115:サーリアの誓い

 コレット達と別れた柊也とシモンが合議場に戻ると、セルピェン族 族長リコ、ラトン族 族長ウルバノ、そしてミゲルが柊也の前に進み出て次々に跪き、こうべを垂れた。


 思わず仰け反る柊也の前で、頭を下げたままリコが口を開く。


「トウヤ殿、お願いの儀がございます。是非、私どもにも、サーリア様の聖言を拝聴する栄誉をお与え下さい」


 そのまま動かなくなった三人を見た柊也は、内心で溜息をつきながら胡坐をかき、リコに語り掛ける。


「リコ殿、ウルバノ殿、ミゲル殿、頭を上げてくれ。他の族長から話を聞いているかと思うが、残念ながらサーリアは、あなた方が望む言葉を発する存在ではない。サーリアとの会話は、あなた方を失望させるだけになるだろうが、それでもあなた方はサーリアの声を聞きたいのか?」


 柊也に問われたリコは顔を上げ、柊也の目を真っすぐに見ながら答える。


「構いません。我々はただ、サーリア様がお目覚めになられた、その御姿を拝見したいだけなのです。サーリア様が何をお考えになり、何処へ進まれるのか。それはサーリア様の御心のみが知るべき事であります。我々エルフはただそれに従い、サーリア様と共に在れば、それに勝る喜びはございません」


 リコの言葉に、柊也は頷く。正直な所、宗教観が最もおおらか、悪く言えば適当な日本人である柊也に、エルフの考えが理解できたわけではない。しかし、地球にもいくつか存在した深い信仰を伴う宗教と、それを信じる人達への配慮を知っていた柊也は、エルフの考えを尊重し、申し出を受け入れる許容を持ち合わせていた。


「わかった、リコ殿。それでは、これから社へと向かおう」




 サーリアの社へと向かった一行は、柊也を先頭にして、御神柱のある部屋へと入る。シモンとセレーネ、八氏族の族長とその供回りが後ろに控える中、柊也は御神柱の向こうにそびえる壁へと声をかけた。


「サーリア、私だ。柊也だ。サーリア、あなたに聞きたい事がある」


 途端、薄暗い部屋の至る所から光が射し込み、部屋全体が明るく輝く。柊也を除く全ての者が、呆然としたまま辺りを見渡し、縦横無尽に走り始める赤や青の光を追いかける。そんな彼らの耳元に、前方の壁から女性の声が聞こえてきた。


『いらっしゃいませ、シュウヤ様。どの様なご用件でしょうか?』

「「「サーリア様!」」」


 サーリアの声を聞いたエルフ達は、皆跪き、額を床に擦り付ける。その中で、リコ、ウルバノ、ミゲルが頭を上げ、サーリアに向かって声を張り上げた。


「サーリア様!私めは、セルピェン族 族長 リコと申します!サーリア様のご尊顔を拝し、私は今感動に打ち震えております!」

「サーリア様!ラトン族 族長 ウルバノでございます!御身に御霊が戻られました事、ここにお慶び申し上げます!」

「私は、ラトン族 族長ウルバノの息子、ミゲルであります!サーリア様がお目覚めになられ、再び我々エルフを照覧いただける日を迎えました事、心よりお祝い申し上げます!」


 三人は、思い思いの魂の叫びを上げる。しかしそれに続く言葉はなく、社の中を静寂が覆い被さっていく。他の族長達から話を聞いていたものの、三人の顔には次第に不安と当惑の表情が広がる。


 その不安と当惑の静寂の帳を、三人の前に立つ男の声が切り裂いた。


「サーリア、この植物の生息域を教えてくれ。此処からメインシステムまでの間、全ての地域で生息しているのか?」


 柊也は、左手を上げ、エルフから渡された1枚の葉を慎重に持ちながらサーリアへと見せる。前方の壁が瞬き、壁から女性の声が聞こえてきた。


『はい、シュウヤ様。学名、サウラン=ジョカリウムについては、この地域を南限とし、北西方向へ広範囲に生息しております。サーリアのメインシステムの所在地も、生息域に含まれております』

「そうか。ちなみに、この葉の毒性に耐性を持つ魔物や動物はいるか?」

『いいえ、サウラン=ジョカリウムの茎や葉に含まれる毒性に耐性を持つ生物は、確認されておりません』

「そうか、ありがとう」


 サーリアの回答に柊也が礼を述べる。これで魔法が使えなくとも、セレーネが示した方法でジョカの葉汁を使えば、夜襲の心配がなくなったという事だ。


『いいえ。他に何かご用件は?』

「いや、今はない。その時は、また声をかける」

『畏まりました。その時は、“ガイドコンソール・シルフ”もお使い下さい』

「わかった。ありがとう」

『それでは、失礼します』


 まるで柊也に挨拶するかの様に、前方の壁を左右に赤青の光の線が走ると、やがて光が暗くなり、社の中はいつもの薄暗い部屋へと変貌する。その中で、シルフが自己主張するかのように、柊也の左肩に腰掛けたまま、淡い光を放っていた。


 柊也は後ろを向き、未だ跪いたまま呆然と前を見るリコへと声をかける。


「リコ殿、今見た通りだ。残念ながらサーリアには、私の声しか届かないようなんだ」

「…そうか…やはりそうなのか…」


 柊也の言葉を聞いたリコは、悔しそうな顔をして俯く。そんなリコを沈痛な面持ちで見ていた柊也の耳に、別のエルフの声が聞こえてきた。


「ああ、糞…。これはもう、俺の気分どうこうの問題じゃねぇよ…」


 柊也の脇で、ミゲルが頭をかき回しながら独り言ちている。すると、ミゲルは自分の剣を柊也の目の前に置くと、胡坐をかいて姿勢を正した。


「トウヤ殿、ラトン族 族長ウルバノの息子、ミゲルの剣をあんたに捧げる。俺はあんたの剣となり、あんたの指し示すままに斬り込んでいく事を、サーリア様に誓おう」


 そう言い切ると、両拳を握ったまま床に着いて、頭を下げた。


「え!?ちょっと、ミゲル殿!?頭を上げてくれ!」


 慌てて腰を屈み、ミゲルの頭を上げさせようとした柊也の耳に、次々と床を擦る物音が聞こえて来る。柊也が横を向くと、社にいる全てのエルフが、居住まいを正していた。男は全て胡坐をかき、両拳を握って床に着けている。女は全て正座し、両手を床に着けている。そして、


「セルピェン族 族長リコ、我が弓と剣をトウヤ様に捧げる事を、サーリア様に誓おう」

「ラトン族 族長ウルバノ、我が剣をトウヤ様に捧げ、息子ミゲルとともにトウヤ様の指し示すままに斬り込んでいく事を、サーリア様に誓おう」

「ティグリ族 族長グラシアノ、我が剣をトウヤ様に捧げる。我はトウヤ様を守る盾となり、我が身に代えてでもトウヤ様の命を守る事を、サーリア様に誓おう」


 次々にサーリアの誓いを掲げ、柊也に対して頭を下げていった。


 押し留める間もなく、同時多発的なサーリアの誓いを受け、柊也は呆然とする。やがて抵抗するのが面倒臭くなった柊也は、頭をかき回し、苦虫を噛み潰しながら文句を言った。


「…ああ、もう!わかりました!誓いを受けますから、頭を上げて下さい!もう、こんな誓いをして、後悔しても知りませんよ!」




「トウヤ様」


 社での一件が終わり、人々がイレオンの森への出立に向けて準備を始める中、柊也はナディアに呼び止められ、シモンを含めた三人は社の裏手へと向かった。


「どうしたんですか?ナディアさん」

「…」


 先を行くナディアに柊也が声をかけると、ナディアは身を翻し、柊也の前に佇む。その所作に成熟した女性とは思えないあどけなさを感じ、柊也の鼓動が波打つ。


「トウヤ様…」


 柊也の名を呼んだナディアは、柊也に歩み寄るとその左手を取り、自らの胸元に引き寄せて両掌で包み込む。ナディアに至近距離まで詰め寄られ、甘い匂いに包み込まれた柊也は、思わず顔を赤らめ、仰け反ってしまう。ナディアは、そんな柊也の顔を覗き込み、花弁の様に鮮やかな唇を開いた。


「トウヤ様、どうかセレーネをよろしくお願いします。あの娘はまだ子供ですが、純心で一途で愛らしい娘です。きっとあなたが望めば、一生懸命応えようとするでしょう。ですからトウヤ様、どうか臆さず彼女に全てを望んで下さい。そして彼女の全てに応えてあげて下さい。それこそが、きっと彼女の幸せに通ずるはずです」

「ナディアさん…」


 柊也は、ナディアの真っ直ぐな瞳を受け、押し黙る。やがて、顔の赤らみが次第に引く中で、柊也は静かに答える。


「ナディアさん、セレーネは私にとって大切な仲間です。北伐の地から此処に至るまで、彼女の天真爛漫な姿には、私もシモンも何度も救われました。この後、彼女とどうなるのかわかりませんが、彼女を傷つける事だけはないと、断言します」


 柊也の言葉を聞いたナディアは目を伏せ、苦笑交じりの溜息をつく。


「トウヤ様…あなたはもう少し、ご自身のお気持ちに正直になられた方がよろしいですわ」

「え?べ、別にそういうわけでは…」


 ナディアの独り言に再び顔を赤らめる柊也。すると、ナディアが再び目を開き、真っすぐに柊也の目を見つめた。その瞳に小悪魔の光を見た柊也は、動揺する。


「ナ、ナディアさん?」

「トウヤ様、良い事を教えましょう。…私、先ほどの場では、まだ誓いを立てておりませんの」

「「へ?」」


 柊也のみならずシモンまでが声を上げる中、ナディアは目を閉じ、柊也の手を胸元に寄せたまま、口を開いた。


「私、グラシアノの妻 ナディアは、トウヤ様が私に求められた望みに全て応える事を、サーリア様に誓います」

「ナナナナディア殿!?」


 ナディアの誓いを聞いたシモンは仰天し、柊也を引き剥がして、自身を二人の間に割り込ませる。顔を真っ赤にする二人に、ナディアは悪戯っ子の笑みを浮かべ、上目遣いで艶やかな舌を出す。


「シモン様。トウヤ様に今の誓いを使わせないよう、セレーネと二人でしっかり掴まえて下さいね?」


 そう言い放つと、ナディアは二人に背を向け、鼻唄を歌いながら合議場へと戻って行った。




 ***


 2週間後。柊也達がイレオンの森から出立する日が来た。


 イレオンの森には、柊也達三人の見送りに多くの人々が駆け付けていた。八氏族の族長も揃い、代わる代わる柊也達と挨拶を交わしていく。


 柊也達は、イレオン族より4頭の馬と1台の馬車を譲り受けていた。馬車は2頭立てで、シモンが手綱を取り、柊也がその脇に座る。馬車には、衣類や食料、ジョカの実の粉といくつかの薬草、外套等が積まれていたが、4,500kmに渡る旅の準備とは思えないほど軽装であった。これには族長達が懸念を表明していたが、右腕の力を知るシモンとセレーネの口添えもあり、何とか引き下がってもらった。残りの2頭のうち1頭にセレーネが乗り、最後の1頭は交代要員である。


 柊也への挨拶が終わると、族長達は一斉にセレーネへと顔を向け、居住まいを正す。その雰囲気を読んで姿勢を正したセレーネの前に、グラシアノとナディアが進み出て、セレーネの手を取って声をかけた。


「セレーネ、トウヤ様をよろしく頼むぞ。必ずやサーリア様の御許にトウヤ様を送り届け、サーリア様のお望みを叶えて差し上げてくれ」

「はい、お父さん、お母さん、行って参ります。吉報をお待ち下さい。…ふぇぇぇぇぇ」

「セレーネ、そんな事じゃお母さん、心配だわ。…やっぱり、お母さんもついて行った方が良いかしら?」

「だだだ大丈夫だから!」

「ナナナナディア殿、私がついていますから!心配しないで下さい!」


 セレーネの泣きべそを見たナディアが嘆息し、それを見たセレーネとシモンが慌てて立ち塞がる。柊也を含めた三人が揃って茹蛸になりながら、次々に馬車と馬に乗る。


「それじゃ、グラシアノ殿。行って来る」

「はい。トウヤ様、お気をつけて」


 柊也の声をかわぎりに、馬車が西北西へと動き出す。次第に遠ざかる三人を、族長達とイレオンのエルフ達は、いつまでも眺めていた。

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