147:近衛誕生
ヨナの川に無事に戻った討伐隊は、橋を守っていた守備隊と合流すると、ヨナの川を渡った後に再び橋を落とし、ハーデンブルグへの帰路についた。一行は美香が乗る馬車を中心に細長い楕円を描き、体がいう事を利かない美香を気遣うかの様に、静かに移動していた。
「私だ、オズワルドだ。開けても大丈夫か?」
「大丈夫です。どうぞ、お入り下さい」
馬車の扉が静かにノックされ、マグダレーナが扉を開ける。すし詰めの馬車に場所を作るため、付き添いの女性騎士と入れ替わる形で、オズワルドが中に入った。
「すぅ…すぅ…」
馬車の中は、後部座席を取り外して寝具が敷かれ、そこに美香とレティシアが横たわり、静かに寝息を立てていた。レティシアは毛布にくるまり、美香に寄り添うように丸くなっている。美香の容態が安定した事を認めたレティシアは、安心すると途端に睡魔に負け、行軍の最中から船を漕ぎ続けていた。これはカルラも同じであり、今は馬車の脇の地面の上に毛布を敷き、熟睡している。
この日も討伐隊は大きな襲撃を受ける事なく、無事に一日を終える事ができた。討伐隊は夜を迎えると、前日と同じように美香の馬車の中心に野営地を張り、交代で見張りを立てながら体を休める。美香の馬車の周りにはもう一つの円陣が組まれ、その中で護衛小隊と女性騎士達が思い思いの時を過ごしていた。
「…」
オズワルドは腕を組み、難しい表情で二人の寝顔を見ている。沈黙に耐えきれなくなったように、マグダレーナが口を開いた。
「…オズワルド様、何故、ミカ様だけが、この様な目に遭われるのですか?」
「…」
マグダレーナの質問に、オズワルドは答える事ができず、悔しそうに顔を歪める。オズワルドにとって、この質問は、彼への非難に聞こえていた。
通常、魔術師は自らの詠唱によって疲労する事はあっても、身を害する事はない。それは、各魔術師の扱える魔法の制限にも因る。通常の魔術師は中級以下の、低威力で低コストな魔法しか扱えず、それで十分な効果を発揮している。ゆえに連発して動けなくなる事はあっても、卒倒する事は絶無であった。
しかし、美香は違った。彼女は「一日の奇跡」により事実上全ての魔法が使え、そして「ニホンゴ」の表現力によって、他の追随を許さないほどの瞬間火力を有していた。ただし、それは一日に一度だけ。美香は、全ての局面を一発で済まさなければならない。
そして美香が直面する局面は、いずれも一個人で抱えるにはあまりにも大きすぎた。屈強な兵士はおろか、千単位の軍集団でも手に余る局面ばかりだった。そして、皮肉にも美香の魔法だけが、その局面を覆すだけの
結果、美香はその身と引き替えに魔法を放つ事になる。美香の魔法は一発勝負。そして局面は常に美香の手に託されている。手加減して取り返しのつかない事態に陥るわけにはいかない以上、美香の詠唱はどうしてもオーバーキルにならざるを得ず、その反動が彼女の身を大きく傷つけていた。
「ん…」
空気の変化に気づいたのだろうか、美香が布団の中でもぞもぞと動き、やがてゆっくりと目を開ける。
「…あれ、もう夜?」
「ああ、日が落ちて、だいぶ経っている。よく眠れたか?ミカ」
美香が目を覚ました事に気づいたオズワルドとマグダレーナは質問を切り上げ、穏やかな顔を向ける。オズワルドの問いかけに、美香が口を窄めた。
「…オズワルドさん。乙女の寝顔を眺めるなんて、趣味が悪いですよ?」
「すまんな。君が心配をかけるような事をしなければ、見るつもりはなかったんだが」
「むぅ…」
以前のオズワルドであれば美香の台詞に動揺したであろうが、二人の距離が近くなった今では、美香の文句に斬り返す程度の余裕は持てるようになっていた。それに対し、美香は拗ねた様な声を上げる。マグダレーナの目には、あしらわれた事に対してというより、「見るつもりがない」という発言に対して不満を呈している様に見えた。胸中に湧き上がった笑いを噛み殺し、マグダレーナが美香に声をかける。
「ミカ様、お食事は召し上がれそうですか?」
「え?…ああ、大丈夫です。マグダレーナさん、いただけますか?」
「ええ、勿論。少々お待ち下さい」
美香の答えにマグダレーナが微笑み、馬車の扉を開けて食事の準備を始める。その間にオズワルドが腕を伸ばし、美香の体を抱え上げると、自分の膝の上に載せた。
「オ、オズワルドさん!?」
突然の接近に美香は動揺し、顔を赤くする。至近に迫ったオズワルドの顔を見る事ができず、落ち着かなげに視線を逸らした美香に対し、オズワルドは柔らかい笑みを浮かべた。
「今の私には、これくらいしかできないからな。少しは手伝わせてくれ」
「オズワルドさんがそこまで言うなら、別に構いませんけど…」
オズワルドの言葉に、美香は顔を赤くし目を逸らしたまま、小さく頷く。だが、意外な方向から否定の声が上がった。
「いけません、オズワルド様」
「え?」
オズワルドが美香を膝に載せたまま馬車の外を向くと、食事のトレイを両手で抱えたマグダレーナが、眉を顰めている。
「何故だ?マグダレー…ナ…」
疑問に思ったオズワルドがマグダレーナに尋ねるが、その背後に佇む女性騎士の剣呑な視線に気づき、眉を上げる。女性騎士は第1大隊所属で、オズワルドの見知った顔だった。その彼女がオズワルドに対し初めて見せた感情に、オズワルドが内心で驚いていると、マグダレーナが彼女の心を代弁する。
「ミカ様の餌付けは、当直の騎士にとってご褒美なのです。それを横取りして、後で背中を刺されても知りませんよ?」
「ご、ご褒美なのか!?」
「餌付け言うな」
マグダレーナの物言いに、オズワルドが目を白黒させ、美香がツッコミを入れる。その間も女性騎士の冷たい視線に中てられ、オズワルドの居心地が悪くなる。
やがてプレッシャーに負けたオズワルドは、上を向いて諦めた様に息をつくと、女性騎士を手招きした。
「ミカの餌付けを手伝ってくれるか?」
「はい、喜んで」
「だから、餌付け言うな」
オズワルドの声掛けに女性騎士は表情を緩めると、マグダレーナからトレイを受け取り、馬車へと乗り込んでいく。
「はい、ミカ様。あーんして下さい」
「うぅ…」
女性騎士は満面の笑みを浮かべながら、取り分けた料理をオズワルドの膝の上に腰掛けた美香へと持っていき、美香は顔を真っ赤にしながら、口を開けるのであった。
***
ヨナの川を出立して6日後、討伐隊は無事にハーデンブルグへと帰着した。
オズワルドとゲルダは討伐隊の解散手続きをエルマー達に託すと、美香を乗せた馬車とともに、領主フリッツの館へと向かう。一行には、ニコラウスが率いる護衛隊が、50名まで膨れ上がったまま付き添っていた。
館の前では、先触れで報告を受けていたフリッツとその妻アデーレ、長子マティアスと妻デボラが揃って並び、一行の到着を待っていた。美香の乗る馬車が到着すると、待ち切れなくなったアデーレが馬車へと駆け寄った。
「ミカさんの容体は!?」
厳しい顔を見せるアデーレに対し、ゲルダに横抱きにされた美香が、アデーレを心配させまいと明るく答える。
「お騒がせしました、アデーレ様。この通り、無事ですから。また手足が動きませんけど、暫く寝ていれば元に戻ると思います」
「…ミカさん、それは無事とは言わないのよ?」
美香の言葉にアデーレは呆れ、しかめっ面で美香の鼻先に人差し指を突き立てた。
「ミカさん、寝所は整えておいたから、あなたはそこで絶対安静にしている事!あなたが悪さをしない様に、私も見張るわ。デボラ、あなたもついて来て」
「はい、お義母様」
「ア、 アデーレ様?」
美香の困惑を余所にアデーレがその場を執り仕切り、美香はアデーレに先導され、ゲルダに横抱きにされたまま、館へと入る。後にはレティシア、デボラ、カルラ、マグダレーナ、そして6人の女性騎士が続いた。
女性陣が慌ただしく館の中へ入るのを見届けたフリッツは、オズワルドへと振り返り、口を開く。
「堅苦しい挨拶は、抜きだ。オズワルド、良く隊を纏め、無事に戻って来てくれた。ご苦労だった。後の警備は第2第3に任せてあるから、第1第4はゆっくり休んでくれ」
「いえ…正直、我々は何もしていませんから」
フリッツの労りの言葉に、オズワルドは溜息をつく。概略をすでに耳にしていたフリッツは、そんなオズワルドを困った表情で眺めた。
「何はともあれ、中に入って詳しい話を聞こう。ニコラウスも来てくれ」
フリッツ、マティアス、オズワルド、ニコラウスの四人は応接室に入り、次々に椅子に腰を下ろす。執事が四人の前に紅茶を並べ、退室するのを見届けると、オズワルドが口を開いた。
「討伐隊はヨナの川を渡河した後、北東方向に進攻、1日の地点でハヌマーンの大軍との遭遇戦になりました。ハヌマーンの数はおよそ6,000。結果、当方の損害は、死者61名、重軽傷者152名。対する戦果は、推定ハヌマーン4,500を撃破。傍目で見れば、完勝です。ただし、その9割以上がミカの魔法による単独撃破。正直、彼女が居なければ、全滅でした」
「…当家の借金を返すつもりが、膨らむばかりだな、おい」
オズワルドの報告を聞いたフリッツが、頭を抱え込む。下を向いたフリッツの頭頂部に向け、ニコラウスが言葉を続けた。
「今回ミカ様が放った魔法は、これまでで最大のものです。その分ミカ様への反動も深刻で、一時呼吸が止まりました」
「何だと!?」
「本当ですか!?」
驚きの表情を浮かべ、勢いよく頭を上げるフリッツとマティアスに対し、ニコラウスが神妙に頷く。
「彼女の魔法は全てが一発勝負で、しかも替えが利きません。そのため、仕損じるわけにはいかず、どうしても最大火力になってしまうのです」
「…」
フリッツは、今度は額に手を当て、上を向いて大きく溜息をつく。そのフリッツの顎に、ニコラウスの言葉が衝突する。
「今回、第1第4の騎士達は、初めてミカ様の魔法を目の当たりにしました。その結果、ミカ様に心酔する者が続出しており、すでに女性を中心とする30名程が、ミカ様の護衛隊への編入を申し出ております」
「…さっき、ミカ殿に追従していった騎士達が、そうか」
「はい」
手を下ろし、再び前を向いたフリッツに、ニコラウスが首肯する。応接室の扉が開き、ゲルダが入って来た。
「フリッツ様、遅くなった」
「構わない、ゲルダ。ミカ殿の様子はどうだ?」
「アレから1週間経っているからね。容態は安定しているよ。ただ、手足は当分の間、動きそうにないね」
「そうか…」
ゲルダの報告にフリッツは腕を組み、難しい顔をする。そのフリッツに向けて、ゲルダが口を開く。
「フリッツ様、頼みがあるんだ」
「何だ?」
ゲルダは日頃の人懐っこい笑みを捨て、真顔でフリッツの顔を見ると、言葉を続けた。
「アタシを、大隊長の座から降ろしてくれ」
「何だと!?本気か、ゲルダ!?」
ゲルダを除く四人が一斉に驚きの声を上げ、フリッツとオズワルドが腰を浮かせる。
「アタシを大隊長の座から降ろし、ミカの護衛小隊に編入してくれ。あのアバズレの首根っこを、常に捕まえておかなきゃ、いけないからね」
「アバズレ?」
「ああ、フリッツ様」
フリッツの唸り声にも似た問いに、ゲルダは頷きを繰り返した。
「アイツは私と同じ脳筋だ。加減も知らず、自分も顧みない。このままでは、いつか取り返しのつかない事になる。だからアタシが四六時中目を光らせ、力尽くで抑え込んでやる」
「私では、できないのですか?」
ニコラウスが些か気分を損ねた風に問いかけると、ゲルダは彼女にしては珍しい、困った表情を浮かべた。
「ニコラウス、アンタの働きを否定するつもりはないよ。ただ、こういう時、男だと途端に歯切れが悪くなるだろう?同性なら歯に衣着せず、直球でものが言えるからねぇ」
「そう言われると…」
心当たりがなくもないニコラウスが言い淀み、ゲルダが表情を緩める。
「それにアイツが魔法を撃ったら最後、当分の間寝たきりだ。そうなった時のために、周囲を女で固める必要があるのさ。ニコラウス、アンタがミカの下の世話をするわけには、いかないだろう?…あんな風に」
ゲルダが口を噤むと、応接の扉の向こうから複数の声が聞こえて来た。
「アデーレ様も、デボラさんも、トイレまでついてこなくて大丈夫ですから!」
「大丈夫なわけがないでしょう、ミカさん。あなた、手足が動かないんだから。嫁入り前の淑女に粗相をさせては、当家の沽券に係わるわ」
「そうですよ、ミカ様。私達の事は気にせず、遠慮なくお済みになられて下さい」
「そうよ、ミカ。我慢していたら、体に毒よ。早くすっきりしちゃいなさい」
「うわあああああああん!」
「ちっ、乗り遅れたか…」
廊下から聞こえる悲鳴に男達は一斉に下を向き、ゲルダが舌打ちをする。
「まあ、そういうわけだ。ちょうど今回の戦いで、30名の女性騎士も集まった。私とそいつらを、護衛小隊に編入して欲しいんだ、フリッツ様」
「第4は、誰に率いらせるつもりだ?」
「サムエルに任せるさ。アイツもそろそろ乳離れした方が良いだろうしね」
ゲルダが副隊長の名を出し、フリッツに推薦した。
「…わかった」
フリッツは暫く沈黙した後、ゲルダの提案を了承する。
「これまでミカ殿の護衛小隊は明確に規定していなかったし、ちょうどよかろう。正式に護衛小隊として編成し、ゲルダと女性騎士30名を編入させよう。隊長にゲルダ、副長にニコラウスを任命する。第4大隊長には、サムエルを昇格させよう」
「恩に着るよ、フリッツ様。ニコラウス、突然押し掛けて悪いが、よろしく頼むよ」
「いいえ、よろしくお願いします」
こうして美香の護衛小隊が正式に発足し、隊長にゲルダ・へリングの就任が決定する。
後年、精忠無比、中原最強の名をほしいままにする軍集団、「近衛」の誕生である。
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