第8話 初めてのダンジョン

 翌日、アンジェラは司祭に事情を説明して冒険の許可を取り付ける。

 元々が客員扱いなので自由に動いて構わないのだが筋は通しておきたかったのだ。


 加えて今後は教会の務めにまともに参加出来ない可能性の増える事と、食事は外で取る事、教会に泊まらせてもらう代わりにきちんと代価を支払う事を決めた。


 今日はいよいよ初冒険の日だ、仲間たちとエリス教会で待ち合わせ、件の施設に向かう。


「こんにちはー、今日は監督役を務めますクリスと言います、よろしくね」

 現れたのは銀色の髪をショートにまとめた右の頰に傷のある盗賊の少女だった。


「あー、クリスだー、久しぶりー」

 シナモンがクリスの手を取る。なんでもクリスから盗賊の技の数々を教えて貰った師匠的な存在らしい。


「今日はこのダンジョン攻略をしてもらうよ、目的は再奥の部屋にある宝石を取ってくる事。手段は自由、それだけ」


 クリスは懐から小型のハンドベルを取り出してアンジェラの前に翳す。

「あとこのハンドベルを渡しておくからあたしの助けが必要になったら鳴らしてね、1回2万エリスで仕事するから」


 そう言って楽しそうに笑った。何とか自力でやり遂げて報酬を満額頂かなくては今後の生活にも支障が出るだろう、気を引き締めなくてはならない。


「ベルは故意に鳴らさなくても強い衝撃を受けると勝手に鳴っちゃうし、その情報は直ぐにギルドに行くから気を付けてね。とりあえずキミに預けるから使う時は慎重にね」


 クリスからハンドベルを受け取ったアンジェラはベルを背嚢に入れる。とりあえず仕舞っておけば失くさないだろう。


「あたしは基本的にキミ達の後ろに着いて行くだけで助言とかも禁止されているから、居ないものとして扱ってね。まぁ、あたしも昨日初めて話を聞いただけなので中に何があるのか知らないんだけどね」

 あっけらかんとクリスが言う、どのみち行ってみない事には何も始まらないのだ。


「では、行きます!」

 大きく深呼吸。


 何事にも第一歩がある、これが本作主人公アンジェラの冒険者人生の第一歩なのだ。

 彼女は意を決してその薄暗い未知なるダンジョンに先陣を切って足を踏み入れる。


 その瞬間、仲間の視界からアンジェラの姿が消えた、と同時に彼女は足と臀部に強い衝撃を受けた。


「…うわ、ダンジョンの一歩目から落とし穴とかギルドもえげつない事するねぇ… アンジェラちゃん、大丈夫? 怪我してない?」

 シナモンが心配そうに声を掛ける。


「…大丈夫です」

 と答える。


 いきなり落とし穴に掛かって2メートル程落とされた。落下の衝撃で尻もちをついて腰を打ち、右足首を捻ったようだ。

 コントのような無様を晒して怪我までするとは恥ずかしくて皆に顔向け出来ない、とりあえずこっそりヒールして怪我を治す、これでノーダメージだ。


 落ちたアンジェラはクリスが持っていた魔法のロープですぐに助け出された。ん? クリス?


「ごめんねぇ、わざとじゃないのは分かってるんだけど…」

 クリスは登録カードに似たカードを皆に見せた。大きく円が3つ描かれてあり1つがバツで消されている、何だ?


「ベルが鳴らされると丸がひとつずつ消されていって全部消えると終わりなんだよ…」

 まさか? さっき落ちた衝撃で?


「うん、1回鳴っちゃった…」

 クリスも申し訳なさそうに言う、そんな…まだ一歩しか歩いてないのに…。


「皆さんごめんなさい! この2万エリスは私が必ず弁償して…」

 仲間の方を向き彼女は頭を下げる、昨日の装備と懇親会で金を使ってしまい、今の所持金は2万を割り込んでいるのだが。


「大丈夫だよアンジェラちゃん、事故事故。気にしない」シナモン

「そうですとも、お怪我が無くて何よりですぞ!」くまぽん

「ひとつの失敗に囚われるな」ゲオルグ

 全員が本心から優しい言葉を掛けてくれているのが分かる。


「いい仲間に恵まれたみたいだね」クリスが耳打ちする、その通りだと思う。


「まぁ、それはそうとして、アンジェラちゃんは神官で回復の要なんだから先頭に立ったらダメじゃない」

 シナモンに怒られた、本来敵が待ち受けていたり罠が仕掛けられている前面には、奇襲に備えて体力や防御の高い戦士や罠を発見、解除できる盗賊が立つものだ。


 回復や支援を司る神官が怪我をしては元も子もない、神官は普通隊列で一番安全な後方二番手に配置される(最後方は後ろから奇襲された場合に最も危険になる)。


「ハイ、迂闊でした、ごめんなさい」

 もう独りでは無いのだ、団体での動きというのも身に付ける必要がある。


「分かれば良し、じゃあとりあえずボクが先頭に行くから少し遅れてついてきて」

 シナモンがランタンを用意する、火を点けようと火口箱を取り出そうとした時、


点火ティンダー!」

 その掛け声とともにランタンに火が点いた、くまぽんの魔法だ。

「ふ、さっさと進もうではないか」とドヤ顔。


「おぉ、便利。キミってスカート捲り以外の事も出来るんだねぇ」


「あ、当たり前だ! 吾輩は紅魔族のエリートウィザードだぞ、バカにしてんのか!?」

 そこでゲオルグがくまぽんの首に腕を回して「ほら、行くぞ」とグイグイ進んでいった。


 抵抗しつつも連行されていくくまぽんを、シナモンは潤んだ瞳で見つめている、やがてクネクネと悶え始め

 2人に向かって「ありがとうございます!」と最敬礼した、これは一体何なのだろう?


 結果的にゲオルグ、くまぽん、アンジェラ、シナモンという隊列になった、最後尾にやや離れてクリスが続く。

 普段はゲオルグが危険を受け止め、必要に応じてシナモンが前に出る形になる。


 通路は始めの落とし穴以外は特に罠は無くやがて大きな扉の前で止まった。

「さて、ここはボクの出番かにゃ」

 シナモンが解錠ツールを弄びながら前に出る。


 扉を調べて罠を発見した、さすが盗賊だ。不用意に触るとガスが吹き出す仕掛けになっていたようだ。


「何のガスかは分からないけど、本番と思って致死性のガスのつもりで解除するよ」

 シナモンが真面目な顔で言う、レベル3という事は一度か二度の冒険経験があるはずだ、その時の事を思い出しているのだろう。


 緊張の時間が流れる、横に居るクリスも無言のままだが息を飲んでいるのが分かる。

 やがてカチリ、という音がしてシナモンがこちらに振り向きサムアップした。

 ほっ、とした空気が流れる。忘れかけていたが、ここが本物のダンジョンだったら毒ガスで全滅する可能性もあったのだ。


 アンジェラは無意識に練習用ダンジョンと高を括っていた自分を恥じる、常在戦場の気持ちは大切だろう。


「扉には鍵も掛かってるね、ちょっと待っててね」

 罠の解除に成功して心に余裕の出来たシナモンは瞬く間に扉の鍵を開けた。


「開いたよ。さて、こっそり伺うか、一気に突入するか?」

 皆が一斉にアンジェラを見る。


「え? 何ですか? 何で皆で私を見るんですか?」


「いやだってリーダーはアンジェラちゃんでしょ? 指示してよ」シナモン


「我々は姫の命令を待っているのですぞ!」くまぽん


「(黙って頷く)」ゲオルグ


「え? でも私、リーダーとかやった事ないし…」


 ずっと1人で生きてきて、今仲間が居るだけでも浮かれている状態だと言うのに、リーダーとして指示をしろとか無理に決まっている。


「だってボク達を巡り合わせたのはアンジェラちゃんなんだよ? キミがいなかったらくまぴーは死んでたし、パーティも組んでないからゲオっちだって仲間になってなかったよ?」

 シナモンの言葉に驚かされる、一匹狼の自分が人と人を繋げる立場になっているとは。


「おい待て、くまぴーって何だ? 由緒正しい吾輩の名を勝手に改変するな!」

 …まぁこの人はいいか別に。


 ゲオルグは苦笑いをしている。


 ふと隣で鼻を啜る音がした、クリスの様子が妙だ、声を殺して泣いている様に思えた。

「ど、どうしたんですかクリスさん? どこか怪我しました?」慌てて聞く。


「ううん、違うの。ちょっと嬉し… じゃなくて目にゴミが入っちゃって、大丈夫だから気にしないで」

 そう言って笑ってみせる。この雰囲気は見覚えがある、以前どこかで出会ってはいまいか?


「あの、以前どこかで…」


「さ、みんな待ってるよ、どうするか決めてあげて!」

 はぐらかすようにクリスは言う、ゆっくり話す機会があったらまた聞いてみようか。


「中の様子は何か分かりますか?」シナモンに問う。


「うーん、聞き耳してみた限りでは何も聞こえないかな、微かに水の音がしている様な気もする。響きの感じだと中は結構広いよ」


「ではこっそり窺いましょう」


 シナモンが中を覗き込む、扉のすぐ先に先程と同様の落とし穴が掘ってあった。

「ビンゴだね、突入してたら穴に落ちてたよ」

 危なかった、扉の通り方ひとつとってもこれだけストレスになるのか。


 部屋の中は自然の洞窟を改造したのか鍾乳洞の様になっていた。広すぎてランタンの明かりでは部屋全体を見通す事は出来ないが、50メートル程先に奥へと続く扉そのものが発光しているのが見える。


 部屋の床は全面に湖の様に水を湛えている、そしてそのほぼ中央の水面に高さ2メートル程の細い柱が立っており、上部に射的の的の様なものが付いている。

 水は深く見える、少なくともランタンの明かりでは底が見えない。


「ふむ、向こう岸へ渡らないといけないようだね、泳いで行くか、何か他の仕掛けがあるのかしら?」

 シナモンが周りを見渡す。


「時にみんなは泳げるのかな?」


「私は… 得意じゃない、25メートルくらいしか…」

 学校のプールの時間とかずっとサボっててまともに泳いだ記憶が無い。ああ言ったが10メートル位で溺れる自信がある。


「俺も川で遊んだくらいしか無いな。でも今日は行けそうな気がする、調子がいいんだ」

 おいやめろ、それ絶対死ぬやつ。ゲオルグは目を離さない方がいいかも知れない。


「……」

 くまぽんはそっぽをむいたまま無言だ、深くは聞くまい。


「じゃあ泳ぐのは無理、と。まぁこの水、無茶苦茶冷たいから泳ぐと絶対良くない事が起きるよ」

 シナモンが水に差し込んだ手を振りながら言った。


 アンジェラも手を入れてみる、本当に氷の様に冷たい、これを泳ぐのは得策ではない、ていうか無理。


「まぁあのあからさまに怪しい的をどうにかすれば良いとは思うけど、罠の可能性もあるんだよね、どうしよ? リーダー?」


 また決断か。あの的を攻撃して天井が落ちてくるとかの罠が有るかも知れない。しかし先程の様に調べようにもシナモンをあそこへ送る手段が無い、山勘しかないでは無いか。


「攻撃してみましょう、不測の事態に備えておいて下さい」


「ではお任せ下さい!この紅魔族随一の風使いがあの的を吹き飛ばして見せましょう!」


 くまぽんが大仰な身振りと共に呪文を口にする。

『静寂に眠りし風の刃よ、我が力と為せ、風刃ブレード・オブ・ウインド!』


 くまぽんの頭上の空気が回転ノコギリの様に回り始め、それが謎の的へと飛んでいった。


 おぉ、なんか初めてまともなくまぽんの魔法を見たような気がする、ちょっとカッコイイではないか。


 空気の刃は真っ直ぐに的に向かって飛んでいき…その1メートル程手前で消失した。

「な?」くまぽんの顎がカクンと落ちる、いい所を見せようと頑張ったのは理解してやりたい。


「魔法の射程外だねぇあれは、凄く絶妙な場所にあるよ」

 と言ってシナモンも弓を引き絞る。


「ボクの弓矢でも届かないかも、ね!」

 そうして撃ち放たれた矢は緩やかな放物線を描いて的に命中した。


 そのまま的の柱は倒れ、ゴゴゴゴと大掛かりな仕掛けが動きだした。

 やはり罠だったか? と一同が身構えた瞬間に足元の水を割って橋が現れ向こう岸の扉への道が作られた、どうやら正解だったようだ。


「ふん、これで勝ったと思うなよ!」


「いやいや、くまぴーの魔法のおかげで距離の修正が出来たんだから勝ち負けじゃなくて2人の友情パワーの賜物だよ」


「そ、そうか? やはり吾輩の力無くしてはダンジョン攻略など不可能なのだよ! ワハハハハハ!」

 くまぽんは上機嫌で橋を渡って行った。


 シナモンが「操縦法見つけちゃったね」と耳打ちしに来た。やれやれ、これだから男子は……。


 仕掛けの橋には特に罠は無く、奥の扉にも罠も無く施錠もされていなかった、さぁ次の部屋だ。

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