152:少女の後塵を拝して

 オズワルドが率いる第1第4の面々は、ヨナの川から次々と這い上がるハヌマーン達を一気に川へと叩き落すと、馬へと駆け戻り、踵を返して後方へと駆け出した。一度押し戻されたハヌマーン達が再び川岸へと上がって来るが、騎士達は一顧だにせず、放置した。


「急げ!急げ!」


 騎士達は焦燥を露わにして、馬に鞭を入れる。三叉路に押し寄せるハヌマーンは、6,000。対して、迎撃に出た第2第3は、僅か1,200。急いで応援に駆け付けなければ、三叉路をハヌマーンに抑えられ、包囲が完成してしまう。


 だが、第1第4の応援は、ついに間に合わなかった。




 第1第4の目の前に三叉路が見えて来ると、騎士達は予想外の光景に唖然とする。三叉路を覆い尽くしていると予想された、ハヌマーンの茶色の絨毯。それが真っ赤に染まって、辺り一面に敷き詰められていた。ハヌマーン達は地面に斃れたまま誰一人動かず、第2第3の騎士達が絨毯の度合いを確かめるかのように、その上を歩き回っている。その騎士達の所業に非難の声を上げるハヌマーンはおろか、立って動けるハヌマーンさえも、何処にもいなかった。


「ミカか!?ミカが来たのか!?彼女は無事か!?」


 オズワルドが狼狽に近い形相で馬から飛び降り、イザークの許へと駆け寄る。日頃見せた事のないオズワルドの姿にイザークは内心で驚きつつも、オズワルドの両肩に手を置き、確かめた。


「オズワルド、落ち着け!ヨナの川のハヌマーンは、どうなった!?」

「あ…ヨナの川に叩き落した後は、そのままだ」


 オズワルドは、イザークの言葉をきっかけにして立ち直ると、たちまち前線指揮官の顔つきを取り戻す。


「第1第2第3!再反転し、ヨナの川から来るハヌマーンを殲滅する!第4は此処を死守しろ!」

「「「了解だ!」」」


 オズワルドの指示を聞いた大隊長達は頷き、一斉に各々の大隊へと駆け戻る。


 そして、ヨナの川から這い上がって南下を始めたハヌマーン900は、第1第2第3の騎士1,800の蹂躙を受け、三叉路より小さな赤い絨毯を、草原の上に広げる事になった。




「ゲルダ!何故ミカが、此処に居るんだ!?何故連れて来た!?」


 オズワルドは、馬車の前に座り込んでいるゲルダを問い詰める。ゲルダはすでに治癒魔法を受け、ところどころに青痣の残った顔を上げて、オズワルドに答えた。


「それはミカが、ハヌマーンとの戦いがこういう結果になる可能性に、気づいたからだよ」

「な…!」


 絶句するオズワルドから視線を外したゲルダは、前を向き、自虐的に呟く。


「ハーデンブルグを代表する武の面々が、揃いも揃って、年端もいかない少女の後塵を拝するとは、情けないったらありゃしないねぇ…」

「…」


 自分の至らなさが招いた結果に、オズワルドは唇を噛み、下を向いて顔を歪める。そんなオズワルドにゲルダは再び顔を向け、口を開いた。


「オズワルド、ミカからの伝言だ。『ハーデンブルグに戻ったら、つきっきりで看病の刑』、だとよ」


 勢いよく顔を上げたオズワルドを見て、ゲルダが表情を緩める。


「大丈夫だ。今回はアイツも少しは加減している。この間ほど深刻な状況には、ならないだろうよ」

「…そうか、それだけでも良かった…」


 オズワルドは安堵の息をつき、馬車を眺める。馬車の扉は閉ざされ、周りには女性騎士が立ち並び、中の様子を窺う事はできなかった。




 戦闘の後始末を終えた一行は、いまだ意識の戻らない美香の容態が落ち着いた事を認めると、充満する血の臭いから逃れる様に帰還の途につく。一行は、美香の乗る馬車を中心にして4個大隊が四方を取り囲み、美香の体に気を遣うかのように、静かに進軍していった。




「ゲルダ、折り入って相談があるんだが…」


 その日の夜、ゲルダは第2大隊長イザーク、第3大隊長ウォルターの訪問を受ける。ゲルダは、焚火の前で胡坐をかいたまま、二人の大隊長へと顔を向けた。


「聞かなくても、大体わかるよ。どうせ、アタシと同じだろう?」

「…話が早くて、助かる」


 イザークとウォルターは、焚火を囲んで腰を下ろす。


「で、何人だい?」

「両大隊合計で37名。全員女性だ」


 ウォルターは、ゲルダの質問に答えると、美香の乗る馬車へと顔を向ける。馬車の周りでは複数の女性騎士達が行き交い、警備や雑務に精を出していた。


「…まだ目覚めないのか…」

「おそらく、明朝ってトコだろうね。これでも手加減した分、前回よりだいぶマシなはずだ」

「アレで、手加減しているのか」


 昼間の情景を思い出して苦笑するウォルターに、ゲルダが答えた。


「いいよ。37名、連れて来てくれ。今ここで言い出すようでは、どうせハーデンブルグまで我慢できないだろうしね」

「恩に着るよ、ゲルダ」


 イザークとウォルターが、揃って頭を下げる。焚火越しに二人の頭を眺めたゲルダは、突然、噴き出しそうな顔をする。


「…まったく。アイツ、凄いな。これで4個大隊、総なめじゃないか。今フリッツ様とミカが反目したら、間違いなくフリッツ様の負けだ」

「違いない」

「大隊長が誰一人として反論できないのが、痛快だな」


 ゲルダの批評を聞いた二人が、忍び笑いを浮かべた。




 結局、美香は翌日未明に意識を取り戻し、女性騎士達は、馬車から聞こえるレティシアの泣き声を聞いて、胸を撫で下ろした。




 ***


「…えぇと、アデーレ様。…もしかして、怒ってます?」

「そう思うという事は、心当たりがあるのかしら?ミカさん」


 ゲルダに横抱きにされたまま上目遣いで様子を窺う美香を、アデーレは腕を組んで一瞥した。


「ようやく一人で動ける様になったと喜んでいたのに、2ヶ月も経たずに元に戻るだなんて、あなた、意外と甘えん坊なのね?」

「い、いや、そういうわけでは…」


 微動だにしないアデーレの視線に耐え切れなくなり、次第に肩が縮まり首を竦める美香を見ながら、アデーレが宣言する。


「聞き分けのない娘には、お仕置きが必要ね。せっかくだから、この機会に母娘おやこの親睦を深めましょうか」

「わ、わざわざアデーレ様の手を煩わせなくても、大丈夫ですから!」

「手足が動かず、何一つ自分でできない状態で言われても、説得力が全くないわよ、ミカさん。みんな手ぐすねを引いて待ち構えていたんだから、あなたは黙って、みんなの期待に応えればいいの」

「うわああああああああん!」


 美香の悲鳴を聞きながら、アデーレの先導する女性陣が、館へと入って行く。その後ろ姿を見ながら、フリッツが呟いた。


「…なんか、お供が増えてないか?」

「ええ、実際に増えています」


 オズワルドがフリッツの質問に答え、苦笑する。フリッツは呆れ顔をオズワルドに向ける。


「隊員の配置替えを自由に認めるお前達にも一言言いたいところだが、それどころではないな。中に入って、報告を聞こう」

「はい」




 応接室に入ったフリッツ、長子マティアス、4人の大隊長、ニコラウスの7人は、次々に椅子に腰を下ろす。何故かフリッツが一番疲れたような顔で、大隊長達に問いかけた。


「ミカ殿の容体を見れば、嫌でもわかる。ミカ殿の危惧が的中したというわけだな?」

「ええ、その通りです」


 オズワルドが神妙に頷き、説明を続ける。


「当初2,000と予想されていたハヌマーンでしたが、実際は8,000でした。第2が発見したのは支隊で、敵本隊は大きく上流に迂回し、ヨナの川を渡河したものと予想されます」

「…」

「敵支隊と交戦状態に入っていた我が軍の後背に、敵本隊が出現。我が軍は4倍近い敵に包囲されるところでしたが、間一髪でミカが間に合い、彼女の魔法で敵本隊を撃破。支隊も我が軍が殲滅しております。我が軍の損害は、死者118名、重軽傷402名。一方、戦果は推定6,000です」

「…当家に属する者は、誰一人、彼女に足を向けて寝られんな。ミカ殿が何も受け取らんものだから、私の肩身が狭くなる一方だ。もっとも、この戦果に見合う対価など、当家ごときでは用意もできないわけだが…」


 フリッツが深く溜息をつく。雪だるま式に膨れ上がる「借金」に流石のフリッツも音を上げ、少しでも返済しようと、前回のハヌマーン撃破の後、美香に金品や邸宅の進呈を申し出ている。しかし、美香は頑として受け取らず、美香は未だにレティシアの友人、兼ディークマイアー家の居候という地位に甘んじていた。


 不貞腐れたような顔をするフリッツに、イザークが話しかける。


「それとフリッツ様。実は麾下の騎士達に、ミカ殿の護衛小隊への編入を申し出る者が続出しておりまして…。勝手ながら、現場の判断で承認しました」


 イザークの言葉に、フリッツがじろりと睨み付ける。


「前回と同じだろう?…何人だ?」

「第2第3合計で、37名です」

「はぁぁぁ…」


 報告を聞いたフリッツは、肘掛けに肘をついて頭を抱える。


「…わかった。追認する」

「ありがとうございます」


 諦めた様に言葉を発したフリッツに対し、イザークとウォルターが頭を下げた。


「オズワルド…」

「何でしょうか、フリッツ様」


 頭を抱えたまま暫く押し黙っていたフリッツだが、やがてオズワルドの名を呼び、顔を上げる。




「…此処まで正々堂々と乗っ取りを進められると、清々しくて何も言えないな、おい」


 そこには、痛快とも言えるフリッツの笑みが浮かんでいた。

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