ラノベ好きの俺と202号室の氷室さん。
美海未海
見てしまったから。
見慣れない光景だった、と言うより見ることなどないと思っていた光景だった。
いや、素直に言うなら見たくなかった。
彼女が泣いているところなんて。
「う゛ぁぁぁ……う゛ぁぁ……ぐすっ……ぐす……うぅ……」
階段を上ってすぐの202号室の扉の前で蹲り、嗚咽を漏らしているようにも、悲嘆にくれているようにも見える姿がそこにあった。
「うぅぅぅ……」
零下4度の秋とも冬とも名付けることの出来ない澄んだ空気の下で、上着のひとつも着込まず座り込む彼女は、黒のハイネックにグレンチェックのハイウエストパンツスタイルで、俺より何倍も何十倍も大人びていて、綺麗な人で。そんな彼女をいつまでも眺めていたかった。
すぐに見なかったことにして隣の201号室、俺の部屋に入ればよかった。たぶん、泣いている姿なんて、弱い部分を他人に見せることなんて誰もが嫌うことだから。だから、見て見ぬふりをして今までのようにただ、目の前の扉を閉ざせばよかった。
だから、俺はそっとダウンジャケットを脱いで彼女にかけた。
「っ……?」
芯まで冷えきった身体が少しばかり温かくなったことに違和感を覚えたのか、数秒経ってから彼女は顔を上げこちらを向いた。
「あっ……っと……」
「……」
目が合ってしまっても尚、彼女は艶のある唇を閉ざしたまま俺を見続ける。そんな彼女を見てうぐっと唾を飲み込み、俺も彼女の黒く澄んだ瞳を見つめ返した。別に、目と目が逢った瞬間に恋に落ちたわけではない。俺は置いといて彼女はたぶんというか絶対、恋になんか落ちていない。
何秒、何分見つめ合ったかわからないまま時は過ぎ、辺りを橙と黒が染めていく。痺れを切らしたかのように彼女の唇は粉雪のように優しく言葉を紡いだ。
「━━う」
でも、その言葉は色なき風がさらっていった。
彼女の長く伸びた黒髪も風に靡く。その光景を俺はただ立ち尽くしたまま眺めていた。今日1日で彼女に見惚れたのはさっきのを入れてこれが2回目。
目尻にうっすらとまだ雫を残してしゃがみ込んだまま、背にかけたダウンジャケットを返そうとする彼女。
とすっ。
「……!?」
「やっと目合いましたね」
「……」
ずっと目は合っていた。なんなら見つめ合ってたくらいには。でも今はもっと近くで、より揃えて高さも合っている。
「……な……んで?」
「っ! ……なんで……なんでですか? なんででしょうね。ただここにいたいからですかね。俺もちょうど座り込んで秋の空を眺めたい気分だったんですよ」
「……バカ……なの?」
そう問いかけられ、空を見るのをやめて彼女の方に目をやると、果てしなく広がる空を見上げていた少し猫目で綺麗な彼女の瞳の奥には俺だけが映っていた。
「味噌汁飲みませんか?」
「……は?」
なんでこんなことを口走ったんだろう。たぶん彼女が、
━━泣いていたから。
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