53:異変

 ロザリアの第3月28日。遥か北の大地で三国が率いる北伐軍が破竹の勢いで北上する中、此処カラディナの南西の地ヲーでは、労働者たちがいつもと変わらない採掘作業に勤しんでいた。


 ヲーは、これまで険しい地形が続き、石の混ざる地味乏しい土地で知られ、先祖代々ここに住む貧しい農民を除けばほとんど見向きもされない地方であった。それがここ10年ほどでにわかに脚光を浴び、労働者が押し寄せるようになったのは、この土地で新たな金鉱脈が発見されたからである。


 この土地の岩石に含まれる金の純度は他の土地では見られない良質なものであり、それを知ったこの国の指導者層である「六柱」の各家は資本を惜しみなく投入し、この地域はかつてない好景気に沸いていた。金鉱脈は東西に広がっており、セント=ヌーヴェル側でも同様の採掘とかつてない活況に溢れ、哀れな金鉱脈は発見されて以降、カラディナ側の1箇所、セント=ヌーヴェル側の2箇所から、無慈悲な挟撃に晒され続けていた。


 いつもと変わらない、朝からの厳しい採掘作業に勤しんでいた労働者達の耳に、鐘の音が聞こえてくる。労働者達は疲れた顔にそれでも僅かな笑みを浮かべ、今まで振り上げていたピッケルを杖代わりにして腰を伸ばし、労わるように叩いた。待望の昼食の時間がやって来たのだ。


 労働者達は思い思いに近くの岩に座り、昼飯を広げて食事にありつく。粉塵の舞う中での労働環境は劣悪であり、彼らは将来健康被害に苦しむ事になるが、この時はそれに思い当たる事もなく一時の休息を楽しんでいた。遠く鉱山の入口の方で羽目を外した者がいるのか、人々の喧騒が風に乗ってかすかに聞こえた。


 やがて、食事を終え腹ごなしをしていた彼らの耳に、喧騒の音が段々と大きく聞こえて来るようになる。単なる諍い以上に大きな声に、労働者達は不安そうに顔を見合わせた。そして、その不安は的中する。


「ぎゃぁぁぁ!」

「うわぁぁぁ!逃げろ!賊が入ってきた!」


 少数の撃剣の音と多数の悲鳴が聞こえ、労働者達は浮足立つ。逃げろと言われても、ここは行き止まりだ。突然、絶望的な環境に突き落とされた労働者達はどうしたらいいのかわからず、右往左往しながらもその場から動く事ができなくなっていた。


 そして、ついに賊が労働者達の前に現れる。


「ひぃぃぃぃぃ!」


 戦いとは無縁の生活を送ってきた労働者達は、賊を一目見て震え上がった。賊は革鎧で身を包み、顔を布で覆い隠していた。手には短いシミターと小柄なバックラーを持ち、狭い洞窟の中でも容易に相手を害せるだけの装備を整えている。戦いに慣れておらず、またその気概もない労働者達は、採掘道具を投げ捨て、その場に平伏する。


「お願いします。命だけは助けて下さい!」


 逃げ場のない絶望的な環境の中で一片の奇跡と慈悲を求め、労働者達は賊に懇願し、地面に額を擦り付ける。すると、意外な事に賊は鷹揚に頷き、懇願を受け入れた。


「いいだろう。ここは我々、セント=ヌーヴェルが占拠する。命が惜しければとっとと立ち去れ」

「は、はい!ありがとうございます!」


 ここは賊の気が変わらないうちに、その場を立ち去るべきだ。労働者達は立ち上がり、賊が指し示す入口に向かって我先にと駆け出した。


 こうしてヲーの金鉱山は百名程の賊に襲われ、占拠された。労働者達は全員鉱山から叩き出され、鉱山の麓に新たに開拓されたヲーの街へと逃げ帰る。幸いな事に労働者のほとんどは助かったが、抵抗した労働者2名が賊に斬られ、命を落とした。


 彼らが振り返ると、金鉱山にはセント=ヌーヴェルの旗が何本も立ち、折からの風に吹かれ大きくはためいていた。




 大勢の労働者が駆け込んだヲーの街は驚愕し、労働者の慌てぶりが伝染して、蜂の巣をつついたような大騒ぎとなる。ヲーの街を取り纏めている代官も慌て、頭を抱えた。ヲーは新興の街であり、何もかも発展途上となっている。外敵から守る術も未だ整っておらず、辛うじて百人規模の自警団がいるだけである。数で言えば賊よりも多いが、所詮平民に毛が生えた程度。賊の技量が不明ではあるが、労働者からの報告で得た賊の装備から見ると、返り討ちになるのが関の山だった。


 しかし、この時は運がヲーの街に味方した。この前日、たまたまカラディナの正規軍が補給のために騎士をヲーの街に派遣しており、その騎士がまだ逗留中だったのだ。それを思い出した代官は、至急騎士を招聘する。やがて代官から説明を受けた騎士は、即座に了承する。


「承りました。その様な一大事、小官としても見過ごすわけには参りません。至急、軍に戻り、援軍を率いて参りましょう」

「かたじけない。ご厚情、恩に着る」

「お気になさらず。同じカラディナの国民として、当然の事をするまでです」


 そう騎士は代官に述べ笑みを浮かべると、直ちに騎乗し、本軍へと引き返して行った。代官はその後ろ姿を見て胸を撫でおろし、首都へ向けて急報をしたためるため、執務室へと引き返した。


 翌日の昼頃、ヲーの街に通ずる街道は、大勢の人馬で埋め尽くされていた。その数に目を瞠る代官の下へ、十人程の騎馬隊が近づいてくる。先頭の騎士が馬を降り、代官の下へと駆け寄った。


「失礼します。南方軍司令官、ドミニク・ミュレー閣下をお連れいたしました」

「あ、ああ。ご苦労」


 代官は辛うじて騎士に返事をすると、前方で馬を降り代官へと歩み寄って来る背の低い男を見やる。中年の男は、縦に短い分横に広がった体を大きく動かし、肩をそびやかしながら代官の前に立つ。


「南方軍司令官、ドミニク・ミュレーだ。代官殿、この度は大変な目に合われたな。しかし、安心してくれたまえ。我々が賊どもを蹴散らし、ヲーの街に平穏を齎して差し上げよう」

「閣下、この軍は一体…」


 代官は背後に広がる軍を見て、言葉が詰まる。この規模の編成は、常設とは考えられない。明らかに戦時の編成だった。代官の問いかけに、ドミニクは高らかに笑う。


「代官殿、ヲーの街は運が良い。実は、此処カラディナの南方で魔物が跋扈しておってな。つい先日討伐が完了して、帰還するところだったのだよ。その数、正規軍8,000。これだけいれば、鉱山に陣取る賊など一揉みよ」

「さようでございましたか」


 ドミニクの説明を聞き、代官は安心する。些か出来過ぎた話だが、ヲーにとっては歓迎すべき話だ。ドミニクが意外に協力的である事も、ヲーにとって幸いである。代官の顔を見てドミニクは満足そうに頷き、言葉を続ける。


「では早速討伐に向かうとしよう。皆が北伐に一丸となっている最中のセント=ヌーヴェルの乱心、見過ごすわけには、いかん。正義の何たるかを、知らしめてやろうぞ」




 2時間後、ヲーの金鉱山は、カラディナ南方軍の手によって無事に奪還された。南方軍の被害は0。一滴の血も流さずに成功した。一方、賊側の被害も0。無抵抗だったのではない。一人もいなかったのだ。南方軍は文字通り無人の原野を進み、鉱山の各所に建てられたセント=ヌーヴェルの旗をへし折る。そして鉱山の前で凱歌をあげた後、2名の物言わぬ哀れな労働者を丁重にヲーの街へと送り出した。


 労働者の亡骸を受け取ったヲーの住民は、悲しみに暮れながらも、護送した騎士へ礼を言う。住民から礼を受けた騎士は頷き、南方軍を代表してヲーの民へと宣言する。


「此度のセント=ヌーヴェルの乱心、我が国としては、到底看過しうるものではない。我が国の安寧を乱した罪は、彼ら自身の手で償うべきなのだ。我ら南方軍が、ヲーの民に代わり、責任を持ってセント=ヌーヴェルを追及してこよう。ヲーの皆は、亡くなられたお二方に対し、弔いの念をあげてくれ」


 ロザリアの第3月29日、こうしてカラディナ南方軍は、セント=ヌーヴェルへと侵攻する。南方軍は20km西方にあるセント=ヌーヴェル側金鉱山2箇所と近隣の街アスコーを占領すると、セント=ヌーヴェルの横暴と自らの正義を宣言し、アスコーに居座った。


 10年に渡ってカラディナ、セント=ヌーヴェル間で燻っていた国境問題は新たな火種を得て、やがて中原全体へと燃え広がる事になる。




 ***


 彼がその湿原に住み着くようになったのは、11年前の事だった。


 四方に15kmほども広がるその湿原には多数の湖沼が点在し、近隣から流入する豊かな水と、それに運ばれる栄養によって水草が溢れ、それを餌にする魚、そして鳥達の楽園となっていた。そして、それらを求めて獣や魔物が群がり、様々な生き物が行き交った結果、一帯はまるで自然の繁華街の様な賑わいを見せていた。


 遥か北方から新たな餌場を求めて南下してきた彼は、この場を見つけて驚喜する。この辺りは同族がおらず、縄張り争いの心配もない。そして北方に比べ格段に温暖で、一年を通じて豊かな食料に恵まれていた。彼はいわば一族の繁殖地からはぐれた迷子の様な存在だったが、運は彼に味方し、彼を放浪の孤児ではなく、豊かな荘園の主へと成り上がらせた。


 以来、彼は喜んで自分の庭を飛び回り、思うままに食べ物を貪りまわる。彼は大食漢であり、一日に何頭もの獣や魔物を食していたが、この荘園が生み出す肉は尽きる事がなく、まるで明かりに群がる羽虫の様に、周辺から新たな獣が後から後から湿原へと押し寄せた。


 しかし、それだけ旨味のある荘園だけあって、同族ではなくともこの楽園を掠め取ろうとする不埒者は、たびたび現れる。彼はそういった不埒者を見つけると荘園を守るために果敢に戦いを挑み、ある時は追い返し、またある時はその不埒者を自らの食卓へと載せた。


 こうして11年が経過したが、今年は彼にとって例年になく多忙な年となった。数年前から荘園の北の方に毛むくじゃらの生き物が住み着き、たびたび荘園へとちょっかいを出すので、彼はその都度飛び上がり、十把ひとかけらで食卓の上に載せていたが、つい先日、彼よりも巨大でやたら硬い生き物が3頭も押し掛けてきたのだ。幸いその生き物は彼の様に飛ぶ事ができず、口から吐き出す大きな岩の塊も上には飛んでこなかったので、彼はその生き物に対し上からしつこく炎を浴びせ続け、昨日やっと東へと叩き出す事に成功した。


 そして2日ぶりの休暇を貪っていた彼だったが、彼の休暇は半日で終わる事になる。西と南から運ばれる嫌な臭いを嗅いだ彼は、不機嫌そうに顔を上げる。まただ。今まで嗅いだ事もない臭いだが、また侵入者が来た。休日出勤を強制された彼は舌打ちするかの様に唸り声をあげると、大きく背を伸ばし、準備運動を始める。せめて超過勤務の謝礼として、旨い肉であってほしいものだ。そう思いながら、彼はねぐらから飛び上がって行った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る