2020年4月11日

お久しぶりです、なんて書くのはしらじらしいな。

ぱたりと筆を止めてから四か月も経っていた。この間どうやって過ごしてきたのかをごく簡単に書くと、「生活保護を受けたくなくて親のすねをかじりながらジリ貧していた」となる。仕事は新しく受かってはいないし、今までの仕事を辞めてもいない。

12月10日に生保の相談に行ってから(正しくはその後ハローワークに行ってから)、実は少々気力を取り戻した。そこからずっと元気だったわけではないにせよ、なんとか大きな危機なく過ごしていた。

年末ころだったと思うのだが母にもろもろのこと(「軽いうつ」であるとか)をやんわりと話して、結果としてお金を援助してくれた。わたしはずっと親のことが苦手というか、親になにも話せないたちだったのだが、この間じわじわと親子関係が改善してきた甲斐があったというか、幸いだった。わだかまっていたのはひたすらわたしのほうであって、親は存外さらりとしたものであったし、そのことにほっとした。


さてそれが今になってまた書いてみているのは、書いてみないとどうにもならないという胸中にあるからであって、平たく言うとまたうつ的になり仕事に行けるか怪しい状況になってきたからだ。

ここ数日急激にうつ的になってきている。とはいえ直近で休んだのはただ一日きりであるので、いささか過敏なのではと思わなくもないのだけれど、わたしがわたしの感じ方に素直になった結果であるので、ここにセルフ突っ込みを入れても成立しようがない。

以前も書いたが数日ですっかりうつと躁が入れ替わることのある疾患だ。数日後の自分はケロリとしている可能性もある。そうしたらまた何事もなかったかのようにここから消えるだけだ。そうなれたら何よりだとも思っている。そうまだ思うことができないから書いている。

たった数日のこととはいえ、それまでの数か月と明らかに状態が違って、(シャワーが浴びれないなんてのはいつものことにしても、)料理ができなくなり、本が読めなくなり、そもそも起きていられなくなっている。いまも集中力がなくて、ずいぶん寄り道しながら書いている。

仕事をするうえでたいへんなのは仕事そのものより、その準備だといつも思う。翌日のためにシャワーを浴びてお弁当を作っておくこと。朝なんとか起きてごはんを食べること、駅まで余計なことを考えずにたどり着き、なにごともなく電車に乗り続けること。こういうルーティンができないと仕事に行けない(実際のところシャワーは良くて隔日だが)。


加えて、親にお金を借りていることに耐えられなくなってきた。

けっこうな額をまとめて与えてくれたので、残高にはまだ数か月暮らせるだけの余裕がある。親は返してほしいと思ってもいないと感じる。のだが、これをどんどん減らしていくだけであることにわたしは耐えられなくなってきた。だってちゃんと返したいから。減らせば減らすほど返すのはたいへんになるし、仕事ができなければできないほど減っていくのは早い。仕事ができないというのは今の病状のこともあるけれど、就活で休むとかも含む。

そうこうしているうちに世間にはゴールデンウィークが訪れてわたしの手取りは減り、ボーナス時期も訪れてわたしはもやもやするだろう。

そういういろいろに耐えられる気がしない。

それなら生活保護を受けた方が、親へ返すお金のことで心をすり減らすのもこれ以上大きくせずに済むし、毎月手元に入るお金はいくら仕事に行けなくても一定になる。それが今の状態からの回復には役立つのかもしれないと感じている。

なんにしても今すぐ自分ひとりで決められることではないが。

でも、それを考えずに今日をどうやって過ごせばいいのか、分からずにいる。

まずはあさって仕事に行って、現状を報告するだけしたいものだが、果たしてできることやら。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る