第8話 自尊心


『人類』


 アルゴノートには感情が存在しない。

 しかし、自らと、自らを定義付ける生命体の危機に対しては、どこか怒っているような態度を見せる。小煩いことこの上ない。


『そちらの状況は理解しています。このまま足止めされるようなら、強硬手段もやむを得ないのではありませんか?』


 アルゴノートの言葉と同時に、頭の中にこの建物の立体模型が浮かび上がる。

 点滅しているのは脱出経路だろう。


『このまま脱出しても、あなたを追跡し、捕らえようと考える可能性は高くありません。しかしこれ以上彼らの事情に深入りすれば、それこそ今後の我々の行動に支障が出ます。急ぎ、この場所から脱出を』


 AIの言葉にも一理ある。

 ここにヒューマとメイアを連れてきた者の目的は、ヒューマではなくメイアだ。ヒューマがいなくなっても、まともに捜索するとは考えにくい。

 そういう意味では、アルゴノートの提案は理に適っている。


(お前の意見は正しい。だが、彼女の持っている本は不確定要素だ。あの本の正体はわかったのか?)


『――いいえ、今も分析を続けていますが、巨大な情報ストレージであり、複数の封印が施されていること以外はわかりません。ですが、なんら特別な地位にない少女が持っているようなものがそれほど重要なものなのでしょうか?』


 アルゴノートの判断基準となっているのは、地球における重要品管理規定だ。貴重なものの取り扱いには、相応の施設と管理者が必要となる。その基準自体はヒューマにも理解できるが、果たしてこの世界でも通用するのか。

 ヒューマはメイアとの会話から、賢者の一族が衰退の一途を辿っていることを知っていた。過去に重要な品物を扱うに相応しい地位と責任を負っていた者たちが、時間の流れの中に埋もれていったり、時間の経過で重要性が忘れ去られていくということも十分に考えられる。

 

(むしろ、ここで情報を得たほうがいい。脱出したら、それもできなくなる)


『わかりました。探査ドローンを展開してください』


 ヒューマの説明に納得したのか、アルゴノートはそれ以上の反対を口にしなかった。

 汎用AIは過去の情報や実績を元に判断を下すよう設定されている。情報を蓄積すればするほど結果の精度は高くなっていくが、アルゴノートがこれまでの蓄積した情報では、ヒューマの判断を覆すほどの結果を導き出すことができない。

 そのため、アルゴノートはヒューマの判断に従う決定を下したのだった。


(上手くコントロールしてくれよ)


 ヒューマは腰に提げた道具袋から、直径三センチほどの球体を五つ取り出すと、静かに床に置いた。球体は転がって鉄格子を潜り抜けると、そのまま四方へと転がっていく。


「ん?」


 違和感に気付いたらしい見張りの兵士ふたりが不思議そうに周囲を見回すも、小さなドローンを地下の限られた照明の下で見つけるのは非常に困難だ。最初からそういうものが存在していると知っていて探すのならば見つけられるかもしれないが、ドローンを知らない兵士からすれば、石ころが落ちているとしか認識出来ないだろう。


「どうした? なにかあったのか?」


 さらにヒューマがそう訊ねて兵士の気を逸らせば、もう兵士たちはドローンを見つけることはできない。彼らは自分の足下を転がっていくドローンに気付かず、互いに顔を見合わせた。


「いや、なんでもない。それよりも、そっちの子は大丈夫なのか? ずっと黙り込んだままだが」


「別に罪人として囚われたわけじゃないんだ。気を落とさなくても大丈夫だぞ」


 間違いなく、この兵士たちは善良な若者だろう。

 彼らは自分の故郷を守るために兵士になり、いまでもその初心を忘れていなかった。

 メイアのことを心配そうに見つめる兵士たちに、ヒューマは深刻そうな表情で訊ねる。


「ひとつ聞きたいんだが、あのアイリアというお嬢さんはいつもあんな感じなのか? あんたたちも知ってるかもしれないが、その子はあのお嬢さんと昔馴染みらしくてな。今回の件でショックを受けてるんだ。ひょっとして、なにか行き違いでもあったのか?」


「っ!」


 びくりとメイアが体を震わせる。

 涙で潤んだ眼差しが、フードの向こうからヒューマを伺っていた。


「久しぶりに会ったってことなら、まあ、そういうこともあるだろう。だが、俺たちはこの街のことをよく知らない。話せることでいいんだ。なにか心当たりはないか?」


「うーん、そうだなぁ」


 目の前に泣いている少女がいるとなれば、兵士たちの警戒心も緩む。


「そういえば、最近メルスース様のお姿を見ないな」


「えっ」


 メイアが顔を上げる。


「あの方も研究者だから、昔はそういうこともよくあったらしいんだけど、ここ数日は学園にもいらっしゃってないらしい。うちの子は学園に通ってるんだが、講師の方々も不思議がってるそうだ」


「そういえば、うちの妹も似たようなことを言ってたな」


 メルスースはこのウェルペンの街の発展に大きな貢献を果たした、街の象徴のような人物だ。当然、人々にとって彼の動向は興味の対象で、多くの者たちが意識的、無意識的にその行動を追っている。

 賢者の弟子メルスースは人々から身を隠すにはあまりに大きな存在だった。


「め、メルスース様がいないってどういうことですか!?」


 メイアが鉄格子に張り付き、泣きながら問い質すと、兵士たちは申し訳なさそうに顔を伏せる。


「俺たちみたいな下っ端には、詳しいことはなんにも分からないんだ。ただ、アイリア様が事情を知らないとは思えないし、グレゴール様だって――」


 兵士の言葉は、突然響き渡った怒声に遮られた。


「貴様ら! 誰がその者たちと言葉を交わして良いといったか!!」


「グレゴール様!? も、申し訳ありません!」


 暗がりから姿を見せたのは、何人かの兵士を伴った魔導師の男だった。

 ヒューマは座ったまま、その男を品定めするように目を細める。


(アルゴノート)


『あの男がグレゴールでしょう。この街で相当高い地位にあるようです』


(魔導師か、面倒だな)


 この世界に疎いヒューマだっても、魔導師が特別な存在であることは知っている。

 魔導師は優れた魔法技能を持ち、事実上の特権階級として人々の生活に深く根付いている。交渉相手としても、敵対相手としても、これほど厄介な相手はいない。


「ふん、これだから平民は……。次はないぞ」


「は、ははっ」


 兵士たちが恐縮して頭を下げると、グレゴールは満足したように笑い、頷いた。

 グレゴールにとって、相手が自分の自尊心を満たす行動を取ることがなによりの悦楽なのだ。

 それは、誰かを通さないと自分の価値を確認できないということでもある。

 そのため、グレゴールは誰かを利用することに対して一切の躊躇いがなかった。実の親でも、兄妹でも、師でも、許嫁でもだ。


「そこにいるのが、当代の賢者殿か」


「わ、私は……」


 メイアが身を竦め、後退る。

 グレゴールは兵士から鍵を受け取ると、ことさらゆっくりと牢へ入った。

 そしてメイアに近付くと、困惑する彼女にこう囁いた。


「事情は知っている。私が協力して差し上げよう」


「えっ」


「私はメルスース様の後継者、メルスース様にできることならば、私にもできる」


 自信たっぷりに告げるグレゴール。

 まるで歌劇の一場面のように、大仰な動きで両手を広げる。


「いや、残された時間を考えれば、私は確実に師を超えるだろう。そして師のすべてを、知識を、血統さえも手に入れる! アイリアは運の良い娘だ、この私の妻となるのだからな!」


 グレゴールは、驚き言葉の出ないメイアに更に近付く。


「すべて、私にまかせたまえ」


 そう言うが早いか、グレゴールはメイアが腰に提げていた賢者の書に手を伸ばす。


「だ、ダメです!」


 メイアが慌ててその手を掴むと、ほんの一瞬、グレゴールの顔が怒りで染まった。


「!! ――メイア嬢、私は君にとってもっとも価値のある提案をしているつもりだ」


 だが、その怒りは一瞬で消え失せ、グレゴールは淡々と言葉を続ける。

 すでにメイアは壁際まで追い遣られ、それ以上下がることもできない。


「私は君以上に優れた魔導師だよ? 君ができなかったことも、私ならできる。私に君のすべてを預けたまえ、悪いようにはしない」


 グレゴールは囁きながら、メイアの顎を掴み、その顔を自分へと向けさせる。

 怯えたメイアの表情に、グレゴールは深い充足感と興奮を抱いていた。

 そうだ、自分へ向けられるべき表情は、これでなければならない。圧倒的強者に対する尊敬と恐怖、それこそが自分を自分たらしめるのだ――グレゴールは自分への自信を深め、その顔をメイアの首元へと寄せる。

 少女の匂いが、ひどく心地良い。


「さあ、決断したまえ。君は今、もっとも幸福な選択肢を提示されているのだよ」


「あ……ああ……」


 メイアはなぜ自分がこんな目に遭っているのか分からなかった。

 ただ、師の友人に世界の危機を伝えに来ただけのはずだったのに、何故。


「あああ……」


 メイアは体を震わせ、しかし賢者の書だけは離さない。


(どうして、どうして、どうして……!)


 わからない。

 大切な友人が自分に剣を向けたことも、優しい師の友が姿を消したことも、まったく理解できない。

 いま彼女が分かっているのは、世界に危機が迫っていることと、自分しか賢者の書を守る者がいないということ。

 自分だけが、こんなに弱い自分しかいないのだ。


「うう、うううう……」


 恐ろしかった。

 とてつもなく、泣き叫びたいほどに。

 だが、それでも彼女は耐えようとした。恐怖に抗おうとした。


「さあ、私にすべてを委ねたまえ」


 そしてそれ故に、彼女はひとりの男を動かした。


「私ならば、すべてを――――」


 ――ガァン!!


「!!」


 グレゴールが驚き、振り向く。

 その先には、座ったまま鉄格子をその足で蹴りつけ、盛大に、喧しく、場を乱した男がいた。


「……よう、御曹司。うちの依頼人にあんまり近付かないでもらいたい」


 心底こちらをバカにしたような笑みを浮かべる男に、グレゴールはここ数年感じていなかったほどの、強い敵意と嫌悪感を抱く。

 自分の行動を妨げられたのだ。

 優れた、人を動かすべき自分が、人に動かされたのだ。


「貴様……!」


 しかし、彼は気付かない。男――ヒューマに意識を向けたその瞬間、彼は優れた魔導師でもなければ、賢者の弟子の後継者でもなく、なにも持たない、ただの旅の剣士の敵へと引き摺り落とされた。

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