【短編】マクベスと毒

青豆

-眠りを殺した-


 思うに、完璧という言葉は姉のために存在していたのではないだろうか。容姿端麗、有智高才。おおよそ、当代無双とはああいうことを言うのだろう。

 姉は誰からも愛されていた。「相手がいないほど強い」という本来の語義からは外れるかもしれないが、敵を作らないという点では、姉はやはり無敵だっただろうと思う。

 私も、姉のことは好きだった。周囲からの期待、プレッシャーで押しつぶされそうになる日もあっただろうに、常に強く有り続けた姉を私は心の底から尊敬していた。

 姉は、妹からの尊敬だけではなく、家族全体からの尊敬、信頼を買っていた。一家の大黒柱というと、大概その家の世帯主、つまり父親といった立ち位置の人を思い浮かべるのが常なようであるが、この家では違った。もちろん世帯主の権利自体は父にある。だが、大黒柱という観点で見るなら、やはり父ではなく姉だっただろう。

 元より、父は優柔不断な質で、尚且つ小心者だった。父は都内の病院の院長を務めていて、院内では頼られているようだが、家での父はどうも頼り甲斐に欠けた。

 姉が18になった頃には、姉は父よりも発言権を持っていた。当然の結果だ。姉は決断力、判断力に優れていたし、それは誰もが理解していたことだった。

 姉の存在が大きくなると共に父の存在は小さくなっていた。当たり前のことではあったが、やはり父が姉に謙るところは娘として見たくなかったと情けない気持ちになったのを覚えている。

 姉はまさに、この家の頭領だった。



 姉が事実上、この家に君臨していたのは、そう長い間ではなかった。姉が亡くなったからだ。何者かが、姉の食事に毒を盛ったのだ。

 あれは、確か去年の6月ごろだったと思う。初夏の陽気に包まれた、穏やかな日だった。

 夕刻、いつものように家族で食事を取っていると、急に姉が顔色を変え、倒れたのだった。

 姉は自分の体調も管理ができないような人ではないし、姉は最近検診を受けたばかりだったのだ。持病によって倒れたというのはどうにも考えずらかった。

 だとすれば、姉の食事に毒を盛られた、それ以外には考えられなかった。

 誰もが動揺する中、いつも優柔不断な父はこの時誰よりも冷静だった。姉の近くにいき、脈を取った。

 父は静かに、首を振った。

「だめだ、もう息をしていない」

 母は警察を呼ぼうとした。だが、それを父は止めた。

「警察に知られたら、この家で殺人が起こったことが世間に知られてしまう。殺人が起こった一家、そんなレッテルを貼られてしまえばうちの病院は終わりだ」

 父はこの事件をもみ消すつもりなのだろう、それも多額のアンダーマネで。

 非情であるようだが、父が言っていることは理にかなってはいた。

 病院は信用を失えば破滅の道を辿る、というのは容易に想像がつくことだし、何よりうちは名家だ、そんな汚点を作るわけにはいかなかったのだ。

 私は、今は亡き姉の顔を見た。

 青白くなった姉の顔は、やけに美しかった。



 翌日から、姉を殺害した者の捜査が行われた。警察の介入なしに、私立探偵だけでは犯人探しも難航することが予想された。だが、以外にも犯人はすぐに見つかった。

 犯人は、庭の手入れなどを主に任されていた、使用人の者だった。うちの庭には、トリカブトが観賞用として咲いていたのだが、それが事件の翌日には抜かれていたのだ。さらに使用人の部屋の机の上には、トリカブトが無造作に置かれていて、それが決め手となった。

 使用人は否認していたが、とうとう追放されてしまった。父は、追い出したと言ったが、まさか我が家の汚点である秘密を握った使用人を野放しにはしないだろう。きっと今はどこかの山にでも埋まっているに違いない。

 私はふと、不思議に思って父に聞いた。

「お父さん、なんであの人、お姉ちゃんを殺したのかな」

「知るか、犯罪者の気持ちなんて分かりたくもないよ」

 そう言った父の目は、どこか虚ろだったことを、私は今も覚えている。



 あれから、5年もの月日が経った。私は、大学に行き、父のように医者の道に進むことに決めた。

 だが、医学を学んだことにより、私は姉の死に対してある一つの疑念を抱くようになった。

 あの殺人は、本当に使用人がしたことなのだろうか?と。


 たしかに、使用人は誰がどう見てもクロだった。だが逆に言うのなら、あからさますぎとも言えた。犯行に使った毒物を自分の部屋に、ましてや机の上になど置くだろうか。あれは、犯人が別にいて、わざと使用人の部屋の見つかりやすい位置に置き、罪をなすりつけようとしたのではないか、と。

 だが、私が姉の死を疑った一番の理由は、死んだ姉の姿だった。

 トリカブトは子根である附子(ぶす)というものを毒に使う。附子を口に含めばたちまち神経が麻痺するのだが、その時の姿が、ブスという言葉の由来になっているくらいだ。

 だが、あの時の姉はブスなんて言葉とは程遠かった。

 そう、美しかったのだ。

 顔は白くなり、苦悶に顔を歪めたその姿はまるで芸術作品のようだった。私はあの姿に見覚えがあった。あの症状は、低血糖によるものではなかったか。

 数年前、インスリンの経口摂取が可能になったというニュースを見た。あれは、確か事件の数ヶ月前だったはずだ。

 父は、日本の医学の最前線に立つ者だ、その技術を享受していても、おかしくはない。

 父が、姉を殺した。そう考えると全て合点が行く。姉のせいで立場がなかった父が、姉を殺してもう一度強くなろうとした、ありそうな話だ。

 私は、シェイクスピアのマクベスを思い出した。マクベスは私に、勇猛な者より開き直った小心者の方が恐ろしいことを教えてくれたのだ。マクベスは勇猛でありながらも、小心な一面があった。それ故に暴君へと成り下がったのではないか。


 今夜、私はそれを確かめる。これが私の考えすぎであることを証明するために。ただの推理小説の読みすぎであることを証明するために。

「お父さん、話があるんだけど」

「なんだ?」

「お姉ちゃんのことなんだけど」

「お姉ちゃん?なんでまた...」

 そう言うと、父は何かに気づいたようだった。

「お前、最近寝てないんじゃないか?」

 たしかに、寝不足ではあった。ここ数日、父が殺人犯ではないか、と考えると眠れなかったのだ。

「こんな時間だ、ほら、水をあげるから、話が終わったら寝なさい」

 そう言って、一杯の水を差し出してきた。

 私はそれを一口飲む。

 あぁ、たしかに疲れているのかもしれない。味覚が変になってしまったんだろうか、この水は変な味がする。

 すると父は口を開いた。


「どうした?変な味がするか?はは、あの時お姉ちゃんも同じ顔をしていたよ」








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【短編】マクベスと毒 青豆 @Aomame1Q84

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