14:神託

 美香達がディークマイアー領にそろそろ到着するかという頃、ヴェルツブルグにあるロザリア教の修道院では、十数人の修道士が机に噛り付き、今日も神託の写本に勤しんでいた。ロザリアの聖遺物が信者に与える祝福や、鑑定によって導き出される結果については、一旦修道士が写本を行って蔵書にした上で、図書館に保存され、研究や解析に用いられるのが常だった。


 ロザリアの祝福を賜るには教会への喜捨が必要で、その額は金貨5枚と、節約すれば平民一家族が5ヶ月暮らせる額にもなり決して安くはない。しかし、祝福によって得られる素質は一生モノでもあるので、裕福な家庭は勿論の事、借金をしてまで祝福を求める者もおり、祝福を待つ列は絶える事がない。したがって聖遺物が排出する神託も膨大なものとなり、写本を行う修道士は、夜が明けてから日が暮れるまで、ひたすら文字と格闘していた。


 神託については、歴代の修道士が連綿と受け継いできたこの写本事業と、同じく何度も繰り返されてきた解析作業によって、すでに7割方解読できるようになっていたが、それでも解読できない単語が見つかるのは日常茶飯事であり、その都度修道士達は、書き慣れない字画を後世に残すべく四苦八苦する事になる。


 マルコは、すでに11年もの間この写本事業に関わっており、その期間は今の同僚の中でも3番目の長さである。すでにマルコ自身が理解している単語も5割を超えており、彼が持つペンの動きは淀みがない。もちろん、随所で読めない単語に突き当たる事にもなるが、彼の経験と、事業を支援する司祭の協力で、長い時間ペンが止まる事は、そうある事ではなかった。


 しかし、今日は珍しくその例外に当たったようだ。先ほどからマルコのペンは止まったままであり、彼の、脳内を探しまわるその表情にも迷いがあるようで、浮かない顔をしたまま宙を見つめている。近くに来た司祭は、彼らしくない顔を目にし、助け舟を出す事にした。


「どうしたかね、マルコ。君がそんな顔をするなんて、珍しいではないか」

「あ、司祭様。ええ、実は今まで見た事もない単語が出てきましてね。先ほどから記憶を当たっているんですが、どうにも行き詰っているんですよ。司祭様は、何か心当たりはありませんか?」

「どれどれ…、ん?何だ、こりゃ。これは、私にも見覚えがないな…」

「司祭様もですか…。久しぶりですね、これだけ難読な単語に当たるのも。仕方ありませんから、このまま書き写して、解析に回しますね」

「そうしてくれ。しかし、これは何処から来た物だろう、…ああ、これは、あの人の鑑定結果か」


 司祭はマルコの持つ紙を覗き込んで、納得したように頷いた。


「あれ、司祭様、何か心当たりがありましたか?」

「ああ、いや、内容ではなくてな。これは、シュウヤ殿の鑑定結果だ」

「え、あの、例の4ヶ月ほど前に召喚された?」

「そうだ。残念ながら、2ヶ月ほど前に非業の死を遂げられたがな」

「自分達が言うのもなんですが、可哀想な事になりましたよね」


 マルコが手に持つ紙を見ながら、しみじみと呟く。そのマルコを見て司祭は頷き、言葉を続けた。


「そうだな…。で、この鑑定結果だが、結局上層部でも結論は出なかったらしい。ただ、この文末の単語が、『ない』という意味である事は判明している。そのためこの一文は、ロザリア様から何の祝福も賜らなかったという意味であろうというのが、教皇猊下をはじめとする上層部の一致した見解だ」


 マルコが驚いた顔を司祭に向ける。


「え、ロザリア様から何も祝福が得られないなんて、そんな事ってあり得るんですか?」

「私もそのような事は、初めて耳にしたよ。ただ、結果としてシュウヤ殿は何ら素質を発する事なく、この世を去った。だから、少なくとも現時点においては、見解に誤りは見られないのだ」

「そうですか。しかし、そのような事態は、滅多な事では起きないでしょうからね。類似の単語がいつまた出てくるか、皆目見当がつきませんね」

「その通りだ。だから、この一文の書き起こしは、慎重に行わなければならん。下手をすると数十年、いや百年以上先まで残さないとならないかも知れんからな」


 司祭の話を聞きながら、マルコは手元の紙へと視線を戻す。その表情は、自分の仕事に対する誇りを持った、職人の顔だった。


「全くですね。でも、それだからこそ、私はこの作業に誇りを持ってるんですよ。今我々が解読できない単語であろうと、私の書き遺した物が、何世代も後でその解明の手掛かりとなる。こんな素晴らしい事は、そうそうないですからね」

「全くもってその通りだ。マルコ、よろしく頼むぞ」

「はい、司祭様」


 司祭より激励を受けたマルコは発奮し、自身の能力を十全に使って、写本に取り掛かる。いくら自分が読めない文字であっても、点のひとつ、払いのひとつでも誤ってしまえば、それは全く別の文字となってしまい解読不可能になってしまう恐れもあるのだ。マルコは、一画一画ゆっくりとペンをなぞり、完璧とも言える写本を残し、後世に解読を託した。


 …しかし、このマルコの努力は、結局報われる事はなかった。彼が書き遺した次の一文は、ロザリア教が滅ぶその時までついに解読される事はなく、歴史の闇に埋もれる事となるのである。




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