第85話 竜の娘が剣に祈れば
人は生命に危機に陥ったとき、時間の流れが緩やかに感じることがあるという。
いまの俺が、まさしくその状態だった。
屍竜が放った闇色の力の奔流が、リリアもろとも俺たちを飲み込もうとしていた。
俺はなんとかリリアを突き飛ばそうと、手を伸ばそうとした。
——だが、間に合わない。
そう思った瞬間、時間の流れが元に戻った。
全身に強い衝撃を感じ、上下感覚が吹き飛ぶ。
頭の中が真っ白になり、自分の身体がいまどうなっているかすら分からない。わかるのはまともに地面に立っていないってことだけだ。
無我夢中で手足を振り回す。手が何かを掴んだような気がした。
全身の筋肉が軋み、身体のあちこちに痛みを覚る。
「……」
次に気がついたときには、俺は地面にうつぶせに倒れていた。
地面は、見慣れたバロワの石畳だった。どうやらあの世ではないらしい。
——生きている。
そう思った瞬間、全身から鈍い痛みが響いてきた。
そうだ。間違いなく俺は生きている。だが、なぜだ……。
自分の右手が、何か固い弾力を持ったものを握っているのに気がついた。
おそるおそる目を向けた先にあったのは……。
「……リリア……」
それは、リリアの鎧に付いていた肩当てだった。見間違えようもない。いつも見ていたものだから。きっと、肩当ての部分だけ千切れ飛んだのを、俺が無意識に掴んだのだろう……。
その瞬間、生まれてこの方一度も感じたことのない、どす黒い感情が腹の底からわき上がってくるのを感じた。
「……殺してやる……」
なにもかも、すべてぶち壊してやろうと思った。
リリアを酷い目に遭わせたやつ、すべてを。リリアに呪いをかけた顔も知らぬ相手、リリアにブレスを喰らわせやがった屍竜、リリアを守れなかったふがいない俺。そのすべてを破壊し尽くしてやろうと思うと、視界が真っ赤になり、不思議とどこからか力が湧いてきた。もはや身体のどこにも痛みを感じない。
後ろのほうから、小さな呻き声がした。男の声だ。おそらくフェルナールだろう。お互い生きていたのは幸運だが、いまはもうそんなことはどうでも良かった。
自分でも驚くほど身体が軽い。さっきまでの疲労はなんだったんだ。
俺はその場で勢いよく跳ね起きると、視線を前に向け——。
「なんだ、お前は……」
そして、絶句した。
そこには見たこともない生き物が立っていた。
白銀色に輝く、巨大な生き物だった。
俺が見ているのは磨き抜かれた大理石のような鱗に覆われたそいつの背中で、そこには皮膜に覆われた二枚の大きな羽がある。がっしりとした大きな後ろ足で地面に立ち、長く伸びた首の先には流麗な爬虫類の頭が乗っていた。
美しい生き物だと思った。
どうやら、さっきのブレスから俺たちを守ってくれたのはこの生物らしい。
「ピュイイイイイイーーーッ!」
呆気にとられる俺の目の前で、そいつ——白銀の竜——は天に向かって甲高い叫び声をあげた。
白銀竜の視線の先には、さきほど俺たちに一撃をお見舞いしてくれた屍竜だ。
屍竜は再び口腔にエネルギーを溜め、再び俺たちに向かってブレスをはき出そうとしていた。
「ピイヤァァァアアアアッ!」
それを迎え撃つように、白銀竜の目の前に白いエネルギーの光が発生する。
「グゴオアアァァァア!」
「ピャアァァァアアア!」
空中で、二匹の竜が吐きだした白と黒のブレスが激突し、対消滅した。
強大な魔力の衝突により、爆発的な衝撃波が発生し、壊れかけていた周囲の家々の壁がボロボロと崩れていく。
「ピイヤァァァアア!」
白銀竜は続けざまにブレスを連射し、槍のような白色の閃光が、屍竜の身体を貫いた。
「グオアッ、アッ! アアアアアアッ!」
漆黒の竜は慌てふためくように翼をはためかせて、上空へと距離を取る。
その隙に、白銀竜はちらりと俺たちのほうを振り返った。
優しい光を
「あ……」
その瞬間、俺はすべてを理解した。
「……もしかして、リリア……なのか……?」
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