Magic of wishes-少女は願う-

菟跳(とと)

其之1 生まれ立つトキ





 ――それはふと、目を覚ました。

 ごく僅かな、それこそ瞬きをした瞬間の様に、コンマ零.二秒(れいてんにびょう)くらいの感覚。

 漫画で言う、たった一コマで事態が一転とする様な……。


 などと凡人が意味不明に細かく説明をするモノでもない。自分の中で簡潔にまとめ上げると、気が付くと世界が変わった。


 そんな現在状況に一切追いつける筈もなく、「はて」と"私"は短く吐き捨てて少々首を傾げる。

 傾けた際、髪が少し重かった気がするのは気の所為だろう。


 瞬きを繰り返す。

 しかし何度瞬きをすれど、煌めいた無数にも及ぶ光の粒子が右から左へと外側を、恐らくは壁側を遅く回る部屋、と言うよりは空間の様な正直変な場所から、よく知る自室の背景へと変わることは一切無かった。

 状況確認をするべく、私は首を左右に、眼は上下左右にあちこちと、ゆっくりと動かして光の粒子が回っている空間の周りを見る。

 まず私は、人二人が並んで歩ける程度の横幅を持った自然の大理石で出来ている様な白く美しく光沢を放つ地面に両足、それも裸足で立っている事に気付いた。

 妙に自分の脚が神々しく綺麗に見えたのはきっと、周りの光による光源が強い影響であろう。

 立っているそこより前の方には道がなく、崖となっている。

 私は一歩、その崖縁へと恐れもせずに足を踏み入れ下を見る。


 ホワイトホールだ。それが一番適切な表現だろう。

 何にせよ、落ちればただでは済まないのは見て分かる。

 前に出していた片足を引き下げ、体を捻らせて後ろを見ると、数歩歩いてたどり着ける場所に固く閉ざされた扉――恐らくは同じく大理石か何かで出来た物――があった。

 表面には彫刻が掘られており、花柄を妄している。

 しかも奇妙な事に、その扉には壁という物が存在せず、ただそこに扉があるだけである。

 さらに上げるのであれば、ドアノブらしき物が一切無いこと。

 なのに私はあれが扉だと理解してしまう辺り、頭が湧いているとしか思えない。


「よもやどこでもド――ん?」


 二声目を発して気付く。

 自分が知っている声のトーンとは全く違う。それも全然。

 これではまるで、女が喋っている様では無いか。

 ふいに顔と目線を下げ、自身の体を見て理解する。

 理解してしまった。

 そう、理解せざるを得なかったのだ。


 女体となっている事に。


 申し訳程度に膨らんでい胸に、元の体より白く綺麗な肌と、細長くて少々可愛らしさを出す手足。

 何よりも確証付けられるのは、"あれ"が無い事。

 そう、"あれ"だ。全男子諸君――健全男子、不健全男子問わず――ならば分かる。否、分かって欲しい。否々、知らないとは言わせない"あれ"が無いのだ。

 それは男という独特なシンボルでもあり、有無も言わせない男と示す唯一の切り札と言っても過言では無い"あれ"。


「なんじゃぼらああぁぁーッ!」


 最早自分の中では【変な空間】と認定してきている場所で、頭を抱えて高らかに声を上げた。






 時は、最初の出来事から約一時間は経過した頃。

 変な空間で、無い思考を走らせては未だに今の状況を整理しつつあった。

 今やこの変な空間などは最悪後回しにし、何故女体なのか。を未だに、本当に未だに悶え考えていた。


 最初こそはまじまじと、隅々と、初めて見る女と言う美体を見て触った。

 推測する限りでは、二十歳も超えては居ない体ではないだろうか。

 そして後ろで左右にキッパリと分かれていて、足の関節部分まで長く伸びきった艶(つや)やかな白髪。触ればサラサラした何とも言えぬ心地が良い感触が手先から感じる。


 しかしだ、自分の体にあちこち触っては、はあはあと小さく息を立てて興奮するというのは一体これはどうなんだ? 些かそれは、変態と言う言葉が一番お似合いであろう。


 これ以上すると何かに目覚めてしまうので、それ以上の事はしない。と言うよりは思考を遮断させた。

 小一時間は伸び悩んだ女体化の事は此処であっさりと捨て、次に経緯を思い出す事にした。

 確かそれはそう、長きもの戦と言う名の修羅場――用は仕事を終え、うとうととした足元でベットへとダイブし、寝ていた時だろう。

 声が聞こえた気がした。「こっち――」と、掠れた声の中で聞き取れた言葉。

 お互い遠くに居るのに、恰(あたか)も近くで話しかけている様な声の高さだった為、深く聞こえはしない。

 同時に、浮いた様な体が、その声がした方へと為す術も無く自然と進んで行った事は覚えているし、今でも其の事に不思議には思っている。

 何にせよ、声が聞こえた方へと向かっていると、私は此処で目覚めたのだ。そう、この変な場所で。


 ――ざっと此処まで説明した辺りで一つ、私からカミングアウトしておこう。

 瞬きをしている間に一瞬で世界が変わったと言ったな……あれは嘘だ、っと。だが私は謝らない。

 仕方がなかったのだ。急な事過ぎて、思わず「あ、ありのまま今起こったことを話すぜ」っと口走りそうになったくらいにだ。さすがにそれは拙い。


 まあまあ、その事は置いておき。


「やっぱわっけ分かんないなぁ……」


 本当に意味がわからないと思いつつ、頭をポリポリと掻く。

 考えれば考える程に余計混乱する状況であった。

 だが、無い思考を走らせて無駄に疲れるのも私とて本意ではない。


「取り敢えず、出てみるしかないよね」


 思いだったが吉日か。

 後ろに振り返り、慣れない少女の足取りで壁のない扉へと歩み進める。

 一歩、二歩……計六歩弱で辿り着いたドアノブも見つからない扉に触れようと、片手を翳(かざ)してみた。

 すると驚くべき、扉は綺麗に縦一直線へと何の音も無く切れ目が走った。

 そんな事に驚きを隠せない私を余所に、触れてすらも居ない扉はゆっくりと自身の力で左右に開かれていった。

 扉の奥の光景は、こんな明るい場所とは打って変わって薄暗い。


 重くも鈍い石の音が鳴るとともに扉はこれ以上開く事は無くなった。

 私は恐る恐ると進み、薄暗い世界の床に足を踏み入れた。

 先ほど居た大理石の床とは違い、ヒヤッとさせられる少々冷たい感覚が足先から感じ取れたが、体に受ける風の気温はこちらの方がほんのり暖かい。


 まず一番に目につくのが、上へと登る階段が奥にある事。

 次に、壁のあちらこちらにこの暗い、恐らくは地下であろう場所に明かりを灯す薄い光があった。

 そこまで広くもない面積をしていて、頭上は約十メートルはありそうな高さ、左右内側に一つ一つ、また後ろの扉と同じような彫刻が掘られた大理石の扉がある。

 気付けば後ろの扉は閉ざされており、切れ目も完全に塞がっていた。


「ふむぅ、上に登るのも良いけど。服ないのかな?」


 特に用も無いし、上に登っても構わないのだろうが、何分女子(おなご)の体。それも全裸と来た。

 全裸を他人に見せるというのは、もうお嫁に行けないという前世ではかなり有名な言葉もある。

 ゆえに、まずは左右の扉に何か無いかを探すべきか。

 そう結論づいてから、私は適当に左手の扉から開ける事にした。

 あの変な場所から出る時と同様に片手を扉にかざすと、また同じように切れ目が走り、扉が重々しく開く。


「これは……」


 なんと、中は金銀財宝の宝庫であった!

 などと二度目の嘘を言って、狼少年――基、狼少女になってはいけない。


 しかし宝庫と言うのは、強(あなが)ち間違ってはいないだろうか?

 見えるのは服ばかりではあるが、どれも一級品の、それも高級な服ばかりな気がする。

 気がすると言うのも、やはり素人な私ではそれが本当に高級なのかも分からないのである。

 部屋の明かりはまるで朝日のように輝いて十二畳以上はある部屋を照らし、一部の鎧の様な金属を扱っている部分は光が反射して神々しい。


 騎士などが着用しそうな鎧が多い中、一際目立って見えるのは入って真っ直ぐ奥にある服だ。

 近づいてみると、何とも魔法使いの様にも見えなくはない見た目。

 肩紐が無い黒のワンピースではあるが、内側にもこもこがある胸上と腰の二箇所に黒皮のベルトと言う一風変わった服。

 それとは別に上着として、袖部分が広く開いた白色のガーディガン。

 他にはしましまタイツに、恐らくは髪留めのゴムが二つ。

 そして――


「パンツ、だと」


 そう、パンツ。それも青白しましまのTパンツと来た。

 男の夢、希望、青春が乗せられた伝説の、それも某モン○ンで言うレア八は下らないくらい超ド級にレアなアイテム。しまパン。

 何故だろう、とてもムラムラするのは。


「だ、駄目だ。この程度で狼狽えては」


 見るだけで興奮してはいけない。何故なら私はこれを着ると、今し方決めたのだから。

 ゴクリと生唾を飲み込み、いざ片足を上げて、



 着用中……(にゅうろあでぃんぐ……)



「ふぅ」


 やり切った感満載な息を吐き捨てる。

 着心地としてはそれはもうとても申し分ない程までにフィットしており、大袈裟ではあると重々承知で言うが、私の為だけの服なのではないだろうかとも思ってしまう程。それ程にまで体に合った服だ。

 無論、パンツに至っては言うまでも無く興奮と心臓のバクバクが激しかったが、そこは曖昧させて貰う。


「――出ますか」


 ささくさと用を済ませた部屋を出てしまうと、ガコッと言う音と共に扉は閉まってしまった。

 もう一つの部屋が気にはなるが、もう服は手に入れたので外の空気を吸ってみたい。


 私は早速と階段の方へと足を進ませ、階段の上を見て驚愕する事となる。


「うわ、なっが」


 つい言葉にしてしまう程。それほど長い。とてもでは無いものの、それでも長いモノは長いのだ。

 これは脚と言う脚――主に膝の負担は覚悟で登る必要があるだろう。

 うむ、まあうだうだ言っても居られないか。

 渋々としつつも、私は登り進めるのである。


「……女、ねぇ」


 改めて、自身の女体化についての思考回路に入った。

 女、女性、女子。私からして異性と言うのは昔、それはそれはもう興味もなかったもんだ。

 確かに小説とか漫画とかアニメ等など、それらで出る女キャラには多少興味はあったにはあったものだが、こう。何というか。性的な意味で捉えたことがない。

 格好良い。尊敬する。憧れる。庇いたくなる様な女子。まあそんな所か、可愛いと言うのは本当に小さくは思う程度ではあるが、あるにはあった。

 しかし、どっぷりハマるとまでは行かず、ただキャラを眺める、想像する、そして思いとどまる。

 たぶん誰しもは「何これ可愛いはあはあ」、「うっ……ふぅ」とかとか、そんな事を考えたりして舞い上がるのだろう。

 一方で私はと言うものの、そう言う感情を持ったことが無く、ただ眺めては想像し、約にして一ヶ月で忘れ去られる創造の欠片に過ぎない。

 俗に言う、音楽動画でやれ「神曲」、やれ「一番好き」やとあーだこーだ言って、一年もしない内に忘れる感じだ。


 さて、昔の私の戯言は此処までにしておこう。


 はっきり今の私で言おう。異性って最高だッ。

 着替える時などで己の全裸に二度目の鑑賞を果たした私は、もう「女に興味が無い」など言えなくなってしまった。

 もうこのまま異性としての体を受け入れるか? 受け入れちゃうか? 心も口調も女の子になっちゃうか? 新しい女の子生活でトキメイちゃうか? うん?


 いやいや焦るな私。まだ鏡で自分の体や顔も分からないままで浮かれてはいけない。もしかしたら相当なブサ面やも知れん。

 ブサ面が可愛らしく声を出すなど想像もしたくない。考えたくもない。

 ……この事は後で考えておこう。


「よし。付いたー」


 昔の戯言と今の心境を露(あら)わにしていると、いつの間にか階段は残り一段で登れる所まで来ており、その一段に力を込めて登りこむ。

 最後に「はぁ」と溜め息を吐き捨て、後ろを振り返って登ってきた段を見下す。相当な高さな気がする。

 此処から足でも挫いて転けて頭から行けば即死級にヤバイんじゃないだろうか。

 そんなどうでも良い思考をつい働かせてしまった。……何時もの事だが。


 鍔(つば)を返す。

 見るのは三、四度目か、彫刻が(中略)大理石の扉がある。

 どの時の大理石同様、私はもう慣れたのか、飽きてきたのかのどちらとも言い難しい感情を潜ませながらも、片手を大理石に翳す。

 案の定、扉に切れ目が走り、左右に扉がゆっくりと開かれた。

 一筋の隙間から眩い光と隙間風。今いる場所とは全く違う、空気の匂いと新鮮さと暖かさ。思わず目を細めたその狭い視界には、蒼い空が見えてきた。


「…………」


 口を開けて情けなくも唖然とした。

 扉がまだ完全に開き終わるのも待ちきれず、思わず体を捩らせて出て行き、白くて丸いコンクリート製か何かで出来ている手すりに捕まって景色を眺めた。

 絶景だ。空全面に広がる蒼色の空に、所々に見える白くて小さな雲。上空から出るサンサンと日差しを出す太陽。

 そして何より驚いたのは――


「白い街? しかも浮いてるの此処?」


 見に覚えもない、恐らくは日本でもない白い建物がずらりと、まるで低空飛行している飛行機から窓を見た風に並んでいた。

 もっと下を見てみると、今のこの建物と一緒に大地が浮いている様にも見える。――と言うよりは浮いているのだろう。

 もっとも、他にも同じように浮いている大地がちらほらと眼に入るのだが。


 見入っている途中、急に右側から人並みの大きさの影と物体が過った気がすると同時に、小さな突風が起こる。

 一体何ごとかとあちこちに目をやると、気付いた。


「え、人!?」


 今まで鳥が飛んでいるのだろうと思っていたあちこちの物体は、よく見ると腰から白い翼を生やした人だった。

 青年が何か本を抱えながら飛んでいたり、親子で飛んでいたり、少年少女の子供が元気良く飛び交っている。

 たぶん先程の人影と突風は、前を過ぎて余波の風がこっちに来たのだろう。そう納得した。


「此処は天国ですか……」


 見える景色全てに天使の様に白い翼を持った人以外の何者も居らず、至る所に天使、天使、天使と来た。これを天国と言わず何と言う。


「――そうですよ~」

「ッ!?」


 突然と背後から女性の声がした。

 何度目かの驚きの表情をし、反射的に後ろに振り返る。


「むにゃむにゃ~……」


 そこに居たのは、下げた両手と背を壁に凭(もた)れながら、頭は少し俯いては居るが、何とも器用に目を瞑って立ちながら眠る女性天使。

 あの大理石の扉横に居たせいか、開く時に死角となって見えなかったのだろう。


 腰まで届く長い後ろ髪を一束にしたポニーテールの茶髪。

 天使らしい……かは不明だが、白と青の服を着ていて、腰から出る細長い白翼。

 左胸元には光の反射で輝かしい銀の星バッチが付けられている。

 たぶんそれなりに偉い人なんだろう。

 そんな、それなりに偉そうな天使が小さく寝息を立てて眠っている。


「驚かすなぁ、全く」


 たぶん最初の発言もきっと寝言なのだろう。


 ――うむ、にしても、ケシカランものだ。


 何がと言うのも、胸である。実にケシカラン。

 私よりも大きい胸の膨らみ。恐らくはGカップは行っているのではないだろうか。大きい。

 取り敢えずがっしりと、何かの恨みも込めて両手で、それなりに偉そうな天使のケシカラン胸を真正面から掴む。


「んぁ……」


 それなりに(中略)天使は端(はした)なくも声を上げ、同時に少し体をくねらせた。


「柔らかい」


 ムニムニモニュモニュ。

 よく小説などで書かれる「女性の胸はマシュマロ見たいだ」は実に本当の事だろう。まさしくその触感。

 いや、もしかしたらマシュマロよりも柔らかいんじゃないだろうか。


 此処でふと思い出したのだが、私はあるマウスパットが気になっていた。

 それは女性の胸の膨らみと柔らかさを再現したと言われる箇所に手首を置き、マウスを操作すると言う物。

 あの柔らかさ、一体どれほどの物なのだろうか。正直買ったことすらも無い私にはてんで分かりはしない。

 いやまあ、もう現物の柔らかさを体感しているから分からなくてもどっちでも良いけど。

 ……今また思い出したが、昔の私は全く女に興味が無かったんだった。


「おい貴様!」

「えっ?」


 不意に手を止めて離す。

 ガツガツ、と金属製の靴で地を歩く音が、三日月の様に曲がったこの白い廊下に響き渡る。聞こえたのは右方面。

 そちらに顔を向けて見ると、結構……いや、かなり怒ってそうな、もしくは不機嫌そうな顔――いづれにせよ、良い表情では無いもう一人の天使が近づいてきた。


「何をしている」

「えー、いやぁ……」


 金属と金属がぶつかり合い、ガシャガシャと少々五月蝿い音を鳴らす蒼い鎧を着て、横腰には取手の柄に紅くて丸い宝石が付けられた長い剣――たぶんロングソードと言った所か――を備えていた。

 紫色の髪を肩付近で切り揃えていて、それでいてつり目。

 何処からどう見ても戦闘する天使である怖い天使は、未だ眠っている天使を見て、次に私を睨む。

 どう答えたものか。どう反論すべきか。此処は正直に言った方が良いのか。

 ――などと考えていた時だ。


「こう言うのは、私が居る場所でやれ!」


 ……うん?


「何故私を呼ばなかったのだ馬鹿者めが!」

「えー……」


 凄まじい剣幕で怒鳴ってくる鎧の天使に、私はもう頭が真っ白。

 あれなのか。こいつもしかして病気なのか? しかも鼻血が片方から垂れ出てるし。

 おい天使、おい。


「私は、女と女がイチャイチャする所とか、キスする所とか、寝込み襲いとか……甘んじてイケナイ事をする女同士が好きなくらい、知っているだろう!?」


 いや知らないよ。

 口には出さず、心の中で言ってもみる。

 どうやら鎧天使は重度の百合好きらしく、胸を揉んでいる所を見て興奮していたようだ。


「なのに貴様と言う奴は、私を差し置いて女の胸を揉むだと? ……どんな感想だった! んんっ!?」


 その興奮のあまり、私の胸倉を掴んで鼻息荒い顔を近づけてくる。そして鼻血出てる箇所が両方になった。

 怖えぇよ! 下手すればそこらのホラー映画より怖いから! つーか自分の揉めよ!


 ――あ、無いな。コイツの胸、スレンダーだ。


 てッ、ちょ、揺らさないで。


「駄目ですよミリア。来客が困っております」

「……はっ! こ、これは失礼した」


 強く頭をグラグラとされて脳の回転が遅くなる中、また違う声が鎧の天使が来た道とは逆方向――私の背後から聞こえる。

 鎧の天使はそれを聞くや否や、今自分がしていた事に気付き、私の胸倉を離してグイッと手の甲で鼻血を拭きとった。

 回る視界の中、私は救世主の声へと向いた。


「こんにちは。ミリアが悪い事を致しましたね」

「んー、あぁ……うん」


 救世主の声に失礼ながらも曖昧な言葉を発し、未だに視点が定まらないので、一度眼を閉じて精神を安定、同時に気持ちを落ち着かせることにさせ、眼を開く。

 するとちゃんと見える。自分流の目眩などの直し方だ。


 治った視界で、目の前をよく見る。

 まず目につくのは、天使の翼。

 確かに翼が目につくのは分かる、それは良い。

 だが目の前の救世主の翼は腰だけに飽きたらず、背中に一際大きな白き翼がある。

 左右合わせて四枚の翼。上に大翼二、下に小翼二と言った所か。

 日差しに照らされて映る長い髪は、まさしく黄金の輝き。全体的に神々しい。

 それに顔はなんだかおっとりしていて優しい笑みを浮かべている。

 例えるならば女神だろう。

 いや、実は本当に女神なのかもしれん。


「ナロリィ、そろそろ起きて下さいよ」

「ふぇ……えぇ?」


 あれほど大きな声を聞いても起きていないナロリィと言う胸の大きい天使が、女神であろう者の声を聞いてか、小さく瞬きをパチクリとして起きる。だがまだ寝惚けているそうだ。


「しっかりせんかナロリィ! 女神様が居るのだぞ!」

「……ふええぇ!?」


 鎧の天使――ミリアは眼を擦ってボケーっとしているナロリィに怒鳴りを散らすと、一瞬で目が覚めた。

 しかしオロオロとして、女神の前でどう態度を出せば良いのか分からないのか、両手を前で組む時もあれば、後ろで組み直したり、実に忙しい仕草を取る。

 そんなナロリィを見て女神はクスクスと笑って見ていた。

 と言うか本当に女神だった。


「ええい、落ち着かんか!」

「ふぁい!」


 最終的にビシリと軍隊らしく背筋を伸ばし、両踵を付け、ある胸を動かしながら前に出して両手を真っ直ぐする。

 体全体は様になっているが、顔がそれらしくない。涙目だ。

 それに体がビクビクとしていてまるで怯えた子犬の様にも映る。

 あのナロリィと言う者に犬耳でも付けたら案外行けるんじゃね?

 そんな考えさえ出てしまう。


「良いのですよミリア、ナロリィは自然が宜しいのですから」


 実に女神らしい優しい言葉を口にすると、「そ、そうですか?」と言って態度を徐々にと緩くするナロリィ。

 それを見たミリアは小さく溜め息を吐いていたのを、私は横目で見ていた。

 恐らく、偉さは今見る限りでは鎧を着たミリアの方が、銀バッチを付けているナロリィよりも上なのだろう。

 そしてその上がこっちの女神か。まあ当たり前であろう。

 落ち着かない両手を前で組んで、彼女なりの自然な態度なのであろうナロリィから女神へ目を向ける。自然と目が合った。


「貴女は、えーと。お名前は何と仰(おっしゃ)るのでしょう」


 女神の質問に、「私は」とまで言って、そこで言葉を止めた。

 そのまま自然に男の名前を言う所であった。

 さすがに女体であろう姿で男の名前を言うのはどうなのだろう。

 そう考えながら口を半開きしていた私に、女神は何かを察した。


「あぁ、失礼致しました。私は女神のルフ・アクレイシアと言います。ルフで宜しいですよ。ミリア」


 名前を聞く時はまず自分から。と言う有名な台詞があるが、まさしくそれを察した様だった。別にそう言う訳でもないのだが、好都合だ。

 女神はミリアに視線を送ると同時に、私もミリアの方へと向く。


「私は、天使ノ軍団『エンゼルロード』の隊長、ミリア・S・グラフロードだ。それと、女同士の戯れを見るのが好きだ!」


 最後の強調発言とまた出る鼻血さえ無ければ、カッコ良かったんだけどなぁ……。

 それにしても、天使ノ軍団『エンゼルロード』と言うのは気になるモノだ。

 前世で言う軍隊みたいなモノか? それの一軍の隊長とも言われる者か、凄そうだ。いや、実際凄いのだろう。

 あの百合好きを除けば、だが。


「おいナロリィ、次はお前だぞ」

「ふぇ、あっ、はい!」


 上の空だったのか、ミリアの言葉に目を覚ます。


「わ、私は。えーと、エンゼルロードの小隊隊長のナロリィ・ドロワーズロゥって言います。よ、よろしくお願いしまぅ」


 最後の最後に言葉を噛むも、慌ただしくペコリと胸を動かして頭を下げる小隊長のナロリィ。

 たぶん色々、此処まで見て今更言わせてもらうが。彼女はドジっ娘キャラに値する者だろう。そんな彼女が小隊長。

 それで大丈夫なのか、天使ノ軍団。

 思わず心配になってしまう、天使ノ軍団。

 だが面白いぞ天使ノ軍団。


 ――さて、此処まで来たからには、私も名前を言わなければならないのだろう。

 しかし男の名前なぞ言えたもんでは無い。

 聞く限りでは、今此処に居る三人の天使は全て横文字。漢字の名前は無いのだろうか。

 そもそも此処は天使以外の者が居るのか。本当の天国なら天使しか居ないのだろう。

 様々な事が頭の中で渦巻く中、新しい名前でも考えようと思い立った。

 新しい名前。取り敢えず色んなオンラインゲームとかで使っている名前でも捩ろうか。となるならば。


 三人の視線が私へと降り注がれる。


「私は――」


 うん、そうだな。これにしよう。


「シノ。かな?」


 露骨にも二文字だけではあるが。これから名乗るであろう私の名前を付けたのだった。

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