第38話 寂しがるといけないのだ


 

 

 嬉しい誤算というか、エイスキュー狩りにはさっそくレフィの投擲が役に立った。

 

『く、らっ!』

「いくのだ!」

 

 音指が響き、エイスキューの落下地点にクーが走りこむ。鳴き声を上げ牙を剥くその小さな体を、強化された羅漢の爪が捉える。マナの高い音と共に、光が降りてくる。

 クーが持ち帰ったクリスタルを俺に渡し、レフィは拾い上げた石でまた次の一匹を狙う。今度は投石によろめいたものの枝から落ちることはなく、「キィ!」と敵意をむき出しにしてこちらへ飛び込んでくる。

 

『くら!』

「ふんぬ!」

 

 レフィへと飛び掛ったイキモノは空中で真っ二つになり、すぐに消失する。

 

 どうやらクーは木登りがそこまで上手くないらしく、そしてエイスキューは石を直撃さえさせれば怒らせることができることを今日初めて知ることになった。

 俺はいつものようにクリスタルと薬草を集めているだけだ。音指の出し手はレフィで、『くら』は『クー、羅漢』の略である。まずレフィが投石でエイスキューを撃ち落す、ないしは怒らせて、クーが音指で範囲を強化した羅漢で仕留める。

 練習も兼ねた狩りではあるけれど、こうなってくると俺は本格的にやることがない。

 調合用の材料を集めるくらいのものだ。

 

『くー、らあ!』

「のだ!」

 

 レフィひとりで狩っていた時に比べれば狙いも甘く、狩り漏らしも多いけれど、今日中に狩り終えるには十分なペースに見える。そのままハウジールドを狩るほどの時間は残らないだろうから、妖精とエイスキューと、羅漢を覚えるのに使用したボリアの残りのクリスタルを担いで街へ向かい、スレイジングを覚えたところで今日はおしまいになるだろう。

 

 

 

「――――んげえっ!」

「……大丈夫です?」

「おなかが、んえー、ってなるのだあ……」

「最初は仕方ないんだろうなあ」

 

 スレイジングの挙動は実際に見てみると確かに奇妙だった。

 まるで見えない壁に激突するかのように、全速力のクーが急停止する。勢いが一気に弱くなるならまだしも、完全に、次の瞬間に停止しているのだ。

 一度目のスレイジングでもクーの目玉が飛び出そうになっていたけれど、覚悟を決めた二回目になっても、やはり気持ち悪さは拭えないらしい。衝撃を軽減するとは言っても多少は残るし、そもそもクーのトップスピードが速すぎるせいもあるだろう。

 

「音指を試してみるか」と俺は提案する。

「またやるのだあ? くるしいのヤなのだ……」

「音指を使えば完成度が上がるからな。これから練習をしたとしてその苦しさが多少は楽になるのかどうか試してみたい」

「わかったのだ、やるのだ」

 

 レフィが「わたしがやります?」と訊ねるので、今回は俺がと答える。

 できるだけ完成に近いものを経験させてあげないと、練習も嫌がるかもしれない。

 

 しかし、そうだな。

 普通にヤるのも味気ない。

 

「いくぞ、クー、走り回れ」

「ん! いくのだ!」

 

 相変わらずの足音を立てながら、クーが平原を駆け抜けていき、そしてまた全速力で戻ってくる。俺は間に合いそうな距離を測って、口を開く。

 

『クー、スレイ、ちょく

 

 びた。

 

 数瞬前までデタラメなフォームで駆け抜けようとしていた少女が、とても良い姿勢で目の前に出現した。寸前に巻き上げた土煙だけが彼女をゆらりと追い越していく。

 クーが真顔で固まっている。

 あまりにも馬鹿げた光景に、俺は口を塞いで顔を逸らした。

 

「ど、……ふっ、どうだった? クー?」

「な、なんともないのだ。すごいのだ。……な、ニトもレフィも何を笑ってるのだ!?」

「い、いえ、あの、ふ、くく……」

「いや、すまん……、ふ、良かったぞ、うん」

「なんなのだ!? なんなのだあ!?」

「だ、だって、そんな顔で、ふふ……」

「いまのは俺も悪いけど、クーも悪いな」

「クーが何をしたのだ!? 一生懸命止まったのだ!!」

「そうだな、そうだよ。本当にそうだ」

 

 レフィがいまだに肩を震わせている隣で、俺は軽く目尻を拭った。

 

「練習すれば負荷は減るってことがわかれば十分だ。羅漢はどうせ狩りで使いまくるから問題ないかもしれないけど、スレイジングも練習しとくんだぞ?」

「止まるのをれんしゅーするのだ? うーん……」

「いつか強い武器になるよ。頼りにしてるぞ、クー」

「ニトがそういうなら仕方ないのだ」

 

 クーは一見わがままなようで聞き分けがいい。

 どうか趣味で走るついでに練習しておいてもらえるとありがたい。

 

「よし、今日は帰るか」と俺は振り返る。

「ニト! ニト!」

「どうした? クー」

「ほーこく! してないのだ! ほーこく!」

「ああ、そうだった」

 

 けほんと一つ咳払い。

 

「まずレフィは……」

「クーから! クーからなのだ!」

「お? まあいいけど。……クーは朝からレフィの練習に付き合ってくれて、その後も真面目に狩りをしてくれたおかげで一日でエイスキューが終わりましたー。羅漢の使い方も上達していると思われます。その上大事な技であるスレイジングをしっかりと習得できました。約束通りここから先のクリスタルは全部足の速さに回していこうと思います。今日一日頑張ってくれたクーに拍手―!」

「はくしゅー」

「んっ! ニト! んんっ!!」

「うん?」

「んっ!」

 

 クーが頭突きでもするような勢いでこちらにつむじを見せ付けてくる。

 なんだこれ。撫でろということでよろしいか?

 

「……はい、よく頑張りましたー」

「んふふ! 頑張ったのだあ!」

「そうだなー」

 

 手の赴くままにわしわしと撫でると、クーはくすぐったそうに笑った。

 せっかくなので入念に、髪の一本一本の流れを感じ取るがごとく手のひらに全神経を集中する。つむじのまわりから、おでこの周辺。耳を軽く掻いて、また全体に。なでくり、なでくり。

 本当になんだこれは。

 報告会は俺へのご褒美か?

 

「…………」

「……レフィ、ヒトに向かって“頭を吹き飛ばされて死ねばいいのに”だなんて、そんな物騒なこと思っちゃいけないよ?」

「そこまで思ってませんっ! なんですかいきなり!?」

「レフィ、俺たちはパーティだ。命を預けあう仲間だ。未来を共に生きていくかけがえのない存在だ。だからわかって欲しい、レフィ。君はまだ知らないかもしれないけれど、ヒトは頭を吹き飛ばされたら死んでしまうんだよ」

「ほんとに吹き飛ばされてください!! 知りません!」

「しかし聞いた話によると首がなくなってもヒトは少しの間だけ存えるというから、きっと俺の頭が吹き飛ばされて大事な器官や血管がぶちぶちと音を立てて千切れたとしてもほんの少しの間は……」

「もっ、もういいですう!! やめてください気持ち悪い!」

「おこられちゃったよ、クー」

「さもありなのだ」

「おっ、難しい言葉知ってるなあ。でも略し方が少しおかしいな?」

「意味はよく知らないのだ」

「そうかそうか、クーは賢いなあ」

 

 俺がクーに笑いかけると、クーもにひーと白い歯を見せた。

 うむうむ、よかよか。

 

「さて」と俺はクーの頭をぽんぽんとして、手を離す。

「それで、今日のレフィは朝から音指の最適化という難しいことに取り組んでもらいました。すでに固まっている名前という概念を練り直すのは容易ではないけど、一つずつ丁寧に決めてくれました。狩りでは上手に魔物をおびき寄せて、さらには短縮した音指を併用しての実戦までこなしてくれました。おかげでクーのエイスキュー狩りはスムーズに終わりました。今日も大活躍だったレフィに拍手―」

「しゅー!」

「…………」

 

 レフィはまばらな拍手に見向きもせず、口を尖らせた。

 姫様はご機嫌ななめのようだ。

 

「……昨日も夕飯を終えたあとも休まず技の習得に取り掛かって、その中でも治癒魔法の上達は目を見張るほどになっていますー。疾砂の位置の指定は問題なくなっていますし、沙煙も少しずつ自分からズラせるようになってきています。絶えず練習を続けるレフィの向上心に拍手―!」

「しゅううー!!」

「…………」

「………………さらには身だしなみにも気を配り」

「も、もういいですう! ありがとうございますう!」

 

 ヤケになったように感謝を述べて、レフィは頬を膨らませた。

 隣のクーが意味深な目でこちらを見上げ、俺も軽く眉を上げた。

 

「いつもボリアを上手に焼いてくれて、ほんとに感謝だよなあ、クー?」

「いっつもおいしいのだ! さいこーの味なのだ! いつもありがとうなのだ!」

「…………っ、……!!」

「った!? いたいのだ!?」

「痛い痛い、レフィ痛い」

 

 俯き加減にツカツカと歩いてきたレフィが、顔も上げずに数回の肩パンを食らわせてくる。なにかを察したようにクーがレフィの顔を覗き込み、そして満面の笑みを浮かべて抱きついた。

 

「うはははっ! レフィ! レフィー! うははっ!!」

「なっ、なんですかあ!! もう!!」

「レフィー、好きなのだあー!」

「そっ、そ、それはどうもありがとうございますう!!」

「んふふふふっ」

 

 ふて腐れたようにクーから顔を背けるレフィは、それでも鼻の先まで綺麗に赤くなっている。弱りきった高い声は少し震えていて、泣き声のようにも聴こえた。

 ああ、ふわふわの茶色い毛と、さらさらした真っ黒な毛が触れ合う様はなんとも、眼福というよりほかにない。素晴らしい。

 世界平和をご馳走様。

 

 

 

    *   *   *

 

 

 

 ハウジールド狩りはなかなかに苦戦を強いられた。

 というのも司令レフィンダー目線で見ると、もう少しやり方を工夫できるのではないかと悩んでいたのに結局ゴリ押しで終わってしまったからだ。それもクーが正面から腕に噛み付かせて羅漢で殴るという荒業っぷりである。

 アグニフの比じゃないクーのマナ硬度は大してクリスタルを獲得していないにも関わらずハウジールドの牙がまったく通らない程だった。しかしながらクーの攻撃も、自由な状態のハウジールドにはまったく当たらなかった。

 

 最初だけ自由に戦わせてみたところ、クーの苦手なことが何なのかがわかってきた。

 まず足場が悪い場所ではそこまで素早くは動けない。森育ちというわけでもなく、あくまで平地での走りが趣味だったのだろう。トップスピードは半端じゃないけれど俊敏性に欠けるため、細かい前後左右の動きには弱い。

 そして彼女は相手の動きを予測するのが絶望的に下手だ。

 すでに避けられた場所へ羅漢を放っていたり、ひたすらハウジールドの尻を大回りで追いかけていたりと無駄が多く、反撃に噛み付かれたところへやっと羅漢を当てられるという場面が多かった。

だったらいっそのこと、どっしりと構えてぶん殴ればいいのではということで決着したけれど、それ以降に代替案が見つからなかった。俺としても情けない。


「誰からにする?」

「うーん、悩みますね……」

「なやむのだ」

 

 日の暮れかかった薄暗い平原。

 ぽつぽつと生えている細い木のそばで俺たちはそれぞれ腰掛ける。朝に出発して休憩を挟みながら歩いてきたけれど、今日はここまでのようだ。


 ボリアの平原とは通りを挟んで北側。魔物も出ない安全な平原は、ここからさらに北に目を向けると、奥に薄暗い森が広がっている。目で見える範囲よりもかなり広大で、この大森林ひとつに様々な魔物が住み、エリア分けされているというほどの大きさである。

 入ってすぐに黒い鳥の魔物が出るエリアになっているけれど、今回はギルドへの参加を第一に考えて狩りを見送ることにしている。

 日が沈む前からレフィが遠くに見える森をちらちらと見ていたから、本心としては気になって仕方がなかったのだろう。ギルドの件が決着して、物資にも余裕が出来たらまた遠征に来ようと思う。

 

「じゃあ、俺が最初にするか」

「そうですね」

「わかったのだ」

 

 俺は地面に敷いた薄いシートの上に寝転がる。

 ぱちぱちと音を立てる薪は、倒れていた木や枝をクーの羅漢で加工してもらったもので、これがなかなか良く燃える。旅用のマントは掛け布団にちょうど良く、これもまた耐火仕様になっていて、レフィの薦めで購入したものだった。

 

 仰向けの空に広がる紺色。星はまだ見えない。

 わずかに空間が揺れて見えるのは、魔法工具店で購入した野営用の魔法具の効果で、魔法による盾ほどの強度はもちろんないけれど、薄い空気の膜で周りを包んでくれるというものだった。これもレフィが以前のパーティで使用していたものらしく、かさばらないのでテント代わりに最適である。ただ、とてつもない豪雨や地面が湿っていくことは防げないというので、あまりに酷ければ素直に雨宿りができる場所を探すべきだろう。

 

 目を閉じると、薪の弾ける音のすきまにさらりと紙の擦れる音が聴こえる。荷物になるものはほら穴に置いてきたけれど、便覧だけはレフィが持っていくと言って聞かなかった。

 長い夜を過ごすにはちょうどいいのかもしれない。火の粉にさえ気をつければ。

 

「…………ぃぇっ」

 

 遠くで、クー情けない声が響いた。

 彼女も彼女で暇つぶしにスレイジングの練習に取り掛かっているのだろう。子守唄にはならなそうだ。ちょっと面白すぎる。

 俺は軽く鼻で笑って、目を閉じる。

 

 昨日の狩りは、どうするべきだっただろうか。

 疾砂でハウジールドを捕まえるにしても木の根が邪魔だった。跳ね回るような動き方も少し厄介だった。地面が平らか、もしくはボリアのような鈍重な動きであればまだ活用できたとは思うけれど、今回は両方とも条件が悪かったように思う。

 狩れればいい、というのは実際その通りではあるけれど、昨日のようなやり方はいつか通用しなくなるだろう。敵の動きを止められないとなれば、本格的にクーの戦いへの意識改革が必要になってくるかもしれない。

 時間はある。クーの屈強なマナに頼っていられる間に、どうにかしよう。

 そんなことを思いながら、炎の揺らめきを目蓋の裏に感じているうちに、次第に。

 

 ――――――――――。

 

 

 

 

 

「――――なのだぁ」

「順番ですから、仕方ないじゃないですか」

 

 黒い世界の端で影が揺らめいている。。

 瞬きを繰り返しながら焦点を合わせると、見えるはずの星空がようやく見つかった。なんとなく体を起こす気にならなくて、二人の会話に耳を傾ける。

 

「でも、でもニトも寝てるのだ……」

「そうですよ? わたしも寝るんですから」

「だ、だめなのだ! それだったら、クーが先に寝るのだ!」

「ええ……? いいですけど、ニトさんの次にはクーが見張りですからね?」

「うぐう……」

 

 なにやらどちらが先に寝るかで揉めているらしい。

 クーの声が聞きなれないほど弱っている。珍しいな、なんて、ぼやっとした頭で思う。首輪を付けて街中を歩き回ったときでもこんな迷子の子供のような声はしていなかった。

 俺は込み上げる欠伸をかみ殺す、のをやめた。

 すぐにふたりの意識がこちらへと向いたのがわかった。

 

「……起きちゃいましたね」

「起こしちゃったのだ」

「起きました」

 

 軽く寝返りを打ってふたりを見ると、クーはレフィのシートに入り込んで身を寄せていた。どこか申し訳なさそうなレフィと、拗ねたように口を曲げたクーの表情が目に入る。

 

「どした?」

「クーが見張りを嫌だって言うんですよ」

「ち、ちがうのだ! クーがひとりになるのは、その、クーはいろいろとよくわからないから、よくわらかないことになるのだ!」

「本当によくわからんな」

「のだ!」

「のだじゃないですよ……」

「うーん……」

 

 俺は唸りながら体を起こす。薪はしっかりと継ぎ足してくれているようで、炎の熱に黒く煤けた先輩の隣には、まだ何も知らないシャキシャキの新入りが並んでいた。

 

「いいよ。レフィは先に寝な。クーも眠かったら寝ていいぞ」

「え、いいんです?」

「ふ、ふたりいるなら見張りはできるのだ!」

「どっちだ」

 

 俺が思わず吹き出すと、クーはしおしおと頭を垂れた。

 まあ、なんとなく俺も、思うところがなかったわけではない。

 

「じ、じゃあわたしは寝ますけど……、ほんとにいいんです?」

「いいよ。なんだか思ったより寝た気がするから、俺はしばらく大丈夫そうだ」

「わかりました」

「クー、そこ、空けてあげないと」

「あっ」

 

 慌てたようにクーは自分の場所へと戻り、レフィはもぞもぞと身を横にしてマントを被った。いまがどれくらいの時間かはわからないけれど、素直に横になったところを見ると彼女もかなり眠かったのだろう。連日の狩りと練習でお疲れである。

 

 俺は身を起こしたままじっと目を閉じて、炎の暖かさを感じる。

 西の街ならば暖を取れる魔法具なんかも取り揃えているだろうか。もちろんボスメーロのお店でもそういったものは扱っているけれど、ほとんどは室内用というか、各家庭で使うような大型のものしか置いてなかった。旅に携帯するにはもう少し小さくて持ち運べるものが欲しい。

 

「……に、ニトは寝ちゃだめなのだ」

「わかってるよ」

 

 俺は苦笑しながら目を開ける。

 ちらちらとこちらを伺うクーと、少し飛び出した口元がなんだか面白い。クーの言い分は傍から見ると自分勝手に聴こえるけれど、なんとなく俺にはその真意が掴める気がした。

 とやかく言い返すつもりもない。

 クーもクーで大変なのだろう。


 予想通りというか、すぐにレフィの寝息が聞こえてくる。

 それを確認して、俺はクーに小さく手招きをした。俺の様子を伺っていたクーが目を見開いて、少し逡巡してから、罰の悪そうな表情でのそのそと移動する。

 そしてそのまま俺の隣にぽすんと収まってしまった。


「…………」

「……」

 

 ぱちん、ぷち。

 新人が初めての熱に悲鳴を上げる中、俺とクーは無言で身を寄せ合う。

 普段であれば当たり前のように腕の中に飛び込んでくるくせに、そのしおらしい様子は一体どういうことだ、なんて、そんな野暮なことを言うつもりはない。

 なぜなら、これはクーにとっても不本意なのだろうから。

 

「……クーの里は」と俺は口を開く。となりの少女がびくりとしたのがわかった。

「ヒトは多いのか? 友達はたくさんいた?」

「……いっぱいいたのだ」

「そうか」

 

 それだけ聞いて、俺は適当な枝を一本つかみ炎の中へと放った。

 

 彼女がどうして壁や崖や岩なんかに激突していたのか気になってはいた。

 クーはその反応からして、自分が街の住民に良く思われていないであろうことに気付いていた。にも関わらず、しばしば街の中を走り抜けていた。そして何の被害も出してはいなかった。

 あれだけ人通りの多い場所を無事に走り抜けることができるクーが、見晴らしの良い平原で壁やら岩にぶつかるだろうか? 本人は速く走りすぎた、だなんて言っていたけれど、どれだけ速くても遠くからずっと見えている障害物を避けられないはずがない。少なくとも、俺が出会ってから知っている彼女は、そんなヘマはしない。練習ですら止まるのが嫌いなのがクーという少女だ。

 

 だから、こんな想像をしてしまうのだろう。

 彼女は壁を避けられなかったのではなくて、“見えなかった”のではないかと。

 物理的な何らかの要因が、彼女の視界を塞いでいたのではないかと。

 

 ――――レフィが寂しがるといけないのだ。

 

 街のヒトには嫌われている。それでも街の中を走ることをどうしてもやめられなかった理由は。望まない力のせいで、大好きだった里をひとりで離れることになってしまった彼女が、それでも他人のいる場所へと足を向けた理由は。

 

 …………きっとこれは邪推なのだろう。

 普段から俺かレフィにくっついて離れないところも、その年齢の割りにハスキーがかった声も。きっと理由なんてないのだろう。彼女が元からそういう子だったというだけの話だ。意味なんてない。けれど。

 けれど、ただ。彼女がヒトの体温を求めているときに、それを拒絶することは、おそらく俺はしないのだろうなと、そう思うわけだ。

 

「…………スゥ」

「寝てんじゃねえか」

 

 口の中だけで静かに突っ込みを入れておく。

 俺は鼻から息を吐いて、眠らない程度に目蓋の力を抜いた。

 

 レフィが次に起きるまで、まだだいぶ時間が掛かりそうだ。

 

 

 

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