友達代行の現場に行ったら元クラスメイトがいた件

第16話 突然の呼び出し

 日曜日。しとしとと雨が降っている。俺は黒い傘をさして、細い路地を歩いていた。傘を持つ反対の手には一枚のハガキ。そこには簡略した地図と個展のお知らせが書かれていた。雨が降る日は絵画鑑賞に限る。特にこの日は昔から父と親子そろってファンの先生の個展だ。先生は繊細な筆遣いで世界各地の風景を巧みに切り取ることでご高名だ。


 だが例によって父は海外で、個展のお知らせが届いたことを電話で話すと歯ぎしりが聞こえてくるぐらい悔しがっていた。


「おっと、ここか」


 今回の個展は大通りにある会場ではなく、ひっそりとした裏路地にある一軒家で開催されている。看板がなければ通り過ぎてしまう所だった。俺は傘をたたんで中に入る。




 ――二時間後。


「ううむ」


 俺は一枚の絵の前で腕を組み唸っていた。


 個展は中々の盛況だった。先生の作品はどれもため息の出るような美しさで、見つめているだけでその世界観に引き込まれていく。


 特にこの水の都ベネチアを描いた作品は秀逸だ。沈む夕日の光を反射する水辺には何艘もの舟が浮いている。仮面をつけている人々はこれから仮面舞踏会に行くのだろう。巧みな構成により、見ている人もベネチアの舟に乗っているような錯覚さえ受ける。


 父には先生の作品を一つ気に入ったものを買っていいと言われていた。いや、むしろ買ってこいと言わんばかりに、息巻いていた。自分が個展に来られなかったからだ。


 だけど、なぁ……。確かにこの絵画は素晴らしいものだ。値段も糸目は付けないと言われている。とはいえ、この絵は巨大過ぎた。俺の身長の軽く倍はある。父はたぶん一人で抱えられるぐらいの絵画を買ってくることを想定しているはずだ。


 それに買ってどこに飾るというのだろう。家が狭いわけではないが、このサイズが飾れる場所にはすでにほかの作品が飾られている。買うからには飾りたい。ずっと貸金庫に入れておくのも先生に申し訳が立たないのだが、だからと言って今ある作品をしまい込むのも……。


「おお、これは大作だな」


 俺が悩んでいる間に、杖をついた老紳士が同じ絵を眺め始めた。こういう人こそ、この手の作品を思い切って買って行ってしまうものだ。先を越されてはならない。そう思った俺は購入の意思を伝えるべく、係の人の元へ向かう。


 その途中、着信を知らせる振動が俺の足を止めさせた。


 なんだよ! いま、大事な時なのに!


 スマホを取り出して画面を見ると、綾森姉からだった。ラインじゃなくて通話なんて、……いったい何の用だ? 


 俺はそそくさと個展の会場を出て、通話ボタンをタップする。雨は小降りになっていたが、まだ降っていた。ぽつぽつと前髪をしずくが濡らす。


「もしもし」


「あ! 繋がった! よかった!」


 電話口の綾森姉は焦っているのか、少し早口だ。


「どうかしたんですか?」


「実は私たち、友達代行の仕事中なんだけど、一人足りなくなったの。藤垣くん、いまから地図送るから、そこまで来られる!?」


「お断りします」


 俺は容赦なく電話を切った。普段の仕事でも嫌々行っているのに、突然電話ですぐに来いなんて言われて行けるか。さて、購入の手続きに……。


 しかし、またもスマホは震える。話している間にも鳴らされちゃたまらない。俺は電話に再び出た。


「だから、行かないって」


「お弁当」


「え?」


 電話の主は綾森姉ではなかった。このささやくような声の感じは綾森だ。


「お弁当、今日たくさん作ってきているから。藤垣くんの分取っておくよ」


 食べ物の話をするからお腹がくぅと鳴った。考えてみたらそろそろお昼時だ。


「卵焼きたくさん作ってきているよ。ちょっと仲のいいクラスメイトからのお願い」


「~~ッ、分かったよ! 行けばいいんだろ、行けば!!」


 全く、俺が卵焼き一つに釣られて行くと思うなよ。友達のいない俺にとって、ちょっと仲のいいクラスメイトだって貴重だから行くんだ。


 俺は傘立てから自分の傘を取って、小雨の中走り出した。




「ここ?」


 スマホ片手にやってきたのは大きなキューブ状の建物だった。雨はもう止んでいるので傘をたたむ。


「藤垣くん来てくれて、ありがとう」


 着いたと連絡すると入り口に綾森がやってきた。


「いや、それより……」


 俺はやっぱり来なければよかったと後悔する。なにせ綾森がいつもの綾森ではない。トレンチコートではなく、白いロングTシャツに下は学校指定の紺色のジャージ。髪はいつものようにはおろしていなくて、後ろで一本の三つ編みにしている。そう、体育の授業の時にしているような姿だ。


「俺、やっぱり帰る」


「ここまで来たのに?」


 綾森は踵を返す俺のロングカーディガンの裾を掴んだ。


「離せよ」


「今日のお仕事内容はこれだよ」


 綾森は俺にチラシを一枚渡してきた。そこにはサッカーボールを蹴る人の写真が載っている。俺は上の方に書かれている文字を読み上げる。


「えーと、フットサル大会?」


 綾森を振り返るとこくりと頷かれた。


「なんでそんなのに友達代行がいるんだよ」


 フットサルといえば、サッカーより狭いコートでボールを奪い合い、互いのゴールを狙う。それぐらいしかルールを知らないけれどサッカーと大差ないはずだ。


「フットサル大会って言っても、もっと緩い感じで、みんなでゲームを楽しもうって感じみたいなの。さらに緩いのがここ」


 綾森がチラシを指さす文面を読み上げる。


「何々、五人一チームが基本ですが、人数が足りないチームは運営が補充します。つまりこの補充人員っていうのが、友達代行で雇われたアミーゴファミリーってことか。……なんで俺に。お前も知っているだろ」


「うん。藤垣くん、運動全然出来ないよね」


「真顔で言うなよ」


 だが、確かに俺は運動が出来ない。昔から短距離走はぶっちぎりでビリだし、水に飛び込めば確実に沈む。


「だから、今日は最初からお願いしていなかったんだけど、お父さんが準備体操の時に足捻っちゃって。お願い、藤垣くん立っているだけでいいから」


「いいわけないだろう」


 足りない人員の代わりにゲームに参加するんだぞ。パスを貰い、パスを渡すぐらいしないと代行したとは言えない。しかも、四人の他のメンバーと問題ないぐらいにはコミュニケーションを取らないといけない。


「でも、藤垣くんが入ってくれないと、あの人たち、今日ゲームできない。試合の順番も遅らせているし」


「……でもなぁ」


 確かにせっかくフットサルをしに来たのに、試合に参加できないのはがっかりするだろう。だが、俺のような絵の審美眼しか能のない人間が、いきなり畑違いのフットサルをしようとしても、さらにがっかりさせるに違いない。


「やっぱりどうにか他の人を頼むように」


「あ! その人?!」


 綾森を説得しようとすると、背後で声がした。振り返るとポニーテールにした快活そうな女子がこっちに走ってきている。サッカーの青いウェアを着ていた。


「よかった! もう前の試合が始まっちゃったし、不戦敗になるところだったの」


「うん。助っ人の、藤垣くん、です」


 相変わらず知らない人の前では緊張するのか、同じ年頃の女子の前でも綾森は途切れ途切れに俺を紹介する。これでもましになった方だ。ちゃんと相手の目を見ている。


「いや、まだやるとは」


「え、ええっと、藤垣くんお願い! 私たち今日楽しみにしていたの!」


 その女子はポニーテールの髪を振り乱しながら俺に頭を下げた。


「楽しみどうかなんて知るかよ。俺は全然運動出来ないんだからな」


 チームに参加したら楽しいどころか、いなきゃよかったと思うに違いない。


「立っているだけでもいいから、お願い」


 声に必死さがにじみ出ていた。そんなにフットサルがやりたいのだろうか。綾森のまっすぐな目線も突き刺さってくる。


「……そこまで言うなら」


 俺で役に立つのか不安でしょうがないが、俺は首を縦に振った。


「ありがとう! こっちに来て。チームメイトを紹介するね」


 ポニーテールの女子は顔を上げると、すぐに俺に背を向けて建物の中へと案内を始めた。というか、チームメイトか……。そのチームメイトと上手く話せるだろうか。


「なぁ、綾森は別チームなのか?」


 俺はこっそり綾森に耳打ちする。


「うん。全部で八チームあって、総当たり戦。そのうち四チームに私のお兄ちゃんとお姉ちゃん、私と藤垣くんがそれぞれ入るんだよ」


「綾森の兄姉も総出なんて、結構なチームがメンバー揃えていなかったってことじゃん。緩すぎるだろ」


「最初は二人代行してってことだったけど、ドタキャンが二件あって結局四人になったの。それでお父さんが張り切っていたんだけど、準備体操のときに足をぐきっと」


 綾森父は見た目が若いが、もう四十代だからな。無理しようとするから……。


「えーと、コートに着いたよ」


 俺と綾森が話していたせいか、ポニーテールの女子は遠慮がちに言う。


 そこには当然、プラスチックでできた芝のフットサルコートが広がっていた。屋根付きで二面のコートがある。人工的な緑色の芝のコートにはボールを追いかけている人、人、人。あっちへ、こっちへ、パスで行方の分からなくなるボール。大きな声も飛び交っている。


「行け、行け、行け!!」


「パス、パス、パス!!」


 俺はくらりと目まいがしてきた。なぜだ。緩いゲームだったんじゃないのか? 結構、みんな本気じゃないか? 目がマジだぞ。


「こっちだ!!」


 ひと際爽やかな声がコートに響く。声の主は綾森兄で手を上げていた。ちょうどゴール前にいる。


「おら!」


 パスが渡り、綾森兄がシュートを繰り出した。鋭い角度から手を大きく広げているゴールキーパーの隙間をつく。ボールがネットを揺らした。


「ゴール!」「やったー!」


 チームメイトたちが綾森兄に飛びつく。綾森兄は口の端だけを上げて笑い、爽やかに右手拳を上げていた。


 ……これが、友達代行の仕事? いつも以上に俺には不安が募った。

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