175:連れ去られた娘

 柊也達がエミリアの許を立ち、大草原への帰還の途に就いている頃、遥か東の大草原では、一つの騒動が持ち上がっていた。




「おい、そこの人族。あんた、一体何しに来たんだ?」


 モノの森の前で、後背に並ぶ数人のエルフが弓を構える中、一人のラトンのエルフが用心深く人族の男へと歩み寄る。エルフ達は男がいつ敵対行為を取ってもすぐさま対応できるよう、男の一挙一動を漏らさず監視していたが、その表情に危機感はない。目の前の人族は僅か二人であり、いずれの男も中年で明らかに戦いとは無縁の身なりをしていた。


 二人のうちの小太りの方は使用人の様で、複数のエルフに矢を向けられて怯えていたが、もう一人は動じず、両手を宙に上げたまま、近づいて来るエルフに真剣な眼差しを向けている。その真っ直ぐな瞳の奥に宿る決意の光を見た詰問役のエルフは、警戒しつつも人族の男に対し一定の信頼を寄せる。エルフの問いに対し、男が口を開いた。


「私の名は、カルロス・ロペス。モノのエルフと、話をさせてもらいたい。モノのエルフにとって重大な情報があるんだ」




 ***


「ふーんふふーん、ふーん、ふーん…」


 丸太の積み上げられた無骨な小屋の一室で、一人の女が鼻唄を歌っていた。彼女は木彫りの椅子に深く腰掛け、手慣れた手つきで編針を動かしていく。その作業は明らかに素朴で、華燭とは無縁なものにも関わらず、彼女の起伏の富む肉体と何気ない動作一つひとつに色香が絡み付き、その姿を見る者が居れば劣情を催す様な艶めかしさを漂わせていた。


「…よし…完成っと」


 やがて女は最後の仕上げを終えると編針を脇に置き、衣服を目の前に広げて仕上がりを確認する。それは男物の肩掛けであり、大きくゆったりとした拵えは着る者に温もりと安らぎを齎し、野営の時の寝具にも役に立つ。色柄は地味な暗緑色であり、頭から被れば周囲の草木に紛れて潜む事にも使えそうだ。


 女は目の前に広がる肩掛けの出来栄えに満足すると、艶のある唇の端を上げ、笑みを浮かべる。


「アイツ…喜んでくれるかな…」


 その表情には場違いな艶めかしさの他には何も打算も纏わりついておらず、肩掛けを受け取った時の男の表情だけを期待する、純粋な好意に満ち溢れていた。


「はーい、今開けます。…あれ、どうしたんですか、ミゲル様?こんなに早く戻って来られて」

「あれ?もう帰って来たのかい?」


 居間の方からモニカの声が聞こえ、女は慌てて肩掛けを片付け始めた。仕上がりには満足しているが、渡すとなるとそれなりのサプライズが伴わなければ、せっかくの労力が無駄になる。肩掛けを渡すのを明日に持ち越し、女が肩掛けを片づけ終えたところで部屋の扉がノックされ、男が入ってきた。


「お帰り、ミゲル。…どうした?何があったんだい?」


 最近、内心に満ちるようになった感情を抑えきれず、女は滲み出る親愛の念を纏わりつかせながら男に声をかけたが、男の表情を見た途端に意識を切り替え、真剣な眼差しを向ける。女の目の前で男は唇を噛み、思い詰めた表情を浮かべていた。


「…コレット、お前に頼みがある。サンタ・デ・ロマハに連れ去られたモノの娘の救出に、力を貸してくれ」




 ***


「カルロス殿、待たせたな」

「ミゲル殿…、その女性は?」


 森の入口に近い丸太小屋の一室で待機していたカルロスは、ミゲルとともに入室してきた人族の姿に驚く。カルロスに問いに、コレットが答えた。


「私はコレット。元々はカラディナのハンターなんだけど、今はここでエルフの世話になっている。…ああ、アンタが推測する通り、実は西誅軍の元メンバーだ。だけど、ここで彼らに恩やら借りやらができてね。今の私は、彼らの仲間と思ってくれて構わないよ」

「コレットの言う通りだ。今の彼女は、俺の最も大事な仲間の一人であり、俺の被保護者の面倒も見て貰っている。今この大草原の中で、唯一中原の事を知る人物だからな。彼女の力も借りる事にしたんだ」

「…急にそんな言い方しないでおくれよ…」


 コレットは、カルロスの疑念を晴らすためにあっさりと素性を明かし、背後に佇むミゲルが補足する。途中、背中越しに聞こえて来たミゲルの直線的な表現にコレットは思わず俯き、頬を染めながら小さく呟いた。そんな二人の姿にカルロスは笑みを浮かべ、コレットへの警戒を緩めた。


「そうか。西誅という巨大な不幸の中で、あなた方二人の様な仲ができた事は、喜ばしく思う。その関係が上手く続くと良いな、コレット殿」

「ちょ、ちょっと!?アンタ、勘違いしないでおくれよ!わ、私はただ単に、彼の世話になっているだけなんだから!」

「そうか、それは悪かったな」

「まったくもう…」


 カルロスは胸中に湧き上がる笑みを噛み殺し、神妙な顔をして頭を下げる。カルロスの反応にコレットは顔を赤らめ、ブツブツ言いながら腰を下ろした。ミゲルもコレットの隣に座り、その他に数名のラトンやモノのエルフに囲まれたカルロスは表情を改め、口を開く。


「それでは、改めて状況を説明させてもらおう。西誅の役で虜囚となったモノの娘が一人、サンタ・デ・ロマハに連れ去られた事が判明したんだ。私は、カルロス・ロペス。同じ人族の一人としてあなた方にお詫びするとともに、彼女の救出への協力を申し出る。どうか、私にも手伝わせてくれ」




 カルロスが口を閉ざすと、彼の隣に座るモノのエルフが説明する。


「カルロス殿は、此度の侵略が行われる前まで、モノとセント=ヌーヴェルの通商を取り纏めていた商会の代表だ。彼の商いは誠実で、彼の商いが両者の友好の懸け橋となっていたと言っても過言ではない。彼が信頼に足る人物である事は、この私が保証しよう」

「この様な不幸の中でもモノの人々から変わらぬ信頼を受け、私としては感激するとともに、己の力不足を恥じるばかりだ。申し訳なかった」


 モノのエルフの説明を受け、カルロスは深々と頭を下げる。そして頭を上げると、再び口を開いた。


「私の所属するセント=ヌーヴェルという国は、基本的にはエルフとの共存を柱にしているが、残念ながらその信念は一枚岩ではなく、大きく二つの思考に分かれている。一つは私と志の同じ、真にエルフとの共存を願う友誼派。もう一つは、エルフが持つ、不老とも言える長寿や美貌を羨み、それを利用しようと画策する、使役派だ」


 カルロスは目を伏せ、沈痛な面持ちで言葉を続ける。


「私は長年、あなた方エルフとの友誼を重んじ、モノとの交易においてもあなた方の生活の必需品を取り揃え、両者の良好な関係の維持に努めてきた」

「だが此度の西誅の役では、私はたまたま国の西部におり、私自身は難を逃れる事ができたが何一つあなた方の力になる事ができず、ただ辺境の地で指を咥える他になかった。先日、サンタ・デ・ロマハからようやく西誅軍が撤退するとの情報を得て、西誅軍と入れ違う形でサンタ・デ・ロマハに戻って来たのだが、大草原で起きた不幸を聞き、暗澹たる思いだった」


 それまで俯きがちだったカルロスは頭を上げ、居並ぶ面々を見渡し、断言する。


「…そのサンタ・デ・ロマハで流れた噂だ。使役派の商人が己の安全と引き替えに西誅軍に対し大草原への道案内を買って出て、モノ陥落後にエルフの娘を一人、奴隷として連れ帰ったとな」

「…そいつの名は?」


 抑えきれない感情を言葉に籠め、ミゲルが歯を食いしばりながらカルロスに問う。カルロスは、ミゲルの殺意を籠めた視線を真っ向から受け止め、答えた。




「ペドロ・スアレス。使役派のトップに君臨する男だ」

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