けると、狭い指揮統制車の車内から外へと出た。

 後を付いて出てきたグレースとアイナリンドに改めて向いて言う。

「組織的な対応はここまでだ。貴官らも救出の水上機に早く合流しろ。その方が生き残れる確率も高い」

 それでグレースとアイナリンドは、ナターリエがデイジーらの水上機に気付いていたことを知った。

 肩を竦めてナターリエは続ける。

「私は軍人として特に有能という訳ではないが、さりとて無能でもないぞ」

 そう言って笑ってみせると、険の取れた女性らしい表情かおとなった。

「なるほど……」 アイナリンドが慎重に訊いた。「──だが、貴官はそれで大丈夫か?」

 警戒を解いていないダークエルフの問いに、ナターリエは何でもない事のように応える。

「私の任務はヘイデン・アシュトン博士を迎えることで、それは既に達成している。

 諸君ら〝子供たち〟の処遇に関しても、私が博士から任されたのだ。

 ──…共闘という形で戦った結果、混乱の中で行方不明となったとして、それで誰が責任を問われる?」

 そんなナターリエに、不思議なものでも見るようなアイナリンドが黙って右の手を差し出した。握手を求められたことに気づいて、ナターリエが差し出された右手を握り返す。

「エルフから握手を求められるとは…──人生、面白い」


 それからアイナリンドとグレースに頷いてみせたナターリエは、ほどなくして現れたゲ軍の側車付二輪自動車サイドカーに乗り込んだ際に、こう言って去って行った。


「もう会うこともないと思うが、あとは〝自由に〟生きてくれ ──さらばだ」



 この後、彼女に率いられた第808特殊任務 教導中隊とガ軍ペロンヌ駐屯守備隊は、城塞内に竜の群れを引き入れると、それらをヴァシニーからの4門の列車砲による砲撃が始まるまで釘付けにし、最終的に多大な損害を出しつつも、それぞれゲール本国とノルマンディーに帰還している。

 ペロンヌは侵入した竜と共に28㎝砲の集中砲撃と近隣から集められた航空部隊による空爆に晒され灰燼に帰することとなったが、引き換えに竜の大群も壊滅した。これにより、竜の北進を喰い止めることに成功したのである。


  *


 ナターリエを乗せた側車付二輪自動車サイドカーが行ってしまうと、グレースは指揮統制車へと取って返した。アイナリンドの席に取り付くと、空子標定機ロケーター表示域スクリーンの中にベルニと他の〝子供たちハーフリング〟、それにグレースの乗ってきた水上機を確認する。


 ──よかった……まだ無事だ。


 ソンム左岸に取り残され、知性体の竜と対峙しているベルニの無事にとりあえず安堵する。

 他の〝子供たちハーフリング〟も、狙撃班として別行動をとっていたソロモンソリーと合流し、水上機の繋がれた運河岸へと向かっている。


「──ともかく、ルィンヘンのいる水上機に向かおう」

 頭の上から降ってきたその声の方を振り仰ぐと、アイナリンドが、静かだが有無を言わせぬ表情かおでこちらを見下ろしていた。

 グレースは冷静さに努めて頷く。

「伍長、出してくれ。道順は追って案内する」

 アイナリンドは運転席の方に指示をし、グレースの隣のシートに着きしなに付け加えた。

「──あの〝ガリアの坊や〟は簡単にはやられない。能力は確かだからな。無暗むやみに彼の許に駆けつけようとは思わず、ここから空子標定機ロケーター支援サポートに徹した方が上策だろう」

 相変わらず表情の無い貌だったが、それはそれとしてグレースを落ち着かせる効用はあった。

 グレースは頷くと、空子標定機ロケーターの制御盤に向き直り、デイジーの待つ運河岸への道筋を読み上げ始め、それに従って、ドゥミ伍長が指揮統制車を発車させた。


  *


 ペロンヌからソンム川を挿んで通る運河──。

 その運河岸に横付けした〝侯爵夫人ラ・マルキーズ号〟の操縦席から〝子供たちハーフリング〟の全員が到着するのを今か今かと待ってヤキモキしていたポネットは、乗降口の端で外の様子を見ていたデイジーが上げた──「来たわ……!」──の声で、内心の焦燥からやっと解放されることになった。

 風防越しにいかつい指揮統制車の到着と、そのずっと先に竜に絡まれながらもこちらを目指して歩みを進めるガリアのFPAヨロイ──〝パラディン〟を確認することができた。

 既にロジャーたち〝子供たちハーフリング〟の本隊は辿り着いており、水上機を中心に半円陣を敷いて防御に備えている。

 あとはベルニが竜を振切ってここまで辿り着くのを待つだけであった。


  *


 運河岸に指揮統制車が停車し、ドゥミ伍長とアイナリンドが席から腰を浮かして外へと飛び出そうとしていたとき、グレースはまだ空子標定機ロケーター表示域スクリーンの前でベルニとの交信を試みていた。

「ベルニ? こちらは水上機まで辿り着いた。あなたのいる場所から西に500m──こちらからはデイジーとロイがあなたを目視してる…──見える?」

 ベルニとの通話は繋がっていなかった。上手く電波を拾えていないのか、機器の故障か……。

 ともかく、これまで返信がなく半ば期待できない状況だったとしても、グレースはベルニを呼び続けている。

『……──辿り……着けた…んだ……よかった…──』

 ようやく受信器レシーバーがベルニの声を拾った。


「ベルニ……⁉」


 ──よかった。通じてくれた……!


 グレースはそれが奇跡だと言わんばかりに神に感謝して言葉を続けた。ともかく彼と状況を共有して、早く合流してもらわねば──。

「いまポネット曹長の水上機にみんな集合してる。曹長とデイジーが来てくれたの ──あとはあなただけよ。みんな待ってる。竜を退けることはできて? まだ知性体とは…──」

 言い終える前に、切れ切れの彼の声を受信器レシーバーが伝えた。

『──…俺を……待つ必要は…ない……行って…くれ』


 声が伝える内容ことを理解できない。

 いや、彼女が理解したくなかった。

「…──なに? 言ってることが、わからないよ」

 でもグレースは、自分の声がまるで泣きそうになったように震えていることに気付いている。

 ──ベルニが、周囲の竜を排除して合流することが、もう不可能なことを悟っているのを、戦士としての自分は理解したのだ……。


「いまから援護にいく」

 それでも咄嗟にそう口をついて出た声に、ベルニは言った。

『──いや、援護は…要らない……そんな余裕は…ないよ ……時間的にも…戦力……も……割に合わない……』

「割に合うとか合わないとか…… あなたのことなのに!」

 怒ったふうに応じたグレースに、通話機越しのベルニは落ち着いて続ける。


『大…丈夫…… 別に……死に……行くわけじゃ…ない── 駐屯……隊の連中と…ペロン……内に入っ…ゲール…に、合流し……北門から…脱出する…──』

「…………」

 それを信じてよいのかわからない、というふうに、グレースは震える唇を噛んだが、そんな彼女の様子をわかっているかのように、ベルニは続ける。

『──…公算は…高くはないかも……いけれど、少なくとも……〝0〟じゃ…ない……』

 グレースは、シェルブールでのベルニの、あの詫びるような表情かおになって目を臥せる様を思い出している。

『……──無事に脱出…できたら…… 必ず……イングレスまで……会いに…行く……約束する…──』


 グレースが、いよいよ何と応えればいいのかわからなくなってしまい黙っていると、ベルニは最後に言った。


『グレース…… 君に…非道い振舞いを…したこと、謝りたい…… 許して…欲しい…──』


 ──そんなこと…、いま……


 グレースが一瞬後れて応えるより先、唐突に終わりが来た。

 通話が切れた……。


  *


 ベルナール・ロランは、グレースとの最後の通話で、彼女からの許しの言葉を聞くことができなくなったことに、軽い失望を感じて愛機を後退させた。

 指揮車の電波を拾う前から通信器を収めた背面機械収納バックパックに損傷を負い、障害が起きていたが、いまさっきの竜の尾の攻撃を避けた際に、避けきれずにアンテナが根元から折れて喪失してしまった。

 これで通信も空子標定機ロケーターの情報の表示も出来なくなった。


 状況は悪い。周囲には何処も彼処も竜の姿を見て取れる。

 竜は遠巻きに様子を窺いながら〝赤みがかった白〟の個体──新たに確認された知性体──の指図か、間隔を置いてなぶるように襲ってくる。

 この時点でベルニは、ペロンヌ守備隊の〝パラディン〟と合流を果たしていたが、自身の重機関銃オチキスは弾丸が尽きて手放しており、25ミリ携行砲を手にしている。それさえも残弾は、装填されている分を含めて2発だけだった。


 尾を振り回す竜から距離を取ったベルニは、左腕の増加装甲を掲げて零距離射撃のタイミングを計る。

 竜の動きが、自ら振り回した尾の遠心力に引っ張られて止まった。

 ──いけるか?

 ベルニが〝パラディン〟に一歩を踏み出させる。

 と、HUDヘッドアップディスプレイの中で竜の頭が弾け跳んだ。重機関銃の一連射だった。

 頭部のカメラを向ければ、守備隊の部隊章の〝パラディン〟が、長銃身の重機関銃オチキス弾倉マガジンを交換している。


 ペロンヌ守備隊のトゥーサン・ドナシアン曹長は、HUDに映るAZUR市街戦仕様の〝パラディン〟が、通話の呼掛けに応えないのを訝しんだが、すぐに通信アンテナを失っていることを見て取り、拡声器のスイッチを入れた。

『……軍曹、得物がだけじゃ心許ないだろう…──俺の重機関銃オチキスを持っていけ…──』

 AZUR市街戦仕様の機体──左肩に軍曹の階級マークが見て取れた──の主は、一拍を置いて、やはり拡声器越しに聴き返してきた。

『──曹長……あなたも予備の武器はないようですが……』


 トゥーサンは、精鋭の殊作戦旅団の部隊章を付けた機体から発せられたその声が、思っていたよりもずっと若いことに驚きはしたが、そんなことは今さらどうでもよいことだとあらためて思い、弾倉の換装をし終えた重機関銃オチキスを軍曹の機体に持たせた──。

『いや、いいんだ…… もう、俺には必要のないモノ……らしい…──』

 言い終えると、老兵──トゥーサン・ドナシアン曹長は、最後に一服したかったと思いつつ、遠退いていく意識のままに目を閉じた……。


  *


 グレースはベルニとの交信が途絶えると、すぐさま指揮統制車の車中から外へと飛び出そうとした。が、それは車内のアイナリンドと扉の外から駆けつけたデイジーとに阻まれ、そのまま二人掛りでポネットの水上機──〝侯爵夫人ラ・マルキーズ号〟に乗せられてしまった。


 ポネットはそれより少し前、操縦席の風防の先に、左肩を青く染め上げたベルニの〝パラディン〟がペロンヌの市中の方に移動していくのを見ている。それでベルニが合流を諦めたことを知った。

 だから乗降口から引きずられるようにして入ってきたグレースに、開口一番に発進をもう少 しだけ待って欲しいと懇願されたときには、迷わずそれを却下している。

 このままベルニを待ち続けても、彼は現れず、この場の全員が竜に襲われ死ぬことになる。結局は誰も助からないという、最悪の結末を迎えるだろう……。それは避けたかった。

 あの年若い友が、そんな結末を望むとは思えない。

 おそらくベルニはこう考える。自分一人を待つようなことはせず〝子供たちハーフリング〟だけで先に行け、と…──。

 だからポネットは黙ってエンジンを始動させると、〝侯爵夫人ラ・マルキーズ号〟を運河の流れの中へと離岸させた。


 右翼側から艫綱ともづなを引いて定点回頭の要領で機首の向きを変えるときには、風防を流れていくペロンヌへ視線を向け続けようとする少女グレース──このときにはもう言葉少なくなっていた──の表情はなるべく見ないようにした。

「離水する、皆席に着いていてくれ」

 ポネットが絞り弁スロットルを開けて〝侯爵夫人ラ・マルキーズ号〟が速度を上げ始めたとき、訓練された者の習慣で後方を警戒していたロジャーが口を開いた。

「まずいぞ! ──〝強個体種〟のやつの気を引いた!」

 加速を始めた〝侯爵夫人ラ・マルキーズ号〟の右後方から、通常の竜よりも大きめの翼を持つ強個体種の竜が、水面を駆けて追い縋ってきた。

 飛翔能力を持つ〝強個体種〟の竜は、この水上機の速度程度では高度を取らねば振り切れない……。

「だからって、いまさら止めれんだろが……」 ポネットは絞り弁スロットルを更に開けた。「…──このままいくっ、祈ってろ!」

 グレースを除く機上の全員が、追ってくる竜に視線を遣り覚悟を決めたそのとき、アイナリンドは静かに目を閉じた。

 すると水面を駆けてくる竜の動きが急に怪しくなり、まるで何かに捕らわれたかのように自由を失って水に沈んでいった。

 それはアイナリンドの持つ〝エルフの異能〟だった。まだ水面に漂っていた艫綱ロープを操り、竜の身体に絡めると締め上げてやったのだ。

「水から上がるぞ!」

 ポネットは貨物室の方にそう叫ぶように告げると慎重に操縦桿を引いた。〝侯爵夫人〟がその重い腰を上げてゆっくりと宙に浮く。離水速度を維持した〝侯爵夫人ラ・マルキーズ号〟は、徐々に高度を取っていった。


 十分な高度に達して、ようやく、ゆっくりと深く息を吐いたデイジーに、機長席のポネットは言った。

「悪いが、少しだけ時間をくれ──…無事に上がったことを知らせてやりたいし…… 最後に、アイツの姿を見ておきたい」

 彼女が肯くと、ポネットはペロンヌ市中の上空を捉えるように、機を大きく旋回させた。


  *


 ベルニは、守備隊の曹長から受け取った重機関銃オチキスを構え直して、西の空を見上げた。

 運河の流れの先に見慣れた水上機の機影シルエットを認め、自然に口元が綻んだ。

 思えば殊作戦旅団の任務に就いてからというもの、第1級命令マストオーダ―を持つ自分は、いつも見送られる側だった。

 最後に命令を放棄することになってしまったが、後悔はしていないし、自分を恥じてもいない。

 ただ、あの碧い目をした声の美しい少女との約束を守れそうにないことを、残念に思っているだけだ。

 ──グレースは俺のことを、許してくれただろうか。


 そんな感傷の中にいたベルニは、視界の端に〝赤みがかった白〟の竜を認めた。

 城壁に内に突入しようといういま、これまでなぶってきた獲物を、どうやら自らの手で血祭にあげていこうということだろうか……。


 ──上等じゃないか……。


 ベルニは、あの〝赤みがかった白い〟竜を狩ることに決めた。

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