237:あるべき姿を描いて

「何っ!?」

「どういう事だ、ミカ!?」

「ミカさん?」


 フリッツ達から三様の反応を受けた美香は、目の前で驚きの表情を浮かべるアデーレの顔を見上げながら、答えた。


「まずは椅子に座りましょう、お母さん。色々とご意見をお聞きしたいので」




 フリッツ達が席に着き、先ほどは背後に居たレティシア達も美香の両脇に座るのを認めた美香は、一同を見渡して口火を切った。


「先ほどの繰り返しとなりますが、私は国政に携わる知識も経験もない、一介の市民です。この難局を乗り越えるためには、政務のほとんどをお父さん達に委ねざるを得ないと思います。また、この国の頂点に立つ事については了承しましたが、政務を執り仕切りたいと思っているわけではありません」

「しかし、だからと言って、実権を放棄するというのは…」


 美香の言葉を聞いたフリッツが、憂いの表情を浮かべる。そこに娘の将来を案じる父親の姿を認めた美香は、顔を綻ばした。


「簒奪により地位を追われ、国が保てなくなるリスクですね?」

「ああ、その通りだ」


 美香の問いに、フリッツが答える。美香は頷き、言葉を続ける。


「それは、実権を保持しているからこそ、奪われるリスクが生じるのです。元々保持していなければ、奪われるものはありません」

「そうは言ってもだな…」

「お父さん、ロザリア様は何故、長い間『神』の地位を追われなかったか、ご存じですか?」

「…え?」


 思わず顔を上げたフリッツの視線の先で、美香が親愛に満ちた笑みを湛えている。


「…実権を保持していないからです。もしロザリア様が実権を保持し、中原に権力を行使していれば、その権力を簒奪しようと画策する者も出る事でしょう。ですが、実際のところロザリア様は実権を持たず、ただ中原の営みを照覧されるだけ。そこに介入しません。実は、そこに実権を持たない事の、メリットがあります」

「メリットだと?」

「はい、お父さん」


 美香の言葉に、コルネリウスが前のめりになる。美香がコルネリウスの方を向いて頷いた。


「責任を回避できるのです。実権を持ち、行使する。それは必ず誰かの不利益に繋がり、不利益を被った者は実権を持つ者に不満を持ち、やがてそれが積み重なって反乱へと繋がります。また実権の行使が偏った利益を齎せば、それは羨望へと繋がり、やがて簒奪へと至ります。それが、実権を持つ事、行使する事のリスクです」

「ロザリア様は、実権を一切保持しておりません。実権を持たず、俗世とは隔絶した世界から煌びやかな権威をもって、人々に利益も不利益も与える事なく、ただ照覧するのみ。それはまるで、太陽のように。だからこそ、人々は安心してロザリア様の権威を崇め、有難くあやかるのです」

「…」


 美香の言葉を聞いたフリッツ達は、互いの顔を見ながら沈黙する。美香の言葉は、彼らに根本的な発想の転換を要求していた。未だ頭の中を整理しきれないフリッツ達の耳に、美香の言葉が流れ込んだ。




「――― 実は、私の故国が、その政治体制でした」




「何!?」

「ど、どのような政治体制だったのだ?」


 フリッツとコルネリウスがテーブルに肘をつき、前のめりになる。美香は頷き、説明を続けた。


「私の国には、天皇と呼ばれる御方がおられました。かつては実権を持たれ、国を統べておられましたが、今はそれを手放し、国民の象徴としての地位にのみ、おられました。実際の政務は別の者が行い、天皇陛下は政務に関わる事なく、任命式や国賓のおもてなし等、儀礼的な活動に終始していました。私達国民は天皇陛下の臣下と言うわけではなかったのですが、陛下を自分達と同じ人間とは異なる、神にも似たお立場の方と捉え、自分達の国が陛下と共に在ると想いながら、日々を送っていたのです」


 美香は召喚から3年を経過し、すでに朧げになった日本を想いながら答える。




 日本。


 自分が生まれ育った、かつての故国。そこは八百万の神が住まうとも言われる多神教の国で、人々はロザリア教のように一人の神に全てを委ねる事はなかった。エーデルシュタイン王国のように中央集権国家でもなく、一人の王に全員が傅く事もなかった。だが、日本の中心には確かに天皇家が在り、国民はごく自然に天皇家を日本の象徴として受け入れ、敬っていた。




 アイドルとは、観る人に夢と希望と憧れを与える人。何よりも光り輝く事が大事。実権を持つという事は、それはすなわち、汚れを持つという事。一点の曇りもなく光り輝くためにも、アイドルに実権は要らない。




「私は『全人族の母』『ロザリア様の御使い』という、過分な称号をいただきました。これらの称号は私の権威を否応なく高めてしまいましたが、残念ながら私には、それに釣り合うだけの国政を担う能力も意志もありません。であれば、私の故国に似た政治体制を作り、そこで私は実権のない象徴の座に就く。実際の政務は、お父さんやお母さんをはじめ、この国の皆さんにお任せする。…ちょうど今、このヴェルツブルグで進められている体制をそのまま制度化するのが、最も適切だと考えているのです」




「…」


 美香が口を噤むと、部屋の中に沈黙が広がる。フリッツとコルネリウスは腕を組み、目の前に広がるテーブルの模様を眺めながら、思案に沈む。


 美香の提案は、検討に値する現実的なものだった。すでに美香は、他の追随を許さないほどの権威を有しており、フリッツ達もその権威をアテにして国内を糾合しようとしている。その一方で、望まない地位に就く美香の負担を和らげるためにも、可能な限り政務を自分達で執り行う体制を整えられないか、苦慮していた。


 だが、フリッツ達はエーデルシュタイン王国の政治体制の下で生まれ育っており、その思考は中央集権体制の枠を越えない。どうしても美香が実権を持った国王に就く事を前提とした体制に縛られており、フリッツ達と美香、両者の願いを両立させる方法が浮かばなかった。


 しかし、美香の常識外とも言える提案は彼らの思考を飛躍させ、新たな可能性を見い出した。確かに美香は権力を望んでおらず、また自分達も美香に権力を与える事を憂いている。それに美香が指摘した通り、実権を持てば否応なく権力争いに巻き込まれ、勝っても負けても輝かしい称号に傷がつく。


 ならば、最初から与えないで済めば、それに越した事ではないか?




「…その、テンノウに代わり国政を執り仕切っていた人物は、どの様に選定していたのだ?」


 思案に沈んでいたフリッツが顔を上げ、美香に問う。


「私の故国では、国民一人ひとりに、その人物を選ぶ権利が平等に与えられていました。…正確には、ちょっと違うんですけども。数年に一度、数多くの候補者から定期的に国政を担う人物を選び、期間限定で委ねていました」

「…」


 美香の答えに、フリッツとコルネリウスが眉を顰める。その表情を見て、美香は困った様に笑みを浮かべた。


 この世界では、身分に貴賤がある。貴族と市井の民の間には、雲泥の差があった。その貴族達に向かって、「平等の権利が与えられている」と伝えたのだ。眉を顰めるのも、当然だった。




 此処で普通の日本人であれば、人権の平等を振りかざし、民主主義を推し進めたかも知れない。だが、美香はその手段を取らなかった。


「…ですが、その考えはこの世界には適していないと思います。ですので、私なりにアレンジしてみました」




 この世界での3年に渡る生活の中で、美香はハーデンブルグを中心に様々な人々の暮らしを目にしてきた。その中で感じた事は、日本の思想はこの中では根付かないであろう、という事だった。


 命にも身分にも貴賤があり、奴隷制度も存在する。市井の民は政治への参与の機会が与えられておらず、王や領主の命令に従い、税を納めるしかない。そして、その事実に貴族は勿論、民さえも疑問を覚えていない。


 この様な、中世とさほど変わらない世界にいきなり民主主義を植え付けようとしても、反発と混乱を招くだけである。何よりも民がその必要を認めず、与えられた権利を活用できるほど、教育も行き届いていない。日本の政治体制をそのまま持ち込んでも、失敗する。


 ならば、どうすれば良いか。美香は記憶を掘り起こし、一つの肩書が記された埃まみれの箱を手に取った。




 ――― 美欧大学法学部政治学科。




 結局、大学生活は半年も経たずして終わってしまったが、政治学科を志しただけあり、美香は様々な政治体制を知っていた。美香は埃を払いながら記憶の箱を開き、中に納められた欠片を組み合わせて、この国に合った政治体制を練り上げていく。




「この国は、王家と貴族が政治の中枢を占めています。であれば、国政を執り仕切る人物の選定も、貴族だけで決めた方が、人々に受け入れやすいと思います。例えば爵位によって投票数を変え、公爵と侯爵は3票、辺境伯と伯爵が2票、子爵と男爵が1票といったところでしょうか。そして、貴族同士の投票により代表者を選出し、私が承認する。その代表者が私に代わって、5年間この国の政治を執り仕切っていく。これを繰り返すのです」

「ほう…」


 美香の説明に、フリッツ達が感嘆する。この国の現状に天皇制を当てはめるのであれば、それは戦後の天皇制ではなく、むしろ明治の天皇制が近い。華族や富裕階層等の特権階級だけが政治に参与できる政治体制。それを貴族に委ね、自分は実権を譲って、象徴として君臨する。


「政治を執り仕切る代表者の官名は、決めているのか?」

「はい」


 コルネリウスの問いに、美香が答える。日本で言えば「内閣総理大臣」だろうが、故国の政治の迷走ぶりを知る美香は、使いたくなかった。美香は人差し指を立て、一つの言葉を口にする。


「…『執政官』と言うのは、如何でしょう?」




 執政官。


 古代ローマにおいて、共和政から帝政にかけて存在した官名である。古代ローマでは、2名の同格の執政官が政務と軍務を執り仕切った。任期は1年だが、それでは政治の一貫性が保てなくなる。5年くらいが妥当であろう。


「…わかった」


 美香の提案を一通り聞き、フリッツが首肯する。


「ミカの提案を軸に、この国に相応しい政治体制を構築しよう。ミカ、我々に任せてくれ。君が安心して見守れる国を、生み出してみせよう」

「はい。お父さん、お母さん、よろしくお願いします」


 フリッツ達の頼もしい笑顔に、美香は深々と頭を下げ、一同はその後も新しい国の体制について協議を重ねていった。




 ***


「…ふう、今決めておくべき点は、こんな所だな。ミカ、疲れただろう?」

「いえ、大丈夫です、お父さん。ありがとうございます」


 コルネリウスからの労りの声を受け、美香が笑顔で答える。国の礎を定める協議は何回か休憩を挟んで数時間にも及んだが、美香は心地良い疲労感とともにある種の達成感に包まれていた。ゲルダが上を向いて口を開けたまま、魂を煙のように上らせている様を面白そうに眺めていた美香に、アデーレが尋ねた。


「それで、ミカさん。建国後のあなたの称号は、王でよろしいのかしら?それとも、テンノウ?」


 アデーレの質問に、美香は慌てて両手を振り、かぶりを振る。


「て、天皇は、勘弁して下さい!いくら何でも、畏れ多いので。でも確かに、王もしっくりこないですね…」


 そう答えた美香は、顎に手を当て思案に沈む。「王」の称号はこれまでエーデルシュタインでも用いられており、「全人族の母」と比較するとありがたみが足りない。実権が伴わないから、「皇帝」でもないしな。即座に思いつかない美香に、レティシアが口を挟んだ。


「ミカ、私に任せて。あなたに相応しい称号を考えてあげる」

「何か、不吉な予感しかしないんだけど…」


 目の前に広がる眩い笑顔に、美香が眉を顰める。二人のやり取りを見たアデーレが笑いながら近づき、椅子に座る美香の背中から手を回しながら、答えた。


「ミカさん、そう言わずに、是非私達に名付けさせて?私達の上に立つあなたに相応しい称号を、プレゼントするわ」

「お母さんがそこまでおっしゃるのなら、別に構いませんけど…」

「ふーん。ミカ、私よりお母様が良いのね?」

「勿論じゃないの。ねぇ、ミカさん?」

「そ、そういうんじゃなくて!お母さんも!」


 レティシアが口をすぼめた目の前で、アデーレが美香の頬に口づけをし、美香が顔を赤くしてレティシアを宥める。


 会議は、美香を頂点とする新国家を象徴するかのように、暖かみに溢れていた。




 ***


 翌日から、美香を頂点とする国造りの動きが、活発になった。


 コルネリウスは自分の許で押し留めていた領主達と連絡を取り、ディークマイアーの館に逗留する美香と引き合わせた。彼らは、自分達の娘くらいの年齢である美香を前にして次々に膝をつき、エーデルシュタインの危難を救ってくれた御礼を述べ、この国の建て直しに協力する事を申し出た。そのうちの何名かはこの危難を奇貨きかと捉え、中央への進出を目論む者も居たが、美香は少なくとも表面上はその申し出を歓迎し、フリッツやコルネリウスへの協力を要請した。王城が陥落し、国の中枢を占めていた人物が根こそぎ刈り取られた事で、人手が足りない。フリッツ達は、ヴィルヘルムから寄せられた人物鑑を元に彼らを適所に配置し、気前良くポストを分け与えて、自分達の陣営へと取り込んでいった。


 フリッツは同時に、ロザリア教に対しても手を打つ。ハヌマーンの襲撃によってヴェルツブルグの教会は壊滅的打撃を受け、教皇フランチェスコ及び枢機卿が全滅している。フリッツは難を逃れた3人の司教を抱き込み、枢機卿への就任の後押しを条件に、「人族の母」に対する教会の承認を取り付けた。




 美香の擁立が決定してから10日後。地方を巡行していたヴィルヘルムが、ヴェルツブルグへと帰還した。


「嗚呼、ミカ様!路頭に迷うこの国を王家に代わってお導きいただけることを、このヴィルヘルム、心より御礼申し上げます!今日よりアンスバッハ家は、末代に至るまでミカ様の股肱の臣となりますことを、当主エミールに代わり、宣誓いたします!」

「あああああ、ヴィルヘルム様!お願いですから、頭をお上げ下さい!御召し物が汚れてしまいます!」


 美香の姿を視界に捉えたヴィルヘルムは、矢も楯もたまらず足を引き摺りながら駆け寄ると、地面に両膝をついて深々と首を垂れる。美香が慌てて腰を屈め、ヴィルヘルムの両手を取って立ち上がらせる姿を見ながら、コルネリウスが口を開いた。


「ヴィルヘルム殿、中南部の説得を進めていただき、感謝する。貴方から適宜送られてくる報告を目にしていたが、順調に進んで何よりだ」

「何の、コルネリウス殿。この程度、『母』に対する『子』の責務として、当然の事。昨年の内乱に対する王家への不満も大きく、残された王族がカラディナの傀儡となっているリヒャルト殿下しか居ない事もあって、ほとんど反発はなかった」


 ヴィルヘルムが美香に両手を取られたまま、コルネリウスに向かって答える。目の前で臆面もなく「母」呼ばわりされ、思わず赤面して俯く美香に気づかないまま、ヴィルヘルムの表情が曇った。


「…ただ、一家だけ、予想に反して態度を明確にしなかった家があってな。皆と対応を協議したい」

「何処の家だ、それは?」


 フリッツの質問に、ヴィルヘルムが答える。




「――― テオドール・ヨアヒム・フォン・ミュンヒハウゼン。『甕』が、動かなかったのだ」

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