27:襲い掛かる悲劇

 結局、柊也は、シモンの誓いを受けた。


 シモンの言葉は柊也にとってあまりにも重いものだったが、柊也にしても、シモンに対し右腕の力を見せてしまっている。であれば、シモンの誓いを受ける事は、右腕に関する情報の秘匿に繋がり、問題が一つ片付く。それに柊也はあくまで後衛であり、平和ボケした日本人+隻腕というハンデもあって、戦闘能力は低い。どうしても誰かに守ってもらう必要がある以上、近接特化のシモンは、盾役としてうってつけであった。


 …と言うのが、後付けの理由である。真相は、彼女の誓いを回避できなかったのだ。彼女の誓いは、あまりにも純粋だった。忠誠だとか、愛だとか、押し掛け女房とか、そういうレイヤーの感情ではなかった。彼女の誓いは、いわば敬虔な信者が神に身を捧げるのと同じレイヤーだった。相手の都合を一切考えない、一方的な宣誓だった。避けようがなかった。




 誓いを受けた柊也はまず、シモンに自分の本当の名前を伝えた。相手が最も神聖な誓いを立てた以上、相手に応えるためにも、偽名では受けたくなかった。彼の本名を知った彼女は、いまだ涙の残る顔に満面の笑みを浮かべ、彼に礼を述べた。


 次に彼は、右腕の能力について説明した。すでにシモンには力の一端を見せているが、これから彼女とは、一心同体として行動する事になる。であれば、彼女の前で能力を十全に活用するためにも、説明は必要だった。


 柊也は、この二つだけをシモンに話すつもりだった。ところが、二つだけでは終わらなかった。柊也の話は、そのまま止まらなくなった。右腕の話が終わると魔法に関する話が続き、ヴェルツブルグでの出来事が続いた。召喚と教会、エーデルシュタイン王家についての話もした。しまいに元の世界の話まで始めた彼は、感情を抑えられなくなり、喚き散らすように声を荒げる。


「何故だ!何故俺なんだ!何で俺が、こんな世界なんかに召喚されなければいけないんだ!」


 この世界に来てからすでに8ヵ月。彼はずっと感情を抑え続けた。美香にも伝えず、美香と袂を分かった後は半年近く、ずっと一人で抱え続けた。誰にも話せなかった。彼の感情は、何処にも行き場のないまま樽の中で淀み、腐敗していった。


 それがシモンとの会話で、栓が外れてしまった。樽に開いた穴からは、どす黒い感情が吹き出し、彼を黒く染めていく。墨にまみれた彼は、胸を掻きむしり、吠えるようにシモンに問いかける。


「教えてくれ、シモン。どうして俺なんだ?どうして俺だけが、こんな目に合わなければならないんだ!?どうしてだよっ!畜生ぉぉぉぉっ!」

「…」


 問いかけられたシモンは何も答える事ができないまま、胸が締め付けられる思いで、柊也を見つめる。自分の全てを捧げた相手が、もがき苦しんでいるのに、何もできない。その事実に心を抉られた彼女は、腕を伸ばして彼を引き寄せると、抉られた部分を彼自身で埋めるかのように、豊かな胸の間に彼をうずめさせ、抱きしめた。


「私には、何も答える事ができない。だけど、何でもいい、何でもいいから、全て私にぶつけてくれ。私はあなたの全てを受け止めたい。そう牙に誓ったんだ」


「父」と「娘」は、いつの間にか「母」と「息子」に変わっていた。「息子」の理不尽な怒りを「母」は全て受け入れ、彼をただ抱きしめた。「息子」は「母」の胸に抱かれたまま動かず、しばらくの間二人はその体勢のまま、互いの鼓動を感じていた。


 やがて「息子」が起き上がり、「母」から身を離すと、視線を外したまま口を開く。


「…悪かった。少し取り乱した」


 不貞腐れたような彼の顔を、「母」が慈しむように見つめている。


「気にしないでくれ。あなたの想いを受け止める事ができて、私は嬉しいんだ」


 その言葉を耳にした柊也は、誤魔化すように頭を掻きながら話題を転じる。


「食事にしよう。ずいぶん長く話し込んでしまったな」


 すでに日は高く上り、昼時に近い。二人は朝食をすっぽかしていた。




 昼食は、サンドイッチとスパゲティにした。


 地方の平凡な大学生だった柊也は、有名店や一流レストランに行った事がない。結局、彼の馴染みのファミレスのメニューを取り出し、そこからチョイスしたわけだが、シモンにとっては何もかも新鮮だった。ファミレスのメニューを噛り付くように眺め、肉料理のページからしばらく動かなかった。もう少し胃が元に戻ってからと、柊也が半ば引き剥がすようにメニューを取り上げたわけだが、彼女の視線は自分から離れていくメニューに釘付けだった。


 肉料理に操を立てたような表情をしたシモンだったが、いざサンドイッチとスパゲティが目の前に出されると、前言を翻し、目の前の料理に夢中になる。サンドイッチはこんがりと焼き上げたトーストの間にハムや野菜が幾層にも重なり、彼女は昨日とは形を変えたパンの美味しさに目を見張った。カルボナーラにはチーズと卵がふんだんに使われ、濃厚なソースとパスタが絡み合い、舌を奪われた彼女は瞬く間に平らげてしまった。食後には温かい紅茶が振る舞われ、シモンは野外の洞窟の中とは思えない、贅沢な昼食を楽しんだ。


 十分に食事を堪能したシモンは一息つくと、やがてトイレに行くために席を立つ。闘病中に柊也に何から何まで見られてしまった彼女だったが、理性を回復した現在、トイレの介助は乙女の自尊心が全力で辞退していた。


「一人で大丈夫か?ついて行かなくて平気か?」


 そう尋ねる柊也の言葉は純粋に相手を気遣いおもんぱかってのものだったが、黒歴史に塗り固められた今のシモンには回避する事ができず、だいたい何でも被弾してしまう。柊也の思いやりの言葉は、シモンの船体を突き破って動力部に直撃すると火災を発生させ、艦橋にまで火の手が回った彼女は消火に奔走する羽目に陥った。傾斜した船体を復原し、何とか自立航行に成功すると、顔から火を上げながらも毅然とした態度で柊也に返答する。


「み、見くびらないでくれ。わ、私だってトイレくらい一人で行ける」

「しかし、もし発作が起きたら、マズいだろう」

「くどいっ!…あ、いや、すまなかった。と、とにかく、トイレには一人で行けるから、君は泰然自若に構えていてくれ」


 そう言い放つと、シモンは蛇行しながら洞窟の外へと向かう。その後ろ姿を、柊也はいささか心配そうな面持ちで見送った。泰然自若の使いどころ、間違えていないか?と、疑問に思いながら。


 …そして数分後、慌てて駆け戻ってくるシモンを出迎える事になる。




 駆け戻ってきたシモンの顔は、何か信じられないものを見たかのように、驚愕に彩られ、呆然としていた。その目は限界まで見開かれ、瞬きもせず、柊也を見据える。


 その顔に不吉な予感を覚えた柊也は、表情を険しくし、シモンに尋ねた。


「シモン、何があった?」


 シモンは呆然としたまま、ゆっくりと口を開く。


「…お…」

「…お?」




「…おなかが空いてしまった…」

「…は?」




 ***


「…つまり、こういう事か?」


 地面に座布団を敷いて胡坐をかき、左手で頭を掻きまわしながら、柊也は独り言ちた。柊也の左にはもう一枚座布団が敷かれ、シモンはその上で正座し、体ごと柊也の方を向いている。


「右腕で持ち込んだ食べ物は、食べ終わった後も、右腕の制限を受ける。少なくとも完全に消化されるまでは、右腕の影響下にある、って事か?」

「…」


 質問を受けたシモンは返事をせず、躾られたペットのように小さく縮こまる。その姿を一瞥しただけで、柊也は視線を元に戻し、自分の考えに没頭する。


 シモンは、栄養失調には陥っていない。つまり、それ以前に取った食事は、栄養として彼女の元に残っている。境界線として考えられるのは、胃の中で完全に消化され、腸で吸収されるまでの間。化学変化を起こすと右腕の影響下から逃れられる事を知っていた柊也は、その辺りが境界線と判断し、シモンに語り掛けた。


「まあ、こればっかりは実験してみないとわからないな。シモン、面倒だが、何度か試してみよう。多分、食べた物が完全に消化されるまで。4~5時間がボーダーラインだな。もう一度、食事を出そう。何が食べたい?」


 そう柊也に問われたシモンは身を乗り出し、柊也の顔を見つめて決意を述べる。


「おにくが食べたい」


 彼女の決意を真っ向から受け取った柊也は、しばらくシモンの顔を見つめていたが、やがて呆れたように、顔を左手で押さえる。しかし、内心は違った。彼は、あまりにもあどけない彼女を、直視できなくなったのだ。その顔で、「おにく」は卑怯だろ…。


 しばらくして苦虫を噛み潰したような顔を上げた柊也は、横目でシモンを見つつ、彼女の希望に応える。


「わかった。さっきのメニューにビーフステーキがあったな。それを出そう」


 自分の決意が実った事を知り、彼女は満面の笑みを零した。


 …しかし、彼女の幸せは、ここまでだった。食事の後、彼女に更なる悲劇が待ち受けていたのである。




 ***


 彼女が再度食事を取った後、二人は今後について話し合った。獣人族の回復力は凄まじく、シモンはすでに自立歩行ができるようになっていたが、戦闘となると流石に無理があった。そのため、しばらくはここで彼女のリハビリを行い、ある程度戦闘能力が回復してから、この場を去る事にした。


 また、ラ・セリエはもちろん、カラディナにも戻らない事で、意見が一致した。これは、彼女が悪魔憑きにかかった事が、ラ・セリエに広まっている事に起因する。この世界における悪魔憑きへの偏見は、厳しい。このまま彼女がラ・セリエに戻っても迫害から逃れられないだろうというのが、二人の共通した見解だった。逃れる先は、セント=ヌーヴェル。柊也がすでにエーデルシュタインから逃れて来ている以上、消去法でセント=ヌーヴェルしか選択肢がなかった。


 その他にも様々な意見交換をした二人だったが、だんだんシモンの口数が減ってくる。彼女の顔は次第に険しさを増し、顔を俯き、口を閉ざすようになる。彼女の膝の上では、彼女の指が世話しなく動き回った。


 異変に気付いた柊也は、会話を中断し、シモンを気遣う。


「シモン、どうした?」


 柊也の声を聞いたシモンは、ビクっと肩を跳ね上げると、正座したまま硬直する。顔は下を向いたまま、微動だにしない。


「シモン、教えてくれ。何があった?」


 柊也の重ねての質問に対し、シモンがゆっくりと顔を上げる。その顔は苦痛と恥辱にまみれ、歯を食いしばって何かに耐えている。その目は泳ぎ、柊也の顔を見ようとしない。


「シモン」


 自分の全てを捧げた相手からの、三度目の追求。彼女は一瞬痛みを忘れ、柊也の顔を見つめる。やがて、今にも泣きそうなほどに顔を歪めると、消え入りそうな声で、自分に襲い掛かる悲劇の正体を口にした。




「…トイレ…」

「…」




 再度の食事から、まだ2時間も経過していなかった。そして、柊也から2m以上離れると、右腕が持ち込んだ物は消失してしまう。柊也は盛大にため息をつくと、ため息に被弾して航行不能に陥ったシモンを立ち上がらせ、右腕で簡易トイレを取り出すのであった。




 この日、ついに自分が一人でトイレにも行けない駄目なになり下がった事を知った彼女は、羞恥の海で大破、横転し、轟沈した。

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