56:消えた御使い

「何だと!?もう一度、復唱しろ!」


 コルネリウスが、伝令を怒鳴りつけた。伝令に非があったのではない。報告に耳を疑ったのだ。伝令は怒鳴りつけられた事にも臆さず、もう一度復唱する。


「はっ、復唱します。後背のロックドラゴン3頭、沈黙しました。ロックドラゴンに対し、御使い様が『ロザリアの槍』を詠唱。結果、2頭を撃破、1頭を行動不能に陥れました。現在、生き残った1頭に対し、左翼のハンターが攻撃を続けています」

「して、ミカ殿は無事か!?」


 コルネリウスとリヒャルトが、伝令を食い入るように見つめる。伝令は、先ほどの報告とはうって変わって声を落とす。


「御使い様は『ロザリアの槍』で生じた爆風に吹き飛ばされ、背後を流れる川に落水。現在、行方不明です」

「何だと!本当か!」


 伝令に掴み掛かるリヒャルトをよそに、コルネリウスは前を向き、目を閉じる。そして、目を閉じたまま、周りに控える他の伝令を呼んだ。


「全軍に伝達。後背のロックドラゴン3頭を、御使い様が単身で駆逐。御使い様は相打ちとなり、現在行方不明だ」


 コルネリウスは目を開き、伝令達を一瞥する。


「我々は今、何をしている?」


 コルネリウスの握り拳に力が入る。


「彼女より年嵩で体格が良く、鎧に身を固め、武器を持った我々は、何をしている?」


 コルネリウスが歯を食いしばり、歯ぎしりを立てる。


「たかがハヌマーンごときに、何をしている?」


 そして左腕を振り上げると、空気を殴りつける様に振り下ろした。


「全軍に指令!ハヌマーンを鏖殺しろ!一匹も逃がすな!」

「「「は!」」」




 ロックドラゴン撃破の報は瞬く間に全軍に広がり、軍は猛獣の群れと化した。兵士達は歯を剥き出し、咆哮を挙げながらハヌマーンへと突撃する。相手の上背が自分より高くても、彼らは一向に気にならず、むしろ恥じていた。上背で言えば、ロックドラゴンは遥かに大きく、彼女は遥かに小さかった。体重も力の差も、彼女が相対した相手に比べれば、ハヌマーンは遥かに小さかった。兵士達はそのハヌマーンに対しいつまでも決着をつけられない己を恥じ、彼女に贖罪するかのように無謀な特攻を繰り返し、ハヌマーンに襲い掛かっていった。


 ハヌマーン達は初めて自分達を超える狂気に慄き、浮足立つ。北伐軍はそのハヌマーン軍に対し、餓狼の群れの様に襲い掛かり、その喉元に喰らいつき、食い千切った。


 やがて大蛇が獲物を飲み込むかのように、北伐軍は三方からハヌマーン軍を包み込み、口を閉じる。そして、咀嚼が完了すると休む間もなく後方へと反転し、後には広大な赤い絨毯だけが残された。




 ***


「ミカは、ミカは無事ですの!?」


 ロックドラゴン撃破の報を聞いたエルマー達が、いち早く反転して、オズワルド達との合流を目指す。やがて小高い丘の麓にたむろする一行を見つけ合流すると、馬車から転がり出たレティシアはニコラウスへと掴み掛かった。


 ニコラウスはレティシアの両手首を掴み、動きを取れなくしてから、渋面を作り報告する。


「ミカ様は、オズワルド殿とともに行方不明です。『ロザリアの槍』で吹き飛ばされ、川に流されました」

「何ですってぇ!?」


 ニコラウスの胸に拳を叩き付けようとレティシアは藻掻き、ニコラウスと揉みあう。非力なニコラウスは全力で抑え込みながら、言葉を続けた。


「吹き飛ばされた時、二人は一緒でした。オズワルド殿が居れば、無事の可能性は十分にあります」

「じゃあ、一刻も早く捜索を!」


 レティシアの要求にニコラウスは頷く。しかし、その後に続いた言葉は別だった。


「このままでは数が足りません。彼らが来るまで、お待ち下さい」

「彼ら?」


 レティシアは顔を上げ、続けてニコラウスの向く方向を見る。こちらに向かってくる護衛小隊の騎士が1騎と、背後に続くハンター達が見えた。




「話は聞いた。おっさん、御使い様が行方不明だって?」

「ええ。川に流されました。申し訳ありませんが、助力をお願いします」


 ハンター達を代表してヴェイヨが問いかけ、ニコラウスが応える。そして、川下に広がる森に目を向けた。


「…ケルベロスとロックドラゴンが、出てきてたな…」

「ええ」


 そのまま二人は押し黙る。しかし、沈黙の時間は短かった。


「わかった。…おい、ここに居るハンター全員、このおっさんの指揮下に入るぞ」


 ヴェイヨは腕組をしたままニコラウスに頷き、背後のハンターに声をかける。ハンターは了承し、後の者達に説明をしに戻った。


 予想外に早い了承を得たニコラウスは、意外そうな顔をしてヴェイヨを見る。その視線に気づいたヴェイヨは、口の端を吊り上げ、こう言った。


「御使い様に言っておいてくれ。ツケだってな」




 ***


 突然凄まじい轟音と突風に煽られたオズワルドは、踏ん張る事もできず、気がつけば足元から大地の感触が消えていた。初めて経験する浮遊感に、言いようのない気持ち悪さを覚える。左腕一本で抱えていた美香の体がずれ、オズワルドは急いで右腕を美香の胸に回し、がっしりと力を入れる。そして、本能の赴くまま、背中に「茨の手」を発動させ、全てを運に任せた。


 異様に長く感じる時間を彷徨ったオズワルドだったが、その後、彼の予想しなかった事態が起きる。背中の激痛を覚悟して身構えていたオズワルドの身に襲い掛かったのは、上下左右から急速に彼を包み込む冷気だった。あっという間に水中に没したオズワルドは身を固くし、やがて浮遊し始めた事に気づくと右手と両足で水を掻き、急いで水上へと浮かび上がった。


「ぶはぁ!」


 勢いよく顔を水面に出し、右手と両足を使って水面に仰向けになると、左手を動かし美香を自身の胸の上に乗せる。美香が上に乗った分オズワルドの体は沈み、美香の体は肩から下が水に浸かったままだった。


「ミカ殿、ミカ殿!」


 オズワルドは抱え込んだ左手で美香を揺すり、起こそうとする。しかし、美香は一向に目を覚まそうとしない。結局、水上で2分程オズワルドは美香を揺すっていたが、反応がない事を知ると起こすのを諦め、辺りを見渡した。


 川は広く、流れは比較的早い。うねりがなく溺れる危険が少ないのは幸いだが、川岸への距離があり、意識のない人間を抱えたまま泳ぎ渡るのは無理があった。オズワルドは溜息をつき、上を向く。どのくらい流されるかわからないが、流れが穏やかになるのを待つ事にした。


 1時間、2時間経ったのか、よくわからない。やがて美香を乗せたオズワルドの舟は、左に大きく蛇行する。流れが穏やかになってきた事に気づいたオズワルドは、頭から流されたまま右を向いて手足を動かし、川岸へと近づく。やがて、河原に突き出た岩を右手で掴み、オズワルドはようやく上陸に成功した。


 オズワルドは依然目を覚まさない美香を横抱きに抱え上げ、顔に耳を寄せる。浅いながらも美香が呼吸している事を確認すると、安心し、辺りを見渡した。


 そこには川の蛇行が形成した石河原が、一面に広がっていた。川岸には大小さまざまな石が転がり、あちらこちらに流木が打ち上げられている。辺りを見渡すと藪や森が広がっているが、鳥の囀りと川のせせらぎだけが聞こえてきており、魔物の声は聞こえてこない。油断は禁物だが、即座に魔物に襲われる可能性は、低そうだ。


 河原と川岸の間に一箇所大きな岩棚が張り出しており、風が長い年月をかけて作ったのだろうか、浅い窪みが見つかった。一夜なら雨風が凌げると判断したオズワルドはそこに歩み寄ると、不揃いな石をどかし、美香を横たえる。そして、革鎧と上着を脱いで上半身裸になると上着を絞ってその場に置き、河原へと戻ると適当な流木をいくつかかき集めてきた。


 オズワルドは腰元を弄り、中身を取り出す。火打石が流されていなかった事に安堵し、火を起こし始めた。湿っていたせいで多少時間がかかったが、やがて小さな火が灯るとオズワルドは慎重に流木をくべ、やがて火は大きく安定したものとなって、周囲を明るく照らし、温かく包み込んだ。オズワルドは打ち捨ててあった自身の上着を広げ、流木を使って物干しを組み立てると、上着を乾かす。


「…くしゅん!」


 目を覚まさないまま、美香がくしゃみをする。それを見たオズワルドは、しばらくの間眉を顰め考えていたが、やがて溜息をつくと美香の傍らで膝をつき、美香の上着とズボン、靴を脱がし、物干しにかけた。


 そして、上下とも下着だけとなった美香を、胡坐をかき左膝を立てた自分の内側に抱え入れる。頭を左肩にもたれかけさせると、左腕を回して左膝に乗せる。


 そして、辺りが暗くなる中、ただひたすら焚火の面倒を見続けていた。

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