第4話 声紋契約

 

 

 

「おう、ニトじゃねえか。久しぶりだな。つっても、このまえ会ったか」

「そうですね、告別のときは、ありがとうございました」

「そうかしこまんな。言っただろう? パロームさんとこの子なら俺のガキみたいなもんだってよ」

「そうでしたね」

 

 独特の低い声で繰り出される軽口に、俺は笑った。

 

 俺の恩人であり育ての親。パロームおばさんは、その遺言の通り、町の一部になった。

 そのときに、人気のない少し離れた場所でぽつんと立っていたのが、よく店に顔を出してくれていた、このアライクンさんだった。

 あまり派手なことを好まなかったおばさんの遺言には、それでもこの人達には知らせないと一生恨まれるかもしれない、と思った人の名前だけが連ねられていた。なんとも、パロームおばさんらしい書き方だなあと俺は思った。

 そして来てくれた人に、おばさんが手がけた中でも最高品質の香水を配り、最後にアライクンさんの姿を探したところ、死角になった木陰で、大の男が声を押し殺して肩を震わせている後姿を、俺はどうしようもなく見つけてしまったのだ。

 

「それで、どうした、えらい可愛い人を連れてるじゃねえか」

 

 アライクンさんの興味はレフィに向いていた。俺からすると、可愛い人というよりは可愛い子という感じだけれど、どうやらレフィの外見は可愛いという認識で間違っていなかったようだ。俺は少しほっとする。

 

「レフィさん」

「こ、こんにちは、レリフェトといいます!」

 

 俺が促すと、レフィはローブをひしと掴みながら挨拶をした。少し怖気づいて見えるのは、あの頬に傷のおっさんのせいかもしれない。ある程度の年齢の男性が苦手になっているのでは、なんて可能性が頭に過ぎった。

 

「アライクンだ、よろしくな」とおじさんは朗らかに答え、そしてニヤついた顔で俺を見た。

「なんだよー、二ト。女ッ気なんか全然なかっただろう? 隅に置けねえなあ?」

「いえ、彼女は僕の娘です」

 

 俺の答えにおじさんがヒョッと眉毛を上げ、そしてそれ以上の凄まじい眼力が視界の端から俺へと向けられていた。

 

「ニ、ト、さん!? 馬鹿言わないでくださいっ!」

「レフィはこう言ってますが、本当です。ほら、僕と種族も同じですし、髪の色も似ているでしょう?」

「ち、が、い、ま、すう!!」

「い、痛いっ! レフィさん痛い!」

 

 向こう脛をゲシゲシと蹴られる。容赦のない力加減が、彼女の怒りをよく体言していた。

 あ、あ、本当に痛いこれ。

 

「痛い。レフィさんレフィさん、やめて。本当に痛い」

「ニトさんだって成人したばっかなんですから! その子供ってわたしが何歳だと思ってるんですか!? そんなに! 小さく! ないですっ!」

「……たっ! とても痛い! とてもです、レフィさん。とてもごめんなさい」

「まだ馬鹿にしてますね!? はやく訂正して、くだ、さいっ!!」

「はいすいません! はいすいません!」

 

 俺は両手を前に突き出して距離をとりながら、短い足から繰り出される必殺のケットシーキックを必死に避ける。身長差にここまで助けられるとは。

 

「ぬはははは! ニト、お前ほんとパロームさんに似てきたなあ」

 

 豪快な笑い声が響き、俺とレフィは動きを止める。

 お見苦しいところを、と俺が苦笑いを見せ、隣のレフィは頬を真っ赤にしてぷいっと他所を向いた。

 俺は頭をかきながら口を開く。

 

「僕が、おばさんにですか? いや、おばさんはもっと豪気で格好良かったですよ」

「いやいや、真顔で冗談を言うところとか、話し方なんて特にな。あの人の口の悪さは絶品だったからな」

「確かに、それはそうでしたね」

 

 共通の知人に想いを馳せ、互いに笑いあう。

 もっとも、俺とアライクンさんでは感情の種類が違うのかもしれないけれど。

 

「それで?」とおじさんはこちらを伺うように片目を瞑った。

「うちじゃなく、直接協会に来たってことは、……ついに観念したか? ニト」

「自首するみたいに言わないでくださいよ。まあでも、間違いじゃないです」

「あれだけ嫌がってたのに、心境の変化ってやつか? 若さが羨ましいねえ。ま、深く詮索するほうが野暮ってモンだろうな」

「いえ、それが、おじさんにどうしても聞いてもらいたい話もあるんですよ」

「ほお?」

 

 おじさんが興味深そうに瞳を光らせた。

 俺はその薄い色の瞳を、できるだけ真っ直ぐ見返した。

 

「おじさんくらいにしか、頼めないので」

「……」

 

 俺は出来る限り明るい声を出すように努めたが、おじさんの鋭い眼光は厄介な仕事について深く考えているときのソレに変わっていた。

 しばらくして、おじさんはがフッと軽く笑った。途端に空気が和らいでしまう。

 

「まあ、入りな」

「はい。……レフィさん」

「お、お願います!」

「あーいよ」

 

 扉に入る直前、俺は拳をぎゅうと握って、空を見上げる。

 まだ、月は出ていない。

 

 

 

   *   *   *

 

 

 

「ふー……」

 

 待合室のテーブルには水差しと水が半分ほど残ったコップが置かれている。

 俺は椅子の背もたれを存分に味わいながら、だらーっと力を抜いて天井を眺めていた。協会での検査とチューニングがここまで疲れるものだとは思わなかった。

 やっと緊張の緩んだ体は未だ火照りが残り、水を流し込んだ喉はそれでも乾いているように感じてしまう。俺は仕方なくもう一度コップに手を伸ばした。

 

「もうすぐ終わりそうですよ」

 

 その声に、俺は背もたれから体を浮かせた。

 待合室に入ってきたのは、衣装からしてこの支部の職員の一人だろう。さきほどまで姿を見せなかったことからして、事務関係の方かもしれない。

 

「ああ、どうぞ、楽にしてください」

「ありがとうございます」

 

 俺はそっと体を傾け、テーブルに戻しかけたコップをもう一度口に運んだ。

 短髪の男性職員は、俺よりは年上に見えるけれど、それほど離れていないようにも見える。アライクンさんの印象が強いせいで、協会にはそれなりの年齢の人が多いのかと勝手に思っていたけれど、どうやらそうでもないらしい。

 

 協会の人は働く支部を選べるのだろうか。

 だとしたら、この村を選んだ彼もまた、酒飲みなのかもしれない。と俺は邪推してみる。

 

「へーい、お待たせえ」

「お、お待たせしましたあ」

 

 彼の言うとおり、すぐに奥の通路からぐったりした二人組が姿を現した。

 おじさんにいたっては、もはや数年分、一気に老け込んでしまったかのような印象すら受ける。その姿を見るや否や、短髪の男性は小さく挨拶をして入れ替わるように奥の部屋へ戻っていった。

 

 本当に来るのを知らせるためだけに話しかけてくれたのか。

 いい人だなあ。

 

「こんな仕事は初めてだぜ、ったく」

「す、すいません」

「いやあ、お嬢ちゃんのせいじゃねえよ」

 

 どこか恨みがましそうに、しかし充実感のありそうなおじさんの様子に、俺はほっと息を吐いた。おばさんに無理難題を押し付けられてるときも、確かこんな顔をしていたように思う。

 

「アライクンさん」

「んお? ああ、いけねえいけねえ」

 

 さきほどの短髪の男性が、また奥から姿を現した。

 両手に持っている紐のようなものを、男性はおじさんに手渡す。「では後は」「おう」なんて小さなやり取りをして、男性はまた奥へと戻っていった。その様子になんとなく、この支部がどんな感じで回っているのかが想像できてしまった。

 

「いやあ、仕事に集中しすぎたねえ。しっかり者がいると助かる」

 

 そんなことを言いながら、おじさんは男性が持ってきた長い紐を両手にぶら下げた。それぞれ一本ずつ。ネックレスというにはあまりに飾り気がないが、丈夫そうな紐の先には、扉にもあった協会の紋章が吊るされていた。

 

「これが検査の印だ。司令や戦士の証でもある。お譲ちゃんも検査は済んでたみたいだけど、契約がまだだったから渡されなかったのかもしれねえな。ほら、首にかけときな」

 

 俺とレフィはそれを一本ずつ受け取り、互いに顔を見合わせた後、同時に首にかける。そしてなにとなくレフィの様子を伺うと、なぜか彼女もこちらを見ていた。俺はよくわからない気恥ずかしさに襲われ、意味もなく鼻を鳴らし、指先で紋章をいじる振りをした。

 

 それから諸々のアドバイスと注意事項をおじさんから聞かされる。スラスラとでてくる文言は滑らかな順序で語られる。おそらくは協会の決まりとして、初めて契約をした者には権利や条件を教える必要があるのだろうと俺は理解した。

 

「あとは、そうだな、何か質問でもあれば。……うん? お譲ちゃんどうかしたかい?」

 

 俺もおじさんと同じようにレフィに目をむけると、彼女はハッとしたような顔をすぐに俯かせ、困ったように足をもじもじとさせた。

 トイレだろうか。

 

「あ、あの」

「うん、どうした?」

「もう、『指示』っていうのは出来る状態なんですか?」

「指示? ああ、音指ノートのことか」

「のーと、ですか?」

「司令が戦士に出す命令と言うか、指示のことだろう? だいたいはノートとかノードとか呼ばれてるな。地域で呼び方がちょっと違ったりするんだ。それがどうかしたかい?」

「あ、いえ、あの、それって、もう、ニトさんからわたしに、出来たりするんですか?」

「音指が? いやー、どうだろう。音指は普通の発声とは違うらしいからな。オレも獣性の方が高いから感覚がよくわかんねえんだ。普通は知り合いの先輩なんかにコツを教えてもらったりするらしいからなあ。まー、特別に訓練でもしてれば今すぐにでも出来るんだろうが……」

 

 そこで言葉を切って、おじさんは俺にチラっと視線を送ってきた。

 どういう顔をすればいいのかまったくわからない。何の問いかもわからない。下手な意思表示をする訳にもいかず、俺はアイコンタクトを断念し、思い悩むように顔の部位を中央に寄せて首を傾げておいた。僕には何もわかりません。

 

 おじさんは首だけで小さく頷くと、またレフィに目を向けた。

 

「オレもチューニングの確認はしておきたいところなんだが、まー、目の前に魔物がいるわけでもないのにするコトじゃあねえからなあ。特にこんな公共の場はやめておいたほうがいい。何しろ、しかも、お譲ちゃんは女性で、ニトは男だからな」

 

 レフィは、何がなにやら、という風に首を傾げている。

 前半はわからなくもないけれど、後半の内容に関しては俺にもまったく意味がわからない。何ならレフィと一緒になって質問を続けたかったけれど、どうも言葉の節に不穏な何かを感じた俺は、とりあえず真顔を貫いた。僕は興味アリマセン。

 

「まあ確認は二人でしてくれや。それで不備があったらまた来てくれればいい」

「わかりました、それでお代なんですが……」

 

 お金の話をしようとしたところで、おじさんはバッと右手を突き出して俺を制した。

 

「もう外もだいぶ暗いが、もう宿は決めてあるのかね?」

「ああ、いえ、これから街に戻って探そうかと……」

「西の街か? だいぶ歩いたろう? アレなら今日はウチに泊まってけ、ニト。それで酒の相手でもしてくれや。そうすりゃ、ここの分はオレが持ってやるから」

 

 酒の相手。

 つまるところ、話をもっと聞かせろ、ということなのだろう。そう俺は解釈した。

 

「やっ、そんな迷惑かけられないですって」と、俺はとりあえず肩を竦める。

「何が迷惑だ。鼻で笑っちまうよ。どうせ明日から身の回りの装備も整えなきゃならんのだろう? 宿なんかに金を使ってる余裕はあるのか?」

「それは……」

「な? 泊まってけって。そんな汚くはしてねえからよ。さいきん、魔法工務店のヤツに改装させたから、風呂も綺麗だぞ?」

「……すいません助かります」

「おう、助かっとけ助かっとけ。若者は助かっとくのが仕事だ」

 

 帰る準備するから待ってろ、と言って、おじさんは気分上々に奥の部屋へと歩いていった。

 お金は正直なところ、足りるといえば足りるし、足りないといえば足りない。レフィとの活動がどれくらい長期になるのかもわからないし、街の依頼を探すにしても、こなせるようになるまでにかかるお金もしっかり把握できていないのだ。

 

 だからおじさんの申し出は、正直言って本当に助かる。

 父親がいたらあんな感じなのだろうか。

 ちょっと違うか。

 

「ねえ、ニトさん、ずっと気になってたんですけど……」

 

 ふいに、隣のレフィが俺を見上げた。

 不可解そうな表情は、おじさんの懐の深さに驚いているのだろうと思った。が。

 

「どうしたんですか?」

「……“僕”ってなんですか?」

「うっ」

 

 まったく、何も警戒していなかった方向から大きめの石が飛んできた。

 

「いつも“俺”って言ってるじゃないですか、僕ってなんですか?」

「い、いや、俺、そんなこと言ってましたかね?」

「言ってましたよ。アライクンさんの前じゃずっと僕でしたよ。ねえ、なんでなんですか? 何で急に僕になるんですか? どうしたんですか? ねえねえ、ニトさんニトさん」

「腕のいい治療師が知り合いにいるんですよ、紹介しないこともないです」

「わたしの耳は正常ですよ!」

「別に空耳だと思っていただいて構わないですよ、ええ」

「かまいます!」

「俺は一向に構いません、ええ」

「わたしが! かまうって! 言ってるんですよ!? ええってなんですかさっきから! 急にかしこまって! なんでわたしとアライクンさんで対応が違うんですか!?」

「ええ、ええ。わかります、ええ」

「何も分かってないじゃないですか!? その、ええっていうのやめてください!」

「おお……っ!?」」

「なに珍獣を見つけたみたいな顔してるんですか。言い方をちょっと変えればいいってわけじゃないですからね? こっち見ないでくださいよ。ちょっと、やめてください。わたし別に珍しくないです」

「いやあ、綺麗な女性がいるなあと思ったんで、珍獣なんて言葉は頭になかったです。自分で珍獣と思うのであれば、そうなのでしょう。あなたの中ではね。俺は思っていなかったですが、そういうことでしたら構いません」

「珍獣じゃ! ないって! わたしは言ってるんですよ!! 聞いてたんですかっ!?」

「俺は構いません、一向に」

「ほんっとーにムカつきます。この人嫌いです! もういいですう!」

 

 ぷん、と顔を逸らしてしまった少女の、その丸い頬を眺めながら俺は思う。やはり珍獣の気性は荒いのか、と。そんなことを本当に言ったら、また何発かスネにもらいそうだけれど。

 

 しばらくして部屋から出てきたおじさんは、「こっちまで聞こえてきてたぞ?」なんてことを言って苦笑した。

 

 

 

   *   *   *

 

 

 

「お世話になりました」

「お、お世話になりました!」

「おう、なっとけなっとけ。仕事をこなせ若者ども」

 

 朝日を背に、俺とレフィが感謝の意を伝えると、おじさんは片手をあげてひらひらさせた。

 

 おじさんのペースに釣られて少し飲みすぎた。

 けれど、事前に渡された薬の効果は抜群で、恐れていた二日酔いはほとんどなかった。なるほど、こんな薬があるのだから、ここの人たちは毎日飲んでも仕事ができるんだろうな、なんてことを俺は思った。いずれレシピを教えてもらいたいものだ。

 

「おおそうだ、ニト」

「はい?」

 

 俺を呼んだおじさんは四方に目をやり、何か考え事をしてから、再び俺を見た。

 その薄い色の瞳には、俺を見つめる視線には、今までになかった別の感情が含まれているように感じられた。しかし読み取るには複雑に過ぎて、俺にはわかりそうもなかった。

 

「そうだな、二日か、三日か。さすがに三日はかかるかもしれないな」

「何がですか?」

「今日から三日くらい経ったら、いや、それ以降ならいつでもいい。もう一回だけここに顔を出せないか? 渡したいものがある」

「……二人でですか?」

「や、それはどっちでも構わない」

 

 明るく、陽気そうな声色は、まるでちょっとした旅行の予定でも決めているような雰囲気だった。けれどその目だけは間違いなく、これが大事な用事であることを示していた。

 

「……ちょっと僕も事情があって、少なくとも五日間はこられないかもしれないですが」

「ああ、それでかまわねえよ」

「わかりました」

 

 それから二三、言葉を交わして、俺とレフィは村を出た。

 

 

 

「お風呂、綺麗でしたね……」

 

 名残惜しそうなつぶやきが聞こえて、俺は隣に目を向けた。

 

「お風呂、好きなんですか」

「あったかいお湯はいいものです。久しぶりでしたし」

「まあ、確かに気持ちよかったですね」

「あこがれますう」

「憧れますか」

「あこがれますよ」

 

 改装したてと言っていた風呂場は確かに綺麗だった。おばさんの家にはなかった見慣れない設備を思い出す。

 いつか家を持ったら、俺も同じ工務店にお願いしようか。

 

「自分の家が欲しいです」

 

 少女の素朴な呟きに、俺ははたと現実に立ち戻る。

 まさか同じことを考えているとは。

 

「夢が大きいですね」と俺は返す。

「やっぱり、大き過ぎますかね」と少女はため息を吐く。

「いや、いいんじゃないですかね。なんなら豪邸くらい建てる気でいったほうがいいですよ。そうしたら、それを目指してたら、普通の家を建てるくらいのお金はいつの間にか集まってますよ、きっと」

「そういうものですかね。……やけに優しいですね? まだ晴れてますけど、急いだほうがいいかもしれません」

「僕は優しいですよ。特に珍しい生き物には」

「……俺、ってもう言わないんです?」

 

 お互いに視線を合わせて、ばちりと火花を散らす。

 それから程なくして、同時に前に向き直った。

 

「やめませんか」と俺。

「そうですね」とレフィ。

 

 目上の人に対して「僕」と言ってしまうのはただの癖だった。別にポリシーがあったわけでも、なんでもないのだ。

 それならば、隣のちびっ子にいじられることの少なそうな方を俺は選ぶ。でなければいつか、イラついた俺はレフィが呼吸困難に陥るまでくすぐり倒してしまうかもしれない。

 

 ここのところ安定している天候は、そろそろ道端で昼寝している人なんかも出てくるのではないかと思うほど穏やかだった。空に浮かぶ白い雲は、昨日よりもすこし多目に仲間を引き連れている。これから戦だろうか。

 

「そもそも家って、どうやって手に入れるんですかね」

 

 彼女の言葉に、俺はそうかと頭を巡らせる。

 俺自身、もともと誰かが持っていた家に住んでいただけの話であって、自分の家と呼べるものなんてない。さらにレフィは親の顔を知らないというのだから、一つ屋根の下に留まっていた時期すらないのかもしれない。彼女にとっての家というものは、俺とはまた感覚が違うのだろうか。

 

「僕もよく知りませんが、お金がかかることだけはわかりますね」

「それくらいわたしだってわかりますよ!」

「ほんとですか? どれくらいかかると思います?」

「え、え?」

 

 俺は顎に手を当てながら、うろたえる少女を眺める。「えと、えと」と小さくつぶやきながら、耳をぴこぴこさせている。そしてムンと顔を上げたかと思えば、両手を目いっぱいに広げて見せた。

 

「これくらい! です!」

 

 どうですか!? と言わんばかりの表情に、俺は静かに真顔を返す。

 小さな生き物が精一杯に生きる姿は、誰が見ても応援したくなるものだろう。

 たとえそれが珍獣でも。

 

「なるほど、レフィさんは頭がいいんですね」

「ばっ、馬鹿にしてますね!?」

「じえいえ、僕なんかとても、足元にも及ばない」

「だったら同じ道に立たないでください! 足元に及んでるじゃないですか! 頭まで土に埋まってしまえばいいんですっ!!」

「うわあ、つちのなかだあ、うわあ狭い、暗い、さみしい~~~」

「……誰ですか。一緒に歩くの恥ずかしいので、ほんとに埋まってくれませんか?」

「芽をだせえ、芽をだすんだあ」

「植物の方でしたか。ぜひとも咲く前に枯れてくださいね」

 

 せっかく一芝居うったのに、そんなに冷たい目をすることはないじゃないか。

 まあ、それはいいとして。

 

「家の話ですけど」

「芽はどうなったんですか」

「枯れました」

「ならいいです」

「ギルドに入るという手も、もしかしたらあるのかもしれないです」

 

 そういうとレフィは興味深げにこちらを見上げた。

 俺は昨日、料理店で出会った夫婦のことを思い出していた。

 

「ギルドです?」

「そう。商業ギルドではなくて、僕達みたいなパーティの集まる戦闘型のギルドです。この前、ギルドの縄張り争いに出てたって人に会ったんですけど、ギルドはすでに抜けたみたいで、いまは畑仕事をしながら暮らしてるって言ってたんですよ。それってたぶん、家も持ってる気がしませんか? ギルドのツテで土地か空き家か、融通してくれる場合もあるんじゃないかと」

 

 とても憶測の域をでない。

 けれどレフィはまじまじと俺を見つめた後、ふんふんと頷いて見せた。

 

「なるほど、ニトさんは頭がいいんですね」

「……僕を馬鹿にしてますね?」

「え? ……あ。いえ、そんな、わたしなんかとても、足元には、及びますが」

「及ぶんですか」

「及びます」

「一緒に土に埋まりませんか」

「結構です」

「芽が出せますよ」

「枯れたじゃないですか」

「そうですね」

 

 交渉は決裂した。

 どうやら前人未到の地中デートは叶わないらしい。

 

 

 

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