【2-10】サリバン邸

 リアムはしきりに「うちの屋敷は狭い」と言っていたが、サリバン邸に到着したキリエは、その大きさに目を瞠った。豪奢な外観というわけではなく、素朴で落ち着いた雰囲気ではあるものの、立派な屋敷だ。敷地自体の広さも、マルティヌス教会の三倍はあるだろう。


「リアム……、君のお屋敷、十分に立派だと思います」

「そうか? 貴族たちには笑われてしまう程度のものなんだが、お前が気に入ってくれたなら何よりだ。今日からはキリエの家になるんだからな」

「いえいえ、ここはあくまでもリアムのお家です。僕は居候に過ぎないのですから」

「はいはい。じゃあ、今はそういうことにしておこう」


 微笑ましそうにリアムが言ったところで、馬車を停めたエドワードが元気よく叫びながら屋敷の方へと駆けて行く。帰還の旨を何度も繰り返している喚いているフットマンの声に苦笑しながら、リアムは先に降車してキリエへ手を貸してくれた。


 王都の中でも外れの方ということもあり、屋敷の周りには木が多く、大きな花壇もあることから春には見事な庭になるのだろうと予感させる。城周りよりも空気が美味しくて、気持ちがいい場所だ。


「キリエ様、参りましょうか。拙宅の使用人たちをご紹介します」

「あっ、はい」


 馬車を降りた途端に従者の顔になったリアムに促され、キリエはひとつ頷いて、彼の背を追って歩き出した。

 屋敷の玄関前には、使用人と思われる男女が五人並んで立っている。その中の一人はエドワードで、明るい笑顔で手を振っていた。

 リアムとキリエが目の前まで来ると、彼らは一斉に綺麗な姿勢で頭を下げる。


「おかえりなさいませ」


 見事に揃った声での出迎えの挨拶に対し、リアムは気さくに声をかけた。


「ただいま。皆、顔を上げてくれ。こちらにいらっしゃるのは、先代国王陛下の御子息であらせられるキリエ様だ。本日から俺は側近騎士の任を賜り、キリエ様には当家で共に過ごしていただくことになった。詳しい話は、とりあえず中で」

「承知いたしました。先に食堂で支度をしておきます。……キャシー、来てくれるか」

「かしこまりました」


 燕尾服を着ていた中年男性がにこやかに一礼してから立ち去り、彼の後を追って、金髪を綺麗なシニヨンにまとめたエプロンドレスの女性も一礼してから歩き去って行く。

 残された三人の中で、メイド服を着た人物がキリエの元へ歩み寄り、長いスカートを両手で軽く持ち上げながら一礼した。


「お初にお目にかかります、キリエ様。ボクはこちらのお屋敷でフットマンとしてお仕えしておりますセシルと申します。よろしくお願い申し上げます」

「よろしくお願いします、キリエです。……って、えっ? フットマン?」


 聞き間違えかと思ったが、メイド服の彼女──いや、彼は、笑顔で「はい」と頷いた。セシルは顔立ちが可愛らしく、声音も中性的で、背丈もキリエと変わらないため男性としてはかなり小柄だ。フットマンだと言われなければ、女性だと思い込んでいただろう。何と言えばいいのか分からず硬直するキリエの側へ、もう一人、燕尾服に身を包んだ人物が歩いてくる。

 ──しかし、その人物は燕尾の上着の上からでも胸の膨らみが把握できた。つまり、女性だ。燕尾服の女性は、艶のある黒髪をキリエよりも短い位置で切っているうえに、背も高い。


「お初にお目にかかります。サリバン家のメイドをしております、エレノアと申します」

「メイド……」

「はい。職種上の分類としては、自分はメイドです」


 エレノアの声もまた女性にしては低く中性的であるため、もし彼女が胸が小さい体型であったなら、名乗られなければ男性だと思ってしまったかもしれない。


「彼らについての詳しいご紹介は、中でさせていただきます。風が冷たい外に立ったままでは、お疲れになってしまうでしょうから」


 混乱しているキリエへ助け舟を出すように、リアムが割って入ってきた。セシルとエレノアは揃って「かしこまりました」と軽く一礼し、扉の左右に分かれて開けてくれる。キリエは若干緊張しながらも、屋敷の中へ足を踏み入れた。


 屋内もあたたかく落ち着いた雰囲気ながら、適度に調度品や花が飾られていて、没落したはいえ貴族の家なのだなと思える華やかさがある。かといって、過度に豪勢ということもなく、リアム本人が纏っている空気がそのまま反映された家のようにキリエは感じた。


「先に行った者が温かい飲み物を用意しているはずです。まずは食堂へ参りましょう。……セシル、ノア、お前たちもひとまず付いて来てくれるか。そして、改めてご紹介した後は、キリエ様の御部屋を用意してほしい。俺の隣の部屋を、整えてくれ」

「御意」

「かしこまりました、リアム様」


 エレノアとセシルが受諾すると、彼らの隣に立つエドワードが無垢な瞳をキラキラさせながら首を傾げる。


「リアム様、リアム様、オレも一緒に行っていいっすか? キリエ様とおはなししたいっす!」

「……まぁ、すぐに申し付けたい用事も無いし、エドは朝から外門前で頑張っていたようだしな。キリエ様、エドワードとは既に対面済みですが、ご紹介の席に居合わせてもよろしいでしょうか?」

「勿論です! 僕もエドともっとおはなししてみたいですし、何より彼にも休んでほしいです。あと、リアムにも。ずっと僕の付き添いで、君こそ疲れているでしょうから」

「お優しいお気遣い、痛み入ります」


 キリエの答えに、リアムが穏やかに微笑みながらも硬い口調で言葉を返す。エドワードは嬉しそうな笑顔で何度も頷き、キリエの隣で飛び跳ねた。


「ありがとうございます、キリエ様! あの、オレ、このお屋敷のことが大好きで、リアム様のことも、他のみんなのことも大好きで、キリエ様のことも大好きなので、キリエ様にもこのお屋敷を大好きになってもらえると嬉しいっす! キリエ様が住んでて良かったって思ってくださるような、ぽっかぽかな場所になるように、俺も頑張るので!」

「何を言っているんだ、エド。ほら、無駄な言動をしていないで、食堂までキリエ様をご案内しろ」

「かっしこまりましたー!」


 リアムは呆れたようにエドワードを窘めていたが、キリエの胸には温かいものが込み上げる。王都の中でも、ここは──サリバン邸は、安心していられる優しい場所だ。そう思えるような気がして、王城を出てからもキリエの中にわずかに燻っていた緊張感が消えていった。

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