第5話 ウェルペンの街


 ウェルペン魔法学園の理事長室で、メルスースは一通の魔法郵便を受け取っていた。

 魔法郵便とは受け取った魔法通信を書面に書き起こしたもので、文章の量は制限されてしまうものの、遠距離でも短時間に情報のやりとりができるとして重宝されていた。

 各地の大きな街には長距離の通信に対応した巨大な魔法の塔が立ち、長距離の通信を中継する機能もある。

 メルスースのいるウェルペンの街では、街の中心にある魔法学園の尖塔がその役目を担っていた。

 その尖塔内部にある文書課から職員が飛んできたのは、メルスースが食後のお茶を飲み終えた頃だった。


「賢者の書が動いただと……」


 文書の送り主であるメイア・ルシュマンとは、半年ほど前にあの森の邸宅で顔を合わせたばかりだ。

 そのとき、地下にある賢者の書に問題はなかった。


「あれからなにかが起きたという事か? しかし、あの書が動くことはもうないとフィルブはいっていた」


 フィルブとは、彼の兄弟弟子であり、メイアの師だった賢者の名だ。

 メルスースとはほぼ同時期に賢者の弟子となり、互いに競い合って魔法の腕を研鑽した仲である。

 フィルブが賢者に選ばれたとき、もっとも悔しがり、同時にもっとも深くその人選に納得したのがメルスースだった。


「あの男が未来を見誤った? そんな馬鹿な……」


 フィルブ・エルスマンは優秀な魔導師だった。

 戦闘能力という点では同じ師を仰ぐ賢者の弟子たちの中でも劣っていたが、研究者としてならもっとも優れていた。

 賢者の役目が封印の監視から、魔法技術の発明と継承へと重きを移していた時期、彼が賢者となるのは当然の結果だったのだ。


「ワイズマンたちに連絡を取るべきか」


 何もしないという選択肢はメルスースにはなかった。

 賢者の一族として、彼には封印に対処する崇高な義務がある。

 いくら人々の中から賢者に対する尊敬の念が薄れてしまったからといって、一族の義務が消えてなくなることはない。

 メルスースはしばし悩むと椅子から立ち上がり、杖を手に取ると部屋の扉へと向かう。

 同門の兄弟弟子たちに連絡を取る。そう決断したのだ。


(ほとんど情報はないが、各自で調べられることもあるかもしれん。賢者となれなかった我らにできることなど限られているが、せめてひとつでも情報をあの子に渡さなければ……)


 杖を突き、急ぎ歩くメルスース。

 ここ数年、体の具合が悪かった。

 原因はわからないが、これもまた摂理の一部なのだと納得していた。だが、封印に異常が発生したいま、衰えた体でいることがひどく恥ずかしく思えた。


「こんな姿、奴に見られずに済んで良かった」


 自嘲し、扉のノブに手を伸ばす、それが触れる直前に、大きな音と共に扉が開け放たれた。


「!!」


 甲冑の音と、荒い足音。

 雪崩れ込んでくる屈強な兵士たちは、メルスースが組織したウェルペン魔法戦士団の者たちだった。


「お前たち、なにをしている」


 思わず後退るメルスースの前に、兵士たちの壁を割って見知った顔が現れた。

 メルスースを筆頭とする魔導師の一門の紋章を首から提げたローブの男は、メルスースがもっとも優れた弟子として自らの後継者にと見込んでいた男だった。


「グレゴール。貴様、なんの真似だ!」


「師匠へのお手紙、私も読ませて頂きました」


 貴族の子弟であるグレゴールは、幼い頃から優れた才能を発揮すると同時に、常に野心を隠さない男だった。

 だが、同時に目上の者に対する礼儀を弁え、メルスースに対しても弟子として師に礼を尽くしてきた。


「勝手なことをするな! 貴様には何の関係もないことだ!」


 メルスースはグレゴールを叱責する。

 だが、グレゴールはそれを鼻で笑った。今まで一度も見せたことがない態度だった。


「いえ、これからは違います。なにせ、私が一門を率いるのですから」


「なに!?」


 グレゴールの野心を、メルスースは分を弁えた上での向上心の現れと見ていた。

 若い頃の自分にもそのような傾向があったからだ。

 野心そのものは善も悪もない。それによって選び取る選択肢によって道が決まるのだ。

 正しい道を選べば、野心は持ち主をより高みへと導く足がかりとなる。実際、今までのグレゴールはメルスースの考えた通りに優れた魔導師として、指導者としての道を歩んでいた。


「このような真似をせずとも、いずれ貴様のものになっただろうが!」


 メルスースは杖を構えた。

 先端の宝玉に光が宿り、部屋の中に魔力が渦巻く。

 兵士たちが動揺したのが、メルスースにも分かった。


「アイリアとも婚姻が成れば、私のすべてはいずれ貴様のものになる! なぜこんなことをするのだ!」


 メルスースのたったひとりの孫娘であるアイリアは、グレゴールの婚約者だ。

 アイリアがまだ若いこともあって婚約に留まっているが、あと数年で結婚し、名実共にメルスースの知識や財産のすべてはグレゴールのものとなるはずだった。

 このような愚挙を行う必要など、グレゴールにはなかった。

 そんなメルスースの考えを見通したかのように、グレゴールは嘲り笑った。


「師匠、アイリアは美しい娘です。私のものとなるのが当然でしょう。そしてあなたの力も、知識も、すべて優秀な私のものとなるのが当然なのです。今さら恩を着せるようなことを仰らないでください」


「グレゴール、貴様……!」


 メルスースは呆然とグレゴールを見詰め、そしてその瞳に一瞬だけ映った彼以外の魔力の痕跡に気付いた。


(今のは、どこかで……)


 メルスースの動きが一瞬止まる。

 グレゴールは、その隙を逃さなかった。


「アンチマジックフィールド!!」


 グレゴールを中心に、抗魔力空間が形成される。

 メルスースが煉り上げた魔力が消失し、部屋に吹き荒れていた風が止んだ。


「くっ」


「老いましたな。師匠。

 お前たち、捕らえよ!」


「はっ!」


 兵士たちが一斉にメルスースに飛び掛かり、封印の魔法が掛かった鎖でメルスースの体を拘束する。

 メルスースの魔力に合わせて組み上げられた封印の魔法は、彼の膨大な魔力を完全に封じ込めた。


「ぐっ」


 床に膝を突き、メルスースは呻く。


(私としたことが、この程度で!)


「師匠、くれぐれもアイリアが私の下にいることをお忘れなく。彼女は優秀な魔法剣士です。失うことは避けたいのですよ」


「人質のつもりか!」


「聡明なる賢者の弟子殿であれば、私が答えずとも分かるでしょう」


 メルスースは孫娘の姿を思い浮かべ、がっくりと肩を落とした。

 おそらくアイリアはグレゴールの行動に気付いていないだろう。なんの警戒心も抱かず、グレゴールの下で魔法戦士団の一員として働いているに違いない。


「――どうするつもりだ?」


 グレゴールは、メルスースの問いに笑みを深めた。

 この質問を待っていたのかも知れない。

 彼は大仰に両腕を広げると、呵々と笑いながら言った。


「あなたが手に入れられなかった賢者の系譜、私が手に入れて差し上げますよ!」


◇ ◇ ◇


「お待たせしました!」


「ああ」


 ヒューマは村の通信局から出てきたメイアに頷いた。

 森での出会いから丸一日、急ぎの魔法通信を送りたいというメイアに付き添って、村の中心にある通信局までやってきたのだ。


「ほかに用事はあるのか?」


「いえ、ありません。先を急ぎましょう!」


 フードの向こうに見える表情は、真剣そのものだ。

 どうやらメイアが抱えている問題というのは、思ったよりも深刻なことなのかもしれない。

 ヒューマはメイアに頷いて歩き出しながら、体の内側に向けて話し掛ける。


(アルゴノート、通信の傍受は?)


『半分程度です。しかし、今回の情報をもとに更なる分析を進めれば、いずれは受信範囲内のすべての通信を傍受できるようになるでしょう』


(内容は?)


『緊急、封印、賢者、ウェルペンの街、といった内容が傍受できました。これまでの会話から推測すると、彼女はウェルペンの街にいる知人に、緊急の知らせを送ったようです』


 おおむね予想した通りの内容らしい。

 自分のような、身元も定かではない者を同行者にするほどだ、少しでも街に急ぎたいということなのだろう。

 他人を信じやすいのか、それとも豪胆なのか、ヒューマは最初、この世界では若い女性の一人旅が当たり前のものなのかと疑ったほどだ。

 だが、実際にはそのようなことはなく、この村に到着するまでに出会った旅人たちのうち、メイアのような一人旅の若い娘はひとりもいなかった。


「こっちです、ヒューマさん」


 そういって自分を先導するメイアを、ヒューマは珍獣でも見るような目付きで眺める。

 この少女は、この世界でも特異な存在なのは間違いない。あんな凶暴な生物――メイア曰く魔物と呼ぶ生物の一種――が出没する森にひとりで暮らし、初めて会った身元も明らかではない男を信用して護衛を任せる。

 本人に確認するまでもなく、世間知らずなのは確実だ。


(俺は運が良いのか悪いのか……)


 ヒューマがそう思うのも無理はない。

 メイアという少女は、このあたりの住人にとってある種の尊敬を抱く存在らしく、村の入り口でメイアが門番と少し話すだけで、簡単にふたりとも村に入ることを許された。

 魔物を防ぐために作られたらしい、村の家々を囲む丸太の牆壁を横目に村に入っていくメイアを見て、このときのヒューマは自分の判断の正しさを確信していた。

 だが、時間が経つにつれて、メイアという少女の別の一面が見えてきた。


(この子は、人々の中で暮らした経験がない)


 社会性というものを知識としてしか理解していないのだ。

 育ての親という賢者がどんな教育を施したのかは分からないが、おそらく街の中で暮らすために必要な知識はほとんど備わっていないだろう。

 あるいは、教える予定ではあったが、間に合わなかったのか。


(どうにもそちらの可能性のほうが高そうだな)


 メイアは道すがら、師のことをよく話した。

 赤の他人であるはずのヒューマさえ、食べ物の好物や口癖まですでに知悉しているほどだ。

 メイアは、師の最期は突然だったといっていた。

 ある朝彼の書斎にいくと、そこで倒れていたらしい。遺言などは事前に用意されていたから混乱はさほど大きくなかったものの、唯一の弟子であるメイアがすべての知識を継承していなかったことから、賢者の系譜は彼で途絶えることになってしまった。


(それも妙な話だが、気になるのは……)


「ヒューマさーん! こっちですよー!!」


 ぶんぶんと手を振るメイアが、村の外へ通じる門の前で跳びはねている。

 その腰には、一冊の本があった。


(あの、賢者の書という書物だ)


 メイアは賢者の一族があの森の奥にあるなにかを封印する役目を追っており、その役目に必要なすべてがあの書物にあるとヒューマに説明した。

 だから、あの書は自分の命よりも大切なものだと、万が一のことがあれば、自分よりもあの本を守ってほしいと。

 ヒューマはその求めに答えを返していないが、あの賢者の書が重要なものであることは理解した。

 そして、メイアの説明を聞く限り、彼女たち賢者の一族が封印している何かとは、《アルゴノート》の可能性が高い。

《アルゴノート》そのものでなくとも、宇宙から落ちてきた地球人類と、地球人類が持つ品物や技術を警戒していたという推測は、かなり高い可能性で真実なのではないか。


(アルゴノート、本当にあの本や彼女たちのことは分からないのか? ずっとお前の近くで、お前を監視していた可能性が高いんだぞ)


『わかりません。欠損した記録ストレージ部分の修復が行われれば、新たな情報を得られる可能性はあります。しかし現在のところ、不明としか回答できません』


《アルゴノート》の損傷は激しく、ヒューマがアルゴノートと呼ぶAIとヒューマが収容されていた今日中区画の一部以外は、物理的にも情報的にも寸断されていた。

 ヒューマも一度修復を試みたが、彼の持つ知識は《アルゴノート》建造の遙か昔のものである。到底、修復など出来ようはずもなかった。


『本AIの機能停止まで、あと三サイクルです。それまでに他のユニットを見つけ、自己修復機能を復旧しなければ、我々は機能を停止します』


(わかってる)


 今のヒューマは、アルゴノートのバックアップを受けて体を動かしている。

 非戦闘型の体であればバックアップなしでも数十年の稼動時間を得られたが、それではユニット探索の旅に耐えられない。

 AIは持ちうるすべての手札を計算し、ヒューマを戦闘型の体に作り替えて蘇生することを選んだ。そのヒューマによるユニット探索の成功にすべてを賭けたのだ。


(いい迷惑だ。でも、生き残るにはそれしかない)


 ヒューマがAIの言葉に従っているのは、結局のところそこに尽きる。

 自分が生きるためには、結局AIの言葉に従うしかない。記憶もなければ知識も古い。そんな男が故郷から遠く離れたこの場所で生きるには、誰かの言葉に縋るという選択肢しかなかった。

 不満がないわけではない。

 だが、不満のない人生などもない。

 記憶はほとんどないが、それくらいは分かる。


「次の目的地はどこだ?」


「この先にある渓谷を超えて、マフの村までいきます。食糧は買いましたから、さっそく行きましょう」


 メイアが指差した先には、馬車の車輪と旅人の足によって固められたらしい街道が続いていた。


「メイア様、お気を付けて」


 門番の言葉に、メイアは両手を強く握り締め、笑顔で答えた。


「大丈夫です! ヒューマさんもいますから!」


「そうですか……」


 門番はヒューマに視線を移すと、縋るような眼差しで小さく頭を下げた。


「剣士殿、メイア様をよろしくお願いします」


「……わかった」


 田舎ゆえの朴訥さなのか、誰もヒューマのことを疑う者はいない。

 ヒューマは若干のやりにくさを感じつつも、彼らを裏切っている訳ではないのだと自分に言い聞かせた。


◇ ◇ ◇


 街道を進んでいる間、主に喋っているのはメイアだった。

 元々、お喋りな性格だったのだろう。特に話題もないはずなのに、何かにつけては話の種を見つけて延々と喋り続けた。

 ヒューマはそれを相鎚を打ちながらずっと聞き続けた。


「私、こんな風にひとりで遠くまで旅をしたの、初めてです。前にウェルペンの街にいったときは、まだ先生がいましたし、メルスース様のお孫さんで、私と同い年の子が一緒だったので」


「そうか」


「その子、すごいんですよ。私よりもずっと魔法に詳しくて、今はウェルペンの街を守る戦士団で隊長さんをしてるんです!」


「それは大したもんだ」


 ヒューマは常に周囲を警戒し、街道に迷い出てきた魔物はすぐに対処した。

 もともと街道に姿を見せる魔物は、自分の縄張りを持たないか、そこから追い出された個体が多いらしい。

 これはアルゴノートの推測だったが、森の中で戦った魔物ほど強力な個体がいなかったことを考えると、そう大きく間違ってはいないのだろう。


「ヒューマさんの魔法もすごいですよね!」


「他の魔導師を見たことがないから、俺にはよく分からない」


「むう、そんな謙遜しちゃって、あんなにすごい魔法使えるのに……」


 ヒューマのそれは魔法ではない。

 この世界の知性体が脳から発する感応波で大気中の可変粒子を操っているように、疑似的に発生させた感応波で可変粒子を操っているに過ぎない。

 アルゴノート曰く、地球人類にこの可変粒子を操る素養はまったくなく。当然、魔法も使えないのだという。

 しかし、この世界で魔法が使えないことは人としての資格を失うに等しい。

 魔法の才はそのままその人物の将来の可能性であり、最低限の魔法の才能がなければまともに生活することもできないらしい。

 これはアルゴノートが長期間にわたって偵察ドローンを駆使して周囲の村々を調査した結果得られた情報で、少なくともこの地方ではそれが当然の価値観なのだろう。


「君だって、魔法は普通に使えるだろう」


「私の魔法なんて、先生に比べてたらまだまだですし、さっき話した友だち――アイリアっていうんですけど、その子と比べても全然ダメなんです……」


 ヒューマに魔法のなんたるかは分からない。

 だが、アルゴノートが計測した限り、メイアの魔法の力は決して弱くはなかった。

 ただ、本人の性格が戦いに向いていないのだ。守りや癒やしに関しては強い感応波が発せられているにもかかわらず、攻撃となるとそれが半減してしまう。

 そのため、攻撃魔法の威力が著しく低下するという結果になっていた。


「あの子、風と炎の魔法が得意なんですけど、すんごく早く動いたり、炎の剣を作り出したり、私なんかとは全然比べものにならないくらい、すごい魔導師なんですよ!」


 我が事のように友人を褒め称えるメイアに、ヒューマは苦笑した。

 この少女がこうも誉めるのだから、きっと同じようなお人好しの少女なのだろう。


「そうそう、前にアイリアが作ってくれたパイを、私がひっくり返しちゃったことがあって……」


 楽しげに話し続けるメイアと、頷き続けるヒューマ。

 フードを被っていても陰鬱な雰囲気はなく、傍目には兄妹のようにも見えて、ふたりと行き違う旅人たちは揃って仲の良い家族だと思い、微笑ましく感じていた。

 だがまったくの同時刻、ふたりの目指すウェルペンの街では、ふたりに対する謀略が動き始めていた。


◇ ◇ ◇


 薄い施術衣だけを身に付けた少女が、ぐったりと金属製の椅子に座り込んでいる。

 太陽のようだと称賛された朱金の髪はくすみ、うつ伏せの表情を完全に隠していた。


「…………」


 彼女がいるのは、ウェルペン魔法学園の地下にある、秘密研究所の一室。彼女自身はこの施設の秘密を知る立場にあったが、ある人物との意見の相違によってここに閉じ込められ、傀儡魔法による精神改造を受けていた。


「お祖父さま……」


 少女の口から、小さく声が漏れる。

 果たしてここに縛り付けられてからどれほどの時間が経っただろうか、施術による混乱で時間の感覚は狂い、自分がどれだけの時間ここにいるのか、まったく思い出すことができない。

 最後の記憶は、自分に杖を向ける婚約者の姿。

 あの優しく気高く、常に人の上に立ち、人々から頼りにされていた青年は、いつの間にか祖父と自分が持つ賢者の知識に固執するようになってしまった。

 友人からの緊急の連絡を受けて彼女を迎えにいこうとした自分をこうして捕らえ、友人を罠に嵌めようとしている。


「させない……」


 意識が混濁し、友人の顔さえ思い出せない。

 だが、大切な友人なのだということは分かる。だから、自分がなんとかしなければならない。

 あの子を、守らなければならない。


「ウインド……カッター……」


 自分の近くで風が渦巻くのを感じた。

 真空の刃を作り出し、それによって手足の拘束を断ち切る。

 通常の精神状態であれば、拘束だけを斬り裂くことができるだろうが、今の状態では手足を傷付けるかもしれない。

 それでも、やらなければならない。おそらく祖父は捕まっているだろう。

 友人と祖父を救えるのは、自分しかいないのだ。


「……!!」


 意を決して、風の刃を走らせる。

 まともに制御もできないが、奇跡的に刃は彼女の腕を縛り付ける革製の拘束具へと真っ直ぐに向かっていた。

 しかし、その刃は虚空で消失した。


「勝手なことをするな!!」


 怒声と共に、少女の頬に衝撃が走る。


「が……っ」


「アイリア、許嫁だからこそこうして丁重に扱っているんだぞ。そんな私の厚意を無碍にするのか?」


 アイリアは顔を上げ、口の端から垂れる血の混じった唾液を吐き捨てた。


「わたくしの許嫁は死にました。ここにいるのは、野望に心を食われた、哀れな魔導師だけです」


「貴様っ!!」


「ぐ……」


 幾度も振り下ろされる杖が、アイリアの頭と肩を痛めつける。

 チカチカと視界が瞬き、痛みとともに意識が遠のいた。


「ならば、その哀れな魔導師の操り人形になるがいい。お前の祖父が作った魔法だ。その被検体になる幸運を感謝するのだな」


「!! やめろ……!」


 叫び、椅子の上で暴れる。

 だが、周囲から伸びてきた光のロープに体を拘束され、一切の抵抗は封じられた。

 口にもロープが入り込み、声を出すこともできない。


「なに、痛みはさほどない。魂がどうなるかはしらんがな」


 男の手が視界を覆い隠す。

 そして、全身を刺し貫かれるような痛みがアイリアを襲った。


「~~~~!!」


 声にならない悲鳴が部屋中に木霊する。

 だが、この行為をなした男は、楽しげに笑うのだった。


(メイア! ここに来てはダメ……!)


 その叫びを最後に、アイリアの意識は完全なる闇に沈み込んだ。


◇ ◇ ◇


 出会ってから六日目。

 予定よりも一日早く、ふたりはウェルペンの街に到着しようとしていた。

 

「ヒューマさん! あれがウェルペンです!」


「ほう、なるほど」


 ヒューマが感嘆したのも無理はない。

 ウェルペンの街は、これまでの村とは比べものにならないほど巨大な城壁で囲まれた、石造りの建物が建ち並ぶ都市だった。

 ウェルペンの街を望む小高い丘からは、四方八方へ向かう街道を進む数多くの人や馬車の姿が見え、彼らを相手にするためか、城壁の外にも商店が並んでいた。

 街の中からは幾筋もの煙が立ち上り、城壁の上では見張りらしい兵士が緩みのない歩調で巡回している。


「すごい街でしょう! このあたりでは一番大きな街なんですよ」


 どこか得意気なメイアは、あちらこちらを指しては街の説明をしている。

 それを話半分に聞きながら、ヒューマは自分の視界を共有しているであろうアルゴノートに意見を求めた。


(どう見る?)


『建築技術は地球前世紀19世紀後半の水準ですが、魔物の存在によって城壁の価値が保たれているのだと推測します。都市人口はおよそ五万人といったところでしょう』


 技術的に未熟な世界において、人口一万人を超える大都市というのは、様々な好条件がなければ成立しない。

 宗教、軍事、商業、そのいずれかか、複数を兼ね備えた要地であることだ。

 みたところ、ウェルペンの街は街道の要衝であり、貿易の拠点としては確かに重要な位置を占めているらしい。


(ここでなら、必要な情報を集められるかもしれない)


『急いで街に入りましょう。我々に残された時間は有限です』


(わかってる。なんども同じことをいうな)


 ヒューマはアルゴノートの言葉を振り払うと、走り出したメイアを追って陸を降り始める。

 なんの問題も起きないとは思っていない。だが同時に、それほど大きな問題が起きるとも予想していなかった。


◇ ◇ ◇


 それは、門を抜けてすぐのことだった。

 門前の広場に入ったところで、メイアが足を止めたのだ。


「あ!」


 その視線の先にいるのは、女性らしい曲線で形作られた鎧を身につけたひとりの剣士。

 背後には訓練の行き届いた兵士たちを従え、静かにメイアを見詰めていた。


「アイリア!」


 そういって、メイアは走り出した。

 ローブから頭を出し、笑顔を浮かべ、大きく手を振りながら走って行く。

 ヒューマはそれを眺め、観察し、察知した。


「止まれ!!」


「えっ?」


 メイアがヒューマの怒声に驚き、振り向いて足を止める。

 その瞬間、アイリアの姿が掻き消えた。


「っ!!」


 ヒューマの脳は全身のサーボ機構に命令を発し、アイリアに匹敵する速度で体を疾駆させた。

 ほぼ同時にふたりの姿が消失し、鋭い金属の衝突音と共にメイアの目の前に出現する。


「アイ……リア……?」


 メイアの目の前には、ヒューマの大剣の剣身があった。

 アイリアの繰り出した極音速の突きは、二人の間に割り込んだヒューマの剣によって受け止められていた。

 呆然とふたりを見詰めるメイアと、静かに視線を交わし合うヒューマとアイリア。

 静寂の中で、メイアの息を呑む音だけが妙に大きく聞こえた。

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