124:エミリア
中原から遠く離れた荒野に、世界に取り残されたように、2張のテントが佇んでいた。2張のテントは、3日間風に煽られ、表面には乾いた砂が薄く降り積もっていた。
片方のテントの扉が開き、一人の男が外へと出てくる。男はサンダルの他には下着1枚しか履いていない姿で仁王立ちすると、1本しかない腕を上に伸ばし、大きく深呼吸をする。男は、テントの中に充満する、むせ返るほどの匂いと湿気を肺の中から追い出し、外の乾いた空気を思う存分取り込むと、燦々と照らす太陽に感謝するように笑みを浮かべた。
外の空気を満喫した男は、隣のテントへと移動し、中に置かれている子供用プールに空気を入れ直してポリタンクからお湯を注いだ。男は先ほどまで行われていた作業で疲れ切っており、体の芯には未だ気怠さが残っていたが、彼は鼻唄を歌いながら、楽しそうにポリタンクを傾ける。これまで1年半に渡って彼の中に鬱積していた色々な感情は一掃され、今や彼の心は晴れ上がり、清々しい気分になっていた。彼はそれに感謝し、心の中を掃除してくれた彼女達のために、一生懸命プールにお湯を注いでいた。
やがてプールの中になみなみとお湯が張られると、男は元のテントに顔を向け、声を上げる。
「シモン!セレーネ!お風呂ができたぞ!」
「ありがとう、トウヤ。今行く!」
中から女の声が聞こえると、男はテントへと入り、下着を脱いで体を洗い始める。肌とスポンジの擦れる音に混ざって、隣のテントの声が聞こえてきた。
「お姉ちゃん、お風呂だって。ほら、行くよ」
「シ、シモンさん、だ、駄目、今そこ触っちゃ…あっ!…ぅぅん!」
隣から聞こえる艶めかしい声を聞きながら、柊也は風呂桶に湯を汲み、体を洗い流す。そしてプールに入って体を横たえると、缶ビールを取り出し、プルタブを開けて飲み始めた。
テントの扉が開いて、シモンとセレーネが入ってくる。シモンは、バスローブ1枚を体に巻いただけの姿で、素っ裸のセレーネを横抱きに抱えていた。シモンはプールの前で両膝をつくと、壊れ物を扱うかのように、セレーネをゆっくりとバスチェアに座らせる。椅子に座ったまま、未だ息の整わないセレーネを、柊也が気遣った。
「大丈夫か?セレーネ」
「…だ、誰のせいですか!誰の!トウヤさんもシモンさんも酷いです!二人がかりで私ばっかり!少しは休ませて下さい!」
抗議の声を荒げ、再び息が上がったセレーネを見た柊也は意地の悪い笑みを浮かべると、シモンへと顔を向け、缶ビールを掲げる。
「シモンも飲むか?」
「ああ、中に入ったら、いただこう」
「まだ飲むんですかぁ?二人とも…」
呆れたような顔を向けるセレーネに、柊也は頭を下げる。
「今日までは大目に見てくれ、セレーネ。明日からは元に戻るから」
「ほどほどにして下さいね、もぉ…」
諦めた様に溜息をついたセレーネを横目に、柊也は再びシモンへと顔を向ける。シモンは柊也の前でバスローブを脱いで一糸まとわぬ姿となり、スポンジで体を洗っていた。その上下に揺れ動く煽情的な起伏を、柊也は間近で眺めながら、ビールを傾ける。シモンも柊也の視線を気にする事なく、むしろ見せつける様にして体を洗っていた。
体を洗い終わったシモンは、動きの緩慢なセレーネを軽々と抱え上げると自分に背中を向けるように座らせ、スポンジにボディソープを付けて洗い始めた。
「お姉ちゃん、体洗ってあげるね」
「シ、シモンさん!何処に手を回して…!」
「あー、回ってきた…」
洗い場で乳繰り合う姉妹を眺めながら、酔いが回ってきた柊也は椅子を取り出し、プールの中で腰掛けて烏龍茶を飲み始める。
三人は、3日間に渡る退廃的な生活の、最後の余韻を存分に味わっていた。
二人が体を洗い終わりプールの中に入ってくると、シモンは柊也の手を引いてプールへと招き入れ、満面の笑みで左腕にしがみ付く。シモンの尻尾はプールの中で千切れんばかりに左右に揺れ、プールのお湯は大きく波打っていた。
この3日間で、柊也だけでなく、シモンも大きく変わった。それまでの彼女は、三人の中で盾の役目を果たすべく常に意識を張り詰め、その容姿と合わせて最も年長らしい振舞いを見せていた。それが、この3日間に相手の想いを存分に味わった結果、彼女は「年上」の立場をかなぐり捨て、まるで子供の様に甘えるようになった。それは、柊也のみならずセレーネにも向けられ、周囲を気にする必要がない時は、シモンは二人に甘えまくった。
柊也はシモンにビールを渡し、セレーネに炭酸水を渡すと、烏龍茶に口をつけながら話し始める。
「さぁて、3日間やりたい放題やったからな。そろそろ元の生活に戻らないと、このままじゃ戻れなくなりそうだ」
「トウヤさぁん、もう少し言葉を選びましょうよ…」
柊也の言葉を聞いたセレーネが、ここ3日間の事を思い出して顔を赤くする。柊也は声を立てずに笑い、言葉を続ける。
「とりあえず、脱出優先でサーリアの検証を後回ししていたからな。まずは、それから確認するか…。シルフ、いるか?」
『はい、マスター。此処に』
柊也の呼びかけに応じ、シルフが空中に姿を現わす。
「シルフ、管理者就任によって何の権限が付与されたのか、教えてくれ」
『畏まりました、マスター』
柊也の求めに、シルフは一礼し、説明を開始する。
『まず、メインシステムのモード変更権限が付与されました。これにより、エマージェンシー・モード、スリープ・モードの解除が可能となります。ただし、スリープ・モードの解除については、周辺環境への影響が甚大となりますので、推奨いたしません』
「エマージェンシー・モードは、解除しても問題ないのか?」
『はい。エマージェンシー・モードは、外部からの攻撃を防ぐために通信を遮断した稼働モードです。エマージェンシー・モードの解除によるエネルギーの消費は軽微のため、影響はございません。ただし、現在、他のシステムも同じくエマージェンシー・モードとなっておりますので、そちらも解除しないと意味を成しません』
シルフの回答に、柊也が眉を顰める。
「他のシステムとは、つまり…『エミリア』や『ロザリア』という事か?」
『左様でございます』
「え!?トウヤ、まさか!?」
「トウヤさん!?」
日本での知識があり、ある程度想定していた柊也とは異なり、全く思い至らなかったシモンとセレーネが驚きの声を上げる。そんな二人に、柊也は顔を向けて頷く。
「ああ。神話に登場する3姉妹。彼女達は全て、俺と同じ血の種族が作り出した、何らかのシステムという事だ」
絶句した二人をそのままに、柊也は再びシルフへと顔を向ける。
「エミリアとロザリアについては、後で聞こう。他の権限も教えてくれ」
『はい。次に、各ユーザへの認可権限が付与されました。これにより任意の生物に対し、各サービスの利用を認可する事ができます』
「それは、例えばエルフに素質を与える事ができる、という事か?」
『左様でございます。ただし、現在はスリープ・モードによりサービスのほとんどが停止しているため、事実上無効となっております』
「トウヤさん…!」
シルフの回答を聞いたセレーネが、柊也に縋りつく。未だスリープ・モードにより阻害されているが、エルフがサーリアから、あるいは柊也から素質を授かる日が来る。それが現実となった事に、セレーネは喜びより驚きが先行していた。セレーネの目を見て頷く柊也に、シルフの説明が続く。
『さらに、ナノシステムの全操作権限が付与され、またナノシステム使用時の代償支払義務が免除されております。そのためスリープ・モード解除後は、当管轄のナノシステムの全てを自由に操作する事ができます』
「ナノシステムとは、何だ?」
『恐れ入りますが、ヘルプ機能がロックされており、お答えする事ができません』
シルフの回答を聞いた柊也は、大きな溜息をつく。
「管理者になっても突破できないとは、どんだけガードが堅いんだよ…」
『誠に申し訳ございません』
シルフが腰を曲げ、柊也に謝った。
「まあ、いいや。何となくイメージはついたし。あんたのせいじゃないしな、シルフ」
『恐れ入ります。以上が、管理者によって追加された権限となります』
「わかった、ありがとう」
シルフの説明を聞いた柊也は、のぼせた体を起こして椅子に身を預け、質問を続ける。
「エミリアとロザリアのメインシステムの所在地を教えてくれ」
『はい。システム・エミリアの所在地は、ここから南西に直線距離で約5,600km、システム・ロザリアの所在地は、ここから東南東に直線距離で約6,300kmとなります』
「ロザリアの所在地は、ヴェルツブルグと呼ばれる所か?」
柊也の問いに、シルフは首を横に振る。
『恐れ入りますが、エマージェンシー・モードによる通信断絶の影響で、ロザリア管轄地の現在の地名は不明です』
「そうか。それとエミリアとロザリアは、現在どういう稼働状況になっている?」
『エマージェンシー・モード発動による通信断絶前の情報しか残されておりませんが、その当時の稼働状況でよろしいでしょうか?』
「ああ、それでいい」
柊也の回答にシルフは頷き、報告する。
『通信断絶前のシステム・ロザリアは通常モード、システム・エミリアはセーフ・モードとなっておりました。現在はこれに、エマージェンシー・モードが発動していると推測されます』
「セーフ・モードとは何だ?」
『セーフ・モードは、スリープ・モードよりも更に機能を制限した稼働モードになります。セーフ・モードでは、ユーザ認証、管理者権限付与、ナノシステム維持を除く全ての機能が停止し、全てのサービスが利用できません』
「なるほど…わかった」
柊也は了承し、顎に手を当てて考え込む。柊也の太腿に手を添え、顎を乗せたシモンが問いかけた。
「何を考えているんだい?トウヤ」
「ああ…」
シモンの問いかけに、柊也は生返事をしたまま暫く黙っていたが、やがて顎から手を離し、椅子に座ったまま二人を見下ろす。
「今後の方針を決めた。まずは、エミリアに接触しよう。そしてロザリアに接触し、3姉妹が何者か、ロザリアから聞こう」
柊也の方針決定に、シモンとセレーネは息を呑んだ。永い間言い伝えられてきた神話に、自分達が直接関わり、3姉妹を助ける事ができるのだ。すでに柊也はサーリアの管理者となり、いつでも目覚めさせる事ができるようになった。その上、エミリアの管理者にもなる事ができれば、病臥の床にあるエミリアを完治させる事ができるかも知れない。その事に気づいたシモンとセレーネは、得も言われぬ高揚感に身を焦がす。
「トウヤぁ!」
「え?うわあ!」
突然、柊也は左手を引っ張られ、プールの中に引き摺りこまれた。大きな水飛沫を立てて尻餅をついた柊也にシモンが抱きつき、頬ずりをする。
「トウヤ!君と
そう一気に言い募ると、シモンは柊也に馬乗りになり、柊也の頭を両手で抱えて唇で唇を塞いだ。
「ぁむ…ん…ふ…」
「ト、トウヤさん!私も!」
一拍遅れたセレーネが慌てて柊也に擦り寄り、胸元に手を伸ばしながら声を上げる。
「私も、あなたを愛してます!あなたの、神との対話に私もお供させて下さい!あなたに私の一生を捧げる事を誓います、マイ・マスター!」
プールのお湯が繰り返し波立ち、何度も水飛沫が上がった。
***
『マスター。私は一旦、失礼した方がよろしいでしょうか?』
「…あ?…あ、いや、ちょっと待ってくれ、シルフ」
暫くしてシルフの問いかけを受けた柊也は、慌ててシルフを呼び止める。柊也はプールの縁に頭を乗せ、仰向けに寝転がっていた。柊也の上にはセレーネが馬乗りになり、シモンに腰を押さえつけられたまま、肩で息をしている。
「だ、だから、トウヤさんもシモンさんも、何で私ばっかり…!」
『念のため、今までの行動を録画しておきましたが、如何しましょうか?マスター』
「え!?ちょっと待って!」
「破棄してくれ、シルフ」
『畏まりました』
柊也の言葉を聞いたセレーネが、安堵のあまり腰砕けになる。その上空を舞うシルフに、柊也が声をかけた。
「俺はエミリアの下に向かう事にした。シルフ、エミリアまで誘導する事はできるか?」
『はい、マスター。可能です。管理者が管轄地の外から命令できるよう、ガイド・コンソールは管轄地の外でも活動できます』
「そうか。それじゃあシルフ、誘導を頼む」
『畏まりました、マスター』
シルフは一礼すると、柊也に一言付け加えた。
『なお、システム・エミリアに赴くにあたり、マスターに一つ注意喚起がございます』
「何だ?」
『システム・エミリアは現在、セーフ・モードとなっており、エミリアの管轄地では全てのサービスが利用できません。そのため、異言語間の自動翻訳機能も停止しております』
「…え?」
『エミリアの管轄地では、異言語との会話が成立いたしません。その旨、ご注意下さい』
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