【2-60】命のかがやき

 ◇



「ん……」


 キリエが目を覚ますと、すぐに誰かが顔を覗き込んでくる。──リアムだ。


「キリエ。……良かった、目覚めてくれて」

「リアム、戻っていたのですね。おかえりなさい。……あれ、僕はどうして寝ていたのでしょう」

「ただいま。──急に倒れたらしい。もう帰っていったが、医者にも診せた。医者曰く、急激に精神的負荷がかかったのが原因だったようだ。今は熱も下がったようだし、顔色も良くなっているようだが……、今日はこのまま休んでいたほうがいいだろう」

「そうだったのですね……」


 キリエが上半身を起こそうとすると、リアムの手が支えてきた。そんなに過保護にしてもらわなくてもいいと思う反面、自分が倒れたことで相当な心配をかけてしまったのだろうと申し訳なくもなる。


「僕はまた迷惑をかけてしまったのですね。ごめんなさい」

「謝らなくていい。身体は大丈夫そうか?」

「はい、異常は特に感じません」

「そうか。それなら良かった。……ここ、座ってもいいか?」

「ええ、どうぞ」


 許可を得たリアムは、積んだ枕にキリエの上半身を寄りかからせてから、寝台の端に腰を下ろした。気遣わしげな藍紫の瞳が、じっと見つめてくる。


「何があった? 意識を失うほどの精神的負荷など、よっぽどのことだ。何がそんなにもお前を苦しめた?」


 キリエはリアムから視線を外し、そっと窓辺を見た。カーテンがかけられているが、その生地越しに夕陽が差し込んできている。その赤みがかった光をぼんやり眺めながら、キリエは小さな声で問いかけた。


「ソフィアさんには、会いましたか?」

「……キリエ=フォン=ウィスタリア王子殿下。下々の名に敬称をつけるのはおやめくださいと、今までに幾度となく申し上げてきたはずですが?」


 わざと畏まった口調で冗談めかして言いながら、リアムはキリエの頬に手をあてがって振り向かせる。小言をぶつけるために目を合わせたというフリをしたつもりなのだろうが、彼がこちらの表情を確かめるためにそうしたのであろうことをキリエは察した。

 だからこそ、キリエはあえて笑ってみせる。そんなに心配しなくても大丈夫だと、言外で伝えるために。


「ふふっ、そうでしたね。では、改めて、……君はソフィアと会ったのですか?」

「ああ、少しだけ顔を合わせた。……まぁ、もう会うこともないだろう。俺から一方的に色々と酷い言葉を投げつけたからな」

「えっ……?」


 リアムの優しさを知っているキリエとしては、彼がかつての婚約者を罵倒したとは思えない。困惑している青年の銀髪を撫で、安心させるように騎士は微笑む。


「大丈夫だ。ソフィアには、ランドルフがついている。今は少々、二人とも精神的に参っているのかもしれないが、子どもも生まれるのだし、夫婦で支えあっていくだろう」

「子ども……」


 キリエの表情が曇るのを見て、どうやら彼に精神的負荷をかけた原因はソフィアの子にあるのだろうとリアムは勘付いた。


「ソフィアの子どもが、どうかしたのか?」

「いえ……、その……、ちゃんと愛してもらえる子なのかと心配になっただけなんです。余計なお世話だと思うのですが、僕は……孤児でしたので……」

「キリエ……」

「父親が誰か分かりましたし、今の僕はリアムのおかげで安定した良い暮らしをさせていただいていますが、……でも、王家の血を引いていたとしても親に捨てられてしまったという過去は変わらないですし、心の傷だってそのままです。結局は、いらない子だったわけですから。……ソフィアのお腹の子が僕と同じ思いをしてしまったらどうしようと、そんなことを考えたら、胸が苦しくなってしまって」

「キリエ、もういい。分かった。……辛いことを言わせてしまって、すまなかった」


 リアムのほうが、よっぽど辛そうな顔をしている。キリエは首を振り、布団から出した両膝を抱えた。気を抜くと涙が零れてしまいそうで、抱えた膝に額を押しつけてその衝動をやり過ごそうとする。


「キリエ、今はソフィアも心が不安定になってしまっているが、本来の彼女はとてもしっかりしていて責任感が強い。自分の子どもに愛情を抱けないような人間でもない。ランドルフも、頼りないところはあるが忍耐強いし思いやりもある男だ。……生まれてくる子は、きちんと両親の元で愛情を受けて健やかに育つだろう」

「……それなら、良かったです。……貧しい家庭に生まれて口減らしのために捨てられてしまうような孤児は国全体の動きで救えるかもしれませんが、経済的には何の問題もないのに両親から愛されない子どもは政策などではどうにも出来ないですから」


 キリエは、母親を知らない。父親であった先代国王がキリエの存在を把握していたかどうかも、分からない。なぜ自分が孤児になったのかは謎のままだ。

 ──ただ、捨てられた理由として、育てようと思えば育てられるが愛情を抱けなかった、というものが一番悲しいと思っている。もしもそうだとしたら、自分が命を得た意味を見失ってしまいかねない。


「……キリエ。俺は、お前と出会えたことが本当に嬉しい」


 まるで心を覗いてきたかのように、リアムは優しい声音でキリエが欲しい言葉を贈ってくれる。


「キリエが生まれてきてくれて、ここまで生き抜いてくれて、本当に嬉しい。……本当だ」

「……はい」

「お前がどんな理由でマルティヌス教会に託されたのかは分からないし、御両親のお考えも知らない。……でも、キリエの命は決していらないものなんかじゃない。少なくとも、俺にとっては何よりの宝だ。気休めにもならないかもしれないが、お前がこうして生きてくれていることによって救われている者が、少なくとも此処に一人、確実にいる。それをどうか、忘れないでいてくれ」


 そう言って背中を撫でてくれる手が温かくて、キリエは膝に埋めている双眸からぽたりぽたりと涙を零した。

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