219:激しい雨空の下で

 結局、美香は翌日の昼に目を覚まし、夕方には自力で動き回れるようになった。




 ***


「…ちょっとぉぉぉ…何でそんなトコに、スイッチがあるわけえぇぇぇ…?」


 美香はベッドの上で仰向けになり、天井の模様を眺めながら、艶の帯びた息を吐く。体中が火照り、期待と切なさで膨れ上がった心臓は激しく脈打ち、体の芯が疼いて更なる刺激を求め貪欲に蠢いている。大の字に広がり投げ出された美香の両足の間に腰を下ろしたレティシアが、濡れた自分の指をハンカチで拭いながら苦笑した。


「これはもう、選択肢が増えたと割り切るしかないんじゃない?今までは、寝たきり一択だったんだから。気にしないで、ミカ。私はいつでも喜んで手伝ってあげるから。流石にあなたもこんな事、私以外には頼めないだろうし」

「あ、当たり前じゃないっ!」


 美香は恥ずかしさのあまりレティシアの顔を見る事もできず、顔を真っ赤にしながら天井に向かって声を上げる。こんな事、恥ずかしくてカルラさんにも頼めないし、ゲルダさんに頼もうものなら、絶対押し広げに来る。大体が、手足の中枢神経と言ったら、普通首筋とかでしょう?足ツボじゃないんだから、何でこんな無関係な体の奥にあるわけぇぇぇ!?


 一晩経って目を覚ました美香は、案の定手足が動かなくなっていた。だが此処は、ハーデンブルグから遠く離れたヴェルツブルグ。カルラやマグダレーナ、親密になった女性騎士達は、誰も居ない。しかも、未だ周囲にロックドラゴンが闊歩しているやも知れず、悠長に寝ていられないと悟った美香は背に腹は代えられず、顔から火を噴き上げながらレティシアに「妖しい施術」を頼み込んだ。その時のレティシアの勝ち誇った顔を、美香は生涯忘れないと思う。


 そうしてレティシア以外の全員を部屋から閉め出して二人きりで行われた「施術」は2時間にも及び、その間、両手足4箇所別々に存在するスイッチを探り当てるため奥まで念入りにまさぐられた美香は、別のスイッチまで入ってしまう。昂った感情に流されるがまま、レティシアの前で口走ってしまった数々の台詞に悶絶していると、レティシアの言葉が聞こえて来た。


「流石に今回初めてだから手間取っちゃったけれど、コツは分かったから。次回は、もっと上手くやるね?」

「それ…どっちの意味で言っているの…?」

「勿論、両方の意味よ」

「もう!信じらんない!…うぅん!」


 まともに顔を向けられなくなった美香は頭から布団を被り、レティシアに背を向けて不貞腐れる。布団からはみ出し、剥き出しとなった尻をレティシアが撫で、その刺激に美香は身を捩らせた。


 あああああ、どうしよう!アレのせいで、私、絶対おかしくなってる!


 大聖堂での一件がなければ、レティシアに「施術」を頼もうとは思わなかっただろう。つまりは「ロザリアの槍」の後遺症なんて、単なる口実。美香は、レティシアに対して際限のない欲望を抱くようになってしまった自分に困惑し、頭から被った布団の中で身悶える。すると今度はレティシアに、剥き出しの尻を叩かれた。


「さ、ミカ、そろそろ起きて。皆、下であなたの事を心配しているんだから。続きはまた今度、してあげるからね」


 しなくていいから!


 その言葉は舌から飛び立つ事なく、異様に大きく感じられる音と共に、喉の奥へと飲み下されていった。




 服を着、未だ違和感の残る手足を動かして部屋を出た美香は、廊下でゲルダと鉢合わせする。ゲルダは扉の傍らで壁に背を預けたまま、腕を組んで親指を立て、舌なめずりしながら人懐っこい笑みを浮かべた。


「安心しな、ミカ。このフロアには、誰も入らせなかったから。アンタの悩ましい声は、他の誰にも聞かれなかったよ」

「…」


 一拍の後、廊下の隅々まで、美香の叫び声が響き渡った。




 ***


「嗚呼、ミカ殿!御体の調子は如何ですか!?未だお顔が真っ赤ですし、無理をなさらない方が…」

「あああああ!ヴィルヘルム様、ご心配なさらず!お陰様で、大分復調しました!」


 レティシアとゲルダを引き連れ、茹蛸のように顔を赤らめながら美香が階段を降りると、応接のソファに身を沈めていたヴィルヘルムが美香の姿を認め、腰を浮かす。美香は慌ててヴィルヘルムの許へと駆け寄り、足の不自由なヴィルヘルムを労わりつつ、隣のソファへと腰を下ろした。


 此処はヴェルツブルグ南部、ディークマイアー家の館。アンスバッハ家やレンバッハ家よりも南にあるディークマイアー家の館は戦禍を免れ、レティシア達は昨夜遅くコルネリウスの兵に護られ、此処に身を寄せていた。今も館の周りには200名程の兵が詰めかけ、厳重な警戒を続けている。美香はソファに身を沈めると、窓の外を見て呟いた。


「随分と激しい雨が降っていますね…」


 窓の外には重苦しい灰色の雲が広がり、ヴェルツブルグの至る所から白い湯気が立ち昇っていた。窓越しの風景は雨だれによって絶えず形を変え、雨の打ち付ける音が窓越しに聞こえて来る。美香の向かいに座るオズワルドが、厳しい表情を浮かべた。


「この雨は、恵みの雨であると同時に、死の雨でもある。火災はこの雨で鎮まるだろうが、生き埋めになった人々の多くが命を奪われるだろうな…」

「…」


 オズワルドの言葉を聞いた美香は、先ほどまで痴態を繰り広げていた自分を恥じ、ソファの上で身を縮める。いくら止むを得ない理由とは言え、暖かい布団の中で好きな人と組んず解れつしていた自分とは違い、人々は苦痛と恐怖に身を苛まれ、今も生死の境を彷徨っているのだ。俯いて唇を噛む美香の膝の上にレティシアの手が添えられ、膝越しにレティシアの温もりと労りが伝わってくる。


「焦らないで、ミカ。あなたには、あなたにしかできない事が沢山ある。だから、それ以外の事は、全て私達に任せて。当家も家人を総動員して、支援に当たっているわ。あなたは、今は自分の体だけを考えて。あなたが元気な姿で此処に居る、それだけで人々の励みになり、ヴェルツブルグに希望が齎されるの」

「う、うん…」


 レティシアの言葉に、美香は戸惑いを覚えながら、曖昧に頷く。美香を取り巻く環境は、一晩寝て起きたら、激変してしまっていた。誰も彼もが崇拝の表情を浮かべ、美香は下にも置かぬ扱いを受けている。ヴィルヘルムに至っては、伯爵家の前当主であるにも関わらず、美香に対する接し方はほとんど令嬢に仕える老執事の有様である。「地母神の鉄槌メテオストライク」以降、ハーデンブルグを覆い尽くした風潮がヴェルツブルグにも一晩で出現し、美香が困惑していると、ヴィルヘルムの向かいに座ったゲルダが尋ねた。


「コルネリウス様は、もう出て行っちまったのかい?」

「ああ。今朝方来られて仮眠を取っていたが、また陣頭指揮に戻って行ったよ。ミカとは別の意味で、今やヴェルツブルグの運命は、あの方の腕に掛かっているからな」


 オズワルドがゲルダに答え、腕を組んで無念の表情を浮かべる。王城が真っ先に包囲され陥落した結果、王家をはじめエーデルシュタインの中枢を担っていた人材は根こそぎ刈り取られ、ヴェルツブルグに残る高官は、コルネリウスの他には数えるほどしか居なかった。彼らは混乱の中で連絡を取り合い、コルネリウスの指揮の下で事態の収拾に乗り出す。ヴェルツブルグの惨状を目の当たりにしたオズワルドも協力を申し出ていたが、コルネリウスから美香の護衛の名目で押し留められていた。


 コルネリウスは早朝、類焼した自分の館には目もくれず、真っ先にディークマイアー家を訪れると美香の容態を尋ね、そのまま一室で仮眠を取った。そして、昼過ぎに目を覚ました美香に声を掛けると、そのまま救出活動の続く現場へと戻って行った。




 オズワルドの言葉を聞きながら、美香はその時の光景を思い出す。未だ手足が動かず、寝たきりであった美香の許を訪れたコルネリウスには父性愛が溢れ、その緩み切った表情はハーデンブルグに居るフリッツとほとんど瓜二つだった。


 コルネリウス様もヴィルヘルム様も、何であんな風になっちゃったの?


 生粋のオヤジキラーは、無自覚のまま並み居る男達の琴線を撫で斬りにして、首を捻っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る