【1-8】血筋の証明

「あの……、様とか付けないでいただきたいのですが」


 三人の騎士に跪かれて狼狽えるキリエに対し、リアムは面を上げて静かに首を振った。


「お言葉ですが、我々は王家の方々──次期国王候補であらせられます王子王女様方より遣わされている者です。王家は、キリエ様を賓客として王都へお招きされていらっしゃいます。従いまして、我々一介の騎士といたしましては、キリエ様のご心情がどうあらせられたとしても、このように畏まらせていただきたく。……どうぞ、ご容赦ください」


 流麗に並べられた小難しい言葉たちは、要するに「自分たちの立場というものを弁えさせてほしい」という内容である。

 上流階級、ましてや王家のしきたりや常識などキリエに分かるはずがない。ひとまずはリアムの言葉に従っておこうと、キリエは小さく頷いた。


「ありがとうございます。──さて、キリエ様。話を進めてゆく前に、ひとつ確認させていただきたいことがございます。まずは、どうぞお掛けください」


 どこに座れという指示は無かったため、キリエはすぐ傍の長椅子へ腰掛ける。礼拝に参列する者が座るために並んでいる長椅子のため、これでは向かい合うどころか正面へ騎士たちが立つことも出来ない。失敗しただろうかと後悔したキリエだったが、リアムは表情ひとつ動かすことなく、当然のように長椅子の横へ移動して膝をついた。他の2名も夜霧の騎士の斜め横へ控えるようにして、同じように跪く。


「キリエ様はおそらく、私たちが来た理由を察していらっしゃると思います」

「……落とし物として届けた金ボタンに僕が触れたら光った、という件でしょうか」

「その通りです。キリエ様のお言葉を疑うわけではないのですが、念のために事実確認をさせていただきたいのですが、お許しいただけますか」

「……、はい」


 返答に少し間が空いてしまったのは、先行きに不安を感じてしまったからだ。そんなキリエの心情を察知したのか、リアムは「心配するな」と言うような視線を向けてくる。十年前にキリエを励ましてくれたときと変わらない、深い藍紫の瞳。その眼差しには、立場や建前を取り払った素の彼が滲み出ているように思えた。


「……それでは、キリエ様。こちらはお預かりして参りました、ウィスタリア王家に代々伝わっている金ボタンです」

「僕が届けた落とし物でしょうか?」

「キリエ様が届けてくださったものも、王家に伝わる金ボタンのひとつです。しかし、それはこちらではなく、元の持ち主様の御手へと返却されました」

「そうでしたか。持ち主の方へ届いて良かったです」


 王家伝統の代物を紛失したとなれば、その持ち主がどんなに高貴な立場であろうとも責任を問われかねないのではと心配していたのだ。キリエが胸をなでおろすと、リアムの瞳が柔らかくなり目元だけ微笑む。彼は彼で、キリエが昔からの素直さを失っていないことに安堵したのかもしれない。

 わずかな笑みを引っ込めたリアムは深紅のビロード布で丁重に包まれていた金ボタンをキリエへと差し出し、生真面目な口調で言った。


「恐れながら、お願い申し上げます。キリエ様の御手で、こちらへ触れていただけますでしょうか」

「……はい」


 リアムの真剣な眼差しと、その両隣で真面目さの中に興味を含ませている2人の騎士の視線を受け、キリエは少々緊張しながらも金ボタンへ手を伸ばす。微かに震える指先がそこへ触れた瞬間、眩い光が礼拝堂内を満たした。

 騎士たちはそれぞれに驚愕の表情を浮かべ、絶句している。金ボタンを掲げ持っていたリアムは、己の手が受けている強い輝きに感嘆の吐息を漏らし、キリエへ頭を下げた。


「ありがとうございます」

「あ、あの、もう離しても大丈夫ですか?」

「はい。お手数をお掛けいたしました。──そして、おめでとうございます。キリエ様を正式な次期国王候補のおひとりとして、王都へご案内いたします」

「……、王都」


 金ボタンから指を離しつつ、キリエはぼんやりと呟く。

 郊外で暮らす平民──中でも貧困層の人間にとって、王都は夢のまた夢の先にあるような場所だ。一度くらいは足を踏み入れてみたいものだと淡い願望を抱く人も多い、憧れの街。

 キリエも王都にある国立教会や大聖堂に興味を抱いてはいたが、いざ王都へ招かれようとしている今、喜びの感情は無かった。というよりも、いまだに非現実的であるという感覚が拭えない。


「あの……、僕は自分の立場がよく分かっていないのですが、王都へはご挨拶に伺うということでよろしいのでしょうか。そして、またここへ戻ってくる、と」

「……キリエ様。貴方がこのマルティヌス教会へお戻りになることはないでしょう」


 そんなことはないのだろうと薄々勘付いてはいながらも尋ねずにはいられなかったキリエの言葉を、リアムは冷静に否定してくる。あえて感情を押し殺しているように見える夜霧の騎士は、更に現実を示してきた。


「いずれ、何かの御用事もしくは御休暇でこの地を訪れられることはあるかもしれません。しかし、本日までの御立場ではなく、王家に御名前を連ねていらっしゃる一員として、となります」

「僕の家はここで、僕の家族はこの教会のみんなです」

「……お気持ちはお察しいたしますが、それが赦されない御立場であることが先ほど証明されたのです。つきましては、次期国王候補として王都でお過ごしいただき、次期国王選抜へご参加いただかねばなりません」

「そんな……」


 先日の街役場でも、今ここでも、お前は次期国王候補の一人だと言われているが、キリエはそんなつもりは毛頭無い。確かに、自身の出自に関しては何ひとつ知らないのだから王家の血が混ざっている可能性はあるかもしれないが、だからといっていきなり今までの生活を無かったことにされるのには抵抗感しか湧かなかった。


「たとえ次期国王候補だったとしても、僕は王様になるつもりなんてありません。辞退します。王家の方々へそのようにお伝えいただくわけにはいきませんか?」


 次期国王候補の立場を棄権したいというキリエの申し出を聞き、二人の騎士は目を瞠る。どんな財産を持っていようと国王の血を継いでいなくてはなりたくてもなれない地位と権利を、キリエがあっさり手放そうとしているのが理解できないのだろう。

 しかし、リアムは全く動じる気配を見せず、静かに首を振った。


「なりません。……私のごく個人的な意見を申し上げるのをお許しいただけるのであれば、無理に次期国王を目指していただく必要は無いかと存じます」

「だったら、」

「しかし、次期国王候補という御立場が証明され、王家でもそれを把握されている現状では、ここで今までのようにお過ごしになられるのは危険です。国王の血統という絶対的な存在は、キリエ様の御心がどうあられるかとは無関係に各方面へ多大な影響を及ぼします。その御立場を利用しようと企む者もいるでしょうし、御命を狙われる場合も考えられますし、……その際にキリエ様の周囲の人間が巻き込まれることもあるかもしれません」

「僕のせいで、僕の周りの人が死んでしまうかもしれない、と?」

「キリエ様のせいだとは申しません。ですが、そういった可能性は決して低くはないのだとご承知おきください。逆に、王都内は数多の権力者の目が光っておりますので抜け駆けはしづらいでしょうし、我々王国騎士団が護衛につくことでお守りすることも出来ます」


 国王の座を狙う狙わないは問わず、キリエは王都にいる必要があるらしい。命あるものは、それぞれ居るべき場所があるのだ。キリエにとってのその場所はマルティヌス教会であるのだと十八年間信じてきたのだが、そうではなかったということなのだろう。

 何を発言したらよいのか、キリエには分からなかった。いや、そもそも、自分の心の中に渦巻いている感情が何なのかも分からないのだ。一番大きいのは、悲しみだろうか。言葉にならない哀しさが、胸を満たしている。


「──当初の予定通り、お前たちは先に馬を走らせて王都へ報告を持ち帰ってくれ。俺はキリエ様を馬車でお連れする」


 茫然としているキリエから視線を外して立ち上がり、リアムは部下たちに指示を出した。新米騎士たちは腰を上げながら顔を見合わせ、おずおずと口を開く。


「差し出がましいようですが、本当にリアム様おひとりで大丈夫でしょうか?」

「リアム様の剣の腕には何の不安もありませんが……、その、次期国王候補様の護衛としては手薄すぎるのではないかと」

「仕方がないだろう。……これ以上の人員は割けないと、マデリン様とライアン様が仰せになったのだから」


 苦々しい声音で、リアムはそう答えた。どこか悔しげな口調であることから、彼としても不本意な人員構成での任務だったのだろう。

 マデリン、そしてライアンの名は、キリエにも聞き覚えがあった。先代国王の第一子がマデリン王女、第二子がライアン王子だったはずだ。そして、第三子がジェイデン王子、第四子がジャスミン王女と続いている。


「王都への迅速な報告は重要なことだ。正直なところ、お前たちのどちらか一人だけを伝令にするのは不安なんだ。馬を飛ばしていると、予期しないことも起こりやすい。──こちらのことは案ずるな。キリエ様は必ず王都へお連れする」


 きっぱりと言い切る上官に気圧されるように、二人の騎士はキリエへ深々と一礼してからリアムへ敬礼し、礼拝堂を後にしていった。彼らの姿が見えなくなってから、夜霧の騎士はキリエへ手を差し伸べる。


「キリエ様、我々もすぐに発たねばなりません。お手伝いいたしますので、荷造りをいたしましょう」

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