第21話 王の種

『だから、私はカナメと永久を生きたい。いつか樹界の王として私と長い時を寄り添って欲しいと、そう思うんです』

 樹界の王。

 彼女の言葉を、思わず反芻する。

『私たちは、植物と人の間に立つ存在です』

 ラウネシアの腕が、蔦のように絡みつく。

『私とカナメは似ています』

 ラウネシアの濡れた唇が、ボクの首元に埋まった。

『人間と植物のどちらにも属さない。何者にもなれない』

 彼女の冷たい手が、ボクの胸元を優しく撫でた。

『カナメだけが、私を理解できる。私だけが、カナメを理解できる』

 彼女の手が、ゆっくりと腹部に下りていく。

『私を離さないでください。私もカナメを離しません』

 捲れ上がった衣服の中に、彼女の冷たい手が滑り込んだ。

『そして、支配してください。いつの日か、私を支配下に置いてください』

 首元に埋まっていた彼女の顔が、そっと離れてボクを正面から見る。

 若竹色の瞳には、様々な感情が宿っていた。

 腹部を撫でる彼女の手が、止まった。

『私とカナメは、もっと近しい存在になれます』

 腹部に痛みが、走った。

 注射針で刺されたような、微かな痛みだった。

 視線を落とすと、彼女の手が腹部からゆっくりと離れるところだった。

 ラウネシアがクスクスと笑う。

『種を撒きました』

「種?」

 思わず聞き返すと、ラウネシアはこれまで見たことがないような妖艶な笑みを浮かべた。

『人の命は短く、儚い。そう思いませんか?』

 彼女から生み出される感情が、苦しみを耐えるようなものに変わった。

『カナメはきっと、私を置いて先に死んでしまうでしょう。カナメを失った後、私はこの地で悠久の時を生きなければなりません』

 哀しみの色が、はっきりと立ち昇る。

 巨大な感情だった。

 拾い上げた感情が、ボクの心を上書きしていくようだった。

『カナメと作り上げた種を撒き、それが世界中に散らばっていく様子を見届けたあと、私は静かにここで朽ちていくのです。カナメとの思い出を胸に、ゆっくりと死を感じていく。私にはそれが堪らなく恐ろしい』

 だから、と彼女は言った。

『種を撒きました。人と植物の間に立つカナメが、少しだけこちらに傾く種です』

 彼女の手が、服の上から優しく腹部を撫でた。

『王の種です。森の支配権を少しだけ、あなたに譲ります』

 森の支配権。

 ボクは服を捲りあげて、ラウネシアの触れた部分を確認した。

 おへその上から、一筋の血が滴っていた。

「ラウネシア、これは……」

『これを以て、あなたが願う通りに森が変化します。私が示す親愛と信頼の証です』

 原型種にとって、この森は命そのものと言っても良いだろう。

 支配権の一部を譲渡するということは、彼女が表現できる精一杯の愛情表現に違いなかった。

 彼女の手が、ボクの傷口を撫でる。

 流れる一筋の鮮血を細い指ですくいあげると、ラウネシアはそれを舐め取った。

『私の種がカナメの中に。カナメの血が私の中に』

 歓喜の色が、彼女の精神を支配していく。

『これで私とカナメは、ますます近しいものになりました』

「ラウネシア……」

 人間からの愛情を感じることは、ボクには難しい。

 母からの愛情を感じたこともない。

 幼少期からずっと、孤独感があった。

 ラウネシアから真っ直ぐ向けられる愛情は、望んでいたもののはずだった。

 なのに、頭に浮かぶのは幼馴染の顔だった。

 人間から植物に傾いていくボクは、由香から離れた存在になろうとしていた。




「カナメ。一つだけ忠告しておこう」

 中学二年生の夏。

 自宅の庭園で水撒きをしていた時、それを横で見ていた由香はつまらなさそうに言った。

「君は植物の心を読み取ることができる。君は植物を理解しようと努力する」

 けれど、と彼女は首を横に振った。

「植物は君の心を読めない。植物は君を理解しようなんて思わない」

 流れる水が、水たまりを作っていく。

 ボクは、じっとそれを見ていた。

「総ては君の片思いだ」

 わかっていた。

 嫌というほど理解していた。

 ボクは人間で、植物にはなれない。

「カナメを理解できるのは、同じ人間だけだよ」

 足元の水たまりを、由香が踏んだ。

 ボクのすぐ傍で、彼女は足を止めた。

 水やりをやめて、振り返る。

 同時に彼女の腕が身体に巻き付いた。

「孤独感が、あるんだろう」

 耳元で囁く彼女の声は、今にも消えてしまいそうなものだった。

「わかるよ。私もそうなんだ」

 ボクは言葉を失って、ただ立ち尽くしていた。

 ホースから落ちる水が、足元を濡らしていった。

「カナメが植物以外の者を理解できないように、私は全ての者に対しての共感性を失っている」

 中学二年生の夏。

 彼女の家庭は、三度目の破綻を繰り返していた。

 普段は大人びた姿を見せる由香が、その日は小さく見えた。

「私が理解できる同族は、同じく共感性を失った君しかいない」

 重なった身体から、熱が伝わってくる。

 ATPエネルギーが作り出す熱量だ。

 ボクの感応能力は、それ以外の何も拾わない。

「君が植物に片思いをしているように、私もきっと君に片思いしてるんだろうね」

 彼女の震える声を聞きながら、ボクはホースから流れる水のことばかりを気にしていた。

 水のやりすぎだ。

 直接心に響く植物の声が、そうさせていた。

 由香の声は、植物の声に塗りつぶされていく。

 それでもボクは、ホースを手放した。

 踊り狂うホースが、空中に虹を描いた。

 水しぶきが衣服を濡らす中、由香を抱きしめ返す。

「君は時々、人に対しても優しいね」

 由香が弱々しく微笑む。

 その時、心が痛んだ。

 ボクの心はどうしようもない軋みをあげて、たしかに動いていた。

 流れ続ける水の音と、抗議のような植物の声が聞こえる中、ボクたちは長い間そうやって身を寄せ合っていた。

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