【2-16】君がそれでいいのなら
そのとき、不意にノックの音が響く。次いで、リアムの声が聞こえてきた。
「キリエ、着替えは終わったか? 入るぞ」
「あっ、はい!」
キリエの返事を受けて入室してきたリアムは、騎士服から着替えて私服になっている。余計な装飾は何もないシンプルな衣服だが、もともと外見が整っている彼には、却ってその方が魅力が引き立っているように見えた。
「おっ、髪を整えてもらっていたのか。セシルは散髪の腕もいいからな。……うん、よく似合っている」
「キリエ様は可愛らしいお顔立ちなので、頬の横の髪は無理に短くするよりもこのくらいの方がお似合いかと思いまして」
「ああ、そうだな。さすがはセシルだ」
「ありがとうございます!」
褒められたセシルは嬉しそうに笑う。そんな彼が整えてくれた髪型は、両頬の横の毛束が顎より少し長めで、後頭部側は全体的に今までよりも少し短いというものだ。首周りはスッキリしているが、顔周りの髪は重めで、キリエの中性的な風貌に合っていた。
キリエがこんなに丁寧に髪形を整えたのは、生まれて初めてである。今までは、エステルに適当な位置で大雑把に切り落としてもらっていた。
「ありがとうございます、セシル。なんというか……、こんな風に身なりを整えてもらったことなんて初めてなので、嬉しさと恥ずかしさが同じくらい湧き上がっています」
「よくお似合いですよ、キリエ様。明日はお洋服を仕立てに行かれるんでしょう? おそらく、ボクの師匠がいるお店だと思いますので、楽しんでいらしてくださいね」
「セシルのお師匠さん?」
「はい。ボクのお裁縫とお洒落の師匠です。とても楽しい人なんですよ。リアム様はちょっと苦手みたいですけど」
「……別に、苦手ではない」
苦々しい口調で否定したリアムだが、彼の表情を見る限り、苦手意識を持っているのは確かだと思われる。気を抜いているときのリアムは、案外わかりやすい人物だということをキリエは把握し始めていた。
「ところで、キャシーが簡単な昼食を用意してくれた。遅くなってしまったが、とりあえず食べに行こう」
「はい。ありがとうございます」
「セシルは、この部屋をもう少し過ごしやすいように整えておいてくれるか? あと少しで、ノアとエドも応援に来るはずだ」
「承知いたしました。お二人とも、どうぞごゆっくり」
キリエは頭を下げて見送ってくれるセシルへ再度礼を伝え、リアムに連れられて廊下へと出た。二人きりになったところで、リアムは心配そうに問いかけてくる。
「体調は大丈夫か? 階段でふらついていたのは、おそらく疲れが溜まっていたからだと思うが、他に何か気がかりなことはないか?」
「僕は全然大丈夫です。それより、リアムは本当に大丈夫なのですか? あんなに強く打ったら、絶対に痛かったと思いますよ。アザになったりしてるんじゃ……」
そう言いながらキリエがリアムの上腕部に触れると、騎士は驚いたように見返してきた。その反応に、キリエは慌てて指を引く。
「あっ、ごめんなさい。痛かったですか?」
「いや……、むしろ逆だ。お前に触れられた瞬間、鈍痛が引いたから驚いた」
「えっ? というか、やっぱり痛いんじゃないですか! 君の方こそ手当てが必要です」
「大丈夫だ。剣の稽古をしていたら、この程度はよくあることだからな。鈍痛といっても、明日には完全に落ち着いているだろう」
リアムに我慢をしている様子はなく、よく分からないが痛みも引いたらしいので、それ以上は追及しないことにした。その代わり、キリエは違う問いを投げかける。
「どうして、君まで一緒に階段から落ちたのですか? あの場で助けてくれるとしても、リアムなら、咄嗟に僕の腕を引っ張るくらい出来たと思うのですが」
「あの状態で勢いよく引いたら、お前が腕を痛めてしまうかもしれないだろう?」
キリエの素朴な疑問に対し、リアムはいとも平然と答えた。
「腕は大丈夫だったとしても、体勢を崩したキリエが膝を打ってしまうかもしれない。それなら、俺が一緒に落ちてお前を丸ごと抱え込んだ方がいい。あの程度の高さからの落下なら、俺は鍛えているから平気だしな」
「そんな……、怪我をするかもしれないし、頭を打って大変なことになっていたかもしれないのに」
「それでも、俺は躊躇い無くこの身を投げ出せるし、今後もそうしていく。それは、お前も理解しておいてくれ」
そんなことをしてまで守られたくない、そう思っていても、キリエはそれを口にしてはいけない立場だ。だからといって、守られることを当たり前とは思いたくないし、リアムにも自身を犠牲にするのを当然とは考えていてほしくない。
どうにもならない悶々とした感情を噛みしめて、キリエは大真面目に言った。
「僕、怪我したりしないように十分に気をつけようと思います」
「ははっ。そうだな、怪我無く健やかに穏やかに過ごしていてほしいものだ」
「穏やかに、は……、しばらくは無理でしょうけどね」
「ああ。とりあえず、次期国王選抜が終わるまでは色々と忙しくなりそうだな」
「……騎士団のお仕事は大丈夫なんですか?」
「ああ。側近騎士は、己の主に付き従うのが役目だ。俺は一応称号持ちだから、時々は騎士団に呼び出されることもあるかもしれないが、基本的にはお前の側にずっといる」
そう話すリアムの横顔は穏やかで、どこかスッキリとしているようにも見える。とはいえ、名誉称号を所持している「夜霧の騎士」を自分が独占してしまうというのは、キリエとしては後ろめたさがあった。
コンラッドからリアムを側近にと勧められたときにも、キリエは思わず即答してしまったが、彼の意思を確認すべきだったのかもしれないと、少し反省している。今更だがリアムの気持ちを再確認しておくべきだろうか、とキリエが悩んでいると、リアムが言葉を継いだ。
「久しぶりに、忙しくなりそうだ」
「……え?」
「ここ五年ほどは、給料泥棒と言われかねない暇っぷりだったからな。外に出る機会も増えそうだ」
リアムの声音は、弾むまではいかないまでも、随分と明るい。活力に満ちた声を聞きながら、キリエは先程のセシルの話を思い出した。
肩身が狭い思いをしながら屋敷に引き籠もりがちだったらしいリアムが、生き生きとしている。──それが、きっと答えなのだろう。キリエは、余計なことは言わないと決めた。
「一緒に頑張りましょうね、リアム」
「ああ」
二人は穏やかに微笑み合い、食堂を目指した。
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