おれの女は帰蝶だけ

判家悠久

第1話 1549年4月 美濃国 稲葉山城 馴れ初め

 斎藤道三の治める美濃国。その中心部の稲葉山の頂上に聳え立つ稲葉山城に繁々と登って行く、武士かばらさか皆目見当もつかぬ拵えを持った織田家の家紋を携えた一団五十人余り。その野放図さでも、一瞥もせず屈強なままの居住まいの斎藤家臣団。


 そして到着間も無く、斎藤家の丁重なるままに大広間迄に通されるも一団が徐々にとどめ置かれ、最後の引き戸に残るは正装の織田家厳格な宿老の平手政秀とばさら姿の織田家家督織田信長。そして毒見見聞役の武士たるも面持ちは女武士。


 政秀、ただ厳つくも

「斎藤家も、最後に女房方で留め置くとは、そこ迄に神妙になるものですか、」

 年端もやや超えたどうしてもうら若き女武士が淡々と

「勿論です、男衆ではどうしても見落としてしまう仕儀も有りました、針が付いては仮縫いのままだと豪快も引き攣る朝倉の使者がいましたので、試しに針を抜いてちくと刺したら、一瞬で泡を吹いて死んでしまいました、何を遥々訪ねて来てそこ迄焦るものでしょうかね、さあ政秀様から先です、刀剣は確かに預かりましたね、」政秀を上から下まで隅々叩いては安全確認を

 信長、ただくしゃりと

「女房役さんさ、俺もだろうけど、間合いに入ってその首の骨折られたらどうするの、」

 女武士、不意に拵えに触れては

「信長様、ご心配なく、私の拵えはやや短く屋内向きでございます、そこそこ勝てるでしょう、さて、信長様の身支度も確認させて貰えますか、」

 信長、ただ嬉々と

「その前に女房の君の名前教えて貰える、うっかり抜かっては成敗されては、己それがし、なんて捨て台詞が格好付かないでしょう、」

 女武士、一瞬困惑するも

「竹中早半兵衛花苗と申します、この身なりですから早半兵衛で結構です、尚早半兵衛の由来に関しては、竹中家は長男戦死後男子に恵まれませんでしたので、長女の私に最初半兵衛と名付け斎藤家嫡子に育てられました、しかし中堅の父君の奮起で男子が生まれた為、縁起の良い半兵衛を弟に明け渡し、苦肉の策で私は早半兵衛と名乗れとの事です、親子共々軍師筋は知恵が回り過ぎると手続きが面倒な例えですけど、ここでくすと笑うところですよ、面白くないのは私が話し慣れたせいでしょうか、」さも面倒さそうに信長の上から下まで完膚無きまで叩きながらも

 信長、真摯に

「いや、早半兵衛、いい響きだよ、そのものって感じだな、」

 早半兵衛、ただ笑いがこみ上げ

「信長様は、思った以上に面白い方ですのね、結構です、お通ししましょう、」引き戸を厳かに開けながら

 信長、一気にはにかみ

「ここも検分の一環か、で、あろうな、」用意された客座へと


 信長と政秀の座る客座の大広間へと、近習の御目通りの一声のままに大広間の上座に次々座る斎藤家一同。登壇と同時に芳しき丁寧に栽培されたかの百合の香りが大広間を満たして行く。


 武士たる威風よりももはや入道姿の斎藤道三がため息交じりに

「さて、貴公信長、あやつ信秀に密書を送ったものの、稲葉山城に入城ともあれば察しは付かないものか、かかる仕儀に身なりは大事であるぞ、」

 今や信長の筆頭お目付け家老そのもの平手政秀、平身低頭のまま

「道三様、密書の御意志確と承っております、ですがここは未だ相対する斎藤家織田家故に、道中を警戒させぬ信長様のこの風態を平にご了承下さいませ、」

 道三、ただ禿げ頭を自らぱしと

「しかし、尾張は一大商い地とは言え、その真っ赤な重ねに、髪の赤紐の結びは、聞き及ぶばさらでもこう迄ではあるまい、」

 稲葉山城でも、普段通りど派手な織田信長がさも退屈そうに

「道三さ、これは母上の土田御前の見立てそのもの、いっそ言う事がままならぬなら貫きなさいだってさ、ここもう織田家家風だから、一々言うの、それだから国主は、」

 二番席次の上座に凛と座る、童顔もどうしてもいかつ過ぎる女性の風体の帰蝶

「父上、信長様の髪の編み込みは、そんじょそこいらの髪結いには出来ない仕上がりです、ここは真の言葉としてお受けしましょう、」

 信長、大爆笑のままに

「良いね良いね、かなり見る目あるね、そうこれね、清洲城ずっと出っ放しだと髪の毛もぱさぱさになって、土田御前がさ、武士が終始髪の手直ししていたら抜かりますで、凄い編み込まれちゃってさ、まあ逆に市中に出ると引く手数多で、もう困っちゃうよね、」不意に姿勢を正し「それで、言葉を添えた君、芳しき百合の香りの、そう君、名前は何と申します、」

 道三、もはや喜び勇み破顔のままに

「おお、婿殿、よくぞ聞いてくれた、貴公は実にお目が高い、その審美眼は、武士以上に商いの才覚があるとお見受けする、」不意に我に返っては「いや、失礼した、紹介がまだであったな、向かって右より我が娘の、小貫、帰蝶、若粉である、存分に吟味しては生涯の伴侶を選び給え、」

 信長、目を細めては

「って、名前は三人だけど、小貫の上座にいるのはどう見ても塩首桶だけど、何言ってるかさっぱりだよ、」

 帰蝶、キリと見据えたまま

「姉上、小貫の関しては私から申しましょう、日頃より目に余る奔放故に昨日私が自らの拠り所を促しました、小貫は朝倉の冠者に篭絡され媚薬を盛っては目合びたり、信長様がお越しになるのにそれをも正そうとせず、私が臥所に怒鳴り込み、朝倉の冠者を一刀に裁いては、鮮血塗れでも快楽の先からまだ戻らぬ小貫に咎めへのいざの進退を勧めました、この塩首桶は、冷水三十杯浴びせてようやく正気に戻ってからの沙汰と相成ります、織田家が朝倉家と国交断絶をお望みであれば、よしなにお持ち帰り下さい、」

 信長、微動だにせず

「政秀、次満を今すぐ朝倉領内に飛ばせ、」

 政秀、神妙にも

「信長様、今更朝倉領内に忍びを飛ばした所で何の裏付けをします、織田家は小物よと囁かれますぞ、それに越前ともなると大戦にならぬ限り相対する事も有りますまい、ここは一切触れぬ方が良いでしょう、」

 信長、さもうんざりに

「密議で塩首桶があれ過ぎるよ、俺でも呆れる、それで次の帰蝶は、何がどうなってそれなの、斎藤家は俺にどう見ても男の嫁を押し付けて何がしたいのか、ここで開戦か、良いよ、来いよ、こう言う押し入りは市中で慣れてるんだよ、」ただ右膝を立てる

 帰蝶、凛と

「信長様、暫しお鎮まりなさい、斎藤家にも明分は有ります、」

 道三、ただただ制し

「婿殿、ここは暫し、そう、帰蝶は今は娘、この相貌から何や口籠ざる得ないのもごもっとも、今は儂の話をお聞きめされ、」深く息を吸っては「そう、帰蝶は、見るからに化粧も下手で有り、肩も厳つく、背丈も有り、美丈夫そのもの、確かに男が重ねを着ては不可思議で有るのはお見えの限り、答えを先に述べれば、帰蝶は女であり男である、何を世迷言を言うかはごもっとも、だが帰蝶は女陰も男根も有しているのは、この目で確かで有る、さて、何を有り得ない話をしているが、ここは、そう、で話を進めざる得ない、ここより先は光秀、大いに述べよ、」

 左側面の直臣座に座る、見る程に鋭利過ぎる程の家老土岐光秀

「織田様、平手様、私は斎藤道三の家臣土岐光秀と申します、主人の厳命によって、帰蝶の両性具有を如何なる財を投じても、諸国から探し当てろと命じられました、全仏閣と言える程に導かれるまま尋ね歩き、果ては大いなる伝手を辿り殿上でも教えを頂き、過去の文献からも両性具有者はおり、誰にも憚りを得ない人間で有り、人外では無いとの言上を有り難く頂きました、ただ現世に当てはめてみますと両性具有者は女か男か、何れの生き方をしなければなりません、ここが皆様方の懸案かと思われますが、私は帰蝶様は女で有ると申しておきましょう、織田家の洒落た若様がこの稲葉山城に参られると言う事で、道三様から申し伝えられた日より、帰蝶様は健気な程に浮かれ、且つこの逞しいほどの双肩には、いや言い過ぎました、いえ言わざる得ません、帰蝶様は右に左に危うくも揺れる斎藤家を正すべく、日々進んで正すべき事を正し、自らの進むべき決意を持って、この上座におられます、化粧ののりが若干弱いのは普段から化粧していないので肌の脂が乗り切っていないからで有ります、ですが帰蝶様は織田家に相克も辞さない土岐家也の美貌の素養を持ち得ています、織田様、平手様、ここは土岐家同族の私の証言を何卒信じ下さる様にお願い申します、」

 政秀、憮然と

「光秀様、両性具有の次第は分かりました、ですが帰蝶様は御子を産む事は可能でしょうか、織田家は子孫繁栄の宝に恵まれた類まれな良家、そこを蔑ろにされては困ります、」

 光秀、ただ神妙に

「織田様、平手様、ここからは神仏の御心のままにと言わせて下さい、帰蝶様は女に寄った両性具有者では有りますが、ここは逢瀬を重ねてみませんと分かりません、ただ知己を経た功徳の高いキリスト教の神父はこう言いました、両性具有者ことアンドロギュヌスは雌雄を相持つ故に愛の体現者そのものであると、必ずやその者から愛が栄えて行くであろうとの言明です、如何ですか、この長過ぎる程の戦で荒廃した日の本を、尾張国と美濃国から愛で変えてみませんか、」堪らず両拳を畳に擦り上げる

 道三、憚らずも号泣しては

「光秀、良くぞ言った、この帰蝶、儂の宝を手放すには惜しいが、斎藤家も織田家も決して長らく争うべきでは無い、我々には為すべき事がある、先々各領主とも結束し、京に上洛し天子様にお伺いしては、戦の一切無い、子らが無邪気に遊べる世を作らねばならない、どうである婿殿、」

 信長、ただくしゃりと

「まあ、俺の子供がどうのこうのなんて、織田家は子沢山だから養子なんててんで訳も無いし、そう、上洛かそれ良いね、夢は大いに聞いた、だが俺はどうしても実は取る、帰蝶、その厳つい体、得物は太刀か槍か弓か、そこはどうなんだ、」

 帰蝶、忽ち逡巡するも

「信長様、そこは弓でしょうかね、領内の強弓と言われる全て引いいてみましたが、きっちり的に当てましたよ、」

 道三、ぽつりと

「そこであるか、婿殿は確かに明晰である、帰蝶の強弓は的どころか、それを超えては土塀すらも貫き、通りすがり荷車を吹き飛ばした程だよ、恐るべき強者だよ、呆れ返る程のだ、修練すらままならないものか、」

 信長、二つ返事も

「尚、結構、今の尾張に必要なのは強者だ、強者は強者を呼ぶ、尾張の兵は雑魚だらけなんて、何時迄も言わせられないしな、帰蝶、織田家は大歓迎だ、」

 帰蝶、堪らず泣きじゃくり

「信長様、はい、、はい、」

 道三、動揺隠せずも

「おお、婿殿は即決か、ああいや暫く、もう一人の若粉の身上を言わせ給え、」

 政秀、ただ畏まり

「道三様、信長様はご覧通りばさらでございます、禿の若粉様を織田家に連れようものなら、織田家も人攫いに転じたものかと嘲りを受けましょう、」

 信長、訥に

「いや、上座に三人並んで選べと言うからには訳が有るんだう、なあ道三、」

 道三、声を一際上げては

「婿殿、如何にも、小貫、帰蝶、若粉にそれぞれ由縁有り、若粉に関しては斎藤家の一大事を抱えている、小貫と帰蝶を除く何の娘七人は嫁ぎ先が決まっており、何れも斎藤家有力家臣である、儂の出自を語れば美濃国を自ら切り取った限りで、その実結束は非常に危うい、それを婚姻約定によって繋ぎ止めているが、その効果が何時迄も続くとは思いもせん、土岐家の隆盛の去った今、美濃国内の豪族が怒りの矛先が何は我がこの首に向けられよう、それならば、まだ儂が血気盛んな今が良かろう、ここは家臣団と若粉の婚姻約定を破棄しては、婿殿と目に物見せては内規を盤石にしては如何かと思うが、存念の程を是非聞きたい、」

 信長、神妙に

「良く言うね道三、美濃国の兵に勝ちうるだけの兵力は織田家に無いね、仮にも美濃国の内戦に織田家の戦力を削がれたら、織田家領内に今川家と北畠家にここぞと雪崩れ込まれる、その乗った反ったに織田家の命運は賭けられない、呉々も若粉の婚儀は辞し、我が女房を帰蝶とするのが本意とする、ここまでだな、」

 道三、忽ち立ち上がっては大号令のままに

「光秀、善は今すぐ、婚儀の支度を再開させろ、婚儀に集わぬ家臣は即刻閉門蟄居とし、領民には領内隈なく婚儀の仕儀の立札を掲げ、漏れ無く餅を配れ、良いか老人から大人から子供まで隈なくだ、この婚儀は斎藤家いや日の本に必ずや大きな転機をもたらす、これは良き縁で有る、非常にで有る、だが寂しいのは何故だ、何故なのだ、」

 信長、くしゃりと

「そこまで大仰かね、まあ、織田家領内に帰ったら帰ったらで、市中も大賑わいになるか、何か惚けにくいな、」

 帰蝶、深く一礼のままに

「信長様、帰蝶はどこまでもお付き合い致します、勿論熱田の市中にも付き合いますので、手解きお願い致します、」

 斎藤家一同、織田家来客にただ深い一礼のままに


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