【2-17】食事への苦手意識
食堂ではジョセフが待ち受けていて、キリエを席へと案内して椅子を引いてくれた。キリエの正面に、リアムが座る。
「本来なら、主の食事に側近は同席しない。食事の世話をするために傍に控えているだけだ。だが、キリエは食事の作法がよく分からないとのことだから、一人できちんと食べられるようになるまで、俺も同席させてもらうことにした」
テーブルマナーは分からないという話を事前にしていたからか、リアムが同席してキリエに作法を教えてくれるようだ。キリエは顔を輝かせた。
「ありがとうございます! 嬉しいですし、とても助かります」
「いや、礼を言ってもらうようなことではない。……俺が横に立って教えながら食べてもらってもいいんだが、それだとお前が落ち着かないだろう? 当面は、共に食べながら真似をしてもらう形で慣れてもらおうと思う」
「はい。お気遣いに感謝します」
「いや、だから、感謝されるようなことではないんだが……、まぁ、いいか」
律儀に否定してきたリアムだったが、堂々巡りになると思ったのか、途中で口を噤んだ。代わりに、揃えた指先でキリエの席に置かれたナフキンを指す。
「とりあえず、そのナフキンを手に取って、二つ折り状態まで広げて膝に掛けてくれるか」
「はい」
「……向きは逆の方がいい。折れ目が自分の腹側に来るように。その方が、膝から落ちづらい」
「な、なるほど……」
リアムに指示されるがまま、キリエはぎこちない動きで膝にナフキンを掛けた。それを見届けてから、リアムは自分もナフキンを取り、手慣れた仕草で膝に広げる。
「基本的に、主賓がナフキンを広げた後で、同席者もそれぞれ膝に掛けるという流れだ。立場的に、キリエが主賓になる機会も多いだろう。席についてすぐにナフキンを広げるのも、逆にいつまでも手に取ろうとしないのも、良くない。少しずつ、ちょうどいいタイミングを掴めるようにしてくれ」
「分かりました。席に着いて早々に戦いが始まるのですね……」
「戦い?」
「自分との戦いです。教養が皆無である己を打ち破っていかなければ……」
「ははっ。そんな、戦地に赴く兵士のような顔をする必要は無い。確かに色々と礼儀作法はあるが、そんなものじきに慣れて自然と出来るようになる。食事の席での最大のマナーは、料理の味をきちんと楽しんで美味しくいただくこと。この言葉はキャシーの受け売りだが、俺もその通りだと思っている」
やわらかく笑ったリアムは、微笑ましげな視線をキリエへ向けてきた。
「キリエは飲み込みが早そうだから、作法なんてすぐに覚えてしまえるだろう。そんなことより、まずはきちんと食べられるようになること。俺が片腕で抱えて飛び回れる程度の軽さでは心配だ。せめて、両腕を使わないと抱えられない程度になってもらうためにも、食事への苦手意識を無くしていってほしい」
「うっ……」
食事への苦手意識があることを見抜かれてしまい、キリエは声を詰まらせる。
そう、キリエは食事が苦手だ。正確に言えば、マルティヌス教会を旅立って以降の食事への苦手意識である。それまでのキリエは、ほとんど具が無いスープ類と、質が悪い穀物を使った固いパンしか食べていなかった。そのうえ、自分の分け前も殆ど他の子どもたちへ与えていたため、少食どころの話ではなかったのだ。
それが、王都までの旅路の間でさえ、質のいいパンやチーズ・果物などを与えられていて、戸惑いと罪悪感ばかりが湧き上がってしまう。常に腹を空かせている子どもたちを見てきたからこそ、贅沢な食事を得ている己に対し複雑な気持ちを抱いてしまうのだ。
「そういえば、今更だが、今回は俺が同席しなくてもよかったような気がする」
「えっ?」
物思いに耽っていたキリエは、リアムの声で我に返る。リアムはキリエの様子を見て何か言いたげな顔をしたが、結局はその言葉を飲み込み、二人のグラスへ水を注いでいるジョセフへと語りかけた。
「シチューとパンだろう? それなら、キリエだって一人で食べられる。今までずっと横に俺がへばりついている状態だったからな、キリエもそろそろこの顔を見飽きてうんざりしているんじゃないか」
「そんなことはございませんよ。私がお給仕させていただくだけでは、キリエ様だってご不安に思われてしまうでしょう。リアム様がご一緒のほうが、キリエ様だってご安心なさるのではないでしょうか」
「……えっ、あ、はい! 僕は、リアムが一緒にいてくれた方が嬉しいです」
リアムの言葉の中の「シチュー」という単語に一瞬青ざめていたキリエだが、会話の矛先が自分へ向けられていると気づき、慌てて取り繕う。しかし、それだけではジョセフに誤解されるかもしれないと思い、更に言葉を重ねた。
「あっ、でも、だからといって、ジョセフと二人なのが嫌とか、そういうことじゃないです! すみません、僕、どうにも言葉にするのが下手で……」
「ふふっ。分かっておりますよ。御一人で食卓に着かれるより、リアム様と二人の方がより良いというおはなしでしょう」
「は、はい、その通りです」
上手くフォローしてくれたジョセフの言葉に、キリエは何度も頷く。そんな主をじっと見つめて、リアムは不思議そうに首を傾げた。
「どうした、キリエ? なんだか様子がおかしいが……、そんなに食事が嫌か?」
「い、いえ、嫌というわけではないんです。本当に。──ただ、ちょっと、胸が苦しくて」
「胸が苦しい? 体調不良か?」
「いえ……、そうではなくて」
嘘で誤魔化したくはないが、本当のことを告げるのも憚られる。どうしたものかとキリエが思い悩んでいると、ワゴンを押しながらキャサリンが入室してくる。
「キリエ様、リアム様、お待たせいたしました。お腹に優しいミルクシチューをご用意いたしましたわ」
金髪の美女は、実に家庭的であたたかな笑みを浮かべた。
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