【1-4】落とし物が示した意外な真実

  ──翌日


 キリエは街役場に用事がある旨を伝えて、果物屋での仕事を早上がりさせてもらった。果物屋の営業時間めいっぱいまで働いてしまうと、役場が閉まってしまうからだ。

 こちらの事情で早く帰るのだから賃金は半分で構わないと申し出たのだが、人のいい店主は「キリエが働いてくれるようになってから売上が上がってきているから」と普段通りの日給を手渡してくれた。

 キリエは感謝と共に「このお店とご主人と家族の皆様に神の祝福がありますように」としっかり祈ってから、果物屋を後にした。


 エステルから預かった金ボタンは、ハンカチに包んでズボンのポケットに入れている。キリエが直に触れなければ光ることはないようだが、そもそも何故キリエが触ったときだけ輝きだすのかが謎すぎる。

 薄気味悪さを感じてしまうが、上質な逸品であるのは確かで、落とした誰かが困り果てているかもしれない。そう考え、キリエは小走りで先を急いでいた──のだが。人通りの多い道の端でしゃがみこんで泣いている幼い少女を見かけた彼は、迷わずそちらへ向かった。


「こんにちは。どうしたんですか?」


 キリエが隣に座り込むと、五~六歳程度と思われる少女は涙が盛り上がっている大きな瞳で見上げてきた。質のいいワンピースドレスを身にまとっていて、かわいらしい髪飾りもよく似合っている。街で暮らしている中でもかなり裕福な良家の娘なのだろう。


「……きれい」

「えっ?」

「お兄ちゃんの髪の毛とおめめ、お月様みたいね。きれい」


 その言葉に、十年前に出会った英雄のことを思い出す。キリエの髪と瞳を銀月に例えた、夜霧の騎士。

 あれから数年後、他に騎士団最強を名乗る男が出現したらしく、それ以降は彼の名を聞く機会は殆ど無くなった。父親が爵位を剥奪された結果として彼も没落貴族になったという風の噂もあったが、それでもキリエの中では不動の英雄なのだ。


 懐かしさを胸に押し込めて、キリエは少女の頭をなでる。


「ありがとうございます。……ところで、かわいいレディ。何かお困りごとですか? 迷子になってしまったとか?」

「ううん、おうちがどこかは分かるわ。でも、帰りたくないの」

「おやおや、どうしてですか?」

「お母様は、ローザのことが嫌いなんだわ。アンディが生まれてから、ローザを抱っこしてくれないもの。ローザのこと、いなくなっちゃえって思ってるんだわ」


 なるほど、どうやらローザという名前らしい少女は、弟が生まれてから母親が構ってくれなくなったことを悲しんでいるのだろう。母親がいて、きれいな衣服が与えられて、栄養の行き届いた食事がとれて、しっかりした家がある。それがどんなに恵まれたことであるのか、この少女が自覚できるときは無いのかもしれない。

 だが、そんなことを説教するつもりはない。生まれた環境が違えば、それぞれの「当たり前」にズレが生まれてしまうのは、それこそ当たり前のことだから。キリエは微笑んで、再び少女の頭を撫でた。


「アンディはまだ赤ちゃんでしょう? 生まれたばかりの赤ちゃんは、一人でできることがローザよりもずっと少ないんです。だから、もう少しの間だけ我慢して、お母様を貸してあげてください。アンディがもう少し大きくなったら、お母様はまたローザを抱っこしてくれますよ」

「ほんと? お母様、ローザのこと嫌いじゃない?」

「もちろん、本当です。ローザの髪をかわいく結ってくれたのは誰ですか?」

「……お母様よ」

「そうでしょう? 嫌いな子をかわいくしてあげたりしないと思います。このまま大好きなローザがいなくなってしまったら、お母様は悲しくて泣いちゃいますよ」

「お母様が泣くのは、いや。ローザだって、お母様が大好きだもの」


 ローザは指先で涙を拭い、立ち上がる。そして、ませた仕草でスカートの裾を持ち上げ、一礼した。


「ありがとう、お月様のお兄ちゃん。ローザ、おうちに帰るわ」

「ええ、それがいいと思います。きっとお母様も心配していますよ」

「うん! お母様と、あとアンディにもごめんなさいするわ!」


 小さな淑女は、元気よく手を振って駆け去って行く。その背中が見えなくなってから、キリエは今度こそ街役場を目指して足を速めた。



 ◆◆◆



「あの……、すみません」


 街役場の受付から声を掛けると、面倒くさそうな溜息と共に中年の役人が一人やって来る。もうすぐ受付終了だというのに直前に来て何用だ、と文句を言いたかったのだろうが、キリエを見た瞬間、どこか気まずそうに言葉を飲み込んだ。ちなみに、キリエはこの役人とは初対面であり、何の関係も無い。


「……なんだい、兄ちゃん。どうした?」

「お仕事が終わる寸前に駆け込んでしまって、すみません。落とし物を届けに来ました」

「あー……、落とし物ねぇ」

「とても貴重な物だと思うんです。王家の紋章と思われる刻印がありますし」


 しょうもない物を届けられてもなぁ、という顔をしている役人に、キリエは対象物をポケットから出してハンカチを解いた。金ボタンを見た役人の顔つきが変わり、興味深そうにしげしげと眺めてくる。


「これは──偽物には見えないな。上等な金で作られているし、紋章も綺麗に彫られている。贋作じゃなさそうだが……だったら、なんでこんな代物がこんな街に……?」

「この街というか、マルティヌス教会に落ちていたんです。おそらく、他の場所で拾った動物がくわえて運んだのだと思いますが。──あと、」


 エステルから聞いたことを交えながら話し、キリエは金ボタンにそっと触れる。途端に、役場受付内を眩い光が満ち溢れた。絶句している役人の顔を見上げ、キリエは困ったように眉尻を下げる。


「このように、なぜか僕が触れると光るんです。変ですよね?」

「……」

「お役人さん?」

「……」

「あの、……えぇと、どうされましたか?」


 役人は金ボタンとキリエの顔を交互に見比べながら、絶句している。その顔色は、心なしか蒼い。受付室の光が気になったのか、他の役人も5人ほどやって来たが、皆がこの光景を見るやいなや言葉を失って棒立ちになっている。

 皆から凝視されて居たたまれなさを感じたキリエは、金ボタンに触れていた指先をそっと離す。すると、金色の光は一瞬にして消えた。役人たちは顔を見合わせていたが、視線の交わし合いだけで相談した結果なのか、キリエの対応をしていた中年役人が金ボタンに手を伸ばしてくる。彼が触れてもボタンは光を放つことはなかった。

 役人はしっかりと手に持って目を近づけ、注意深く観察する。しかし、特に不自然な部分は見つけられなかったのか、同僚に向かって首を振って見せた。


「兄ちゃん、あんた……、教会の人間か?」

「ええ、赤ちゃんの頃から教会で育てていただき、お世話になっております」

「孤児か……、親に心当たりは無いか?」

「はい、全く分かりません。生まれてすぐに教会の入口に捨てられていたそうで、この子の名前はキリエという走り書きが添えられていただけで、他には何も……」


 そうか、と唸るように呟いた役人は、渋い表情で自身の口髭を撫でる。しばらく沈黙を続けた彼は、じきに意を決したように頷き、真剣な面持ちでキリエを見つめてきた。


「いいかい、兄ちゃん。……いや、俺がこんなに気安く声をかけちゃあいけないお相手かもしれねぇんだが、とりあえず、上からの判断が来るまでは普通にさせてくれ」

「ええ、それはお気遣いなく。……でも、上からの判断というのは?」

「王都──というか、王家からの判断だな」


 まさか王家がらみの落とし物を届けたことで、何か疑いが掛けられているのだろうか。そうだとしたら、やはりエステルと代わってよかった。そう思いながら神妙な面持ちでキリエが頷くと、役人も頷きを返してくる。


「兄ちゃんは知らないかもしれないが、これは王家に代々伝わる金ボタンのひとつだと思われる。国王陛下、その奥様方とお子様方が正装の装飾の一部分にこのボタンをお使いになられているという、王家伝統の逸品だ」

「そんな逸品がなぜ、教会に……」

「そう、確かにそれも気になる。だが、数日前に隣街の劇場に姫様がいらしていたというから、その道すがらに落とされたものを動物が拾ったのかもしれん。だから、それは問題じゃねぇ。……問題は、そこじゃねぇんだ」


 どこか苦しげに言葉を吐き出した役人は、キリエの細い肩を両手でガッシリと掴んできた。


「兄ちゃんが触るとボタンが光る。この事実が大問題なんだ」

「と、いうと……?」

「光るんだよ」

「ん、んん……?」

「国王陛下と、そして、次期国王候補が触れると光るんだ」


 役人の言葉があまりにも現実離れしていて、キリエはとっさに返事が出来ず、ひたすらに瞬きを繰り返す。そんな少年に言い含めるように、役人は低い声で呟いた。


「──つまり、あんたも次期国王候補の一人ってことさ」

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