5:魔法

「…それでは、お二人はその銀幕に映し出された絵を見て、世の中の理を探求する活動をされていらっしゃったのですね?」

「…ニュアンス的にはちょっと違うんですけど、まぁ大筋では一応合っている…のかな?私は入ってまだ半年くらいでしたけど」

「ご謙遜を。その若さですでに世界の悪行を暴き、万民を救い、かつ根源を目指すような高邁な精神をお持ちなのに。私はミカが羨ましいですわ」

「え、そ、そう?」


 美香は、これまで経験した事のない尊敬の眼差しを受け、思わず仰け反ってしまう。自分が何か致命的な間違いを犯した気がして仕方がない。何とか誤解を解こうと試みるが、相手は一向に聞く耳を持つ様子がない。


 それもそうだ。何せ美香は、元の世界でも「しん・ごじら」なる巨龍を倒す術を知っている、叡智を極めた真の賢者なのだ。この世界を脅かすガリエルなど、鎧袖一触であろう。レティシア・フォン・ディークマイアーは、この1歳年下の少女と知己を得られた事を心から歓び、ロザリア様に感謝した。


 柊也と美香は、謁見から3日後に開催された晩餐会において、フリッツ・オイゲン・フォン・ディークマイアー辺境伯と、その令嬢であるレティシアを紹介された。その際、美香が自分より年下にもかかわらず召喚された事にレティシアは驚き、以来何くれとなく美香に声をかけ、面倒を見ている。


 当初は押しかけ気味の好意に戸惑い気味だった美香だったが、上級貴族らしくない気さくな人柄と面倒見の良さに惹かれ、今では柊也を除くと最も心を許せる相手となっていた。すでに二人は、お互いの名を敬称なしで呼び合っている。


 ディークマイアー辺境伯領は、エーデルシュタイン王国の北辺に位置する。ガリエル側から見た場合、辺境伯領はラディナ湖の東側に広がる王国への進路を塞ぐ「蓋」であり、王国にとって防衛の要である。


 父親のフリッツは45歳。王国の中で最も重要な土地を預かる身を十分に理解しており、またそのような苛烈な土地に住まう領民を愛している。自然、領地経営は熱の篭ったものとなり、租税は低く抑えられている。北辺の防衛拠点に対する王家からの援助の一部も領民に還元しており、領民から慕われていた。レティシアの人柄の良さは、父親譲りと言える。


「シュウヤ殿は、その後お変わりはございませんか?ここ最近、表に出ておられないようですが」

「ああ、先輩は、このところずっと書物に噛り付いています。二人とも、この世界の事を何も知らないからって。今日のお茶会にも誘ったんですけど、勝手についていくのは失礼にあたるって、断られたんですよね」

「あら。まったく、そんな気を遣わなくても構いませんのに。よろしいですわ、次回のお誘いにはシュウヤ殿にもお声がけいたします。ですので、ミカは遠慮せず、首に縄をかけてでもお連れ下さい」

「ありがとう、レティシア」




 ***


 ついに、薬学の本も読み終わった。読み終わってしまった。


 これまで文系一筋で来た柊也にとって、さすがに薬学は手に余る代物だったが、ガリガリと気力を削られながらも何とか主だった知識は仕入れる事ができた。軽く頭が疼き、思わず目頭を左手で押さえる。


 これまで、地理、歴史をかわきりに片端から書物を読み漁った柊也だったが、薬学を持ってほぼ全ての分野を読み終えた。残りは演劇や絵画など、不急不要のものばかり。…ただ一つの例外を除いて。


 柊也は、左手で額を抑えたまま、ちらりと机の端に目をやる。そこには、他の本の山とは一線を画すように、一本のタワーがそびえ立っていた。


 魔法。残された最後の分野。他の分野を優先して意図的に先送りを続けていたが、ついに手をかけざるを得ない。柊也は、浅くため息をついた。


 ここまで柊也が魔法を先送りしたのは、何てことはない、心の整理がついていなかったため。率直に言えば、魔法が使えるようになった美香が羨ましかったのだ。


 召喚直後は右腕を失ったショックもあり、何も考える余裕がなかったが、渋々現状を受け入れると、この世界特有の理、魔法に大きな興味を持った。端的に言えば、厨二心が疼いたのだ。


 当初は柊也も、美香とともにハインリヒの講義を受けるつもりでいたが、ここでハインリヒより待ったがかかる。


「申し訳ないが、シュウヤ殿は何の魔法の素質もお持ちではない事が判明している。ガリエルの尖兵である魔族や魔物を除くと、魔法を扱えるのは素質を持つ者のみなのだ。ミカ殿は『火を極めし者』により火属性の素質をお持ちだが、シュウヤ殿は何もお持ちでない。講義を受けてもシュウヤ殿は何もできず、ただ貴殿の心に傷をつけるだけになろう」


 そう指摘され、引き下がらざるを得なかったのである。ちなみに魔族とは、ガリエルを信奉する種族で、外見は人族と遜色がないが、素質がなくとも全ての属性魔法が使えるとされている。ガリエルが中原の情報を探るために密偵として送り込んでいると言われ、ヴェルツブルクほどの規模の都市となると、毎年1人か2人は見つかっている。その行動は人族と見分けがつかぬほど巧妙で、結婚して10年も経って、はじめて妻が魔族だったと判明した事例もあるくらいだ。当然、魔族と判明した後は裁判なしの即日処刑が行われ、妻と、二人の間に生まれた子供は、断頭台の露と消えた。なお、この場合魔族と知らず関わった者に対する咎めはなく、紹介したケースについても夫は後に別の女性と結婚し、平穏な生活を送っている。


 話が逸れたが、そう言った経緯もあり、柊也は魔法から目を背け他の書物に没頭する事になったのだ。


 しかし、他の分野はすでに一巡してしまっている。また、いくら魔法を使えないといっても、美香の参謀を務めるためには、魔法の知識を欠かす事はできない。


 子供じみた逃避がこれ以上できない事を痛感すると、柊也はついに諦め、魔法の書を手に取った。


 この世界の魔法は、光・闇・地・水・火・風の6つの属性に分かれる。このうち、素質を持つ限られた者のみが、素質に相当する属性魔法を扱う事ができる。魔法の発動には必ず詠唱が必要で、元の世界の小説に出てくるような無詠唱は存在しない。魔法の発動には魔力が必要とされている。これがどの様な力なのかは未だ解明されていないが、発動後に詠唱者が疲労や倦怠感を覚える事が確認されているため、体内のエネルギーの一つである事は確かなようだ。手に取った書物には魔法に関する基本的な説明がつらつらと書き連なれており、柊也は薬学の時とは比較にならないほどの熱意をもって、読み解いていく。


 やがて一通りの説明が完了すると、判明している素質の一覧が並び、詠唱における文節の説明が続き、具体的な魔法の紹介と効果、そして詠唱の文言が記載されていた。素質がないと、詠唱を口にしても魔法が発動しない事もあり、秘匿よりも知識の継承が優先された結果と言える。


 柊也は、自分には魔法が使えない事を知りつつも、期待に胸を膨らませ、食い入るように見つめる。そして厨二心も手伝って、思わず口ずさんだ。


「汝に命じる。炎を纏う球をなせ」


 すると突然、柊也は自分の視界に違和感を覚える。本を見つめる視界の上辺、自分の前方に、空間が捻じれたような歪みを見たのだ。


「え?」


 思わず顔を上げると、そこには小さな火の玉が浮かんでいた。


「え?何?」


 柊也の問いに火の玉は答えず、フワフワと漂っている。


 魔法が、使える。


 たっぷり10秒ほど硬直した柊也は、やがてそう結論付けると、それまで半開きとなっていた口を突然左手で抑え、慌てて左右を見まわす。先ほどの熱意は吹き飛び、顔面は蒼白だ。


「マズイっ!早くこいつを消さないと!」


 水の入った壺がないか探しまわり、ないとわかると書物に噛り付き、冷や汗を垂らしながらページをめくる。これじゃない…、これでもない…、あ、あった!


「汝を解放する。あるべき自然をなせ」


 そう柊也が唱えると、火の玉は空間に溶け出すように広がると、やがて霧散した。


 柊也はしばらく宙の一点を見つめた後部屋を見まわし、何ら違和感がない事を悟ると、やがて力尽きたように椅子に座り、背もたれに身を預ける。疲れ切った様子で、左手を額に添え目を覆う。


「何てことだ…詰んだじゃないか…」


 力なく口ずさんだ。


 魔法が使える。この事実は、今の柊也にとってメリットにはならない。諸刃の剣にもならない。ただの死刑宣告と言える。


 教会によって、柊也に魔法を使う素質がない事は、知れ渡っている。にも拘わらず魔法が使える事が知られてしまうと、得られるのは魔族という濡れ衣と断頭台への直行便だけだ。


 魔法が使えても、使うわけにはいかない。知られてもいけない。柊也は、生涯に渡って爆弾を抱え込む事になった。


 柊也は、これまで頭の中で練ってきた数々の計画を、全て放棄した。今までの計画は、全て二人で生き延びるためのもの。自分が爆弾を抱えた以上、美香を巻き込むわけには行かない。少なくとも今は、この国と、美香と、袂を分かつ必要がある。


 そう柊也は決意すると、これまで以上の熱意をもって、魔法の書を読み始めた。

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