【2-12】幸せな墓標

「キリエ様、わたくしはキャサリンと申します。キャシー、と呼んでくださいね」

「はい。よろしくお願いします、キャシー」

「こちらこそ、よろしくお願いいたしますわ。わたくしは、このお屋敷でのお食事の支度を任されている料理人です。キリエ様にご満足いただけるようなお料理をご用意できるよう、精進いたします」


 キャサリンは使用人とは思えない優美さを纏っている。それに加え、今まで接触したことがないような大人の女性の色気を感じ、キリエは彼女とまっすぐに目を合わせるのが少し気恥ずかしかった。


「キリエ様。キャサリンは、元々は有力貴族の令嬢でしたので、上流社会の礼節やしきたりなどが身についております。剣ばかり握っていた武骨な私では至らない細やかな作法などは、彼女から教わるとよろしいかと存じます」

「まぁ、リアム様。それはご謙遜が過ぎますし、わたくしへの期待が大きすぎますわ。わたくし、今は家名を持たない料理人なのですから」


 なぜ、有力貴族の令嬢が身分を落とし、料理人として働いているのか。サリバン家のように、何らかの事情で没落してしまったのだろうか。非常に気にはなるものの、無神経に踏み込んで尋ねようとは思えず、キリエは言葉に詰まった。

 その様子を見たキャサリンは優しく微笑み、何でもないことのように軽い口調で話した。


「わたくし、いわゆる上流社会のお食事があまり好きではありませんの。特に、舞踏会や社交会などの宴のお食事が。一般の……そうですわね、中流階級くらいまでの家庭料理が好きです」

「……どうして、上流階級の宴のお食事が嫌いなのですか?」

「ああいった場面でのお食事は、見た目だけはやけに重視していて、その割にどれもこれも冷めたものばかり。栄養だって偏っていますわ。素材が持つ味わいを活かした素朴なお料理を温かいうちにいただく、それが『美味しい』ということだとわたくしは思うのです。もちろん、あえて冷やした方が美味しいお料理もありますけれど、パーティーのお食事はそういうものではございませんので」


 やわらかい口調でのんびりとした語り方でありながら、キャサリンの言葉にはどこか熱が籠もっている。食事に対して情熱とこだわりを抱いているのが、強く伝わってきた。


「十二年前に街中で見かけた家庭料理がとても美味しそうで感銘を受けまして、わたくし、すぐに自分で作って試してみたのです。そのときのスープは今でも思い出します。とても、とても美味しかった。──ですが、父と母には叱られてしまいましたの。良家の娘が手を汚して料理をするなんて、良家の娘がそんな庶民料理を口にするなんて、良家の娘が、良家の娘が、……とそればかり。嫌になってしまいましたわ。わたくし自身のことなんて、まるで見てくださっていないんですもの。だから、わたくしは『良家の娘』をやめることにしたのです」

「……家出を、されたのですか?」

「その通りです。でも、生家では私が死んだことになっているようですわ。良家の娘が家出をしただなんて、外聞が悪いのでしょうね。わたくしは今ここに生きているのに、生家では墓標が立てられているだなんて、なんだか不思議な気分ですわ」

「そんな……、ひどい」


 娘がまだ生きていることを知りながら墓を作るなど、キリエにはキャサリンの家族の気持ちが一切理解できない。墓は、死者の安らかな眠りと、神の救いと導きがあることを願って作るものだ。少なくとも、キリエはそのように教わってきた。

 絶句しているキリエに対し、キャサリンは穏やかに微笑み続けている。その表情には全く無理がなく、むしろスッキリしたものだ。


「良いのです、キリエ様。わたくしは、一度死んで、生まれ変わったんですわ。そう思うことにしているのです。それが、わたくしにとっても両親にとっても幸せなことだと思いますので」

「幸せ……?」

「ええ。両親の元には出来のいい妹がおりますので寂しくはないでしょうし、むしろ頭を悩ませていた不良娘がいなくなって安堵しているでしょう。そして、家を出たわたくしは身寄りのないキャサリンとして王都の食堂で住み込みで働き、そこで修業をしているときにリアム様と再会して、今はこのお屋敷で雇っていただいております。籠の中の鳥だったときよりも、皆さんからの『美味しい』をたくさん聞かせていただける今のほうが、わたくしは幸せなのです」


 キャサリンの言葉の中で、ひとつ引っ掛かりをおぼえた。彼女は、リアムと再会したと言っていたが、以前から知人関係だったのだろうか。

 そんなキリエの疑問を察知したのか、リアムが言葉を挟んできた。


「私とキャサリンは、幼少期からの知り合いなんです。急な訃報を知らされていたキャサリンと、まさか城下の個人食堂で顔を合わせることになるとは予想外でした」

「ふふっ、あのときのリアム様の亡霊でも見たかのようなお顔、忘れられませんわ。でも、わたくしだって、まさかリアム様のような方が庶民の食堂にいらっしゃるとは考えもしませんでした」

「前にも言った通り、あそこの店主に街角で出くわしたとき、ちょっとした手助けをしただけなんだがな……、自分の店の料理人はとても腕がいい、ご馳走するから食べに来てくれと強く誘われたんだ。まさか、その料理人がキャシーだとは驚いた」

「お誘いを受けたからといって、実際に庶民の店まで足を運んでくださるだなんて、リアム様は本当にお人好しですわね。そのおかげで、こんなに素敵なお屋敷で働かせていただいているんですから、わたくしにとっては感謝しかないご縁ですけれども」


 二人のやり取りを聞き、キリエも口元を綻ばせる。リアムもキャサリンも元々は上流階級の育ちという気品があるが、だからといってそれを鼻にかける様子は微塵も無いのだ。漂っている空気は優しくて、あたたかい。キリエが目指している「皆に優しい王国」は、きっとこんな雰囲気だ。居心地の良さを感じているキリエへ、キャサリンが再び微笑みかけてくる。


「キリエ様にも、たくさん『美味しい』って仰っていただけるように、わたくし頑張りますわ。──では、次のご紹介はセシルかしら?」

「はい、じゃあ今度はボクがご挨拶しますね」


 メイド服に身を包んだ栗色の髪の青年は、話を振られて可愛らしい笑顔を見せた。

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