179:傷

「どうだ?あの建物で間違いないか?」


 陽が傾き、周囲の風景が赤味を増す中、ミゲルは藪を掻き分けて戻ってきたエルフに尋ねた。尋ねられたエルフの男は頷き、口を開く。


「ああ、カルロス殿が持ってきた情報と一致した。あの建物が監禁場所で間違いない」

「兵力は?」

「入口2箇所に各10名。ただ、兵の質は大した事ないな」


 そこでエルフの男は表情を険しくし、声を低める。


「それより問題なのが、扉だ。どうやら外の連中は鍵を持っていないらしい。内側から閂で閉められている」

「うむむむ…」


 報告を聞いたミゲルは腕を組み、顔を顰めた。


 建物から少し離れた森の中で、一行は顔を突き合わせていた。此処に居るのは、僅かに6名。ミゲルとコレットをはじめとするエルフ救出隊の面々である。残りの2名は建物の近くに潜み、2箇所ある入口を監視している。


 救出作戦にはフレデリクから借り受けたカラディナ兵20名が参加していたが、物々しい装備の彼らは相手に察知されやすい。そのためカルロスとともに、南の街道へと通ずる道の封鎖に回っていた。作戦は、2箇所ある入口のうち山側からエルフが夜襲を敢行、討ち漏らしをカラディナ兵が抑える、という手はずとなっていた。


 救出隊の面々で唯一人、人族のコレットが、難しい顔をするミゲルに答える。彼女は狩人出身で弓を得意とするだけあって、エルフに次ぐ隠蔽能力を有していた。


「それは私が何とかするよ。ただ派手な音が出るけど、構わないかい?」


 コレットの言葉を聞いたミゲルは顔を上げ、頷く。


「仕方あるまい。その前に20人、斬っておけばいいだけだ」


 そう答えたミゲルは一同を見渡し、宣言する。


「よし。今晩、連中が寝静まった頃を見計らって、夜襲を敢行する。必ず、モノの娘を助けるぞ」

「「「はい!」」」




 ***


 漆黒の闇の中から、絶え間なく森のざわめきが聞こえて来る。闇は、山あいに佇む場違いな建物を呑み込もうと忍び寄り、入口に掲げられたランタンの淡い光の前に行く手を阻まれていた。


 入口の前には2人の兵が立ち、退屈と眠気に抗うかのように大きな欠伸をしている。今日も事は何もなし。早くサンタ・デ・ロマハに帰りたいよ、まったく。肺に取り込んだ空気を味わうかのように目を閉じ、顎を動かしていた男の耳に、同僚の声が聞こえて来る。


「…がっ!」

「何だ、どうした?」


 男が眠そうな目を開けて同僚の方を見ると、同僚は口から矢を生やしながら、大きな欠伸をしている。その行動が意味する事に男が気づく前に、男の口が塞がれ、喉元に灼熱の線が横切った。




 ***


 腕の中で痙攣する男を静かに地面に下ろすと、ミゲルは森に向かってハンドサインを送る。闇の中から音もなく6人の男女が現れ、うち5人が剣を構えて入口の近くに立つ小屋の扉を開け、中に滑り込んだ。


「…がぁ!」

「…ぐっ!」


 小屋の中で幾つかの呻き声が上がる中、コレットはミゲルの傍へと駆け寄り、扉の様子を窺う。扉は硬い樫の木で作られており、思った通り内側から閂が架けられている。小屋から出てきたエルフの一人が、小声でミゲルに話しかけた。


「反対側を片付けてくる」

「ああ、気を付けてな」


 5人のエルフが建物の向こうに走り去り、ミゲルが注意深く周囲を窺う中、コレットは小屋の中へと入り何本かの剣を持ち出してくる。そして特に刃の薄い一本の剣を選ぶと扉の隙間に差し込み、向こう側にある閂に突き立てた。


 やがて反対側の兵を片付け、見張りを残してエルフの男達が戻って来ると、コレットはミゲル達に声をかける。


「やるよ。皆、離れて」


 そう答えると、コレットは剣から手を離し、自身も扉から離れる。直後、大きな破裂音を立てて、扉が弾けた。


 コレットの持つ「爆裂」は風属性の素質であり、圧縮した空気の塊を物体に付与し、任意に破裂させる事ができる。素質そのものには貫通力がないため、刺さらないと効果が発揮しないが、内側からであれば十分な破壊力を有していた。


 コレットは扉へと駆け寄り、割れた木の裂け目から中を覗き込む。そして、閂が傷つきながらも健在である事を確認するともう一度剣を突き立て、「爆裂」を発動させる。樫の木でできた硬い扉がひしゃげ、閂が脱落する音が聞こえた。


「いいよ、ミゲル。中に入ろう」

「ああ」


 コレットの言葉にミゲルは頷き、7人は次々と建物の中に飛び込んで行った。




 7人は飾り気のない冷たい石壁に囲まれた通路を、静かに駆け抜ける。彼らは優れた聴覚によって、この先の角から、騒ぎを聞きつけ近づいて来る一人の人物に気づいていた。


 やがて通路の角で出会い頭となった中年の女中は、悲鳴を上げようとした口をミゲルに塞がれ、後ろ手を取られて壁に押し付けられる。背中を向けたまま恐怖に震える女中にミゲルが顔を近づけ、静かに呟く。


「ペドロは何処に居る?囚われのエルフの娘は?この先か?答えろ!」

「…は、はい…だ、旦那様はこの先の左、エルフの女性は、突き当りの部屋にいます…お、お願いだから、命だけは…」


 女中のかすれ声にミゲルは頷き、その声に殺意を籠める。


「声を上げるなよ?いや、上げてもいいが、その時はお前の喉を掻き切る。此処で大人しくしていろ」

「…きゅぅ…」


 ミゲルの言葉に女中は白目を剥き、その場に崩れ落ちた。




 ***


「五月蝿いぞ、貴様ら!何を騒いでいる!?」


 ペドロ・スアレスは、気怠さと睡魔で頭が回らないまま、彼の安眠を妨げる女中達を叱り付けようと身を起こしたが、その胸元に強烈な一撃を受け、豪奢なベッドの上に寝転がされた。呼吸が詰まり、ベッドにひっくり返ったまま咳き込むペドロの耳に、聞き慣れない男の声が聞こえて来る。


「ペドロ・スアレス。貴様に言いたい事は、一つだけだ。死ね」

「な、何を言って…が!…ぁ…」


 顔を顰め、胸を擦りながら身を起こそうとしたペドロだったが、その喉に灼熱の痛みが横切り、直後に顎への衝撃と頭に火花が散る。呼吸が止まり、再びベッドの上にひっくり返ったまま喉元を掻きむしるペドロの耳に、聞き慣れない女の声が聞こえて来る。


「その汚いものを見せつけるんじゃないよ、汚らわしい」

「…げぅ…!」


 ベッドに仰向けになったまま大股を広げるペドロの股間に鋭い痛みと小さな破裂音が上がり、ペドロ・スアレスは胸元から広がる息苦しさと股間から広がる悶絶に囲まれて、この世を去った。




 ***


「此処だ!皆、下がっておくれ」


 突き当りの部屋へと到着したコレットは、ミゲル達を後ろに下がらせると扉の隙間に剣を差し込み、「爆裂」を発動させる。二度の発動で鍵が吹き飛び、コレットは二重の扉を開け、部屋の中へと飛び込んだ。


「…あ…」


 剥き出しの石の壁で覆われた広い部屋の中には不釣り合いなほど豪奢なベッドが置かれ、その上で一人の若いエルフの娘が身を起こし、薄い毛布で体を隠したまま、コレットの方を向いて目を見開いている。


「大丈夫かい、リアナ?遅くなってゴメンよ。今助けてあげるからね…」


 恐怖に怯え、身を固くする娘の姿にコレットは憐憫を覚え、娘の許へと駆け寄った。




「嫌ぁっ!来ないで!」




「あぅ!」


 突然コレットは思いもよらない強い力で突き飛ばされ、石壁に強かに背中を打ち付け、呼吸が止まる。自分の身に何が起きたかわからないまま、コレットは石壁を背に座り込み、息苦しさと背中の痛みに顔を顰めた。


「…な…何…で…」

「どうした、コレット!?」

「…ぁ…」


 叫び声を聞いてミゲルが部屋の中に飛び込み、二人の様子を交互に見やる。そのミゲルの姿を認めた娘は、毛布で体を隠したまま、おずおずと口を開いた。


「…ぁ…あの…あなたは…」

「俺は、ラトン族 族長ウルバノの息子、ミゲル。リアナ、君を助けに来たんだ。遅くなって申し訳なかった」

「…わ…私…の…?」


 ミゲルは自分の素性を明かすと姿勢を正し、立ったまま深々と頭を下げる。リアナは、そのミゲルの姿を見てもベッドの隅に身を寄せたまま、信じられないような面持ちで目を見開いている。動きの止まった二人の狭間でコレットは身を起こし、腰を上げながら口を開いた。


「そ、そうだよ。リアナ、私達はあなたを助けに…」

「ひ、ひぃぃ!こ、来ないで!」

「…リ、アナ…?」


 コレットは、自分に対するリアナの反応を見て、衝撃を受ける。リアナはコレットが伸ばした手に怯え、その一挙一動を逃すまいと凝視し、震えながら後ずさりしていた。その手は薄い毛布をしっかりと握りしめ、まるでその毛布でコレットの全てを阻もうと身構えている。目の前で繰り広げられる予想外の光景に、ミゲルが動揺を隠しきれないまま、割り込んだ。


「お、落ち着いてくれ、リアナ。彼女は我々の味方…」

「ひっ!」

「リアナ…?」

「…ぁ…」


 考えの纏まらないままリアナに手を伸ばしたミゲルだったが、その手を払いのけられ、ミゲルの動きが止まる。その反応にはリアナ自身も驚いた様子で、自分が払いのけた手を呆然と眺めていた。


 そうして暫くの間三人とも動きを止めていたが、やがてコレットが身を起こす。ベッドの隅に蹲ったまま明らかに警戒するリアナの前で、コレットは床の上に正座する。そして、―――。




「…本当に、申し訳ありませんでした…」


 両手をつき、絞り出すような声で謝罪の言葉を述べると、深々と頭を下げ、そのまま動かなくなった。




「…お、おい、コレット…」

「…」


 沈黙に耐え切れなくなったミゲルが、頭を下げたままのコレットに声をかける。そのミゲルの声に反応するかのように少しだけ頭を上げたコレットだったが、そのまま後ずさりして壁際に貼り付くと、俯いたまま悄然とした声でミゲルに答えた。


「…ゴメン…ミゲル…、彼女の事を、よろしくお願いします…」


 そう答えたコレットは、壁に貼り付いたまま扉の前に移動すると、リアナに対し深々と頭を下げ、部屋を出て行ってしまう。その力ない後姿を、残されたミゲルとリアナの二人が、一人は憂いとともに、一人は怯えとともに、見送っていた。

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