113:乙女心(2)

「え?ちょっと待っておくれよ。もう一度言ってくれるかい?」


 コレットは思わず頭を上げ、目を瞬かせながら聞き直した。その官能的な唇は辛うじて笑みを形作っているが、口の端が引き攣っている。コレットの目の前で、エリカがほっそりとした指を顎に当て、上を見ながら口を開いた。


「だから、コレットさんの年齢の話よ。私が思うに、大体280歳くらいだと思うのよね」

「馬鹿ね、エリカ。コレットさんに失礼よ」


 モニカがエリカを窘め、人差し指を立てて答える。


「コレットさんはしっかりしているだけで、もっと若いわよ。きっと220歳くらいよ」

「二人とも違うぞ」

「あ…、ミゲル様」


 エリカとモニカが後ろへと振り返ると、三人の許にミゲルが歩み寄っていた。ミゲルは双子の後ろに立つと、地べたに座り込む三人を見下ろし、口を開く。


「人族は、我々エルフと違って寿命が短いんだ。お前達が思っている以上に、彼女は若いぞ。あの容姿なら…そうだな…」


 そう呟いたミゲルは、顎に手を当て、コレットの姿をまじまじと見やる。そして、


「…ま、80ってトコだな」

「え?私達より年下なんですか!?」

「ああ」


 ミゲルは自信をもって断言し、その言葉を聞いた双子は、驚きの声を上げた。


 三者三様の視線を一身に受けたコレットはへたり込んだまま下を向き、その顔が見る見るうちに赤くなっていく。くそ、何で自分の年を言うのに、こんなに恥ずかしくならなきゃならないんだよ!


「…26…」

「「「にっ…!?」」」


 下を向いたままコレットが発する、唸り声のような呟きを聞いた三人は絶句し、そのまま動かなくなる。やがてミゲルが愕然とした面持ちで、やっとの事で言葉を続けた。


「…赤ん坊じゃないか…」




「それより、ミゲル!アンタ、一体何の用だい!?わざわざ私の年齢を聞きに来たわけじゃないんだろう!?」

「…あ?ああ、そうだった。スマン」


 コレットが顔を真っ赤にしてミゲルに吠えかけ、ミゲルが再起動する。ラトンの森に連れてこられたコレットは捕虜とは思えないほどエルフと打ち解け、すでにミゲルとコレットは敬称なしで話し合う仲だった。


 ミゲルは双子の肩に手を乗せると、二人の顔を見て口を開く。


「モニカ、エリカ。これから合議場に向かう事になった。ついでにお前達をサーリア様の許に連れて行くから、準備してくれ」

「「あ、はい。わかりました、ミゲル様」」


 ミゲルの言葉に双子は頷き、立ち上がるとコレットに手を伸ばす。コレットは二人に手を引かれ、立ち上がりながら、問いかけた。


「サーリア様の所に、何しに行くんだい?」


 コレットの問いに、右脇に貼り付いたモニカが答える。


「私達、コレットさんを守るってサーリア様に誓ったから。その誓いを、サーリア様へ奏上しに行くんです。コレットさんも、一緒に来てね」




 ***


 ラトン族 族長ウルバノが率いる一行は、5日かけて合議場へと辿り着いた。ウルバノの他にはミゲルとラトン族のエルフが数名、モノの生存者の代表、それとモニカ、エリカとコレットの10名だった。


「あそこが合議場だから。もう少し我慢してね、コレットさん」

「ああ、大丈夫だよ」


 馬上で後ろを向き、モニカがコレットを労わる。コレットは、モニカのほっそりとした腰に手を回し、後ろに座っていた。コレットも馬を操る事はできるが、捕虜という立場上、馬を与えられていない。そんなコレットをモニカとエリカが取り合い、コレットは二人の馬の間を交互に行き来していた。


 やがて一行は合議場の林に着くと馬を降り、馬を引きながら徒歩で合議場へと向かう。道中、ミゲルが後ろを振り向き、コレットへ声をかけた。


「コレット。この後、族長会議が行われる。立場上、お前への尋問もあるだろう。悪いが付き合ってくれ」

「ああ、それは仕方ないよ。気にしないでおくれ」

「すまんな」


 ミゲルの気遣いに、コレットは手を振って答える。そうして合議場へと向かった一行だが、建物が見えて来たところで、ウルバノが眉を顰めた。


「随分と騒がしいな…」


 エルフにとって、この林はサーリア様が祀られている神聖な地である。いつもの族長会議であれば、もう少し静かに行われるものであるが、その日はやけに他の氏族のエルフ達が騒がしかった。強いて言えば、混乱と熱気がないまぜになった雰囲気に、ウルバノとミゲルが顔を見合わせる。


 ウルバノは後ろを向き、氏族の若い衆とエリカ、モニカ、コレットに声をかけた。


「お前達は、ここで待っていろ。ちょっと様子を見てくる」

「はい、族長」


 そう命令したウルバノは、ミゲルとモノの代表を引き連れ、合議場へと向かう。その姿を目で追ったコレットの腕をエリカとモニカが引き、下草の整った広場へと誘った。


「コレットさん、こっちで座って待ってようよ」

「ああ、わかった」


 三人は、車座になって思い思いに座り出す。残されたラトンのエルフ達は、馬を木に繋ぎ始めた。背中の木にもたれかけ、身を預けたコレットの耳に、ミゲルの声が聞こえて来る。


「あ、おーい。どうしたんだ?ずいぶんと騒がしいが」

「ああ、ミゲル殿か。すぐに合議場へ向かってくれ。他の族長達が待っている」

「何があったんだ?」


 声を掛けた女性に、ミゲルが尋ねている。その問いに、女性の苦笑が重なった。


「私から話しても、信じられないだろうからな。族長達から聞いてくれ」

「わかった。あ、そうだ。例の人族の捕虜を連れてきた。あの木の陰にいるから、何か聞きたい事があれば、聞いてくれ」

「了解した。ありがとう」


 そんな言葉を聞いたコレットの許に、女性の歩み寄る音が近づいて来る。コレットの肩越しに後ろを眺めたモニカとエリカが、呟いた。


「あ…獣人さんだ。私、獣人さん見るの、初めて」

「本当だ…すごい綺麗な人だね…」


 エルフじゃないのか…セント=ヌーヴェルの者かな。…ああ、やだやだ。


 ラトンでの生活を経てエルフの気質を知ったコレットは、尋問者がエルフではない事を知り、ウンザリする。すっかり中原との関わりが嫌になったコレットは、尋問者から1秒でも長く逃れようと下を向く。そんな彼女の視界の隅に、レザーレギンスに包まれた、すらりとした足が見え、上から女性の声が降り注いだ。


「君が、人族の捕虜か…。悪いが、頭を上げてくれるか?」

「ああ」


 女性の命令にコレットは渋々従い、顔を上げる。そして、女性の顔を見上げ、


「…え?」

「…え、コレット?」


 驚いた顔をしたシモンを見て、固まった。




「え!?ちょっと、シモン!アンタ、何!?生きてたの!?あ痛たたたた…」

「あ、おい、コレット。無理をするな」

「あん!ちょっと、コレットさん!だから、無理しちゃ駄目だって!」


 コレットは慌てて立ち上がろうとして顔を顰め、モニカが窘める。腰が落ちそうになったコレットの肘をシモンが掴み、コレットは何とか立ち上がった。コレットはそのままシモンの両の二の腕を掴み、激しく前後に揺さぶった。


「ねぇ、ちょっと、本当にアンタだよね!?幻じゃないよね!?今まで一体どうしていたのさ!?」

「あ、ああ。私は、君の知るシモン・ルクレールで間違いない。あの後も何とか生きながらえ、色々な偶然で此処に辿り着いたんだ」

「…あぁ」


 シモンの歯切れの悪い説明を聞いたコレットは、ある事に思い至り、双子へと振り向く。


「モニカ、エリカ。悪いけど、この人と二人で話をさせてもらえないか?実は、知り合いなんだ」

「え?獣人さんと…?」

「エルフの少女達よ、私からもお願いしたい。少し時間をくれないか?」


 コレットとシモンの頼みを聞き、驚いたモニカとエリカが顔を見合わせる。その後ろから、話を聞きつけたラトンのエルフが声をかけた。彼はモノの包囲網において、シモンと顔見知りだった。


「ああ、シモンの姐御。アンタなら構いませんよ。私らは向こうに行っていますんで、終わったら声をかけて下さい」

「すまんな」

「気にしないで下さい」


 シモンが軽く頭を下げると、ラトンのエルフは手を振り、双子を連れてその場を離れる。残された二人は、地面に再び座り込んだ。コレットがエルフに聞こえないよう、小声で話しかける。


「で、アンタ、悪魔に憑かれながら、どうやって生き延びたんだい?」

「ああ…」


 シモンは顔を顰め、暫く俯いていたが、やがて決然とした面持ちで顔を上げ、コレットへと説明した。


「にわかには信じられないかも知れないが…、ある人に治してもらった」

「え?治してって…悪魔憑きって、治せるものなのかい?」

「ああ。その人に教えてもらったんだが、悪魔憑きも実は病気の一種なのだそうだ。今は、その人と一緒に行動している」

「そう…信じられないけど、アンタが目の前にいる以上、事実なんだろうねぇ…」


 コレットは溜息をつき、現実を受け入れる。そして、シモンに頭を下げた。


「シモン、すまなかった。私は悪魔を恐れ、アンタを見捨てて逃げ帰ってしまった。アンタにとっては到底許せないだろうけど、私はアンタに謝る事しかできない。申し訳なかった」


 コレットに頭を下げられ、シモンは寂しそうに笑みを浮かべる。


「いいんだ、コレット。私も逆の立場であれば、きっと君と同じように逃げ帰ったはずだ。悲しかったけど、その事は理解できる。君の事を責めるつもりは、ないよ」

「シモン…」


 沈痛な表情を浮かべてゆっくりと頭を上げるコレットの前で、シモンは前を向き、そよぐ草木を眺めながら呟く。


「だから、あの時、唯一人私を見捨てず、私を救ってくれたあの人と、共に在りたい。彼が進む道を共に歩み、彼と同じ景色を見たい。それが、今の私の全てなんだ…」

「…」


 コレットが呆然とする前で、シモンが目を細めたまま、揺れる草木を眺めている。それは、灼熱の太陽しか知らないコレットにとって、初めて見るシモンの姿だった。コレットは軽く息を吸い、問いかけた。


「…誰なんだい?その人って」


 コレットに問われたシモンは、嬉しそうに答える。


「…トウヤだ」

「…トウヤ?」


 名前と顔が結び付かず、コレットが小首を傾げると、シモンがやや機嫌を損ねた顔をして、ヒントを出した。


「ほら、片腕の」

「…え、あの子かい?」

「ああ」


 予想外の答えに驚いた顔をするコレットを見て、シモンが得意気に頷く。そんなシモンの表情に内心で驚きながら、コレットは溜息をついた。


「はぁ…あの子がねぇ…。人は見かけに寄らないもんだねぇ…」

「だろう?」


 最早自分が褒められた様に機嫌を良くするシモンを見て、コレットは意外に思う。彼、そんなに格好良かったっけ?シモンの表情を見て柊也に興味を持ったコレットは、辺りを見渡しながら、シモンに尋ねた。


「…で、その彼は、何処にいるんだい?私からも、アンタを救ってくれた事にお礼を言いたいし」

「え…あ…」


 コレットに問いかけられたシモンは、突然驚いたように顔を上げる。そのまま動きを止めたシモンを、コレットは訝し気に眺めた。


「どうしたんだい?シモン」

「いや…あの、す、すまない。彼は今、此処に居ないんだ…」


 急に落ち着かなさげに下を向き、小声で説明するシモンに、コレットは小首を傾げる。


「いや、アンタ、ついさっき、彼といつも一緒に居るって言ってたじゃないか?」

「あ、いや、その、彼は今、会議中で席が外せないんだ」

「ああ、いいよ、それくらい。会議が終わるまで待ってるからさ」

「いや、大丈夫だから。彼には私から話しておくから、君は気にしないでくれ」

「シモン、アンタ、一体どうしたんだい?」

「い、いや、どうもしないぞ?私は至って普通だ!」


 コレットの胡乱気な眼差しを受けたシモンは、威嚇するように断言し、コレットの追求を遮ろうとする。そんな余裕の無いシモンをコレットは物珍し気に眺めていたが、やがて目を細め、口の端を吊り上げた。


「…ははぁーん…そういう・コ・ト」

「な、何だい?コレット?」


 コレットの笑みに不吉な予感を覚えたシモンの目の前で、コレットがゆっくりと立ち上がる。そして、慌てて立ち上がったシモンの前で腕を組み、妖艶な笑みを浮かべた。シモンに勝るとも劣らない、豊かな張りのある胸が腕を組んだ事で押し上げられ、服がはち切れそうになっている。


「彼、元気がないんだろ?此処までアンタを連れてきた事で、疲れたんだろ?大丈夫、私に任せなよ」

「え、コ、コレット?」


 挙動不審に陥るシモンを面白そうに眺めながら、コレットは艶めかしい舌で唇を湿らせる。


「私が、彼の事を元気にしてあげるよ。アンタには経験が無くてできない事も、全部私がやってあげる。なぁに、気にするな。アンタを助けてくれた御礼だ。同じ人族の私なら、彼が喜ぶ所なんて全部わかるさ。私の全てを駆使して、彼を喜ばせてあげるから」


 そう言い放つと、コレットは鼻唄を歌いながらシモンの脇を通り過ぎ、合議場へと歩き始める。呆然としたシモンのこめかみを一筋の汗が流れ、彼女は慌ててコレットの前に立ち塞がると、両手を広げて声を張り上げた。


「だだだだだだだだだだ、駄目だ!コレット!君にパパは、渡さない!」




「…パパ?」

「あ…」


 シモンの口から飛び出した予想外の単語に、コレットが呆然としたまま呟く。その呟きを聞いて、両手を広げたシモンの顔がみるみる赤くなった。


「…シモン、まさかアンタ、パパって呼んでるのかい?」

「わあああああああ!コレット!後生だ!お願いだから、今の言葉は忘れてくれ!」


 驚いた顔をしたままのコレットにシモンは躍りかかり、涙目になってコレットの両肩を掴んで激しく揺さぶった。コレットは頭を揺さぶられながら、呟きを繰り返す。


「パパ…パパ…」

「あああああああああ!言わないで!言わないでったらぁ!」


 顔を真っ赤にして狼狽するシモンと、自動人形の様に同じ言葉を繰り返すコレット。そんな二人の耳に、第三者の声が聞こえて来た。


「おぉーい、シモン。ミゲル殿から聞いた。捕虜が来ているんだって?何か、わかったか?」

「く、来るな、トウヤ!来ちゃ、駄目だ!」


 顔を真っ赤にして、涙目になりながら後ろへと振り返るシモン。その後ろから、コレットが楽しそうに、元気良く手を挙げた。


「よぉ、久しぶりぃ!生きてるだなんて、知らなかったよ!元気そうで何よりだ、パパ!」

「あ?…コレットさん?」

「コレットおおおおおおおおおおおおおお!」


 モニカやエリカ達がまじまじと眺める中、シモンの断末魔が林の中を駆け抜けていった。

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