4 "a boy" and "a girl"


 〝シューフィッター〟ことアップルビー中尉デイジーとグレースがイングレス本島から帰ってきたのは、それから4日が経ってからのことだった。二人デイジーとグレースには、もう二人、客人が同行していた。


 その日、非番だったベルニは、ポネットが仕事で使っている水上機──〝侯爵夫人ラ・マルキーズ号〟──のエンジン不調の修理を手伝うため、港湾の水上機桟橋を目指して海岸通りを歩いていた。

 偶然のことだったが、イングレス軍の水上連絡機が付けた桟橋から軍司令部へと向かうハーフトラックへと乗り込む二人の姿を見つけると、同行の二人のうちの一人の顔に言葉を失った。

 またしても子供の顔なのだが、その顔に見覚えがあった…──その子は、ジヴェルニーで竜に殺された、あのフィービーと同じ顔ヽヽヽをしていた。


 二人肩を並べて桟橋へと歩いていたベルニとポネットだったが、何か〝見てはいけないモノ〟を見てしまった子供のように、何故だか声を潜ませていた。

「あの子……」 いったん口を開きかけたポネットだったが後が続かない。

「……ああ…──」 用心深く応えたベルニの視線が、地面へと落とされる。「──フィービーにそっくりヽヽヽヽだった……」

 その後はもう、二人は黙って水上機の繋がれている桟橋へと歩き続けた。

 嫌な噂が、ベルニの脳裏を巡っていた。


  *


 ハーフトラックの後席で何事か言葉を交わすデイジーとヘイデン・アシュトン博士の寒々しいやり取りを背中越しに聴きながら、グレースは潮の香りに満ちた港街に帰ってきたと感じていた。

 本島イングレスでは特にやることもなく、デイジーが自分をベルニから引き離すためだけに連れて来たのは明白に思えた。そのことに──彼女自身は自覚のないものの──強く反発するというこれまでになかった心理状態を周囲から指摘され、グレースは戸惑いを覚えている。

 そう言えば、本島イングレスから軍郵便でベルニに手紙を出したのだが返事は来なかった。そのことも何だか面白くない……。そんなふうに、いまの自分は感じている。


 バックミラーの端に映る少女を見遣る。

 ──別に、そういうんじゃない……。

 視線の先──アシュトン博士の隣に座った子がフィービーであったなら、そう言って軽くむくれてみせることだってできたかも知れない。でも、この子はフィービーじゃない……。


 そうこうしていると、軍司令部の正面玄関車寄せにハーフトラックは止まった。グレースは車を降りると、フィービーと同じ顔をしたシビルという名の新人と共にその場に残り、司令部へと入って行くデイジーとアシュトン博士を見送った。


  *


 午後──。やっと機嫌を直してくれた〝侯爵夫人号〟の傍らで晩い昼食──ポネット自慢の手料理──を採っていたベルニだったが、午前中、フィービーに似た面差しの少女を目に留めたことで、グレースたち〝ハーフリング子供たち〟に関する〝とある噂〟が頭の中にチラつき、浮かぬ表情かおとなっていた。


 ──あの綺麗な顔立ちのハーフリング子供たちは死なない。何度でも蘇るイングレスの不死の軍隊イモータルズだ。


 その〝噂〟の出元は定かではなかった。戦地によくある与太話の類いだ。ただしこの話には次のような〝尾鰭おひれ〟が付いていた──〝戦場で斃れても、すぐさま似た顔立ちをした、あるいは似た雰囲気の補充兵が送られてきて言葉を失った〟というものだ……。


「──オマエの〝パラディン〟だけどな、四肢の人工筋繊維はイングレス製の物に総取り替えになる」

 差し出されたワインのグラスとその声に、たちまち我に返る。ベルニはポネットを見返すと、割りと大きな声になって訊き返していた。

「イングレス製……⁉ ガリア製じゃダメなのか?」

本島エルフダークエルフの協力があるからな。〝真の銀ミスリル〟を織り込んだ筋繊維については、あっちに一日の長があるのさ……」 ポネットの方はベルニと違って、割りとサバサバとした表情に微笑で応える。「──それに筋繊維以外にも諸々イングレスの器機を積み込むことになっちまってなー……(ぬふふふ)…… すまん! これはまー、大人の都合ってヤツだ」

「そんなに手が入るのか?」 怖くなったベルニが探るように訊く。

「入る! …と言うか、入れる! これは上役うえからの指示だからな」 ポネットは完全に好事家の表情かおになって応えると、その後いきなり相好を崩した。「──あー、まーいいじゃないか。イングレスの最新機材だぞ~──機器の扱いについてはグレースちゃんに手取り足取り教えて貰っ…──」


「…………」 おかしな妄想に憑りつかれたふうの相方ポネットを、ベルニは醒めた目で見遣ると言った。「──あのな…… 彼女グレースは子供だぞ」

「だから?」

 揶揄うように目を細めるポネットに、ムッとしたようにベルニは応えた。

「──俺にそういう趣味はない」

 ポネットは溜息を吐くと、いきなり真面目な表情かおになって言った。

「オマエだって子供なんだよ。〝大人の女性〟は、まだ口説いたことはないんだろぅ?」

 言って片目を瞑って見せる。

「──戦場を離れれば、ただの思春期の男女。肩の力抜いて、清く正しいお付き合いから始めりゃいいんじゃないか」


 そしてポネットは、何も言い返せないでいるベルニからふと視線を外すと、何か言い訳でもするかのような表情で独り言ちた。


(──オマエたちみたいな子供が、そうできない世界の方が、どう考えたっておかしいんだからな……)


  *


 翌日、グレースが工廠を覗くと、ベルニはポネットと全ての外装を外された〝パラディン〟の前で難しい表情で議論をしていた。声を掛けるかどうか逡巡したグレースは、結局、そっとその場を離れ、港へと向かう。



 午後になって、陽もだいぶ翳ってきた頃──、グレースは背後に立った子供の気配に口を開いた。

「──やっぱりロイには筒抜けね」 振り返らずとも、グレースには……。

 言われた方の双子の兄ロイは、仕方ない、という感じに声で返した。

「僕だけじゃないよ…… 〝シューフィッターデイジー〟に言われてきたんだ」

 こんな場合には、声に出して応えるのが礼儀だと、彼は思っている。


 風が強く吹いていて、海峡の海の先には、雲が低くたなびいていた。

 しばらくグレースが口を開いてくれるのを待ったが、彼女が黙っているので、ロイは再び口を開いた。

「シビルを連れて来たね…… 彼女の中に……」 強い風の音が、ロイの声を掻き消してしまう。「……は上手く入った──」

「──やめて」 背中越しのグレースの声は、思いのほか鋭かった。「──そういう言い方は、やめて……」

「…………」 風が止むまでロイは口を噤み、それから口を開いた。「──ともかく、宿舎に帰ろう。コマンドに待機命令が下りてる。大きな作戦が始まるみたいだ」

 それでグレースが踵を返すと、先に行かせた双子の兄ロイが後から付いて、二人は波止場を後にした。


  *


 シェルブールの基地に在ったガリア共和国軍の諸隊は、ここ数日で慌ただしく南部へと移動を開始していた。

 先日来活発化している竜の攻勢に、戦線は70㎞ほど後退を余儀なくされていた。ここで食い止めることができなければ、ガリアに最後に残されたノルマンディー地方への竜の侵入を許すことになる。それは、ガリア軍として絶対に阻止しなければならぬ事であった。

 ガリアの残存戦力の全てが投じられる、そんな動員のされ方だった。



 その日の夜──。

 連隊本部──と言っても、もはや本部管理中隊の定数すら充足できずにいる…──に呼び出されたベルニは、連隊長代理のフィルマン・デュコ少佐の部屋へと通された。

 部屋に入ると先客が居り、その顔ぶれに驚かされる。

 イングレス人──イングレス・コマンドス第4特殊任務旅団〝第3《実験》コマンド〟の幹部将校──が三人、コマンド隊長のジョン・マクネアー少佐と技術将校のアップルビー中尉、それに実動小隊長のロジャー少尉相当官だった。

「これで揃ったな」

 座で最も高位の役職にあるデュコ少佐のその言葉で、その奇妙な会合ミーティングは始まった。


「すでにガリア南部の惨状は承知していることと思う」 デュコ少佐は淡々と周囲の面々に語った。「──各地で〝喰い破られた〟戦線は全力で繕われる。すでに4個師団の全力が、順次南下を開始している」


 現在の状況に至る経緯はこうである──。

 数週間前より南部戦線の竜どもは活発な動きを示し、比較的小さな群れが戦線の各処を突破する勢いを見せた。ベルニが第3実験コマンドと連携してジヴェルニーに駆り出されたのも、これらへの対処の一環だった。


 状況が一変したのは、まさにその渦中であった。それまでそれ程多くない個体数で浸潤して来ていた竜の群れが、突如として行動領域を拡大すると、点と点を結ぶようにして線を作り、その線で我が軍の〝前線〟を後背から襲ったのだ。それは、竜による電撃戦であった。

 しかしこれは、竜によるヽヽヽヽ攻撃であることが違っている。竜相手には降伏という選択肢はない。殺し殺されるかの二択が基本となる。戦いは凄惨を極めた。

 ベルニが同道した第3コマンド小隊も、後方との連絡を遮断される前に撤退を余儀なくされ、本部の在所する、ここシェルブールまで後退していた。


「我々にも出動を?」

 士官待遇の者のうちで最下位なのにも関わらず、子供の姿のロジャーが口を開いて訊いた。その確認は、半ば直属上官のマクネアー少佐に向けられたものだったかも知れない。彼らはイングレスから派遣されてきている実験部隊であり、ガリア防衛任務──ましてこのような緊急展開──の要求に応じる義務のない部隊なのである。


 マクネアーはちらとデュコ少佐の方を見、デュコが肯いて返すのを見てから、目を伏せるようにして言った。

「──数日の後には出動してもらうことになる。だが、これはガリア防衛の任務ではない」

 座の中でロジャーとベルニの二人が、マクネアーのその言葉に怪訝な視線を向ける。マクネアーは続けた。

「昨日、イングレス本島からヘイデン・アシュトン博士が到着した。知っての通り博士は〝H計画〟の発案者にして総責任者の立場にある」


 ベルニにとってその名は初めて聴くものであったが、他の者には、デュコ少佐も含めて周知の名であるらしかった。H計画──〝ハーフリング小さい人計画〟──の方は少し知っている。ベルニの聞かされている範囲では、対竜戦に特化した新型FPAの開発・取得及び運用等の確立までを包括する統合整備計画、ということになっている。グレースも所属する〝第3《実験》コマンド〟が、その実証試験部隊であった。


 もっとも、シェルブール基地に流布している〝噂〟では、また違った言い方になる。いわく、〝赤い服を着た少年兵イングレスのハーフリングによる対竜戦実験兵器の開発計画〟がそれである。自らがてきた事実に照らし、控え目に言ってもそれは間違った言い方ではないと、ベルニは思っている。

 ヘイデン・アシュトンという人間は、そんな計画を自ら企画立案した人物、ということらしかった。


 続くマクネアー少佐の声に、ベルニはそんな回想から引き戻された。

「その博士が、この状況下で計画の成果を自らの目でヽヽヽヽヽ確認したいと言い出した ──小隊は博士帯同の上でアミアンへと〝降下〟する」


 ──アミアン? またずいぶんと〝東寄り〟だな……


 ベルニがそんなことを想っていると、ロジャーが短く確認した。

「──降下?」

「博士のたっての希望ということだ。小隊はパラシュート降下をしてもらう。現地までは飛行戦艦〈ロリアン〉が運ぶ」

 さらりと言ってのけたマクネアーにロジャーが重ねて問いを投げ掛ける。

「そうか…… しかし博士はどうする? 降下訓練なんて、当然受けてないんだろう?」

 元々〝落下傘連隊〟所属のベルニや実験部隊とはいえ〝コマンドス特殊部隊員〟であるロジャーたちはともかく、何の訓練も受けていない民間人を降下作戦に帯同すると言ったことに、ロジャーが反応した形だ。

 それにはデュコ少佐が応えた。

「博士と指揮統制車の降下には大型グライダーを使う──ロラン軍曹、訓練は受けているな」

 ベルニは、デュコ少佐に静かに肯いて返した。


「無茶は承知の作戦だ。対竜戦にほとんど寄与しない作戦であることも承知している」

 マクネアー少佐が、座の中で実戦を戦うことになるベルニとロジャーの表情を窺うように続ける。

「──これは表向き博士の無茶を通したこととなっているが、実はそうではない。情報部主導の任務となる……」 そう言って一拍を置いた。「アシュトン博士は〝東側〟──枢軸諸国に自らの技術と共に亡命を試みるかも知れない」


 どうにもおかしな方向に話が跳んだ。

 ベルニはチラとロジャーの方を見たが、ロジャーの方は何らの表情も浮かべることなく、ただ黙っている。仕方なくベルニは疑問を口にした。

「〝ゲール〟に、ですか? しかしそれが判っているなら、なぜわざわざ博士を戦場に行かすんです?」

 東に隣接する枢軸国ならば〝ゲール人の大国〟──ヴァイマル=ゲール共和国連邦が関係するということなのだろう。

 その問いにマクネアーが応える。

「確証はないのだ、軍曹 ──だが事実であれば、我々は連邦ゲール大きなヽヽヽ貸しを作ることができる。だからその確証を得たい」


 ベルニは内心で呆れた。竜という人類共通の敵を挿んでなお、〝対立〟する陣営への機密漏洩の存否とその経路ルートの確証を得るため、敢えて機密を相手の目の前にチラつかせる。餌に喰いつけば、その時にはそれを外交交渉の材料にしようと言うのだ……。実際に竜の徘徊する活動領域に兵を送ってまでするべきことだろうか、との疑念が湧く。

 所詮、ヒトの敵はヒトということか…──。


「──博士と連邦ゲールの接触を確認した後、ゲール軍を排除しそれを阻止せよ、ということですか?」

 だが結局ベルニも、内心の思いを飲み込んで上官に確認をしたのだった。

 そんなベルニに、直属上官のデュコ少佐は肯定の沈黙の後、付け加えて言った。

「独力での対応が難しければ救援を要請し、博士の身柄を確保しつつ味方の来援を待て。救援部隊は昼夜を問わず、要請があり次第4時間以内に現地に展開する体制が維持される」

「…………」

 即答の出来ないベルニに座の視線が集まる。ベルニはロジャーに視線を向け、ロジャーは表情無く肯いて返した。デュコ少佐が重ねて言った。

「君は、そのためのヽヽヽヽヽ訓練も受けているはずだ」


 第13機甲竜騎兵落下傘連隊は特殊作戦旅団隷下の特殊任務部隊である。一定以上の隊員は、不正規・非合法活動を含むあらゆる戦闘の訓練を受けていた。


 ベルナールベルニ・ロラン上級軍曹は、一拍のの後に、小さく肯いた。


  *


 ミーティングが終わり、連隊本部の入った建物を後にしかけていたベルニは、背後からアップルビー中尉に声を掛けられた。

 二人だけで話がしたいと切り出されたとき、ベルニは、常は勝気の彼女の蒼い瞳が揺れているのに気付いた。

 互いに警戒し合う空気の中、彼女はベルニに特殊任務に掛かる技能の有無をもう一度確認すると、こう願い出た──。


 ──もしアシュトン博士が本当に東側へ亡命しようとしたなら、彼を、と……。





                         ── Continue to Episode 2...

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