41:言霊

「本気で言っているのか?レティシア」

「ええ、至って本気ですわ、お父様」


 フリッツの詰問に近い質問に、レティシアは臆する事無く返答する。


 フリッツの執務室において、父娘は向かい合い、角突き合わせていた。脇のソファーにはアデーレがにこやかに座り、その隣でマティアスが頭を抱えている。


 フリッツのテーブルの前には、1枚の書状が置かれている。その書状の上でフリッツは両手を広げ、もう一度説得を試みた。


「いいか、レティシア。お前も知っての通り、アンスバッハ伯爵家と当家は、エーデルシュタイン王国の北部を守る上で、唇歯の間柄だ。彼の家は確かに強力ではないが、当家がガリエルの矢面に立つにあたり、代々彼の家からの支援には何度も助けられている。しかも、長子のエミール殿は若くして英明との誉れ高く、お前と年も近い。お前も子供の時に何度か会っているはずだ」


 フリッツは一息ついて、もう一度レティシアに問いかける。


「それでも、お前はこの縁談を断るというのか?」

「その通りですわ、お父様」


 間髪入れず即答するレティシアに、フリッツは二の句が継げなくなる。その彼に、レティシアが追撃した。


「私はこれからの人生を、ミカと添い遂げます。金輪際、縁談は受けないで下さいまし」


 レティシアの強固な意志にフリッツは呆れ、ごく一般的な見解を述べる。


「ミカ殿はお前と同じ女性だぞ」

「私は一向に構いませんわ」

「いや、向こうが構うだろうが」

「その辺は彼女に折り合いをつけていただくしか、ございませんわね」


 人を食ったような返事をするレティシアに対し、フリッツはなおも抵抗を試みる。


「ミカ殿が将来嫁ぐ時が来たら、お前はどうするのだ?」

「どうもしませんわ。私も一緒に付いて行くだけです」


 できれば、私も許容できる殿方だと良いのですが。そう独り言ちるレティシアを、フリッツは苦虫を噛み潰した顔で睨みつける。この世界では一夫多妻が認められているとは言え、この無責任な発言には呆れて物も言えなかった。


「よろしいではありませんか、あなた」


 不貞腐れるフリッツに対し、アデーレが声をかける。


「レティシアは、ロックドラゴンの前に一度死んだ身ですわ。それを救ったのはミカさんであり、いわば彼女がいなければ、レティシアはこの場にはおりません。であれば、気前良く差し上げたところで、大して変わりませんわ。だいたいあなただって、ミカさんが男性であれば、降嫁させる事も考えたのではなくて?」

「そうは言ってもな」

「それに、ミカさんは当家にとって重要な方であり、当家としても何かしらの誼を結ぶべきです。あなたも、彼女を養子として迎え入れる事を考えていたでしょう?でしたら、養父が義父に変わるだけで、大した違いはありませんわ」

「いや、義父にはなれないだろ…」


 アデーレの、良く言って柔軟、悪く言えば的外れな指摘に、フリッツは溜息をつく。彼女の破天荒な思考にフリッツは過去何度も助けられた事があるが、いつまで経っても慣れるものではない。


「アンスバッハ家は、どうする?」

「この縁談を断ったところで、何も変わりませんよ。唇歯の度合いで言えば、彼の家の方が深刻です。当家がガリエルに落とされたら、アンスバッハ家は終わりですもの。である以上、破談しても失礼さえなければ、これまで通りの関係を維持できます」


 そしてアデーレは、ディークマイアー家だけに通用する理由を述べ、フリッツに止めを刺した。


「それに、レティシアは『私』の娘ですよ。止まるわけがありませんわ」

「…」


 アデーレの言う理由を身をもって知るフリッツは、押し黙る。今でこそオシドリ夫婦の二人だが、実はフリッツが捕まった方だった。


 進退窮まったフリッツは、マティアスを睨みつける。


「マティアス、黙っていないで、何か言ったらどうだ」

「無理ですよ、父上。我が家の女性がこういった性格なのは、父上が一番ご存じでしょう?それが嫌だから、私はデボラと婚約したんですよ」


 理不尽な話の振り方をされたマティアスが、フリッツに反論した。マティアスの婚約者であるデボラは、淑やかで大人しい女性だった。


 息子にも見限られ孤立無援となったフリッツは、観念したように鼻で息を吐く。


「もういい。お前の好きにしろ」

「ありがとうございます、お父様」


 親が親なら子も子だ。フリッツは心の中で悪態をつき、盛大に自爆した。




 父親の説得に成功したレティシアは、上機嫌で自室に戻ろうとしたところで、浮かない顔の美香と鉢合わせする。レティシアは嬉しそうに近寄ると、美香の手を取り、自分の指を絡める。考え事をしていた美香は、日本でも友達とよく手を繋いでいた事もあり、気にもせずその求めに応じた。


「ミカ、どうしたの?浮かない顔をして」

「ああ、レティシア。家族会議はどうだった?」

「バッチリよ。無事、お父様も説得できたわ。これでもう周りを気にせず、自分の思う道に進めるわ」

「そう、よかった。レティシアの願いを叶えるためなら、私ができる事は何でもするから、遠慮なく言ってね」

「うん、ありがとう。その時が来たら遠慮なく言うね」


 レティシアの望みが何か美香は聞いていないが、親友の願いを叶えるためなら、力になりたい。彼女の笑顔を見ながら美香は心からそう思って協力を約束し、レティシアに言質を取られていた。


 レティシアは受け取った言質を金庫にしまい、鍵をかけながら、美香に問いかける。


「それでミカの方は何?悩み事?」

「え、ああ。魔法の事でニコラウスさんに相談したい事があるんだけど、今日は無理っぽいね」

「そうね、今日は遅くまで帰ってこないんじゃないかしら。明日一緒に行きましょう。新しい茶葉が手に入ったから、一緒に飲みましょ」

「そうだね、ありがとう」


 二人は手を繋いだまま、レティシアの自室へと連れ立って行った。




 ***


「汝に命ずる。直径10cmの火球となり、我に従え。秒速10cmで飛翔し、彼の者を打ち据えよ」

「…」

「汝に命ずる。直径1mの火球となり、我に従え。秒速5mで飛翔し、彼の者を打ち据えよ」

「…」

「ニコラウスさん、これ、どう思います?」

「…えぇと…」


 燃え上がる案山子を前に、流石のニコラウスも即答できない。「ロザリアの槍」と比べると余りにも地味だが、ニコラウスにとって、心理的インパクトでは勝るとも劣らない衝撃だった。


 衝撃から立ち直れないまま、ニコラウスは疑問に思った事を実践してみる。


「汝に命ずる。大きさ10セルドの火球となり、我に従え。空を駆け、彼の者を打ち据えよ」


 ニコラウスの詠唱。しかし、何も発動しない。


「やはり『セルド』では発動しない…」


 ニコラウスが呟く。「セルド」とはこの世界における一般的な長さの単位であり、美香の見立てでは、大体1セルド=1cmくらいだった。ニコラウスは続けて詠唱する。


「汝に命ずる。チョケィジュセンチの火球となり、我に従え。ビョォウソォクジュセンチで飛翔し、彼の者を打ち据えよ」


 たどたどしい言葉遣いで、言いにくそうに、ニコラウスが詠唱する。すると先ほどの美香の魔法が再現され、未だ燃え上がる案山子に向かって、ゆるゆると火球が飛んでいく。


「ど、どういう事ですの?ニコラウス」

「…」


 深刻な顔をしたまま押し黙るニコラウスに、不安になったレティシアが尋ねる。ニコラウスはそれにも答えようとせず、なおも沈黙していたが、やがて美香の方を向き、口を開いた。


「わかった事は、一つだけです。ミカ様、あなた方が使われている『ニホンゴ』という言葉の方が、実は我々の言葉より魔法の核心に触れている、という事です」

「…」

「お気づきかもしれませんが、実は私やレティシア様が話す言葉と、ミカ様が話す言葉は、違っています。口の動きを見ると、発音が合っていません。しかし、会話は成立します。これは西にあるカラディナ共和国やセント=ヌーヴェル王国、エルフの国も同じで、彼の国々と我々は違う言葉を話しますが、会話は成立します。これは、ガリエルに対し一致団結して立ち向かうために齎された、ロザリア様の恩恵と言われています。この恩恵は、書物等に書かれた文字にも適用されます」

「そういう視点で見ると、これらの言語や文字は、全て同格のものです。しかし、『ニホンゴ』は違う。『ニホンゴ』は、我々の言語より魔法により近く、より具体的な表現で指向できる言語という事が判明しました。言うなれば、ロザリア様により近い言語なのです」

「…」

「ミカ様、今後、私とレティシア様以外の前では、『ニホンゴ』での詠唱はしないで下さい。これは、『ロザリアの槍』に匹敵する、禁忌の魔法です。教会や各国がこれを知ったら、こぞってミカ様から知識を吸い上げようと押し寄せ、搾り取る事でしょう。そうなると世界が大きくうねり、揺れ動きます。『ロザリアの槍』と同様、秘匿する必要があります」

「わ、わかりました、ニコラウスさん」


 うすら寒さを感じ、レティシアが美香の腕を取り、抱きしめる。美香はそれに気づかず、ニコラウスの顔を見たまま、動かなくなった。美香の素朴な疑問は予想外の重しとなって、この後の美香を縛り付けるのだった。

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