第17話 あだ名

 俺は綾森から渡されたジャージにロッカールームで着替えて、フットサルコートに戻ってきた。ポニーテールの女子の近くに一人の男子と二人の女子のチームメイトらしき人達が集まっていた。


「藤垣くん。私たちはこの後すぐの試合だから、まずはメンバーを紹介するね」


「私、お父さんたちの所にいるから、ゲームが終わったら来て。お弁当もその時食べよう」


 綾森がそそくさとこの場から立ち去った。歩いていく先にはベンチが何列にも並び、その一つに座っている綾森父と綾森妹が俺に向けて手を振っている。本当に一家総出で代行の仕事に当たっているようだ。まぁ、見た感じは完全に日曜の行楽のようだけど。


「みんな。今日一緒にゲームに参加してくれる、藤垣くんだよ」


 ポニーテールの女子が周りに集まった人たちに俺を紹介する。六つの目が興味を隠さずに俺を見ていた。みんな、サッカーウェアではなく普通のジャージを着ている。


「よ、よろしく」


 俺は少しだけ頭を下げて挨拶した。


「よろしく!」


 いの一番に言ったのは、ソフトモヒカンにしている男子だ。


「俺は竜郷たつごう。簡単にタツって呼んでくれ。十七歳だ」


 ソフトモヒカンの男子タツはニッカリ笑って言う。年上だけどそんな呼び捨てみたいな名称でいいのだろうか。でも、そう呼んでくれって言っているから、そう呼ぶしかない。


「私はJKのルル。よろしくぅ」


 軽い口調でばっちりメイクの女子がルル。顔の横に右手の広げてなぜかポーズしている。


「わ、私も女子高生のメグです。よろしくお願いします」


 ショートカットの大人しそうな女子がメグ。こちらは両手を身体の前で揃えてぺこりと頭を下げてきた。


 タツに、ルルに、メグ。よし、覚えたぞ。覚えやすくてよかった。だけど、あと一人名前を聞いていない。


「今日はこの五人で交代なしでゲームに参加ね」


「あんたは?」


 俺はポニーテールの女子に端的に聞いた。しかし、彼女は目を丸くして俺を見つめる。うっ、もしかしなくても聞き方がぶしつけ過ぎたか。


「えっと」


「リコだよ。今日、みんなを集めたのもリコなんだ」


 ルルが言いながら、ポニーテールの女子リコに抱きつく。ルルはスキンシップが多い感じようだ。クラスの陽気なグループには一人はいるタイプだ。そんなタイプの女子とうまくコミュニケーションが取れるだろうか。


「そうだ。藤垣くんもあだ名で呼んだ方が、パスしやすいかもな。学校とかでなんて呼ばれているんだ」


 タツが聞いてくるが、俺が答えはつまらない。


「藤垣くん」


「そのまんまじゃん!」


 ルルがリコに抱きついたまま突っ込む。


「それじゃ、すぐに呼びやすいように何かあだ名付けるか」


「えっ!」


 あだ名で呼ばれるなんて何年ぶりだろうか。しかも、この場ですぐにつけられるなんて。なんだか立っているだけなのに、ドキドキしてくる。


「藤垣だから、フジ、フジー、フジオ……」


 頼むからフジオだけはやめて欲しい。皆のあだ名の法則から言って、下の名前の朋貴からトモなのだろうけれど、自分から名乗るべきなのだろうか。だけど俺は友達代行ってだけだから、名前まで名乗るのは深入りし過ぎている気がする。


「フッキーとか」


 俺が迷っていると誰かがポソリとそう提案した。タツがうんと頷く。


「お、いいじゃん。フッキーに決定。フッキーもいいよな」


「お、おう」


 実はフッキーと呼ばれるのははじめてではない。もう誰も呼ぶことのなくなった俺の昔のあだ名だ。その時、ピッピッピーッとホイッスルが鳴る。


「前のゲーム、終わったみたい。行こう、みんな」


 リコがみんなに声をかけ、全員で緑のネットに囲まれているコートに入った。



 

 ゲーム時間は前半も後半も無く、ニ十分で全てを決する。当たり前だが、多くゴールを決めたチームの勝利だ。


「なあ、リコ。俺がゴールキーパーしようか?」


 俺は準備体操をしながら隣にいるリコに話しかけた。ゴールキーパーなら走らなくていい。立っているだけとはいかなくても、手を広げて大の字にゴールを守っていれば半分ぐらいは食い止められるのではないか。それに、ちゃんと参加しているように見える。


「最初の試合はタツにお願いしているから、次の試合をお願いしようかな」


「分かった」


 言われて思い出した。試合は一試合じゃない。総当たり戦で八チームだから、えーと全部で七ゲーム。一試合ニ十分だから、百四十分。プレイ時間、二時間以上だと……!? 身体が持つのか? しかもこれ、全部のゲームをするのに夜中まで時間かかるよな。個展の絵を買いに行くのはまた後日か。それまで売れていないといいんだが。


 審判の人がやってきて番号の入ったベストを配っていく。俺は真ん中の三番になった。対戦相手は若干年齢層が高い。三十代後半のチームに見える。


「怪我の無いよう楽しんでプレイしましょう」


 ボールを抱えた審判がにこやかに言った。ホイッスルを咥え、プレイ開始のホイッスルが鳴る。それと同時に、リコが中央に置いてあるボールを蹴った。


「ルル! パス行くよ!」


「え、え、さっそく!? あ!」


 パスをされたルルは戸惑っている内に男性にボールを奪われてしまう。そのままボール前にドリブルされてしまった。サッカーよりもコートが狭いからあっという間に詰められた気がする。ゴール近くにいるのはメグ。


「え、あ、えっと」


「メグ! 行ったよ!」


 リコが声を張る。しかし、メグは簡単にかわされてしまった。あっという間に、ゴールキーパーのタツと相手チームの男性の一騎打ちとなる。リコが阻止しようとコートを蹴るが、シュートは撃たれてしまった。ボールはゴール右下へと一直線。


「させるか!」


 タツが足を伸ばす。その足に弾かれて、ボールは大きくコートの外へと出た。


 開始して一分の攻防だった。俺はと言えば、カバーに回ることも出来ず、ただ立っていることしか出来なかった。


「ナイス、タツ! さぁ、次が来るよ!」


 リコからみんなへ快活な激励が飛ぶ。しかし、オウッと元気よく返事したのはタツだけだった。俺とルル、メグが固まったまま。それなのにも関わらず、相手チームのキックインによってゲームは一分と経たずに再開する。


「さぁ、一本一本丁寧に行こう」


 相手チームのリーダーっぽい男性が人差し指を立てながら言う。リーダーシップを取っていてカッコいいな。とか、ぼけっとしている間に、俺の目の前の人にパスが来る。リコからの指示が飛んだ。


「フッキー奪って!」


「え、ええっ!?」


 目の前のパスをされた女性は、フットサルに慣れている感じではない。サッカーウェアじゃなくてジャージだ。きっと彼女も人数合わせか、無理に誘われたのかしたのだろう。それか緩いゲームだと言われて楽しむだけで来たのか。


 ただ、こうして男子高校生と相対することなんて想像していなかっただろう。俺と彼女はじりじりとしたまま見つめ合う。というかボールを奪うって言ったって、どうすれば……。結構な時間、俺たちは硬直していた。


「パス、パス!」


 声に気づいた彼女は少し前にいる男性にパスしようとする。えいっと掛け声まで付けて。


「させるか!」


 イメージの中では俺は足をスッと出して、パスしようと転がるボールを華麗に止めていた。しかし、実際にはボテボテと転がるボールに、ワンテンポ遅れてぬっと足が出てきて、大きく足を開いた俺はバランスを崩し……。


「わあ!」「きゃーッ」


 相手チームの女性に倒れ掛かり、そのまま二人で地面に押してしまった。当然、試合が中断される。


「すみません、すみません!」


 俺は地面に伏してぺこぺこと謝った。


「あ、はは。怪我もしてないし、大丈夫だよ」


 そう相手チームの女性は笑って許してくれる。大人だ。


「ぷぷーっ! フッキー、もしかしなくてもすっごい運ち?」


 口元に手を当てながら、ルルがちょっかいを出してきた。こっちはかなりの子供だ。


「うんちとか女子が言うなよ! そう言うルルだって華麗にボールを奪われていたじゃないか。あまりの華麗さに動画に撮っていればよかったと思ったぞ」


「な、なにおう!? 動画に撮っていればよかったのはフッキーの方でしょ!?」


「あ、あのー、プレイ再開するっぽいよ」


 ルルと俺がにらみ合っているとメグが遠慮がちに声をかけてくる。


「ふふっ」


 笑い声がして俺たちはそちらを振り返った。笑いをこらえているのはリコだ。


「みんな馴染めそうでよかった。ほら、審判の人待っているよ」


 そう言ったリコがすごかった。次のワンプレイでボールを奪い、そのままドリブルで相手を交わしていく。一人、ゴール前まで行くと一度フェイントを入れて、大きく足を振り上げてシュートを打った。ゴールキーパーは完全に裏を突かれて右側を守り、ゴールの左上にボールは突き刺さる。


「すごーい!! リコ!」


「やったね!」「その調子だ!」


 ルルやメグ、タツは手放しで喜ぶ。しかし、俺は違った。


 ……俺、いらなくないか? 


 元々、知り合いでも何でもない。友達代行のさらに代行で来たんだ。しかも、運動は全く出来ない。ただコートの中をウロウロと右往左往しているだけ。それどころか、足を引っ張っている。リコがこれだけ上手ければ、俺抜きで四対五の方が試合になるんじゃないだろうか。


「フッキー!」


 それでもなぜか、リコはパスを回してきた。俺にだけではない。決して運動が得意とは言えないルルやメグにもだ。それが大概の場合、奪われるか、もう一度リコにパスを返すことになってもボールは転がってくる。


 というか、立っているだけでいいっていう話じゃなかったのか。


「なぁ、なんでパスを回すんだ」


 ゲームが終わってリコに聞いてみた。ゲーム自体は点取り屋のリコとキーパーのタツの活躍で、三対二で勝利していた。


「ん? フットサルだからでしょ」


 笑顔でそう返された。質問の意味が分かっていない訳ではないだろう。


 つまりやっぱりフットサルをしている以上、代行の俺もちゃんと仕事をしろという意味だ。


 仕事である以上、ちゃんと参加するけどさ……。これまでにない徒労感にはぁとため息がもれた。

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