第25話 スコールのクー
「やっぱり信じるのだ!」
「ええ……」
復活して開口一番。彼女ははっきりと言い放った。
司令は嘘つきだとかいうくだりは一体どうなったのか。
「クーのなまえは、クーシェマ・フェンリウルというのだ!」
「……おお、長いですね」
「クーでいいのだ!」
「短いですね」
自らをクーと名乗った少女に俺は率直な感想を述べておいた。
続いてレフィが改めて名乗ったので俺も簡単に自己紹介をしておく。どうやら先ほどはパンのことで頭がいっぱいだったらしく、クーはまるで初めて聞いた名前を覚えるかのように、二、三回復唱した。
「ごはんおいしかったのだ! ありがとうなのだ! あれはなんていうのだ?」
「あれって? もしかして食べたパンのことですか?」
「パン! パンおいしかったのだ!」
「パンを知らないんですか……」
「クーは肉しか知らないのだ。パンもいいものなのだ! おなかがすいてしぬところだったのだ!」
クーの返答に俺とレフィは絶句する。とんだ野生児がいたものだ。
肉しか知らないというが、お腹が空いていたのであればボリアを狩ればよかったのではと思ってしまうが、それをしていないとすると一体何を食べていたのだろうか。そのへんの草とか食べていたのだろうか。
「クーさんは街の外にいるあいだ、何を食べていたんですか?」
「そのへんの草とか食べてたのだ」
「いやいやいや」
「草によって味がちがうのだ。いろいろあるのだぞ」
発言からは予想もできない草食っぷりに呆れ笑いすら出てこない。このドヤ顔からして嘘をついているというわけでもなさそうだ。雑草の味でマウントを取られたのは人生で初めてかもしれない。
「それで、草を食べて、どうしていたんですか?」
「草を食べてもお腹がすくから、もう少し草を食べるのだ」
「ええ、そうではなくてですね。街の外では何をして暮らしていたのですか?」
「うん? 草は食べてたらだめなのか?」
「いいえダメじゃないです。とりあえず草からは一度離れてもらって。食事以外では何をして暮らしていたのですか?」
「走ってたのだ!」
「……走っていたんですか」
「そうなのだ! 走るのはいいのだぞ!」
「そうですか」
「のだ」
のだ、ではないが。
そんな満足げな顔をされても困る。何の情報にもなっていない。草を食べて走っているだけだ。いよいよ草食動物に近づいてきた。
「レフィさん、僕は何か聞き方を間違っていますかね?」
「い、いえ、まちがってはないと思いますけど、その」
「その、なんです?」
「と、とりあえず着替えを先にするべきだと、おもいます。その、ニトさんも成人されている方ですし、クーさんもそのままの格好というのはちょっと、いろいろとよくないとおもいますので……」
「ああ、まあ、そうですね」
「ニトさんはちょっと、あっちのほうを向いていてください!」
「はーい」
「ん、んん? なんなのだ?」
俺はレフィに安物の黒いローブを渡すと、川の見える方へと振り返った。遠くの景色には、沈みかけの夕日が明日の再会を固く誓っていた。
先に宿へ行くべきだろうか。かなり大き目のローブを買ったから、すっぽりと被ってしまえば例の少女だとは気付かれないだろう。
ここなのだ? そこは頭です。
こっちが腕なのだ? ああ、そうじゃなくて。
下着くらいつけてください! したぎってなんなのだ?
背後の賑やかな会話を耳にしながら、今日を生き残ったボリア達が平原の奥へと集まっていくのをなんとなく見つめていた。ボリアは動物ではないけれど、これだけ人間の暮らしの近くに生息していては草原の草を食べて帰るだけでも一苦労だろう。それでも巣を変える気はないのだろうか。そもそもがエリアのマナと切っても切れない関係なのであれば仕方がないのかもしれない。
「ニトさん、もういいですよ」
「べつにクーは見られても気にしないのだ」
「そこは気にしてくださいっ!」
レフィはうるさいのだあ、なんて言葉を聴きながら振り返ると、ぶかぶかなローブに身を包んだクーがそこにいた。なかなか似合っているなあと、センスのかけらもない俺はそんな感想を抱くけれど、アレではすこし動きづらいかもしれない。必要であれば端を切って短くしよう。
「クーさんの尻尾は太いですね……」
「レフィが細いのだ」
お互いに尻尾を見せ合って意見を言い合う。
レフィのしなやかな尻尾に比べると、クーのほうは量が多いというか毛が長いというか、大変ご立派な尻尾を持っている。混じりけのない完全な黒色というのもこれはこれで上品な色に見えてくる。いまはボサボサではあるけれど、しっかり手入れがされればそれなりに見栄えがするのではないだろうか。
「んー……」
ローブのお腹のあたりを引っ張ったり、裾をまくってみたり。
クーは下向き加減に目に付いた部分をいじってまわる。ボロを着ていたときにも思ったけれど、確かに上半身を見ると食べていないだけあってかなり痩せているように感じられた。けれど、その脚は種族によるものか走り続けた結果か、その背丈にしては太く発達しているように見える。
これで食べられるようになればもう少しバランスも良くなるのだろうか。
「ん」
小さく声を上げて、ローブを手繰り寄せて匂いを嗅ぐ。
無防備に向けられた脳天に、俺は腕を組む。
悪くない。
断じて悪くない。
これはこれで、なかなかのおはちだ。
まず耳の大きさと形がいい。両脇から指で挟むように撫でる際に、あれだけの大きさがあれば間違いなく良い手応えを得られるはずだ。そしてシルエットの丸み。レフィのクセッ毛は撫でることと一緒に毛の柔らかさや指にかかる感触を同時に楽しめそうなところが満点ではあるけれど、クーのようなストレートな髪にはそれがないかわりに頭の形がわかりそうなほどの美しい曲線が素晴らしい。きっと手に馴染むであろうことがわかってしまう。レフィの頭が“触る”ためにあるとすれば、クーの頭は“撫でる”ことに最も適していると言えよう。甲乙付け難し。
「フードもあるんですね」
「お?」
レフィがクーの背中に手を回して、それをぽすっとかぶせた。「おー?」と戸惑いながら、クーは自分に被せられたフードをぽふぽふと触った。ケットシーやクーシー用に耳の形まで作られている。安物にしてはなかなかではないだろうか。
ローブの黒が髪の色に似ているため、すこし日に焼けた手足と顔以外は真っ黒という、わかりやすいツートンカラーが出来上がっている。違うのは白い歯と瞳の色だけだ。
「なんだか、いい感じですね」とレフィ。
「似合うのだ? いいかんじなのだ?」
「シンプルでわかりやすくて、似合ってると思います」
レフィのお墨付きをもらえたということは、似合っているという認識で間違っていないらしい。適当に手に取った服だったけれど、ボロクソに言われなくて助かった。
「さて」と俺は切り出す。「本題に戻りましょうか」
「えっと、なんでしたっけ?」
「なんなのだ?」
「僕も忘れました」
「ニトさん?」
「……クーさんが外で何をしていたかですね。草を食べて走っていたとだけ聞きましたが、それ以外には何をしていたのかなと。狼の姿でも目撃されているわけですから」
「あっ! そうなのだ!! ニトはなんでそれを知ってるのだ!? 里にともだちがいるのか!? ニトってなまえは聞いたことなかったのだ!」
「すいません、クーさんの里については知りません。ただそういった種族がいるということは知っていたので、クーさんもそのひとりかなと思いました」
「へええっ! よく知ってるのだなー? そとのヒトたちはだれもしらないって言ってたのだ。里のひみつなのだ。なんで知ってるのだ?」
「ちょっとだけ物知りなんです」
「そうなのだ? ニトはすごいのだなー」
「物知りで片付けないで欲しいですけど……」
クーは感心したように頷き、レフィはどこか疑うような視線を向けたあと、諦めたようにため息を吐いた。ごくごく限られた種族の、しかも秘密にしている変身能力について知っているともなればさすがに怪しまれても仕方がないか。
「わたしやニトさんは見ての通りケットシーですけど、クーさんはクーシーの方です?」
「くーしー? ううん? よくわからないのだ」
「種族名は知らないんです?」
「あー、しゅぞくか! みんな言ってたのだ。『ほこりたかきしゅぞく、われらはすこーるのまつえー』って里のじじばばがよく言うのだ。意味はわからないのだ」
クーの物言いに、レフィが首を傾げた。
「すこーるのまつえー?」
「スコール種の末裔ってことですかね」
「そうなのだ。わたしたちはすこーるなのだ!」
「ニトさん、スコール種っていうのも知っているんですか?」
「いや、種族名までは……、初めて聞きましたね」
「みんなつよいのだぞ!」
クーはあごを上げて、むんと胸を張った。
そりゃあ、一族がみんなあのでかい狼に変身できるとしたら強いに決まっている。
「それで」と俺は切り出す。「そのスコールのクーさんはどうして狼の姿でうろついていたりしたんですか? 街ですごく噂になっているんですよ。大きな黒い狼が出るって。実際に僕とレフィさんも狼の姿のクーさんに会っていますし」
「えっ!? そうなのだ!?」
「覚えていませんか? 花畑の近くの道です。小走りに近づいてきて、僕たちの目の前で止まって、そのままどっかへ行っちゃいましたけど。そういえば怪我もしてましたけど、大丈夫ですか? 何と戦っていたのですか?」
「あー……」
クーは珍しく考え込むような表情になる。
前髪で見えないけれど、そこまで深い傷があるようには見えない。
「ごめんなのだ。あれになってるときのことはあんまり覚えてないのだ」
「覚えてない? なにか強い魔物に出くわして変身したんですか?」
「…………頭をぶつけるのだ」
「はい?」
「走ってて、たまにかべにぶつかるのだ」
「……? クーさんは何を言っているんですか?」
「クーはすこーるとしてはまだまだなのだ。まだじぶんであれにはなれないのだ。走るのが好きだから走ってるだけなのだ。でもたまに止まれなくてかべとか岩に頭をぶつけるのだ。それで、気がつくとちがうところにいたりするのだ。けがもないのだ、ほら」
「……えーっと、ちょっとまってくださいね」
前髪を上げておでこを見せるクーに、俺の方が頭が痛くなる。
彼女の証言をまとめるととんでもなくマヌケな結論に至ってしまうのだが、本当にこれでいいのだろうか。
「クーさんは走るのが好きだ、と」
「そうなのだ」
「それで走っていたら、あまりに速すぎて止まれなくて、壁や岩に頭をぶつけて重症を負って、命の危機を感じたことで本能的に変身してしまって、そのまま変身後の治癒力で傷が治るまで過ごしていた、ということですかね?」
「なるほどー、そういうことなのだ?」
「いや、僕が聞いてるんです」
「に、ニトさんちょっとまってください」
割って入ったレフィに俺は目をむける。
「変身後の治癒力って……、あんな傷が放っておいて治るものなんです?」
「……
「そういうものなんですか……」
「そういうものなのだ?」
「クーさんはちょっと、ほんとに、お願いしますよ」
「おねがいされたのだ」
力が抜けすぎて膝から崩れそうだ。
このあっけらかんとした様子が、当の本人の反応である。
あの夜の邂逅は。息をすることも忘れるほどの恐怖は。それでも俺を守ろうと前に出ようとするレフィの気概は。すべてはクーが速く走りすぎて障害物に突っ込んだことが原因だったというのだろうか。
はっはっは。笑えねえよ。
「な、なんなのだ? ニトもレフィも、なんでそんな目で見るのだ?」
「いや、バカらしくなっただけです」
「そうですね、あんなに怖かった狼が、コレですもんね」
「コレってなんなのだ!? クーはクーなのだ! そんなに怖かったのだ?」
「そうですね。僕はかなり驚きましたよ。イマドキの言い方になりますけど目玉が飛び出そうになりましたね」
「いつの時代ですか。聞いたことないですけど」
冷めた顔のレフィの横で、クーは「ニトはめだまをなくしたのだ……?」と困惑している。
街のヒトもまさか食い逃げ少女があの狼だとは思わないだろう。彼女と依頼と噂をどう片付けるか、すこし悩みどころではある。
「それじゃあクーさんは、ヒトを襲ったりだとか、食い逃げをしたなんてことは一度もないわけですね?」
「そんなことしないのだ! わたしはすこーるなのだ! ……でもなんだか、みんな目がこわいからまちにはいられないのだ」
「乱暴すると思われてますからね。街の中を走っていたのはどうしてですか?」
「……うーん? 気が向いたらなのだ。そととは走りごこちがちがうのだ」
「ああ、舗装されてますからね。そのときにヒトとぶつかったりとかは?」
「してないのだ」
ふむ、なるほど。
お互いの話を照らし合わせてみてもやはり彼女が街で嫌われている理由がわからない。
そもそも事実が食い違っている。クーの言うことが本当なら、彼女は街の中で走っていただけだ。それはそれで危ないと言われればその通りだけれど、街ぐるみで非難されるほどのことではないはずだ。似ている子が悪事を働いて、それを誤解されているというケースも考えられるのだろうか。
いやいや、それもおかしい。被害を受けた店が一件もないのだから、やはりあの噂自体が間違っているということになる。だとすれば噂の出どころはどこだ?
…………あまり考えたくはないが。
「クーさんは」と俺は尋ねる。「ほんとうに走っていただけですか?」
「うん? まちのなかのはなしなのだ? 大きな道を走ってただけなのだ」
「中だけじゃなくて、街の外でも走っていただけですか?」
「そうなのだ。なんでそんなこと聞くのだ?」
「いえ、どこかで誰かとケンカになったり、言い争いになったことはないのかなあと」
「……クーは走ってただけなのだ。悪いことをしたりはしないのだ」
…………ん?
「……外で誰かにぶつかったりとかは?」
「してないのだ。かべとか岩ばっかりなのだ。クーはすこーるだけど、かべとか岩はちょっとあいてが悪いのだ。勝てないのだ。でも走りたいから走るのだ。走れればそれでいいのだ、あとおなかいっぱい食べれたらさいこうなのだ」
「そうですか」
「のだ」
ふん、と頷いたクーに俺も頷きを数回かえしておく。
少しだけ引っ掛かりを感じたけれど、おそらく嘘は言っていないように思える。嘘はついていない。少なくとも。
それだけわかれば、いまは問題ない。
俺は両腕を開いてみせる。
「それなら、話は早いです。正直なところを言うと、僕たちは依頼の報酬が欲しいんです。クーさんを捕まえることと、黒い狼の素性を調べること。このどちらも達成するとお金がもらえるんです。なのでクーさんには是非とも協力してもらいたいなと」
俺がそう言うと、クーはざざっと後ずさりした。
「く、クーを売るつもりなのだ!?」
「そうです、金持ちに奴隷として売り払います」
「うわあ、いやなのだっ! 逃げるのだ!!」
「ニトさん?」
「……っていうのは冗談として。そもそもクーさんが悪さをするから捕まえてくれという話なので、一軒一軒お店を巡って誤解を解けばいいだけです。何もしていないことが本当なら、真摯に話せばわかってもらえるはずですし、例の少女が謝ってまわっているという話が流れれば悪い噂を消すのは難しくないでしょう」
「そ、そんな簡単にいくのだ?」
「基本的には僕が話を進めるので大丈夫ですよ。もうお店のヒトには顔も覚えてもらっていますし。クーさんは隣で大人しくしていてくれれば、それだけで無害なことが伝わるので」
「わ、わかったのだ」
「それと大事なことがもうひとつ」
「まだなんかあるのだ!?」
「クーさんのお仕事を探そうかなと思っています。それだけ足が速ければモノや情報を運ぶ仕事には適していると思います。体力には自信がありますよね?」
「走るだけなら、いくらでも走れるのだ!」
「それならきっと大丈夫だと思います。スコールが戦闘に適している種族なら、街の兵士を目指すのもいいかもしれないですね。なんにしろ、街に関係する仕事に就いてしまえば自然とヒトと関わり合いができますから、すぐに溶け込めるだろうと思いますよ。僕がクーさんとこうして話していても嫌な印象はまったくありません」
「そうか、おしごとかあ、……クーにもできるのだ?」
「真面目にやればお金がもらえますよ。お腹いっぱい食べたくありませんか?」
「そうか! おかね! たべもの!! そうなのだ!」
話は決まった。
あとは明日の動き次第。
いつのまにか夕日の頭すら見えない。夜は忍び足が上手だ。
クーにフードを深くするように言い、西門へと足を向けた。
* * *
有名人というのは、こんな気分なのだろうか。
だとしたらそんな名前は捨ててしまったほうが何かと楽なのだろう。
「く、くつじょくなのだ……」
「がまんしてください」
フードを外したクーの首にはベルトが巻かれ、そこから伸びたロープを俺が掴んで歩く。連行するように、その後ろをレフィがついてくる。
大通り、真昼間のヒトの群れと、奇異な視線と、ペットとのさんぽみち。
飼育するイキモノとしてはすこしデカすぎるだろうか。ヘタに「愛玩用です」なんて答えたら別の意味に捉えられそうだ。
「ほら、三件目につきますよ」
「うう……」
「ニトさんも加減してあげてくださいね?」
「加減したら意味がないですから。…………こんにちはー!」
集まる視線の中、俺は果物屋の前に立ち元気に挨拶をする。陽気な女性の店主さんがそれに気付き、声を上げかけたところでクーを見つけ、目を見開いた。
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