99:年を重ねて
その大柄な男は、筋肉質の腕を組んだまま微動だにせず、若い女性の前で仁王立ちしていた。
男の彫りの深い、精悍な顔が険しさを増し、眉間には深い縦皴が何本も走っている。時折、濃く切れ長の眉の端が痙攣し、青筋が浮き上がる。男は何も言わずに下を向き、まるで見た者全てを絞め殺そうとするかの如く、目の前の物を睨みつけていた。その前に立つ女性は、男が発する威圧感に負け、涙を浮かべながら刻一刻とその身を縮めていく。
男の後ろで扉が開き、若い男が入ってきた。
「…あれ?隊長、どうしたんですか?隊長がこんな店にいるなんて、珍しいじゃないですか」
「…エルマーか。お前こそ、どうしたんだ?」
「彼女への贈り物を探しに来たんです。もうすぐ1年なんで。…あ、店員さん。銀細工で何か良い物を、いくつか出してくれる?」
「は、はい!ただいま!」
カウンターに歩み寄ったエルマーは、オズワルドと少し離れてカウンターに肘をつくと、今にも泣きそうな店員に声をかける。店員はエルマーに感謝の笑みを浮かべると、オズワルドから逃げ出すかの様に、店の奥へと駆け込んだ。
「お前が1年もたせるとは、珍しいな」
「そう言わないで下さいよ、隊長。これでも私は一途なんですよ?」
「お前の場合は、行動で損しているからな」
下を睨み付けたまま、オズワルドがエルマーを批評した。エルマーは女性に誠実なつもりだったが、オズワルドが評した通り、その軽薄な表情と迂闊な行動が女性に誤解されやすく、彼の恋愛は大抵短期間で破局していた。しかも、その人当たりの良さにすぐに新たな女性が靡いてしまうので、彼の誤った印象は、より一層真実味を帯びていくのであった。
オズワルドの方を向いたエルマーが、手元を覗き込み、声をかけた。
「…ミカ様への贈り物ですか?」
「まあ、そんなところだ」
決して断言しない辺りに、オズワルドの臆病さが垣間見える。彼の目の前には、二つのネックレスが置かれていた。一つはサファイアをあしらった、銀のネックレス。もう一つはルビーをあしらった、金のネックレスだった。
「エルマー、お前はどう思う?」
「どうって…、どちらが良いかって事ですか?」
「ああ」
ネックレスを睨み付けたままのオズワルドに尋ねられ、エルマーは内心で溜息をつく。
「私が決めてもしようがないじゃないですか。隊長がミカ様に何を贈りたいか、何を身に着けてほしいか、何が似合うか、その想いを形に表せばいいんです。それが仮に相手の好みと異なる物であっても、自分の事を好いてくれる女であれば、贈る側の意を酌んで喜んで受け取ってくれますよ」
「そうか…」
視線を動かさずに呟くオズワルドに対し、エルマーが助言をする。
「それと、これは老婆心ですが、ミカ様に贈り物をするのであれば、レティシア様にも一緒にお贈りした方がいいですよ。あそこは、ペアなんで」
「…二人一組って事か?」
「まあ、似たようなものです」
思いもよらぬ助言にオズワルドが初めて顔を上げると、その視線の先で発言者が頷いている。
そう内心で思いながらエルマーは下を向き、店員が持ってきたアクセサリーをカウンターに並べて、品定めを始めた。
***
ハーデンブルグの南東方向に広がる田園地帯。ガリエルの第1月に入るこの頃はブドウやオリーブが収穫期を迎え、沿道では多くの農民達が汗を流し、1年の労働の成果を一心不乱にかき集めている。今年は北伐のおかげかガリエルの侵略もなく、豊作と言って差し支えない出来栄えとなっていた。
その農民たちが行き交う街道から少し離れた草原で、3頭の馬が円を描き、歩き回っていた。並んで先を歩く2頭のうち1頭は軽やかに歩き、大柄な主人を乗せていながら些かの疲労も感じられていないが、隣を歩くもう1頭は乗り手との息が合わず、たびたび手綱に首を引っ張られている。後ろを歩くもう1頭は何とか形になっているが、乗り手は馬の背中をひたすら睨み付けており、周りを見る余裕がない。
「ミカ、またリズムが崩れているぞ。外側の前脚が前に出た時に、立つんだ。でないと、馬の負担が減らせず、反動がもろに来るから自分も辛くなるぞ」
「わ、わかっているんですけど、そうは言っても、これが…ひぃぃぃ」
オズワルドの隣を歩く美香は、下を向いたまま、必死に腰を安定させようと踏ん張っていた。速歩に合わせて鞍の上で体が飛び跳ねてしまうのを抑え、何とかリズム良く腰の上げ下げをしようと頑張っているが、なかなかタイミングが合わず、お尻を鞍に打ち付けてしまう。重心もなかなか定まらず、体が後ろに流されてしまっている。しかも、ようやくタイミングが合うようになったところで、オズワルドが逆回りに変えてしまい、タイミングが逆になって一からやり直しになってしまうのであった。
北伐から戻ってきた美香はオズワルドに乗馬技術の取得を請い、以降、彼の下で練習を繰り返していた。何か明確な目的があったわけではない。元の世界における自動車免許取得の様な、必要でなくとも取得しておくべきという、日本人ならではの深層心理が働いたのかも知れない。また、現在のところニコラウスの魔法講義を除けば明確な予定が定まっておらず、些か時間を持て余し気味という理由もあった。さらには、オズワルドの傍らにいる時間に理由を持たせ、それを引き延ばすという打算も、僅かながらあった。
軽速歩は乗馬における最初の関門であり、習熟に手間取る人もいる。インドア寄りの美香もその例に漏れず、軽速歩に取り組んで2日目のその日も、どうやらマスターするまでには至らないようだった。
「ミカ、今日はそろそろ終わりにしよう」
「あ、はい。オズワルドさん、今日もありがとうござ…あ、あ痛たたたた」
「足が攣ったのか?見せてみろ」
今日の練習が終わったところで、変に力が入っていた美香は、足が攣ってしまう。馬の上で悶絶する美香に気がついたオズワルドは馬から降り、美香の肩を引き寄せると、横抱きにして馬から下ろした。久しぶりのお姫様抱っこだったが、美香の知覚は右足の痛みに集中し、余韻を味わう暇がない。
「ちょっとミカ、あなた大丈夫?」
「あ痛たたたたた」
馬から降りて、心配そうな顔で駆け寄ってきたレティシアの前で、オズワルドは美香を地面に下ろし、靴を脱がす。そして、細く美しく成長した美香の足を伸ばし、踵とつま先に両手を添えて、ゆっくりとストレッチをする。
「ミカ、このくらいか?」
「あ、その辺で…あ、いったぁぁぁぁぁぁぁぁ…」
美香は地面に両掌をつき、上を向いて顔を顰める。
そのまま暫くの間、三人は動きを止めていた。
「…ああ痛かった。オズワルドさん、もう大丈夫です。ありがとうございました」
暫くして、ようやく一息ついた美香は前を向き、オズワルドに礼を言う。それを見たオズワルドは一つ頷くと、片膝を立てて立ち上がった。美香も脇に置かれた靴を履いて立ち上がる。
「…」
まだ違和感があるのか、美香が右足を気遣っている。それを見たオズワルドは、美香に再び近寄ると、おもむろに美香を横抱きにする。
「あ、ちょっと、オズワルドさん!?」
「乗る時にまた攣ったら、まずかろう」
そう言ってオズワルドは、美香を抱え上げて自分の馬へ乗せると、自分も馬に跨り、美香の体越しに手綱を掴む。そして馬首を翻すと、美香の馬へと近寄り、手綱を手繰り寄せた。
「…あぁ、ありがとうございます、オズワルドさん」
美香はオズワルドに礼を言うと、腰を動かして座り心地を整える。お尻が後ろに下がり、オズワルドの固い内股に密着した。
「…」
「…」
二人はそのまま前を向き、沈黙したまま動かない。
「…あの、ちょっと待って下さいません?」
私、主君の娘なのだけれども。
前を向いたまま動きを止めた二人に釈然としないものを感じながら、レティシアは自分の馬を取りに戻って行った。
「ミカ、レティシア様」
「はい、オズワルドさん」
馬丁に馬を預け、二人の許に戻ってきたオズワルドが、二人に声をかけた。美香は長椅子に横になって腰を下ろし、右足をレティシアの太腿の上に投げ出している。レティシアは美香の踵と爪先に手を添えているが、その動きはストレッチをしているというより、愛でているという印象が強かった。
オズワルドは腰に括り付けた袋から小箱を取り出し、二人に渡しながら口を開く。
「二人に渡したい物がある。是非受け取ってくれ」
「あら?私にも?」
「ええ、レティシア様」
そう言って、レティシアが美香の足から手を離し、オズワルドから小箱を受け取る。美香も、レティシアの上から右足を降ろして両足を整えると、オズワルドから小箱を受け取った。
「…」
膝の上に置いて小箱を開ける美香の頭上に、オズワルドの声が降り注ぐ。
「一日早いが、ミカ、誕生日おめでとう」
「…オズワルドさん、覚えていてくれたんですね。ありがとうございます」
そう礼を言う美香の目の前で、小箱から取り出したルビーのネックレスが、陽光を浴びて燦々と輝いていた。
ガリエルの第1月の5日。地球で言う10月5日は、美香の誕生日だった。召喚された時に季節がずれ、柊也は誕生日を変えていたが、美香はそのままオズワルドに伝えていた。美香の隣で、同じくネックレスを広げていたレティシアが、オズワルドに尋ねた。
「ミカへの誕生日プレゼントは良いとして、私にまでいただけるのは、どうしてかしら?」
「気分の問題ですよ、レティシア様。ミカだけに渡すのも気が引けたものですから」
「そう…。でも、プレゼントされて嬉しいのは、確かよ。ありがとう、オズワルド」
レティシアはそう答え、オズワルドに笑みを浮かべる。そのレティシアを見ながら、美香がオズワルドに問いかけた。
「私と、レティシアのプレゼント、違うんですね。レティシアは、…サファイアかな?」
「ああ、二人には何が良いか、自分の思った物を選ばせて貰ったんだ。ミカは『火を極めし者』だから、炎をイメージして。レティシア様は『地を知る者』ですが、イメージに合う石が見つからなくて、清らかな印象で選ばせてもらいました」
「そっか…炎か…」
説明を聞いた美香は、左右に揺れるルビーをまじまじと眺めていたが、オズワルドの前に立つと、両手でネックレスを掲げながら、口を開く。
「オズワルドさん、せっかくなので、つけてもらえますか?」
「…承知した」
一瞬の沈黙の後にオズワルドは頷き、ネックレスを受け取って身を屈めると、美香の首の後ろに手を回す。美香は目を閉じて顎を上げ、二人の顔は至近距離に近づく。
「…」
「…」
「…別にいいのに…」
やがて、ネックレスを付け終わったオズワルドが身を起こし、美香が小さく呟く。
「…どうですか?オズワルドさん、レティシア」
「ああ、思った通りだ、ミカ。似合っている」
「ぴったりじゃない、ミカ。素敵よ」
何もなかったように美香が目を開き、二人に問う。オズワルドは厳かに頷き、レティシアは眩しそうに眼を細め、笑みを浮かべた。
「…オズワルドさん」
「どうした?ミカ」
美香は胸元に目を向け、燦々と輝くルビーを眺めながら、オズワルドの名を呼ぶ。オズワルドが答えると美香は顔を上げ、男の目を見て確認した。
「これが、オズワルドさんの想いなんですね?」
「ああ、そうだ」
「そっか…」
オズワルドの答えを聞いた美香は、目を細め、頬を緩める。
「どうしたの?ミカ」
「何でもない!ありがとう、オズワルドさん!私、嬉しいです!プレゼント、大切にしますね!」
「あ?ああ、それは良かった」
美香はそうオズワルドに答えると、満面の笑みを浮かべ、くるくる回り始める。
この世界には存在しない石言葉を思い出しながら、美香は喜びに浸っていた。
「ミカ、私にもネックレス付けて貰えるかしら?」
「え?あ、うん、いいよ」
「…」
「…」
「…別にいいのに」
「いや、良くないから」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます