◇第7話 「綺麗なお嬢さんだなんて・・そんな。照れちゃいます」

翌日。手には木の実を調理した簡単なお菓子の入った袋を提げて。アルクと共に湖にやってきた。


町から数十分歩いた所に小さな森がある。その内側、木々に取り囲まれるようにして湖はあった。




水深は深く蒼い水面が透けて美しい。


空からの太陽光を反射して風に波立つ湖面がきらきら輝いていた。




湖とはいえ、その規模はかなり大きく形も曲がりくねっていて、死角ができるために全体像を一目で把握するのは困難だった。




岸に沿ってしばらく歩いていくと少年の言っていた通り、湖の畔に小さなテントが立っているのが見えた。近くまでやって来るとテントは入り口が開いており中を見ることが出来た。




寝具や食器など生活に必要最低限の道具が整然と備えられていた。


しかし物はあっても誰もおらず無人で、留守のようだった。




「昨日のお兄ちゃんいないね」


「ほんと。どこにいったのかしら」




アルクとどうしたものか、と話していると湖の方から音がした。水面に水しぶきが上がったような音だ。聞こえてきたのは、巨大な岩が積み上がった形になっている、岩場の向こう側からだった。




行ってみましょうと、アルクと頷きあう。


岩場を迂回して回ると、盛り上がった岩の一つに少年が立っていた。




声をかけようとしてやめた。少年は青い目を光らせて湖面を睨んでいる。端と見てわかるほどに、何かに対して集中しているのがわかったからだ。




アルクも同じことを思ったらしく黙っている。よく見ると少年は手に槍を持っていた。


しばらく遠目からその様子を見守った。槍を振りかぶって構える。




タイミングを計っているのだろうか。湖に槍を投げ込んだ。数秒すると水面に、槍に串刺しにされた魚が浮かんできた。どうやら魚を獲っていたらしい。




「すごいっ!」


アルクの自然と漏れた叫び声に、少年がようやくこちらに振り返る。ターシャは笑いかけて挨拶した。


「こんにちは」




「ああ、君たちは昨日の。こんにちは」


微笑を浮かべて岩場から降りてくる。




「槍だけで魚を獲るなんてすごいね」


「どうやったらそんな風に上手に魚を獲れるの!?」




興奮してアルクが好奇心を表している。ターシャの父も漁業で、釣竿や網を使うがさすがに槍は使わない。よほど訓練しないと出来ないだろう。




「コツさえつかめば、そう難しくはないんだ」


謙遜する少年の言葉にアルクはホント? と嬉しそうに笑う。


昨日はどうもありがとう、とターシャは持ってきた包みを差し出す。




「今日はお礼に来たの。よかったらこれもらって。たいしたものじゃないけど」


お礼なんていいのに、と両手を上げてかしこまっている。




「剣士ならば危険に晒された女の子と男の子を助けるのは当然のことだから」


当たり前のことをしただけで、お礼をされるほどのことじゃない、それが彼の流儀らしい。




「それでも助けてくれたのは事実なんだから」


「お姉ちゃんが作ったお菓子なんだ、食べてみて。とっても美味しいよ!」




いつも食べている弟が自慢するように胸を張る。アルクったら、


と親ばかならぬ姉弟馬鹿っぽくて少し気恥ずかしくなる。




「わかった。せっかく作ってきてくれたんだから、ありがたくいただくよ」


アルクの言葉に納得したように、ようやく包みを受け取る。




ここで食べてもいいかい、とお菓子を一枚取り出し、食べて見せた。


しっかり味わうように咀嚼している間、少年は表情を変えず何も言わない。




ターシャは何だかどきどきする。弟を除けば男の子に自分の作ったものをあげるなんて初めてだから。うん、美味い、と少年は顔を輝かせて感想を漏らした。




「君は料理が上手なんだね、本当においしいよ」


「っ・・!」


なんのてらいもなさそうな、無防備すぎるさわやかな笑顔で言われて、不意打ちを受けみたく、ターシャは心のど真ん中を直球で突かれたようだった。




顔が赤くなるのを持て余し必死で隠す。やだ、どうして赤くなってるのかしらと動揺してしまった。両手で顔を覆い背を向けたターシャに、少年もアルクもどうしたの、と不思議そうな顔をしていた。




「まだ名前を聞いてなかったね。僕の名前はリュウだ」


「私はターシャ、この子が弟のアルクよ」




少し遅くなった自己紹介を終えると、リュウがさっきとった魚を塩漬けして焼き、ご馳走してくれた。とれたてでとても美味しく弟と一緒にいただいた。




アルクが魚の獲り方を教えてほしい、と頼むとリュウは快く引き受けてくれた。


低い岩の上でリュウがアルクに小さめの槍を持たせ、やり方を教えてあげているのを少し離れた場所でターシャは見守った。




一通り教わるとアルクが実際にやってみることになった。真剣な顔つきで湖面を見つめている。


リュウが魚の餌を湖にまき、魚が水面まで顔を出すのを待つ。




数匹の魚の影が上昇してくるのが見えた瞬間、アルクがえいっと槍を投げる。槍が湖面に潜り水しぶきを上げた途端、餌に群がっていた魚が霧散する。逃げられてしまった。




「あれ、外れちゃった」


わかりやすく小さな顔をしかめて見せる。リュウが槍を引き寄せアルクに渡す。




「初めはうまくいかないものだ。もう一度やってみよう」


気を取り直して頷く。その後数回、試してみたがどれも空振りになった。


悔しそうに地団太を踏んでいる。




「難しいっ! どうして出来ないんだろう?」


「頑張って、アルク」




ターシャは励ますように応援の声を送る。


弟は俄然やる気を出したようでよ―しっと腕まくりしている。


だが結局数十回試してみても魚を獲ることは出来なかった。




「やっぱり全然駄目だ・・・・」


がっくりと肩を落すアルクを少年が励ます。


「初めは誰だってうまくいかないものだよ。僕だって出来なかった。毎日練習すればきっと君にもできるよ」




ほんとに、と問い返す弟にリュウは満面の笑顔で、僕が保証するよ、と頷いてみせている。


「明日もここにおいで。教えてあげるよ」


ありがとう、お兄ちゃん! とアルクは顔を輝かせて飛び上がった。








  そんな約束がきっかけになって毎日アルクは湖に行くようになり、その保護者のような形でターシャもアルクに引っ張られて付いていくことになった。




リュウが同じ年代で、人当たりのよい穏やかな人柄だったこともあり、すぐに三人仲が良くなった。


何度か通ううちに、それまで留守にしていた彼の父親と顔を合わすことになった。




テントから出てきた男性は身長がすらりと高くがっしりしていて、口元に髭をたくわえていた。目は切れ長で鋭く、静かな知性を感じさせた。




大人の男の魅力に溢れていて、ターシャの父より格好良かった。ごめんお父さん、と心の中で自分の父に詫びるくらいに。リュウとはあまり顔が似ていない。リュウは母親似なのかもしれない。




「紹介するよ。僕の父さんだ」


「は、初めまして」


緊張気味に弟と共に挨拶する。 




「こんにちは。よく来てくれたね」


「私達先日森で危ない目にあってた所をリュウ君に助けられたんです」


話は息子から聞いているよ、と頷いてリュウの方に目を向ける。




「綺麗なお嬢さんじゃないか。一流の剣士を目指すのであればこの素敵な淑女に失礼のないようにな、リュウ」


「わかってるよ。父さん」




親子の会話にターシャは顔が赤くなって両手で頬を隠す。


綺麗だなんて、初めて言われた。しかもお嬢さん。




「ろくなおもてなしも出来ないが、ゆっくりしていってください」


にっこり微笑んだ父の顔に、あっと思った。


その穏やかな表情はリュウの笑顔にそっくりだったからだ。




さっきは似てないと思ったけれど、やっぱり親子なんだなと感じた。


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