◆第38話 どうか思い出して?私のこと・・・

桃子からの留守電メッセージを無視した次の日の夕方。




香南は自室にこもってびっちりとカーテンをひき、


照明もつけずベットの上でじっと膝を抱えていた。




陸のことを考えまいと、何も考えないようにしていたが


かえって彼のことが頭に浮かんでしまい、


心をかき乱されていた。




だからずっと他の出来事に目を向けようと努める。


そんなことをしていた時だ。




ふと胸がざわつきだす。何だろう。


この感覚。胸を押さえる。




突然胸中に生まれた嵐がどんどん膨れ上がってきた。


かと思うと陸のことが強制的な感覚で意識に割り込んでくる。




いくら追い出そうとしても駄目だった。


一体何故。




自身の異変に戸惑っているとインターホンが鳴らされた。


誰だ、こんな時に。




再び鳴ったが香南は微動だにしなかった。


両親は仕事でいない。




しばらくして玄関のドアが叩かれる音と共に、


アンパンの声が聞こえてきた。




陸も桃子もいるらしい。


陸の存在を認めると胸の嵐が急激に加速した。




数メートルも離れていない所に陸がいる。


顔も合わしてもいないのに、


たったそれだけでこんなにも反応してしまうなんて・・・・




香南は胸を押さえかきむしる。


必死に圧しとどめようと堪えるように。




まだ陸達が近くにいるせいだ。


耐えること数十分。ようやくざわつきはひいていった。




陸達があきらめて帰っていったのだろう。


息を止めていたかのように、


呼吸激しく脱力し香南はベットに大の字になった。




全身にびっしょりと汗をかいている。


学校を休んだ判断は正しかった。




こうやって自室に篭っていれば陸に危害を加えずに済む。


だがしかし・・・




一体これからどうしたらいいというのか。




全てを思い出した以上、


この状態はきっとずっと続くことになると確信していた。




解決策なんて浮かばなくて途方にくれた。


怖い。とても怖い。




香南は小刻みに震える自身の体をギュっと抱きしめた。






顔を合わさなければ


問題ないと思っていたのが大きな間違いだった。




会っていなくても日に日に衝動は収まることなく増していった。


もう限界だ。自己をコントロールできない。




意識を失ってしまいそうなほどだった。


とうとう断続的に意識が飛ぶことが起こり始めた。




別の人格に乗っ取られてしまうような感覚。


そうなるたび意識を必死に保とうとする。




しかしその回数は次第に増えると共に、


なおかつその時間が長くなっていき香南は恐怖を感じた。




自分が自分でなくなってしまう。


このままではいけない。家を出ようと決めた。




どこか遠くに逃げよう。完全に意識が奪われてしまう前に。


もしかしたら彼との物理的な距離を広げれば、


この衝動も薄まるのではないかと考えたのだ。




顔の半分ほどが隠れる黒い帽子を目深に被り、


母の化粧室からとってきたサングラスをかけて、


夕暮れの街を歩く。




家にあるだけのお金を持ってきた。


出来るだけ遠くへ、今は陸から離れることしか


頭になくその先のことなんて考えていなかった。




まずはどうしよう、電車で空港のある駅まで行き、


そこから航空券を購入し飛行機で


どこか行った事もない土地を目指そうか、


そんなことを思案しながら歩いていた時だった。




「え?」


視界は白黒に反転しグラリと揺れた。


例の衝動が膨れ上がる。




苦しく立っておれず、地面に膝をつく。


そんな馬鹿な。これは学校で陸を目にした時に起きた症状だ。




どうして会ってもいないのに!?


側に彼がいるわけでもないのに?!




疑問を他所にどんどん意識がフェードアウトしていく。




不味い。




このままでは正気を失ってしまう。


何とかしようと力の限りを振り絞り意識を保とうとした。


けど駄目だった。




手足がしびれ、己とは異なるモノに体と心が支配されていく


感覚のままに―無駄な足掻きに終わっていた。




次に意識を取り戻した時香南は。




公衆電話ボックスに入り、


受話器を耳に押し当てていた。












「はい、秋野です」


「もしもし、陸?」




「香南っ香南なのか!」




学校から帰ってきて電話を取ると


香南から電話がかかってきた。




陸は驚きで受話器を取り落としそうになったが、


懸命に心を落ち着かせようとした。




ここ数日、会うことも連絡をとることもできなかった


香南とようやくつながったのだ。




慌てふためいてミスをし彼女を逃がすようなことがあってはならない。


冷静にしてもしすぎることがないくらいに対処しなくては。




聞きたいことがたくさんあるのを抑えて訊ねる。


「ここ数日学校休んでるけど、どうしたんだよ」


「・・・・・・・」




香南は答えない。


「今どこにいるんだ?」




沈黙。聞きながら耳に神経を集中させる。


微かに車が車道を通る音が聞こえた。




「陸・・・」


受話器越しに香南のゆっくりとした吐息が聞こえた。




「高台のある公園まで来て欲しいの。話があるから」


待っているわ、そう言うと通話は切られた。






日が暮れ東の空から、夜の藍色の気配がだんだんとよせてくる頃、


陸は公園に向って街中を駆けていた。




高台のある公園は夜更けに陸が香南に告白した場所だった。


時計に目をやる。香南と電話で話してから数十分とたっていなかった。




香南に会える。


何故皆と顔をあわせようとしないのか理由を聞くことができる、


そう思うとすぐに家を飛び出していた。




気も急いて来る。


高台までの最後の長い階段まで来た。




この上の公園で香南が待っている。


陸は二段抜かしで駆け上がる。




上まで辿り着くと息をついた。


夜の闇が忍び寄り薄暗くなった公園内を見据える。




昼間は子連れの親子で賑わうこの場所も


今は人気がなく寂しげに映った。




日を受け長い影を伸ばしている遊具の一つ、


ブランコに座る人影を見つけた。




陸は息を整えて敷地内に踏み入り、


ゆっくりと近づいていく。




「香南」




側まで来て呼びかけると、


香南はゆっくりと顔をあげた。




立ち上がると陸と向かい合う。


実に数日ぶりに彼女の顔を見た。




短期間なのにすごく長い間会っていないように感じられた。


彼女が何かの事故に巻きこまれたわけではなく、


無事だったことにとりあえずほっとした。




「早かったわね。呼んだら必ず来てくれるって信じていたわ」


「心配してたんだから当たり前だろう」




香南が笑う。


「・・・・?」




陸は違和感を感じた。


どこか様子がおかしい。


香南の目の焦点が微妙に合っていないように見える。




普段も黒目がちだが、


更に磨きをかけたみたく何も映していないように思えた。




「おい、大丈夫か。体の具合悪いとか・・何かおかしいぞ」


「何言ってるの。私は全然元気よ?こうしてピンピン健康そのもの」




大きく手を広げて大げさに振って見せてくる。


「じゃあどうして学校を休んだんだよ」




陸は少しむっとした。


これまで陸や桃子達がどれだけ心配してたと思ってるのかと。


興奮を抑えられず追求する。




「考えすぎかもしれないけど・・・


 まるで俺を避けるために休んでたみたいで・・


 もしかして気がつかないうちに


 お前を傷つけるようなことしてしまったのか?」




「ふっ・・」


真剣に訴えかけると、香南が俯いた。




「・・?」


「フフフッアハハハハハハハハハっ!」






体を小刻みに震わせたかと思うと、


突然大声をあげて笑い出した。




「何が可笑しいんだよ?」


「だって・・・あなたがとんだ見当違いをしているんだもの」




「見当違いだって・・・?どういう意味だそれ」


「わからない?思い出せない?」






思い出す?話がかみ合わない。


何のことを喋っているのかわからず途方に暮れそうになっていると、


先程陸が駆け上がってきた階段の方から二つの人影がやってきた。




「香南、陸!」


桃子とアンパンだった。




「良かった!やっと会えた!」


「香南心配したぞっ、今までどうしてたんだよ!」




息を弾ませている所を見ると


二人とも急いで来たのは明らかだった。




「勝手に学校休んで、


 電話にも出てくれなかったし・・何があったのよ」




桃子らの問いかけに答えず


香南が漆黒の瞳をこちらに向ける。




「俺が二人を呼んだんだ。ずっとお前のこと心配してたからな」


「ちょうどいいわ」




アンパンと桃子に目を向けながら言う。


「その二人にも思い出してもらいましょうか」




「香南・・・?あなたどこか変じゃない?」


敏感な桃子はすぐに香南の異変に気がついたようだった。




香南が瞳を閉じる。




彼女の周囲の空間が・・・歪んだ?




その髪の色が・・錯覚か・・・瞬きし目を擦る。




茶がかった髪から燃えるような紅い髪へ。


閉じられた瞼がゆっくりと上がる。






ドクン。


心臓がはねた。






見開かれたのは漆黒ではなく


真紅の瞳だった。






それを目にした瞬間。


陸の頭の中、心、否。




陸という存在そのものの根底にあるものの、


更にもっと奥底にある深淵の場所から。




もうずっと遠い、


本当に遠い昔の記憶が駆け巡り押し寄せた。








「どう?思い出してくれた?私のこと・・・」


満足そうに笑う香南。




それはとても妖しげな女性の顔だった。


まるで香南ではないような。






「香南・・お前は」


思い出した。何もかも。






桃子もアンパンも心を打ちぬかれたように


呆然と立ち尽くして、陸と同じような表情をしていた。

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