第83話 竜と竜、戦いの行方

 一瞬、時が止まるような感覚があった。周囲の喧噪が急に途絶え、動き回っている人々が止まっているように感じられた。

 死刑宣告を待つような、短くも重苦しい時間が俺の心を押しつぶそうとする。


 一瞬の沈黙のあと。

 俺の頭の中に住み着いたあの声が、いつもの取りしました調子で答えを返してきた。


了解コピー。〈女神の加護(アルザード)=10〉を、〈夭折の呪い=9〉に上書きします』


 その瞬間、リリアの身体に触れていた俺の手から、激しい光が漏れはじめた。まるで爆発でも起こしそうな、目を眩ませる光。

 周囲にいた冒険者たちが、驚きのあまり悲鳴を上げた。


 この光の波長、どこかで見覚えがある——そう思ったとき、頭の中に、あの溶岩地獄で女神アルザードと出会ったときのことが頭に浮かんだ。

 そうか、これはあのときと同じ……。


「みんな、目を閉じてろ……っ!」


 俺がそのセリフを言い終わらぬうちに、光が爆発した。


 暴徒や立てこもり犯を鎮圧するときに使う、スタングレネードという爆弾がある。

 爆発時の音や光によって、付近の人間に一時的なショックを与えて無力化する武器だ。これを喰らうと、たいていの人間は身体を丸めてうずくまるしかないというが、それに匹敵しそうな激しい光が、〈満月の微笑亭〉の一階で炸裂した。


「あああああ、な、なにが起きたんだ……! エイジくん、リリアちゃん、どこだい……?」


 背中からうろたえる満月さんの声がした。


「……悪かった、満月さん。少々ワケありの緊急事態でね。リリアの命を救うには、これしか方法がなかったんだ。こんなことになって、俺も驚いている」


 俺は満月さんに声をかけながら、リリアのステータスを確認した。


 禍々しく輝いていた〈夭折の呪い=9〉はスキル欄から姿を消し、それがあった場所には、代わりに〈女神の加護(アルザード)=10〉が鎮座していた。

 HPの残量は、わずか1。だが、リリアの身体を抱く俺の腕には、弱々しいが確かな呼吸の律動と、心臓の鼓動が伝わってきた。

 リリアの命は救われたのだ。


 だが、ほっとしたのも束の間。

 店の外から、なにやら悲鳴に似た叫びが聞こえてきた。最初は俺の放った光が外に漏れたのかと思ったが、喧噪はもっと遠くからも聞こえる。

 外でも、何か異常事態が起きているのだ。


「満月さん、ジール! リリアのことを頼む! 俺は外を見てくる!」


 まだ光のショックで動けずにいる彼らにそう言い残すと、俺は店の入り口を蹴り開けるようにして外に出た。


☆ ☆ ☆


 店の外に出た瞬間、俺はあまりの状況の変化に驚いた。


 まず、周囲がのだ。

 もちろん、さきほどまでも、雨が降っていたせいで暗くはあったのだが、いまの状況はまるで急に夜になったかのようだった。

 それに、

 大雨と形容してもおかしくない雨脚が、このぴたりと止んでいる……!


「まさか……!」


 不吉な予感が、俺の視線を空へと向けさせた。


 バロワの上空に、巨大な絶望を体現したような存在が浮かんでいた。

 天空から降り注ぐ光と雨を遮っていたもの。それは、全長数十メートルほどはありそうな、の巨体だった。


 漆黒の屍竜が、そこにいた。


「ゴルオオオオオオ…………ッ!」


 屍竜が、俺たちを見下ろして吼える。


 その白く濁った目には、殺意があった。憎悪があった。嘲弄があった。

 この世のありとあらゆるものを蹂躙し、破滅させんとする魔獣。

 純粋な害意と圧倒的な暴力の混合物。

 俺の目に映る屍竜の姿は、そういう存在だった。


 屍竜の顔——眼球の横には、どこかで見覚えがある文様がうっすらと浮かんでいた。一瞬の思考ののち、俺はその文様が遺跡で退治したバウバロスのそれと同じであることに気付く。

 やはり、この屍竜を突き動かしているのは、バウバロスが死の間際に吐露した悪意なのかもしれない……。


「ギシャアアアアアアア!!」


 屍竜が鎌首をもたげ、大きな顎を開いた。開いた口の中に、闇色のエネルギーが渦巻くのが見える……! ブレスだ!


「ちくしょう!」


 街中に向けてブレスでも吐かれたら、俺たちは一巻の終わりだ!


「〈腕輪よ、腕輪。我が囁きを聞け。我が欲望を聞け。我が命を力に替えよ〉!」


 俺は即座に魔力増幅の腕輪を装着し、合言葉で効果を起動する。

 身体に激しい疲労感があり、同時に精神が研ぎ澄まされる感触——。


「〈我が内なる力よ、荒れ狂う雷光となれ〉!」


 俺が放ったのは、バーバラさんから預かった呪文書の中でも、最高位に位置する〈雷光〉の魔法だった。

 中空から発生した幾条もの稲妻が、束となって屍竜へと襲いかかる。


「グボロアオアッエオッッオオッッッオッ!」


 屍竜の絶叫——そして電撃で肉が爆ぜる異音が、バロワの空に響き渡った。

 だが、それだけのダメージを受けても、屍竜の口の中に溜まった闇色のブレスは消えていなかった。

 ——いや、やつはより憎悪を強め、力を溜めようとしている……!


 マズいと思ったそのとき。

 屍竜の斜め上の空から、別の巨大な影が高速で飛来するのが見えた。


「——させるかあッ!」


 もう一つの巨大な影——真紅の飛竜に乗った男が吼える。


 フェルナール——ハリア王国最強と言われる竜騎士が、巨大な馬上槍ランスのような武器を構え、騎竜もろとも屍竜へと体当たりを仕掛けてきたのだ。


「ゴガアアアッ!」


 フェルナールのランスが屍竜の首を貫いた。

 それと同時に、口腔内にチャージされていた闇のエネルギーが四散する。

 だが、フェルナールの決死の一撃も、屍竜の息の根を止めるには至らなかった。

 さらなる激怒と憎悪に駆られた屍竜は、翼や尾を闇雲に振り回す。二匹の竜の巨体が上空でもつれ合い、互いの牙や爪が激しく交錯した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る