第58話 身を蝕むサソリの毒

 ザックの背中には、バウバロスの尾によって作られた刺し傷がたくさんあった。

 いずれも鋼のような筋肉に阻まれ、致命傷にはなっていないようだが、よく見れば、傷の周りが紫色に腫れている。


「ど、毒だぜ、こりゃあ!」


 駆け寄ってきたジールが言った。ジールの前ははだけたままだったので、俺は思わず目を背けてしまった。それを見たジールが口を尖らせた。


「なに見てんだよ!」


「見てねえよ! てか、そんなこといってる場合か!」


 俺はザックの傍らにしゃがみ込み、様子を見た。息が荒い。

 顔色も心なしか青いように見える。俺はザックに顔を近づけ、声をかけた。


「ザック! しっかりしろ!」


「お、おう……センセ、どう……なってんだ? オレは、なにをしてるんだ……? 身体が……動かねえ……」


 ザックが弱々しい口調で呟く。どうやら頭が混乱しているようだ。自分の状況がよく分かってないらしい。


「毒だ。身体を動かすなよ。イリーナ!」


 俺が呼ぶまでもなく、イリーナが駆け寄ってきた。

 イリーナは俺の隣にしゃがみ込むと、顔をしかめた。


「毒は消せるか?」


「消してみせるさ」


 強がってはいるが、イリーナの声は震えていた。


「〈戦神マルセリスよ。御身の勇者をむしばみし毒を打ち払いたまえ!〉」


 イリーナの呪文が監視すると、彼女の右のてのひらから淡い光が漏れ出した。

 光る掌がザックの背中に触れる。紫色に腫れたザックの傷口が、次第に元の色を取り戻していく。


「良かった……。なんとかなりそうだな」


 しかし、俺が汗の額をぬぐった瞬間、異変が起きた。


「ゴ、ゴホッ……!」


 ザックが激しく咳き込んだ。口からは血の混じったつばがはき出される。


「なに!?」


 イリーナがたじろぐ。掌に宿った解毒の光は、すでに消えていた。

 唖然とする俺たちの目の前で、ザックの傷口がまた紫色に染まっていく。


「たしかに解毒は成功したはずだ!」


 そう叫ぶと、イリーナは再び解毒の呪文を唱えはじめた。

 再び解毒の光がザックを照らすが、一時的に治癒しても、すぐに再び毒の症状が出てしまう。


 そうこうしているうちに、ザックの顔色はどんどん悪くなり、呼吸は荒くなっていった。イリーナの解毒を上回るスピードで、毒が身体にダメージを与えているのだ。


「なぜだ、なぜだ! なぜだ……! なぜなんだ!」


 イリーナは半狂乱になりながら、解毒の呪文を繰り返した。

 焦りと疲労からか、イリーナの額から玉のような汗が噴き出し、赤毛がべったりと額に貼り付いた。


「おい、ザック! バカ! 死ぬな!」


 イリーナが涙声で叫ぶ。

 ザックはすでに反応する余裕もないらしく、口からヒューヒューとか細い息を吐くのみだった。

 あの屈強な男が、わずかの時間でここまで衰弱していることが、にわかには信じられなかった。


「死ぬな! 死ぬな死ぬな死ぬな! アタシのところに戻ってこい! 逝くんじゃない! ザック! アタシの勇者!」


 イリーナの目の端から、大粒の涙が流れ、ザックの背中にこぼれ落ちる。


「〈戦神マルセリスよ!〉」


 再度、解毒の光がザックを照らした。

 しかし、結果は同じだった。


「そんな……」


 イリーナが、絶望の呟きを残してザックの背中に倒れ込んだ。

 意識を失ったらしい。魔法の使いすぎによる精神枯渇だろう……。


「イ……リー……ナ……どう、じ……た……?」


 イリーナが倒れ込んだ拍子に目を覚ましたザックが、朦朧とした口調で呟いた。


「オレ……は、どこ……に……も……いか……ねえ……よ……泣……くな……」


「……ッ!」


 リリアが息を飲む気配がした。

 目をやれば、リリアは顔を真っ赤にして、目に涙を浮かべていた。


「エイジさん……こんなことって……」


「まだ諦めるな!」


 リリアの涙声を聞いて、俺は頭の奥がスッと冷静になっていくのを感じた。

 まだ手はある。あるはずだ!


 俺はザックへと手を伸ばす。指先が触れると、頭の中にザックのステータスが表示された。


**************************

対象=ザック


▽基礎能力値

器用度=13 敏捷度=16

知力=14 筋力=23

HP=1/22 MP=20/20


▽基本スキル

我流斧術=6 パルネリア共通語=2

我流格闘術=6 罠知識=4 薬草知識=2


▽特殊スキル

武芸百般=2 英雄の資質=4 毒抵抗=3 豪運=5

魔蠍の呪毒=6


※スキル【コピー&ペースト】のレベルが足りないため、補正能力値、限界能力値、中級スキル、上級スキルの表示、およびコピーはできません。

**************************


「見つけたぞ……!」


 ステータス画面では〈魔蠍の呪毒〉、〈英雄の資質〉、〈毒抵抗=3〉、〈豪運〉、合計四つのスキルが真っ赤に光っていた。

 ザックの身体に秘められた資質が、サソリの毒——いや、これは呪いというべきか——に抗っているのだ!


 続けて、ザックに折り重なって倒れているイリーナに触れる。


**************************

対象=イリーナ


▽基礎能力値

器用度=12 敏捷度=18

知力=15 筋力=17

HP=4/18 MP=0/19


▽基本スキル

マルセリス流戦闘術=5 パルネリア共通語=4

白魔法(マルセリス)=6 薬草知識=5

魔物知識=2 隠密=2


▽特殊スキル

戦神への誓い=4 英雄の随伴者(ザック)=3


※スキル【コピー&ペースト】のレベルが足りないため、補正能力値、限界能力値、中級スキル、上級スキルの表示、およびコピーはできません。

**************************


 イリーナのステータス画面を確認。


 これから俺がやろうとする試み。果たしてそれが成功するかは分からない。

 だが、可能性が一厘でもあるのなら、やるしかない!


「……〈白魔法(マルセリス)=6〉をコピー。空きスロットにセットしろ!」


了解コピー。〈白魔法(マルセリス)=6〉をセットしました』


 俺の呼びかけに反応し、脳内で謎の声が答える。

 イリーナの持っていた〈白魔法(マルセリス)〉スキルが俺のステータスに刻まれる。

 それと同時に、俺は白魔法の原理を本能的に理解した。


 白魔法のメカニズム。それは神との交信である。

 精神を集中し、感覚を研ぎ澄ますし、この世界パルネリアの「周縁」にいる神をイメージすることで、神の意識に同調する技術。

 神の意識に同調し、奇跡を願うことで、人は神の力の断片を行使することができる。これが白魔法の基本原理だ。

 神との交信には多大な精神力を必要とし、より強い精神、より強い信仰を持った者のほうが、高位の奇跡を起こせる。


 白魔法を使うとき、神官たちは祈りの呪文を唱えるが、これは集中力を高めるための所作であり、言葉そのものに意味はないらしい。

 祈りの言葉自体はデタラメであっても、精神集中と神を思う心があれば、魔法は発動する。ただし、それは少し効率が悪い。

 そこでこの世界の神官たちは、特定の呪文を唱えながら集中力を高める修行を行うことにした。ふだんからその訓練をしておけば、呪文を唱えると条件反射的に集中力を高められるのだ。

 要するに、白魔法の呪文は集中力のオン/オフを切り替えるスイッチに過ぎないってこと。


「よし……!」


 つまり使というわけだ。


 だが白魔法を使えるだけではザックを救えない。

 さきほどイリーナが起こした解毒の奇跡では、〈魔蠍の呪毒〉を打ち払うことはできなかった。

 さらに高位の魔法——呪いすら打ち砕く奇跡——が必要なのだ。


 うまくいくかどうかは分からないが、当てはあった。

 俺はバーバラさんから借りてきた魔道具——その最後の一つを手に取った。

 大きな宝玉が埋め込まれた腕輪だった。正直、俺にとって使い道がある道具だとは思っていなかったのだが、この場面では役に立つかもしれない。


 俺は手首に腕輪を填め、効果発動の合言葉を唱える。


「〈腕輪よ、腕輪。我が囁きを聞け。我が欲望を聞け〉……」

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