おばあちゃんのお仕事

しゅりぐるま

おばあちゃんのお仕事

 私は毎日同じ電車に乗る。そこに好きな人がいるから。

 通勤ラッシュのピークが少し過ぎたと思われる時間。そんな時間に通勤できるのは、フルフレックスのいい所だ。

 電車の中で毎日同じ席に座っている彼。とある駅につくと彼は落ち着かなさそうに、でもさり気なく辺りを見回す。いつものところで、いつものように顔を少し緩めると、いつものおばあちゃんに席を譲る。

 私は毎日、きっかけを求めてそんな彼の目の前に立っている。彼がおばあちゃんに席を譲り、私と彼の距離が近づくその時が、話しかける最大のチャンスと思っているのに、なかなか勇気を出せないでいる。

 だから私は、朝からばっちりお化粧をして、今日も同じ電車に乗る。


***


 僕は毎日同じ電車に乗る。ある人のために席を確保したいから。

 ピークを過ぎたとはいえ、まだ空いているとは言えない朝の電車内に、不似合いなおばあちゃんが乗ってくる。

 こんな時間にどこへ行くのか知らないが、おばあちゃんは毎日乗ってきて、僕は毎日席を譲る。

 いつも同じ女性が僕の目の前に立ち、ちらちらとこちらを見てくるが、彼女に席は譲れない。おばあちゃんと話をしたことはないけれど、殺伐とした朝の空気の中で交わす、柔らかな視線に、僕は助けられているのだ。

 だから僕は、サボりたいと思う気持ちに蓋をして、今日も同じ電車に乗る。


***


 いつもの時間。混み合った車内。目の前にはいつもの若い男女。

 さあ、今日もこの時間がやってきた。


「うまくいくかねえ」

小さく出てしまった自分の声に苦笑する。年を取るといろんな所が緩むらしい。


 毎日席を譲ってくれる青年。私とはお決まりの視線を交わすものの、隣に立つ彼女の視線には気が付かない。いつ芽吹くかと毎日楽しみにしていたが、どうやら結末は見られないようだ。


 膝の上に視線を落とし、少し微笑んでから顔を上げた。


「いつもありがとうね、お兄さん」

突然声をかけられ、青年は驚いたようだった。


「毎日の散歩も兼ねて、お爺さんのお見舞いに通っていたんだけど、先日退院したのよ。だから、席を譲ってもらうのは今日が最後」

「……それを言うために、わざわざ今日乗っていらしたんですか?」

青年が驚く。こういうことには察しがいいようだ。


「受け取ってもらえるかしら」そう言いながらバッグの中から細長い箱を出す。毎日席を譲り続けてくれた彼にと用意したネクタイだ。

「もらえません」予想通りの答えが聞こえてきたが、彼の首元にネクタイが届くようにしながら続けた。


「うん、似合うわ。ねえ、お嬢さん」

やり取りを見ていた隣の彼女に向かって自然に微笑む。


「え……、はい! お似合いです」

彼女が少し顔を赤らめて答えた。『お嬢さん、お節介おばあさんができるのはここまでよ』。一瞬、私と彼女の間で意味ありげな視線が絡まった。


 邪魔者はさっさと退散するに限る。

「それじゃ、私はここで」ネクタイを青年に押し付けるように渡し、家に早く戻るためにも、今日は一駅で電車を後にする。


「ありがとうございます。あなたとの毎日の関わりが、僕に余裕をくれました」

思わぬ言葉に立ち止まると、隣の彼女が勇気を出した。

「私もです! お二人の言葉のないやり取りに、毎日癒やされていました」


 三人で微笑みを交わし合う。


 電車を降りてもう一度振り返ると、私の座っていた席を譲り合う初々しい二人が見えた。

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